第百四話 「剣聖と呼ばれた少女」
魔人の大群を目にして、ルビィは背中の“大剣”に手を伸ばす。
同じようにサファイアも懐から一冊の“本”を取り出し、エメラルドは持っていた“錫杖”を震えながら構えた。
一方でパールティは動じる様子もなく、魔人集団を睨め付けながら呟いた。
「この危険域にいるほとんどの魔物が、貴様らに怯えてここを去っていったわけか」
どうして黄金街に魔物の姿がなかったのか。
パールティたちはこの魔人たちを見てようやく得心した。
さすがに知性の低い魔物たちでも、同種の魔族との力量差くらいは判別できる。
自分たちよりも強い魔人たちが、何十人も揃ってやって来たとしたら、逃げ出してしまっても無理はない。
でもどうしてこんな場所に魔人たちが? そんな情報はなかったのに? という疑問はあったけれど、とりあえずルビィはただならぬ雰囲気に一層気を引き締めた。
すると集団の最前にいた一人の魔人が、パールティの物言いに不服そうに頬を膨らませた。
「人聞きが悪いなー。それじゃまるで私たちが他の魔物たちを追い出したみたいじゃんかー」
肩まで伸ばされた、波打つ紫色の短髪。
まるで蝶々がついているみたいに、赤色のリボンが頭に乗っている。
それだけを見れば可愛らしい人間の少女ではあるのだが、その者の肌は病的なまでに青ざめており、背には魔族らしい鋭い黒翼が生えていた。
まるで御伽噺に登場する“悪魔”のような魔人である。
「ていうかむしろ感謝してほしいんですけど。私らがこの危険域の魔物たちを追い払ってあげたから、随分と楽にここまで来られたんじゃないの?」
それは事実ではあったが、パールティもまた一つの事実を悪魔魔人に突き返した。
「関係のないことだ。ここにいくら魔物がいようと、私たちが敗れることは決してない」
「あっそ。それなら余計なことしちゃったかしらね」
つまらなそうに肩をすくめた悪魔魔人は、次いで聞き捨てならない台詞を吐いた。
「まあこっちとしても、勝手に知らないところで死なれでもしたら困るからね。『勇者パーティー』はちゃんとこの手で倒さなきゃいけないから」
勇者パーティー、と確かに魔人は口にした。
自分たちのことを勇者パーティーとわかっていて、ここに来ることまで把握していたような口ぶり。
その違和感にサファイアが触れた。
「まさか私たちのことを……勇者パーティーのことを待ち伏せていたの?」
「えぇ、まあね。いずれここには来るだろうと思ってたし、私たちはのんびり待たせてもらったわ」
どうしてこちらの動向が知られているのだろうか。
ルビィたちがそんな疑問を抱くと、悪魔魔人は得意げになって話し始めた。
「なんか最近、面白いことしてるみたいじゃない。邪神様の祭壇を壊して回ってるとか? 随分と良い趣味してるわね」
「……」
知られている。
いや、さすがにここまで盛大に破壊活動を行なってきたら、魔人たちも勘付いて当然だ。
「地味な嫌がらせしてくるわよね本当に。さすがに私たちも迷惑してるんですけどぉ。あれっていったい何のつもりよ?」
「……お前たちに話す義理はない」
とパールティは言うけれど、本当のところ“理由を知らない”というのが真実だ。
正直自分たちも、それなりの報酬金と昇級が約束されているから行なっているだけで、なぜ邪神の祭壇を壊さなければならないのかはよくわかっていない。
祭壇を壊せば、その危険域における魔族の出現率が大幅に低下し、魔人も神器修復ができなくなるというのはわかっているけれど、それだけが目的ならわざわざ直々に勇者パーティーに依頼を託してくるのは不自然である。
確かに利点は多いが、果たしてそれだけで勇者パーティーを頼ってくるだろうか。
それ以上に何か大きな利点、あるいは目的が隠されている気がしてならない。
ギルド長――ギベオン・シガレットの本意は、いまだに誰も知らない。
「ま、とにかくさ、あんたたちの嫌がらせがそろそろウザくなってきたから、止めた方がいいと思ってこうして待ち伏せてたわけ」
と言った悪魔魔人は、次いで声を低めて続けた。
「ていうのはまあ、目的のほんの一部ってだけでさ、私たちの本当の目的は嫌がらせを止めるためじゃなくて……」
不気味な笑みをたたえて、こちらを指差してくる。
「あんたたちを殺して、主導権を握るためよ」
「主導権?」
「大まかに言えば、『魔王競争の主導権』かしらね? かつて大戦争によって『魔王グラン』を失った私たちは、現在空席になってる王の座を狙って争ってる。他の魔族を殺したり、徒党を大きくして勢力を拡大したり」
その話はよく耳にする。
かつて魔族を率いて人類に大戦争を仕掛けてきた魔王グランディディエ。
その後釜となる次世代の魔王になるべく、多くの魔人たちがしのぎを削っていると。
「でもどれもいまいち決定打に欠けるのよね。他の魔族たちをいくら殺しても、歯向かってくる連中は後を絶たないし、徒党だって思ったように大きくできないし」
ぼやくようにそう言った悪魔魔人は、途端に重く冷たい声を発した。
「だから、あんたたちを殺すことにした」
「……?」
「知らないでしょうけど、あんたたちは魔族の間でかなり有名人なのよ。怖がってる連中も少なくない。特に勇者パールティ・ライトニング。あんたがいなければ今頃、この世は魔族の時代になってるとさえ言われてる。強すぎるのよ、あんた」
勇者パールティ・ライトニングが最強ということは、もはや人類のみの見解ではない。
魔族の間でも名が知れ渡り、畏怖する者も多く存在している。
一緒に旅をしてきた身として、ルビィはそのことに深く納得した。
「そんなあんたたちの首を取れば、魔族として大きく名前を上げられる。歯向かおうとする連中なんていなくなるし、誰もが私のことを魔王として恐れるようになる。きっと徒党にも多くの入団希望者が殺到するでしょうね」
得意げにそう語り終えた悪魔魔人は、いかにも気楽そうにパールティに尋ねた。
「だから悪いんだけど、ここで死んでくれない?」
その声を合図にするように、後方の魔人たちが各々神器を構え始めた。
頭領と思われる紫髪の魔人も、神器と思われる眼鏡を取り出して目に掛けている。
祭壇破壊の阻止と魔族としての地位確立。
現在勇者パーティーが単独で祭壇破壊をしていると聞き、邪魔が入らないこの機会を狙ってきたのだろう。
確かにパールティの首を取ったとなれば、それだけで魔王として認められてもおかしくない。
全魔族がそれを認めるかどうかは怪しいところではあるが、少なくとも人間側は勇者の首を取った魔人として、目の前のこいつを魔王として恐れるようになるはずだ。
そんなことさせるわけにはいかない。勇者パールティを殺させることはもちろん、第二の魔王誕生も絶対に阻止しなくては。
密かに決意を燃やすルビィとは対照的に、パールティは至って冷静な様子で口を開いた。
「……一つ聞く」
「何よ? 命乞い? 言っておくけど、ここから逃げようなんて考えない方がいいわよ」
という、悪魔魔人の声を無視して……
「濃紫の髪に青ざめた肌、漆黒の翼、そして眼鏡の神器……」
パールティは左腰に携えている細剣に手を掛けて、魔人に鋭い視線を送った。
「貴様、七大魔人の“チャロ”か?」
その問いかけに、頭領の魔人は薄ら笑いを浮かべて答えた。
「そうよ……って言ったら?」
刹那、ルビィの真横で突風が吹き荒れた。
見ると、すぐ隣にいたはずのパールティがその場から消えており、土埃と抉れた石畳だけがそこに残されている。
ハッとなって眼前に視線を振ると、チャロと呼ばれた悪魔魔人の目の前に、パールティは立っていた。
いつの間にか左腰から細剣を抜いており、その切っ先をチャロの喉元に突き込んでいる。
だが、左右から他の魔人が神器を割り込ませていて、パールティのその一撃は寸前で防がれていた。
パールティはすぐさま後退すると、その様子を見ていたチャロが配下の魔人の後ろで静かに微笑んだ。
「元気いいわねパールティ・ライトニング。そんなに私に会いたかったのかしら?」
「七大魔人は確実に殺す。自ら私の前に現れたことを後悔するといい」
パールティは再び細剣を突き出すように構えて、疾走する体勢を取った。
それを見たチャロは、ますます不気味な笑みを深める。
「さて、後悔するのはどっちの方かしらね?」
その言葉と同時に、奴は眼鏡の奥の瞳を怪しく細めた。
「【蛇眼】」
刹那、細めた瞳から瞬くように紫色の光が放たれた。
それを受けたパールティは、おもむろに自身の足元に目を落とす。
見ると、彼女の右脚が、まるで灰を被ったかのように“石”になっていた。
「……石化の神器。対象者を見ることが発動条件か」
「さすがに私の力までは割れてなかったみたいね。まあ、わかっていたとしてもこれはどうしようもないでしょ」
石化の呪いを付与する眼鏡の神器。ということだけは情報が出ている。
しかし呪いの発動条件が対象者を見るだけというのは初耳だ。
視界に捉えられた時点で石化されてしまう、なんとも恐ろしい力。
確かにこれはわかっていたとしてもどうしようもない。
七大魔人と言われるだけあって、かなり厄介な力を持っているようだ。
「本当なら全身を石化するつもりだったんだけど、さすがは勇者様。私の全力でも右脚一本を石にするのが限界だなんてね。もし一対一で戦ってたら私に勝ち目はなかったかもしれない」
呪いの効力は、呪力行使者の魔力と相手の生命力によって左右される。
また、呪いは有限のものであるため、対象者を限定することによってより強大な力を行使することができる。
全力と言っていることから、おそらくチャロは他に石化した者たちの呪いを解いた状態でこの戦いに臨んだのだと思われる。
呪いの対象者をパールティのみに絞り、石化の能力を最大限彼女にぶつけて、それでようやく右脚一本。
かつての大戦争を生き延びた魔王軍の幹部が、死力を尽くして得た成果がそれだけとなり、勇者パールティの怪物性がまた一つ浮き彫りになったのだった。
もし一対一なら、チャロは勇者パールティには勝てなかっただろう。
でも今は、一対一ではない。
チャロの後方には配下の魔人たちが数十人も控えている。
それもかなりの強敵たちだ。一人一人が黒級冒険者に匹敵する力を持っているに違いない。
チャロは石化の力が効かないことまで予想し、この状況を作り上げたのだ。
「一対一で勝つ必要なんてない。結果的にあんたを始末できればそれでいいのよ。これでお得意の光速の剣技も文字通り止まって見える。ゆっくりなぶり殺してあげるから楽しみにしてなさい」
その声と同時に、後方に控えていた魔人たちが、獰猛な笑みを浮かべながらじりじりと寄って来た。
頭を取られた勇者パーティーに、底なしの悪意が迫ってくる。
この戦況を作り出した七大魔人のチャロは、すでに勝ちを確信している様子で頬を緩めていた。
すると、パールティに代わって前に出たサファイアが、そんなチャロに呆れた声を掛けた。
「さて、それは上手く行くかしらね」
「……何ですって?」
終始笑みを浮かべていたチャロが、初めてその表情を崩した。
「随分とうちのパールティのことを警戒してくれたみたいだけれど、それだけで本当に勇者パーティーに勝てると思ったの? だとしたら調査不足と言わざるを得ないわね」
「……それはもしかして『賢者サファイア』と『聖女エメラルド』のことを言ってるの? もちろん勇者パーティーにあんたたちがいることも知ってたわよ。千の魔法を操る『賢者』に、あらゆる傷を癒す『聖女』。確かに厄介な存在だけど、『勇者』ほど脅威じゃないわ」
チャロは呆れたように肩をすくめる。
しかしサファイアは、そんなチャロを見て逆に呆れたため息を吐いた。
「やっぱりあなた、何もわかっていないわね」
「……?」
「今このパーティーで最も調子が良い、伸び盛りのあの子を見落とすなんて、早計としか言いようがないわ」
その時すでに、“ルビィ”は上空に飛び出していた。
真紅の大剣を両手で握りしめて、全身を反らして力一杯に振り上げている。
そして魔人たちが頭上を見上げるのとほぼ同時に、ルビィは集団の中央へ大剣を叩きつけた。
「せ……やあぁぁぁ!!!」
紅色の髪を靡かせる少女が、赤き流星と化す。
刹那、大爆発にも似た衝撃と轟音が四散し、集結していた魔人たちが周囲へ吹き飛ばされた。
盛大に舞い上がった土煙で大広間が覆われる。
やがてそれが晴れると、大広間の床がルビィを中心にして深々と陥没していた。
そして、大剣の下敷きになった五人の魔人は、すでに事切れて光の粒となって消えていた。
「勇者の右腕とも呼ばれている『剣聖ルビィ』。純粋な力比べだったらパールティをも凌駕する、あなたたちが最も注意すべきだった存在よ」
ルビィのその一撃が、開戦の狼煙となった。




