第百十六話 「憤怒の雷光」
(気味悪い付与魔法だな……)
不気味な雰囲気を漂わせる敵の神器を見えて、ヘリオは僅かに足を引いた。
ヘリオ・トールは常人とはかけ離れた嗅覚を有している。
野生の獣並みと称されたこともあるが、単に臭いを捉える感覚が鋭敏というだけではない。
彼は抽象的とも言える“気配”や“威圧感”すらも嗅ぎ取ることができるのだ。
それによって相手との力量差をある程度測ることも可能となっている。
そんなヘリオの鼻が告げている。
あの付与魔法は危険だと。
「それでは参ります」
「トパーズ様の前に立ち塞がったことを後悔しなさい」
感情のない顔でそう言った魔人姉妹は、そっくりな動作で斧を振り上げて走り出した。
彼女たちの行方に立つヘリオは、【雷撃の長槍】を両手で握って身構える。
まず先に金の斧を持った金髪魔人が斬り掛かって来たので、ヘリオは即座に横に飛んで斧を回避した。
だが回避方向を読まれていたのか、もう一人の銀髪魔人がその先に回り込んでいて、巨大な銀斧を縦に振り下ろしてくる。
ヘリオは目覚ましい反応速度でそれを視認すると、咄嗟に長槍を上に構えて斧を防いだ。
両手にズシッとした重量感が襲い掛かってくる。
同時に槍の柄部分がギシギシと不穏な音を響かせて、著しく耐久値が削れているのがわかった。
その事実に密かに舌を打っていると、斧を振り下ろしてきている銀髪魔人が、脚を上げて重い蹴りを食らわせてきた。
「ぐっ!」
ヘリオは吹き飛ばされて、遺跡前に乱立する石柱の一本に激突する。
しかし大したダメージにはなっていなかったので、すぐに起き上がって反撃に出ようとした。
だが……
「あっ?」
不自然に、体が重たかった。
否、重たいのは体ではない。
両手で握りしめている【雷撃の長槍】の方だった。
そのためヘリオは即座に立つことができず、重量感に抗いながらなんとか起き上がる。
(槍が重てぇ。何かされたか?)
いつもの手に馴染んだ重量ではない。
まるで筋力訓練用の鉛を五つや六つ、槍に括り付けられたかのようだ。
手元の槍に訝しい目を落としていると、ヘリオは数瞬の思考を経てハッと気が付く。
そして銀髪魔人が持っている銀の斧を鋭い視線で睨め付けた。
「チッ、それが付与魔法の効果か……!」
先ほど奴が使っていた付与魔法――【銀戒】。
おそらく神器で触れたものを重くする付与魔法。
いや、それならば神器を握っている本人の体も重くなる道理。
しかし銀猫魔人の動きはまるで鈍くなっていない。
ということは重くする対象は、『神器』だけだということになる。
かなり厄介だ。だが、まったく動けなくなるほどではない。
槍の速度は急激に落ちてしまうが、それでも握って走り回ることはできる。
「この程度で止められると思って……」
と走り出そうとしたが、不意にヘリオの視界の端に金色の影が映った。
驚いて振り返ると、そこにはいつの間にか金髪の魔人が、金斧を振り上げて立っていた。
重い風切り音を上げながら巨大斧を振り下ろしてくる。
ヘリオは先刻と同じように咄嗟に長槍を持ち上げてその一撃を防いだ。
「う……ぐっ……!」
神器が重くなっていることもあり、かなりの重圧を感じた。
それでもなんとか凌ぎ切り、ヘリオは金斧から逃げるように後退する。
勢い余ってアメジストが控えている場所まで戻ると、一度息継ぎをしてから再び前に出ようとした。
だが、次の瞬間……
「熱っ!」
突然手元が焼けるように熱くなり、思わず長槍を取り落としてしまった。
両手に目を落とすと、どういうわけか皮膚が焼けてかぶれていた。
ヘリオはすぐに事態を飲み込み、苛立ちを覚えて舌を打つ。
「ちょ、どうしたのよあんた!?」
「神器が持てねえ。おそらくあいつらの付与魔法のせいだ」
銀の斧が『触れた神器を重くする』という能力を持っている一方。
金の斧は『触れた神器を熱くする』という能力を持っているのだ。
現に今、ヘリオの【雷撃の長槍】は、両者の斧の一撃を受けて“熱した鉄棒”のようになってしまっていた。
「人間は神器が握れなければ無力と化す。人間では魔人に敵わない」
「劣等種族ということを今一度思い出させる。それが私たちの神器の力です」
神器が持てなければ恩恵も与えられない。
戦う舞台にすら上がれなくなってしまう。
それを強制する二人の付与魔法。
「……地味にうぜぇ能力だな」
同じ武器系神器では相性が悪い。
奴らの斧を防ぐと、こちらの神器が熱した鉛のように熱くて重たい物体に変わってしまう。
逆にこちらから攻撃を仕掛けたとしても、あの斧で神器を防がれてしまったら同じ末路だ。
これ以上神器を重たくされたり熱くされたりしたら、触れることすら叶わなくなってしまう。
ゆえに遠くから魔法を放つことができる触媒系の神器で対抗したいところではあるが……
「サルファ様とテルル様を援護しろ!」
「敵の二人の人間に魔法を放て!」
奴らの後方には今、触媒系神器を持つ魔人たちが固まって、こちらに魔法を放ってきている。
一方でこちらの後方にも同じように触媒系神器を持つ後衛部隊が控えており、同じようにして魔法を撃っていた。
「【風刃】!」
両陣営から放たれた魔法は空中で衝突し、見事に四散している。
後衛部隊――取り分け賢者サファイアが必死に魔法を絞り出して、遠距離からの攻撃を打ち消してくれているのだ。
それがなければ今頃は、ヘリオもアメジストも魔人たちの射撃によって体中を穴だらけにされていたことだろう。
こうして斧使いの魔人姉妹と弊害無しで戦えているのは、一重に後衛部隊の陰ながらの働きのおかげなのである。
だからこそこれ以上の応援も見込めない。
この二人の魔人は、現在前線で戦うことができるヘリオとアメジストだけで倒すしかないのだ。
早々にそれを理解したヘリオは、傍らのアメジストに小声で指示を出す。
「俺がなるべく奴らの隙を作る。そこに魔法を撃ち込め」
「はっ? あんた何言ってんのよ。一人で二人を相手にするつもり? とっくに限界そうなくせに、変に強がったらすぐ死ぬわよ」
「そうでもしねえと、このままじゃどっちにしろ負けるだろ」
奴らの能力は武器系の神器では相性が悪い。
かといって触媒系神器の使い手だけで勝てる相手でもない。
遠くから魔法を放っている間、連中がただ黙って棒立ちしているはずもないからだ。
だから誰かが奴らの足を止めて、その隙を突くという形が理想的になる。
現状、自由に動ける魔術師はアメジストだけで、前衛を任せられるのはヘリオしかいないため、彼が言った作戦を取る以外に道はないのだ。
ということをアメジストも理解していて、内心で葛藤しながらも小さく頷いた。
「……死んでも恨むんじゃないわよ」
「とっくに恨んでるから安心しろよ」
ヘリオは走り出す。
重く熱い長槍を握りしめて、無表情で佇む魔人姉妹に突っ込んでいった。
「うらあっ!」
ヘリオは魔人姉妹の二人と至近距離で斬り結んだ。
だが、神器同士がぶつかってしまうと、こちらの槍が重たく、そして熱くされてしまうので、彼は不用意に神器を振り回したりしない。
あくまで神器を使わずに斧の猛攻を掻い潜り、針の穴に糸を通すような繊細さで長槍を突き入れていった。
「おせえよっ!」
金髪魔人が振り下ろしてきた金の斧を、軽快な足運びだけで回避する。
続け様に銀髪魔人が振ってきた銀の斧を、腕や脚を使って華麗にいなしていく。
そうしてできた隙になんとか槍の先端をねじ込み、着々とかすり傷を与えていった。
「やるじゃない、あいつ」
黒級冒険者が束にならなければ太刀打ちできないだろう魔人二人を、ヘリオはたった一人で凌いでいる。
決定打になる一撃を与えられたわけでもなく、依然として戦況は劣勢なれど。
アメジストの目から見ても、戦闘的センスがずば抜けているとわかった。
だが……
「動きはいい」
「しかし神器が脆弱だ」
ヘリオの戦闘センスに反して、【雷撃の長槍】はAランクに劣るBランク神器なのだ。
神聖力や耐久値も低ければ、恩恵もさほど与えられるというわけでもない。
それでAランク神器を持つ凶悪な魔人二人と斬り結ぶことができているので、だからこそヘリオの才覚が光を放ち、余計にBランク神器を与えられたことが悔やまれてしまう。
「その神器をいくら振り回したところで、私たちに致命傷は与えられません」
「どれだけ小賢しく立ち回っても無意味なこと」
残酷だが紛れもない事実を突きつけられて、ヘリオはそれでも笑った。
「ハッ! やってみなきゃわかんねえだろ。それに戦ってるのは俺だけじゃねえ」
ヘリオはすかさず横に飛ぶ。
それに合わせてアメジストが叫び声を上げた。
「【紫電】!」
ヘリオの脇を抜けて放たれた紫電は、高速で金髪魔人に迫っていった。
避ける余地のない完璧なタイミング。
だが……
埃を払うかのように、片手で軽く払い除けられてしまった。
魔法としての攻撃力が圧倒的に足りていない。
「だから、無意味だと言ったはず」
「あなたたちの神器では私たちに勝てません」
アメジストは密かに歯噛みする。
そんな彼女の傍らまで後退してきたヘリオは、舌打ち混じりに呟いた。
「……ヘボ魔法」
「るっさいわね! 力を溜めるのに時間掛かるのよ!」
アメジストは顔をしかめながらそう返す。
しかしそう言ったものの、実際は今のでもそれなりに力を溜めた一撃だった。
アメジストの【紫電の腕輪】には、『蓄電』というスキルが宿っている。
右手を固く握りしめている間魔力が蓄積されて、次に放つ魔法の威力が上昇するというものだ。
今の少しの時間でもそれなりに魔力を溜めることができたが、それがよもや埃を払うかのように打ち消されてしまうとは考えもしなかった。
「それとこっちからも言わせてもらうけど、あいつらの隙を作るとか息巻いてたくせに、まったく隙できてないんですけど」
「……お前の目が腐ってるだけだろ」
と強気な態度でヘリオは返すが、事実であったため密かに歯を食いしばる。
戦闘的センスによって危なげなく立ち回ることはできている。
しかし本来の目的である隙作りはまるで果たせていなかった。
予想以上に奴らが強い。同時に連中の付与魔法のせいで思うように長槍も持てない。
これではアメジストが最大威力の魔法を撃てたとしても、奴らにぶつけることはできないだろう。
仮に辛うじてできたとしても、弱点となるような場所に当てなければ傷を付けることは叶わない。
ヘリオとアメジストの二人では、この魔人姉妹を倒せない。
その残酷な現実に二人は思い詰めた表情を浮かべた。
「所詮は低級神器の使い手。それがあなたたちの限界です」
「Aランク神器を持った冒険者と交代してはどうですか」
「「……」」
明らかにこちらを小馬鹿にするような発言。
それを受けた二人の脳裏には、ある人物の姿が浮かび上がっていた。
Aランク神器を授かった、故郷の幼馴染の姿。
そして、Aランク神器を授からずとも、凶悪な魔人を次々と倒している、一人の“少年”の姿。
もし今、この場に自分ではなく、あの人がいたとしたら……
目の前のこの魔人たちを、瞬く間に片付けてしまうのだろうか。
そう思うと拳に力がこもってくる。
胸の辺りに熱い何かが込み上げてくる。
あの人なら、と少しでも考えた自分に腹が立ってくる。
己の弱さを自覚した二人は、意を決した顔を見合わせた。
「ねえ、私にちょっと考えがあるんだけど」
「奇遇だな。俺も少し試したいことができた」
この時、初めて二人の意見が一致した。
そして気持ちも同調する。
“意地でもこいつらを倒す”という、執念にも似た気持ちが。




