第百七話 「終わりと始まり」
顔をしかめていたチャロは、ルビィと目が合うとさらに不機嫌そうに眉を動かした。
不敵に笑い続けていた憎き魔人。
そんな相手の表情を崩すことができて、ルビィは内心で“してやったり”と思う。
するとそんな心中を読み取ったのか、チャロが無理に吹き出すような笑いをこぼした。
「は……ははっ! まさかたった一人でアルミナドレイクを倒すなんて、あんた大したものじゃない」
次いで奴は僅かに余裕の笑みを口元に取り戻して続ける。
「でもさすがにあれほどの力を代償無しで使うことはできないみたいね。随分とお疲れなんじゃないの?」
「……」
今は無理をして隠しているけれど、ルビィは先ほどまで激しく息を切らしていた。
その姿をばっちりと見られていて、こちらの疲労を読み取られたらしい。
事実、ルビィは諸刃の剣である付与魔法を使い、体がボロボロになっていた。
現在は付与魔法が解けて神器による自傷効果はないけれど、とても戦えるような状態ではない。
意識を保っているだけでも奇跡だという状況に置かれて、ルビィは密かに唇を噛み締めた。
「よく頑張ったけど、これでおしまいよ」
ルビィの容体を見て取ったチャロは、再び不敵な笑みを浮かべた。
それにより他の魔人たちもルビィの不調を理解して、ぞろぞろと神器を構えて近づいてくる。
(まだ、戦える……まだ……)
ルビィの闘志はいまだに潰えていない。
戦闘中に消えてしまったらしい【聖域】を、もう一度エメラルドに出してもらって傷が治れば、まだ少しは戦うことができる。
神器の耐久値も僅かながらだが残っているので、サファイアと力を合わせて戦えばこの境地を乗り切ることができるはずだ。
だからまだ終わっていない。自分たちはまだ……
そんな彼女の意思を嘲笑うように、悪意に染まった魔人たちが迫ってきた。
ルビィ、サファイア、エメラルドは、各々険しい顔をして冷や汗を滲ませた。
「……よし、慣れてきた」
「えっ?」
そんな中、終始膝をついていた勇者パールティが、おもむろに立ち上がった。
彼女は右脚を石にされており、その代わりに白い細剣を杖のようにして立っている。
今さらあの女が何をしようというのだろうか。当然そんな疑問が魔人たちの頭によぎった。
――刹那。
「――っ!?」
いつの間に、だろうか。
一人の魔人の頭部が、音もなく宙に舞っていた。
やがてドッと重々しい音を鳴らして落ちてきて、そこでようやく多くの魔人たちは気が付く。
一人の魔人が首から上を無くしており、その傍らに細身の剣を振り抜くパールティの姿があることを。
頭部がゆっくりと転がり、誰かの足にぶつかった瞬間、魔人たちが気圧されたように一歩だけ足を引いた。
一人の魔人が一瞬のうちに殺された。あの、勇者パールティに。
「な、なんなんだよこいつ!?」
「なんでその足で動けんだよ……!」
パールティの右脚の石化は、いまだに解かれていない。
太腿の半ば辺りから下が、完全に灰色に染まっており、とても身動きができるような体ではないように見える。
それなのにも拘わらず、勇者パールティはルビィたちの後方から瞬く間に戦場の最前線に飛び出して来た。
誰も目で追うことができないほどの速度で。
これではまるで……
「あんた、私の石化が効いてないの?」
チャロは思わずといった様子で、疑問を口に出していた。
今までこんな状態で動けた人間を見たことがなかったのだろう。
それに動くだけならまだしも、パールティは魔人の目にも留まらぬ速さで疾走し、攻撃を仕掛けて来たのだ。
まるで石化など食らっていないみたいに。
するとパールティはチャロに向けて、冷淡な視線と返事を送った。
「脚はまだ重い。この状態のままでは、本来の全力には程遠いが……」
「……?」
「お前たちを倒すのに、片足一つ動けばそれで充分だ」
挑発にも似た返しを受けて、チャロは強く歯を食いしばった。
勇者パールティ・ライトニング。
彼女の持つ神器は、光り輝く純白の細身の剣だ。
名を……【閃光の細剣】と言う。
歴代最速の神器と謳われるほど敏捷の恩恵値が高く、他の数値も抜きん出ているため、横に並ぶ神器は今後一切現れないとさえ言われている。
そしてパールティ本人にも、誰にも真似できない人間離れした一つの才能が宿されていた。
彼女は腕っ節が強いルビィと同じく、野生の獣をも凌駕するほどの超人的な“脚力”を有している。
ただ脚が速い、なんて可愛げのあるものではない。
異常なまでの筋力と、並外れたバネの強さ、そして驚異的な柔軟性を備えており、軽くジョギングをするくらいの余裕で、俊敏な肉食獣と並走できるほどの速力を引き出すことができてしまうのだ。
まさに怪物の脚。
そこに最速の神器の恩恵が加われば、誰にも止めることのできない光速の剣士の完成である。
ゆえに彼女は、たった一本の脚を封じられた程度で、完全に戦えなくなってしまうような柔い器ではなかった。
石化した脚を労って動くのはなかなか骨が折れるみたいだが、ようやくそのコツを掴んだらしい。
「や、やりなさいあんたたち!」
ずかずかと戦場の最前線にやって来たパールティに、チャロは数多の魔人たちをけし掛けてくる。
対してパールティは、動かせない右脚の代わりに細剣を地面に突き立てて、器用に戦場を駆け回った。
「シッ!」
魔人たちの間を縫うようにすり抜けていき、通り過ぎさまに剣で斬りつけていく。
「グアッ!」
「み、見えねえ!」
そんな中、一人の魔人が辛うじてだが、その一閃を目の端で捉えることができた。
即座に大斧の神器を構えて、攻撃を防ごうとする。
だが……
「付与魔法――【輝剣】」
パールティが一声をこぼすと同時に、純白の細剣から強烈な光が溢れ出した。
ただでさえ輝くように美しい刀身を、白い光がさらに鮮やかに染め上げる。
何事かと思った魔人は、そのまま大斧を構え続けていたけれど、刀身がぶつかると思った瞬間、細剣は斧をすり抜けてやってきた。
「なっ――!?」
細剣の一閃と共に、大斧を持っていた魔人の首が飛ぶ。
それを傍らで見ていたもう一人の魔人が驚愕の声を漏らし掛けるけれど、それよりも早くパールティはそいつの首も宙に飛ばした。
付与魔法――【輝剣】。
神聖力を飛躍的に上昇させる他に、神器の刀身が物をすり抜けるようになり、魔の者だけを斬り裂く刃と化す。
恐ろしい速度で斬り込まれると思い、神器を盾代わりにして攻撃を防ごうとすると、それを通り抜けて刃が突き出てくるという付与魔法だ。
一見するとあまり大した付与魔法ではないように思える。
魔法付与中はパールティも相手の攻撃を防げなくなってしまうし、むしろ自分を追い込んでしまう付与魔法なのではないかと思う人間も多くいることだろう。
だが、彼女には超人的な反応速度と敏捷性が備わっており、大抵の攻撃は危なげなく回避することができるのでそれは別段問題ではない。
何よりこの付与魔法は、パールティの欠点を補うのにとても役に立っている。
完璧とも思われる勇者パールティの大きな欠点。
それは……
「シッ!」
魔族に対する、並々ならぬ憎悪である。
パールティはいつもやりすぎてしまう。
それこそ周りが見えなくなってしまうほどに。
敵も味方も自分の状態さえも、眼中になくなって暴走してしまうというのが日常茶飯事だ。
そして毎度のことのように、神器に無茶をさせすぎて壊してしまう。
それこそが彼女の大きな欠点。
パールティの持つ【閃光の細剣】は、武器系神器にしては耐久値が比較的に低いものになっている。
ある程度の神器とならば、多少斬り結んだところで大して耐久値は減らないものの、上等な神器とぶつかった時はそうも行かない。
どれだけ神聖力で優っていたとしても、先に折れてしまうのは確実に【閃光の細剣】の方だ。
触媒系の神器、というほど脆くはないけれど、それに近いほど繊細な耐久値。
ゆえに、相手の神器を通り抜けて攻撃が可能なこの付与魔法は、パールティの欠点を補うのに必須と言っても過言ではないのだ。
何より防御を捨てた超攻撃的なこの付与魔法は、パールティの戦術に怖いくらい噛み合っている。
「は、速すぎんだろ!」
「誰かそいつ止めろ!」
パールティの防御不可の一閃が、次々と魔人たちの首を飛ばしていく。
一人、また一人と地面に倒れる光景を見て、チャロは集団の後方で唇を噛み締めた。
やがて集団の先頭が近づいてくる。
次は自分の番だと怯える魔人も出始め、チャロ・レギオンの間に動揺と焦燥が広がっていった。
「なんか大変そうだねチャロ。何だったら、ぼくの力で君だけでも逃げるかい?」
「ふ、ふざけんじゃないわよ! この私が逃げるわけないで……」
と、言いかけた瞬間――
チャロの目の前にいた魔人の首が、ボトリと床に落ちた。
見ると、すぐ目の前に、魔人の鮮血に塗れた勇者パールティがいた。
「ようやく見つけた」
「――っ!」
チャロは怯んだように息を飲む。
そして全身を強張らせて、体が震えないように身構え続けた。
一方でルビィたちは、凄まじい剣戟を目の前で見せられて、口を開けて呆然としていた。
これまでもパールティの凄さは嫌というほど見せつけられてきた。
しかし今回のこれは今までのどれとも違う、特別な気迫を感じさせられた。
相手があの七大魔人だからだろうか。
パールティは七大魔人に対して何やら思うことがあるようなので、いざ目標を前にしていつもより力が入っているのかもしれない。
結果、右脚を封じられてなお、普段と遜色ない力を発揮したパールティは、待ち伏せていた魔人集団を見事に返り討ちにしてみせた。
彼女は細剣の切っ先をチャロに向けて、勝ち気な一声を浴びせる。
「私たちの勝ちだ」
チャロはそれを受けて、血が滲む勢いで歯を食いしばった。
終始浮かべていた余裕の笑みは、今や影も形もない。
完全な勝利を収めたパールティを後ろから見て、ルビィは密かに心を打たれた。
これが勇者であり、本物の“英雄”。
どんな逆境に置かれても必ず勝ってしまうような、人類の希望になり得る存在。
こういう人がいずれ、冒険譚の主人公として語り継がれることになるのだろう。
一番近くでこの人を見ていると、いつもそう思わされる。
やっぱりこの人は凄い。勇者は強い。英雄はかっこいい。
ルビィは改めて、そう思ったのだった。
そんな時――
ルビィたちの後方で、大きな音がした。
「えっ……」
大広間の扉を蹴破るように、乱暴に開け放つような音。
突如としてそんな音が聞こえて、全員の視線がそちらに殺到する。
すると耳で聞いた通り、大広間の扉が乱雑に倒れていた。
そして……
「…………誰?」
倒れた扉の傍らに、一人の知らない人物が立っていた。
透明感のある水色の長髪に、きめ細かな白い肌。
手足も細長く、華奢な体躯の女性に見える。
否、一見すると人間のように思えるが、よくよく見ると人ではなく魔人だということがわかる。
肌の色も姿形も間違いなく人間だが、耳が尖ったように長くなっており、背中には妖精のような四枚の薄い羽根が生えていた。
するとその妖精の魔人は、おもむろに辺りを見回して、やがて膝をつくルビィに目を留める。
その者の碧眼と視線が合った瞬間、ルビィはぞくりと背筋を震わせた。
そして再び、あの感覚に襲われる。
(この視線……)
そう、この黄金地下城に入る直前に感じた、あの不可解な視線。
誰かに見られているような、あるいは強い気配を知らずのうちに肌で感じ取っているかのような、そんな不気味な感覚。
まさかあれは、この魔人の気配だったのか。
見ているだけで伝わってくる異質な空気。無意識のうちに生物的な本能があの魔人を拒絶しているのがわかる。
できれば今すぐにでもこの場から離れて、あの魔人から一歩でも遠ざかりたい。自ずとそう思わされてしまう。
明らかに他の魔人とは別種の存在だ。
いったいこの魔人は何者なのだろうか。
ただならぬ雰囲気を醸し出す妖精の魔人を前に、誰もが口を閉ざして動きを止めていた。
やがてその静寂を、この事態を招いた張本人が打ち破る。
「ここは違うな」
「……?」
その台詞の意味を理解できる者はこの場にはいなかった。
すると妖精魔人は数多の視線など感じる様子もなく、ゆっくりと周りを見回しながら広間を歩き始める。
ルビィたちの横を抜け、パールティやチャロの傍らも通り過ぎて奥の方を目指して進んでいると、魔人集団の一角に突き当たった。
進行の妨げとなっている目の前の魔人に、短く言い放つ。
「どけ」
「……」
突然挑発的にそう言われたため、その魔人の眉間にシワが寄った。
眼前の妖精魔人に対する違和感よりも、怒りの気持ちが湧いてくる。
いきなりこの場に現れて、戦場を掻き乱されたことに腹も立っていたため、その者は反抗的な声を上げてしまった。
「な、何なんだよてめ……」
――瞬間。
言葉を最後まで言うことなく、その魔人は姿を消した。
唐突に一人の魔人が消滅したため、周りの者たちは目を見張って困惑する。
すると少し遅れて、大広間の左側の壁から何者かの呻き声が聞こえてきた。
「が……あっ……!」
先ほどまで妖精魔人の目の前にいたはずの魔人。
その者はいつの間にか、遠方の壁まで飛ばされていた。
よくよく見ると妖精魔人は、左腕を払うように振り抜いていて、おそらく今の一瞬であの魔人に手刀を浴びせたのだと思われる。
神器による一撃ではなかったため、彼の体には傷一つ付いていない。
だが、誰もその手刀を目で捉えることができておらず、それを後になって理解して全員が絶句した。
「聞こえなかったのか」
その動揺に追い討ちを掛けるように、妖精魔人が口を開く。
「どけ」
『……』
驚きと戸惑いにより、魔人たちはその場で立ち尽くしてしまった。
だが、たった一人の魔人だけ、現状を的確に把握して声を上げる。
「い、今すぐに道を開けなさい」
「チャ、チャロ様……?」
この集団の頭領である七大魔人チャロが、先刻までの強気な顔が嘘だったかのように、ひどく険しい表情をしていた。
目の前の魔人に怯えるような様子。恐怖のあまりか顔が青ざめており、今にも泣き出しそうなほど歪んでいた。
そして彼女は、声を震わせながら仲間たちに指示を送る。
「い、いいから早くし……!」
しかし、それを言うよりも先に――
チャロの目の前にいるパールティが、弾けるようにその場から動き出した。
右手に握った細剣を振りかぶり、妖精の魔人を狙って地面を滑走している。
そんな彼女の表情は……
今までに見たことがないくらいひどく強張り、焦りの模様を色濃く映し出していた。




