第百十三話 「息ひそむ炎龍」
「いかがでしょうかエレミア様? 銀星遺跡の居心地は」
紫髪の魔人の声が、地下遺跡の内部に響く。
声を掛けられた妖精のような魔人は、部屋の奥にある玉座のような椅子に腰掛けて、静かに頬を緩ませた。
「悪くない住み心地だ。しばらく遺跡の中で過ごしたが、これといって不快なことはない。ただ、やはり少しだけ退屈だな」
「でしたら私と一緒に盤上遊戯などいかがでしょうか。人間たちの間で流行している遊びらしいのですが……」
そんな二人の魔人の様子を……
石柱の裏に身を潜めながら、ルビィ・ブラッドは静かに窺っていた。
地下遺跡の最深部にある大部屋。
連中が『玉座の間』と呼んでいるこの場所には、現在エレミアとチャロの二人がいる。
凶悪な魔人が二人も間近にいて、心身ともに休まらないこの状況が、すでに二日以上も経過していた。
ルビィの肉体は限界の手前まで近づいている。
『その監視役、私にやらせてもらえないかな?』
魔人集団に敗北したあの日。
ルビィはただ一人、連中の隠れ家を見つけるために魔人たちの足取りを追った。
勇者パールティがやられて、尻尾を巻いて逃げ出した後、すぐに黄金地下街に戻って奴らを探した。
すると偶然危険域から出てくるところを発見することができて、ルビィは息を潜めて魔人の跡をつけることにした。
連中はさすがにあの大集団で行動することはなく、いくつかの隊に分かれて動き始めたので、ルビィは標的を一つに絞って追跡を始めた。
どの隊を追うのが正解かは、真っ先にわかった。
七大魔人のチャロと妖精魔人が一緒になって行動している集団。
奴らは人目を避けるように森を進み、山を越え、川を渡り、どんどんと人気のない辺地へと突き進んでいった。
その後ろを慎重に追っていると、やがて大きな遺跡の危険域へと辿り着いた。
『エレミア様、ここが銀星遺跡です』
その場所は、美しい夜空に包まれたような地下遺跡だった。
真っ黒な壁にキラキラとした斑点が瞬いている。
まるで星々が散りばめられたような、晴れ渡った夜空にも似た景色だ。
この地下遺跡にいると真夜中の寒空の下にいるような、そんな気分にさせられてしまう。
勇者パーティーの一員として数々の危険域を旅してきたルビィも、初めて見る場所だった。
どうやらそこがチャロ・レギオンが住処にしている危険域のようで、今後は新生魔王軍の本拠地になるらしい。
奴らがそう話しているのを聞いて、ルビィはすぐに行動に出た。
サファイアから託された紙製の傀儡鳥に、危険域の名前とある程度の位置を書き記す。
するとあらかじめ設定していた命令に従い、傀儡鳥はサファイアの手元を目指して飛び立っていった。
これで新生魔王軍の本拠地をギルド本部に伝えることができる。
そうしてルビィは役目を果たし、早々にその場から立ち去ろうとした。
だが……
『んっ? ここでは人間の子供を飼っているのか?』
『はい。何かに使えると思って、攫ってきた子供を幽閉しております。まあ大抵は気分を害した部下たちのおもちゃになっていますが』
銀星遺跡の内部には、鉄製の頑丈そうな檻があり、中には“人間の子供”が数人捕まっていた。
予想だにしていなかった光景を目にして、ルビィは危うく声を漏らしかける。
子供たちは皆、目を逸らしたくなるくらいの傷を負わされており、天敵に怯える小動物のように牢獄の隅で縮こまっていた。
その姿を見ただけで、どのような仕打ちを受けてきたのかは一目瞭然である。
そしてその事実を目の当たりにして、ルビィの足は自ずと止まってしまっていた。
『目を離したら、誰かが殺されるかもしれない……!』
奴らは積み上げた積み木を崩すくらい容易く、子供の命だって軽々しく奪ってしまう。
もしかしたら自分が目を離した次の瞬間には、子供の一人を檻から連れ出して拷問の一つでも加えるかもしれない。
そうと考えただけで立ち去ろうとしていた足は止まり、ルビィは再び魔人たちへの監視の目をぎらりと光らせていた。
何かが起きる前に自分が止めてみせる。
あわよくば子供たちも救出し、チャロの神器も破壊してパールティの石化を解いて、少しでも討伐隊が動きやすくなるように行動するんだ。
その意思を固めて、およそ二日が経ち、今では最深部の玉座の間にて静かに息を潜めている。
正直、こんなにも長い間、奴らに気付かれずに偵察を続けられるとは思ってもみなかった。
自分の意外な才能に心底驚いてしまう。
けれどいつまでこの状況が続くかはまったくわからない。些細なことがきっかけで気付かれて、即座に首を跳ね飛ばされてもおかしくない場面なのだ。
それに、いまだに子供たちに危害は加えられていないが、いつその時が来てもおかしくないのである。
現に連中の会話の節々に、穏やかならない言葉が垣間見えているからだ。
「盤上遊戯か。まあ暇を潰す遊びにはなるか。人間の子供を甚振るよりかは楽しめそうだしな」
「でしたらさっそく準備をしま……」
と、チャロが言いかけたその時――
玉座の間の出口の方から、誰かしらの声が聞こえてきた。
「こ、困りますトパーズ様! まずはチャロ様にご許可をいただいてからでないと」
「そんなにケチケチしないでよ。同じ魔王軍の元幹部のよしみなんだからさ」
慌てふためく魔人と、気さくな様子の男の声。
前者は何度か聞いたことがある。チャロの部下の声だ。
しかしもう片方の男の声にはまったく聞き覚えがなかった。
やがて部下の魔人の静止を振り切って、一人の魔人が玉座の間に入ってきた。
「やあ、チャロ。元気にしてたかい?」
「……トパーズ」
チャロはその者の姿を見て、心底驚いたように目を見張っていた。
ルビィも石柱の裏にいながら、同様に驚愕して心臓を跳ね上がらせる。
橙色の長髪に青紫色の肌。カラスのような漆黒の両羽が大きく広げられており、頭の上には黒い輪っかが浮かんでいる。
堕天使、という表現が相応しい男だと思った。
その見た目とトパーズという名前には、ルビィにも覚えがある。
確か七大魔人の一人にそんな奴がいたような……
「なんで、あんたがここに……?」
「さあ、なんででしょうか?」
驚くチャロと揶揄うように微笑むトパーズ。
そんな二人のやり取りを見て、エレミアは小首を傾げた。
「知り合いかチャロ?」
「あっ、エレミア様、この魔人は……」
「これはこれは申し遅れました魔王様。僕はトパーズと言います。チャロと同じく旧魔王軍で幹部を務めておりました。以後お見知り置きを」
畏まった喋り方で自己紹介を終えると、『魔王様』という単語に引っ掛かりを覚えたのだろうか、チャロが激しく反応した。
「どうしてあんたがエレミア様のことを知ってるのよ! いったい誰から聞いたの!」
エレミアの存在はまだ広く知れ渡ってはいない。
人間側にはもちろんだが、魔人たちの間でもチャロ・レギオンでしかまだ知られていないはずだ。
それなのにどうして、よその徒党であるトパーズが、エレミアの存在と居場所を知っていたのだろうか。
「風の噂だよ風の噂。そうやって誰彼構わず疑うのはよくないと思うなー」
「……クォーツのやつね」
チャロは憶測だけで一人の魔人の名前を憎さげにこぼす。
エレミアと出会ったあの瞬間、同じ場所にクォーツもいた。
しかし戦いが終わると同時に、奴も姿を消していた。
おそらくトパーズや他の七大魔人に情報を流しに行ったのではないだろうか。それ以外にエレミアの存在を知るきっかけはないと思われる。
ただ、もしそれが事実だとしても、そうした理由はよくわからないが。
「そんなの誰だっていいでしょ。僕はただ話をするためだけにここに来たんだからさ。ていうかこれはそっちにとっても悪くない話だと思うよ」
「悪くない話?」
チャロがいまだに警戒した目でトパーズを睨みつけていると、奴は不敵な笑みを浮かべたまま驚きの提案を出した。
「僕が率いているトパーズ・レギオンを、新生魔王軍に加えてほしいんだ」
「はっ?」
これにはチャロではなく、ルビィの方が大きな衝撃を受けた。
七大魔人のトパーズが率いる徒党が、新生魔王軍に加入する?
チャロ・レギオンも相当な人数がいて、実力者揃いの恐ろしい魔人集団だったので、少なくとも同等以上の勢力の徒党だというのは容易に想像がつく。
それが新たに新生魔王軍に加わったら、とてつもない戦力になるのではないだろうか。
「どうして、突然そんなことを……? 目的がまったくわからないわ」
「目的はみんな同じじゃないか。人間どもの抹殺だよ。そのためには魔王エレミア様の下に付くのが一番だと思ったんだ。ちなみに僕のところの部下たちはもう、挨拶のために遺跡近くの森まで来てるからね」
チャロは訝しげな視線をトパーズに向け続けて、緊迫した状況はなおも続く。
「そんなに警戒しなくてもいいじゃないか。何も難しい提案をしに来たわけでもないんだし。これでも同じ魔王軍幹部として終焉期を戦い抜いた戦友でしょ? もっと信用してくれてもいいんじゃないかな?」
「戦友だなんて笑わせないでよ。戦争当時、あんたが漏らした情報のせいで安息地の一つを人間側に強襲されたのよ。そのせいで幹部の二人が殺されて戦力も大幅に削られた。あれが不可抗力だったなんて今でも思ってないからね」
張り詰めた空気が一層ざわつく。
その雰囲気にルビィが思わず冷や汗を滲ませていると、またしてもトパーズの陽気な声が響いた。
「いやいや、大事な戦争中にそんなことするわけがないだろう。人間どもを根絶やしにしたいっていう思いは僕の中にちゃんとあるんだからさ。それに確かな証拠だって何も出ていないじゃないか」
「それでも私はあんたのことを信用できない。何か裏があるとしか思えないわ」
どうやらトパーズは同じ七大魔人のチャロから見ても食えない男のようだ。
事実はどうか知らないが、何やら戦争当時も色々な疑いを掛けられていたようである。
元からそういう疑わしい行動が目立っていたのではないだろうか。
元同僚に冷たい態度を示されたトパーズは、橙色の長髪をわざとらしく靡かせながら、一層怪しげな笑みを頬に浮かべた。
「僕としてはそれでも別に構わないんだけど、新生魔王軍には新しい戦力が必要なんじゃないのかな?」
「えっ?」
「聞いたよ。勇者パーティーとの戦いでだいぶ人手を失ったみたいじゃないか」
チャロはわかりやすく唇を噛み締める。
エレミアの存在が知られているなら、当時の出来事とチャロ・レギオンの現状も知っていて当然である。
「親の贔屓目みたいなものを差し引いても、今は僕のところの魔人たちの方が明らかに強いと思う。人数もそれなりだしね。それが全員配下になるんだから、かなり新生魔王軍の戦力強化になるんじゃないかな。悪い話じゃないと思うけど?」
「……」
チャロは歯噛みしながら、しばし考え込むように口を閉ざす。
トパーズ・レギオンを受け入れるべきなのかどうか、深く思い悩んでいるようだった。
玉座の間に、一時の静寂が訪れる。
するとその静けさを打ち破ったのは、チャロでもトパーズでもなく、意外にも玉座に腰掛けているエレミアだった。
「いいだろう。我の下に付くがいい」
「エ、エレミア様!?」
「問題はない。たとえその者が何かを企んでいたとしても、我には関係のないことだ。我に害意があると判断すれば、即座に首を刎ねればよいことであろう」
どんな策略があったとしても、実力ですべてをねじ伏せる。
だから問題はないと最強の魔王は言った。
チャロはいまだに納得できていないように顔をしかめていたが、トパーズは心底嬉しそうに頬を綻ばせた。
「寛大なお心に感謝いたします、エレミア様。チャロも、またこれからよろしくね」
「……私はまだあんたのことなんてちっとも信用してないから。もしおかしな真似しようとしたら、即座にあんたを石に変えてやるから覚悟してなさい」
「これだけ疑われると、なんだか逆に清々しいね」
こうして正式に、新生魔王軍にトパーズ・レギオンが加わることが決定してしまった。
石柱の裏で一連のやり取りを覗き見ていたルビィは、密かに冷や汗を滲ませて歯を食いしばる。
ただでさえ厄介だと思っていた魔王軍に、また新たに不安材料が追加されてしまった。
トパーズは怪しい男なので、もしかしたら新生魔王軍によからぬ風を吹かせてくれるかもと少し期待したのだが、人間を嫌う本能は他の魔人と同じらしく、その望みはかなり薄い。
このままさらに勢力が拡大していき、いよいよ昔の魔王軍と同等の規模まで膨らんでしまったとしたら、その時こそ二度目の大戦争が始まってしまう。
どうすればいい。今の自分にできることは……
ルビィが静かに息を潜めながらそう考えていると、またも突然出口の方からがやがやとした喧騒が聞こえてきた。
「何やら外が騒がしいな」
魔人たちもそれに気付いたようで、揃って訝しげな視線を向ける。
すると出口の方からまた一人の魔人が走ってきて、慌てた様子で叫び声を上げた。
「に、人間どもが攻め込んできました!」
「な、なんですって!?」
チャロの驚いた声が響き渡る。
同時にルビィも息を呑み、目を大きく見開いた。
まさか……
「現在、銀星遺跡の地下入口前で多数の冒険者たちと交戦中です! このままでは遺跡に侵入されるのも時間の問題かと」
「そんな、いくらなんでも早すぎる。どうしてこんな短期間でこの場所が……」
震え声を漏らすチャロを覗き見て、ルビィは密かに“してやったり”という気持ちになる。
攻め込んできた多数の冒険者。これは間違いなくサファイアが結成してくれた討伐隊だ。
自分が書いた紙を受け取って、この銀星遺跡に向かって来てくれたのだろう。
よかった。予想以上に早い到着だ。今ならまだ魔王軍を勢力拡大前に潰すことができる可能性が高い。
そう内心微笑むルビィを置き去りに、まったく別の者が疑いの目を向けられていた。
「嫌だなチャロ。さすがに僕じゃないよ。魔王軍加入の交渉をしに来たのに、その前に隠れ家の情報を流すなんてこと僕は絶対にしない。だからそんな目を向けるのはやめてもらえないかな?」
「どうだかね。そんなこと言ってエレミア様のお命を狙って、あわよくば自分が魔王になろうとか企んでるんじゃないの」
冒険者が早くも攻め込んできた理由が、トパーズの密告なのではないかと疑われていた。
ルビィは罪悪感を抱かない。憐れだとは思うが。
「まったく、本当に信用がないんだなぁ。それならさっそく新生魔王軍の一員として、トパーズ・レギオンの魔人たちで人間どもを追い払ってみせようか? ちょうど近くの森まで来ているし、呼べばすぐに駆けつけてくれるよ。見事撃退することができたら、今度こそ背中を預けられるくらい仲良しになってくれるかな?」
「……それはその時に考えてあげるわよ」
トパーズは愉快そうに微笑むと、手を振りながら出口の方に走っていった。
「それじゃあさっそく行ってきまーす。僕の活躍、ちゃんと見ててよね」
トパーズの背中を見届けたチャロは、しばし不安げな顔で出口の方を見つめ続けた。
トパーズの一挙手一投足に注意を払っている様子だ。
やがてチャロは堪え切れないと言わんばかりに、エレミアの方を振り返って頭を下げた。
「も、申し訳ございませんエレミア様。本来であればずっとエレミア様のお傍に仕えてお守りしたいのですが、トパーズの真意がいまだに見えておりません。正直に言いますとあの魔人は、人間たちよりも厄介な存在だと思っております。ですのでしばらくは、間近で奴の動向を観察したいと……」
「構わん。我なら一人でも問題はない。お前の好きなように動くといい」
「あ、ありがとうございます!」
チャロはとても名残惜しそうに玉座の間を去り、トパーズの後を追いかけていった。
残っていたチャロの部下たちも、エレミアに会釈をした後、すぐにチャロの後ろについて行く。
一人残されたエレミアは、しばらく出口の方を見つめて、地上から轟く喧騒に思いを馳せていた。
「悪くない響きだ」
その傍らでルビィは、偵察を始めて最大の緊張感を覚えていた。
玉座の間に、魔王とたった二人きり。
まさかチャロまでこの場から消えてくれるとは思ってもみなかった。
またとない好機が訪れて、ルビィの心臓は激しく高鳴った。
どうする。今動くべきか。それともまだか。
あの恐ろしく強い魔人には勝てるとは思っていない。間違ってもパールティに劣っている自分が、あの魔人を一人で倒せるなんて微塵も思えなかった。
でも、手傷の一つを負わせることくらいは、もしかしたらできるかもしれない。
『一つだけ約束して。本当に無茶だけはしないこと』
その時、不意にサファイアの忠告を思い出し、ルビィは踏み出し掛けていた足を咄嗟に引いた。
そうだ。まだ動く時じゃない。もっとよく見て、もっとよく考えて……
炎龍が魔王の傍で息を潜める中、地上にて戦いの火蓋は切られた。




