第百二話 「英雄への兆し」
結果から言えば、モルガナイトの命は助かった。
あと少し町に着くのが遅かったらダメだったらしい。
僕が全力を掛けて走った甲斐はあったというわけだ。
その後、町に戻ってきたダイヤたちと合流し、今回の一件を冒険者ギルドに報告することにした。
治療を受けたモルガナイトは捕縛され、事件に関与したアパタイトさんも身柄を拘束。操られていただけの英雄スフェーンも同じように職員さんに連れて行かれてしまい、神器盗難の事件に関する聴取をされるとのことだった。
その間に僕たちは、再び長夜森の館に戻って、邪神の祭壇を探すことにした。
すると館には地下室があり、そこにこれ見よがしに大きな祭壇が構えられていた。
僕たちの推測は当たっていたようで、これで二つ目の祭壇破壊が完了となる。
僕の【呪われた魔剣】で祭壇を粉砕し、無事に神玉も回収してギルドに戻ってくると、早くもアパタイトさんが身柄を解放されていて、僕たちのことを待っていた。
「ラスト君! ダイヤちゃん!」
水色の長髪を揺らすお姉さんがパタパタと駆け寄って来る。
すでに自由になっているとは知らず、僕とダイヤは思わず顔を見合わせて固まってしまった。
「もう事件の聴取は終わったんですか?」
「うん、だいたいね。モルガナイトからも話を聞かなきゃいけないからって、早めに終わったよ」
そう答えてくれたお姉さんの傍らには、一人の“小さな少年”がいた。
見覚えのある水色の髪をしていて、僕たちを警戒するようにアパタイトさんの後ろに隠れている。
怯えた様子……というかお姉さんのアパタイトさんから離れたくないと言うように、ぎゅっと服の裾を握っていた。
「その子は……?」
「弟のベニトだよ。ある魔人のせいで石にされちゃってたんだけど、家に帰ってみたら石から元の姿に戻ってたの。モルガナイトが裏切られてたから、もしかしたらとは思ってたけど」
僕たちがギルドに戻ってくる前に一度自宅に帰っていたらしく、そこで弟さんと再会したみたいだ。
よくよく見れば、アパタイトさんの目元は僅かに赤く腫れていた。
涙で腫らした痕だと見受けられる。
ダイヤ伝てに聞いた話だけど、アパタイトさんの弟さんはある魔人の力で石像に変えられていたそうだ。
それを元に戻すためにモルガナイトの言いなりになっていたらしい。
やりたくもない神器窃盗を強制させられていて、心身をすり減らしてきたのだから、目を腫らすほどの感涙は当然のものと言えるだろう。
するとアパタイトさんは改まった表情で姿勢をただし、ぺこりと頭を下げてきた。
「言うの遅くなっちゃったんだけど、あのとき助けてくれてありがとう。それと、ひどいことしてごめんなさい」
館で助けに入ったことの礼。そしてダイヤの神器を盗んだことの謝罪をしてきた。
「そのことはもう大丈夫ですよ。こうして無事にダイヤの神器も戻ってきましたし。僕たちも僕たちで目的を果たすことができましたから。それよりも、神器盗難の処罰についてはどうなったんですか?」
モルガナイトを捕縛し、弟さんの石化も無事に解かれた。
でもそれですべてが終わったわけではない。
アパタイトさんは脅迫されていたとは言え、神器窃盗という確かな犯罪に手を染めてしまった。
それを完全無罪にしてくれるほど、世界は優しくないし、残酷なほど正しくて平等だ。
それでもアパタイトさんは気落ちした様子もなく、納得しているという顔で語った。
「モルガナイトに脅されてたってことで、ある程度刑罰は軽くなるみたいだよ。今はとりあえず“神器剥奪”の罰を受けてて、また改めてギルドで刑罰を聞くって感じ。同じように脅迫されて盗みをしていた背教者たちもいるみたいだけど、みんな酌量してもらえるって」
「そう……ですか」
刑罰は軽くなる。
無罪というわけではなく、あくまで軽くなるだけなのだ。
実際に罪を犯してしまったのだから仕方がないことなのかもしれないけれど、やはりこれは後味が悪い。
英雄スフェーンも同じようになるのだろうか。
そんな悲壮感が顔にあらわれていたのだろうか、アパタイトさんは明るい声音と共に笑みを浮かべた。
「ラスト君がそんな顔することないよ。こんなことになったのは私自身のせいでもあるんだからさ」
「えっ?」
「ベニトを一人きりにしちゃった私のせい。大切なものは常に手元に置いておかないと、他人の悪意に簡単につけ込まれちゃうものなんだよ」
アパタイトさんの浮かべている笑みは自嘲的でありながら、その奥には計り知れない罪悪感が秘められているように僕には見えた。
大切なものは常に手元に置いておかないと……
それはたぶん弟さんのことだけじゃなく、盗んでしまった神器も含めて言っている。
冒険者にとって神器は掛け替えのない商売道具だ。
それを手元から離してしまったら、他人の悪意に簡単につけ込まれてしまう。
自分がそうしてきたようにと言わんばかりに、アパタイトさんは罪悪感の満ちた顔で唇を噛み締めていた。
やがて彼女は気を取り直したのか、顔をほのかに明るくして続けた。
「だから私は、もうベニトを傍から離さないよ。それで盗んできた冒険者たちの神器も探して、一刻も早く持ち主の手元に戻してみせる。これで罪滅ぼしになるとは思わないけどさ」
神器を探す。
言葉では簡単に表せるけど、それは言葉以上の難しさが秘められていた。
「元の持ち主に返すって、手掛かりとかあるんですか? 確か、盗んだ神器はすぐに破壊して、恩恵の名残りを辿らせないようにするって……」
残骸となった神器を探すのは極めて困難だ。
というか限りなく不可能に近い。
広大な砂漠からたった一粒の砂を探し出すようなものだから。
するとアパタイトさんは、ようやく最初に会った頃のような、無邪気っぽい笑みを浮かべた。
「まあある程度、神器が廃棄されてる場所は把握してるから大丈夫だと思うよ。とは言っても、それも何十箇所もあるから簡単じゃないと思うけどね。でもやるよ。やらなきゃ罪を清算できないし、自分で自分を許せないから」
そこまで自分を追い込む必要はないと思うんだけど。
でも神器を盗んできた罪悪感を解消するためには、そうするしか方法はないのだろう。
いや、そうしたとしても罪悪感が消えることは、たぶん一生ない。
アパタイトさんのこれからを思って、人知れず胸を痛めていると、不意に彼女が問いかけてきた。
「ラスト君たちは、もうこの町から離れるの?」
「えっ?」
「もし時間が取れたら、何かお詫びとかしたいなって思っててさ……」
僕は一瞬だけダイヤと顔を見合わせて、すぐにアパタイトさんに返答する。
「モルガナイトから情報が引き出せるまで、少し時間が掛かると思うので、しばらくはこの町で活動を続けたいと思います。いずれ他の背教者たちのこととか、協力関係にあった魔人の情報も聞き出せると思うので」
町を離れるのはその後にする予定だ。
ダイヤと少し話し合ったのだが、やはり祭壇探しをするなら魔人がいる場所を特定するのが利口だと思った。
神器は戦いによって耐久値を消耗し、修復が必要になってくる。
ゆえに隠れ家に邪神の祭壇を抱えている魔人がほとんどだ。
だから魔人を追えば自ずと邪神の祭壇も見つけることができる。
おそらく神器窃盗を指示していた魔人も隠れ家を有していると思うので、情報は積極的に集めた方がいい。
まあ、隠れ家の情報が正確に引き出せるとは思えないけど、とりあえずは何かしらの情報が出るまではこの町に滞在するつもりだ。
「それじゃあまた今度、ご飯でもご馳走させてもらうね。その……また一緒にご飯屋さんに行ってくれるかな?」
そう問いかけてきたアパタイトさんの表情は、どこか不安げに暗くなっていた。
盗人として罪を犯した自分と行ってくれるかどうか、それを心配している顔。
周りの目などもあるからか、快く了承してもらえるとは思っていないのではないだろうか。
しかし僕とダイヤは互いに顔を見合わせて、笑みと共に確かな頷きを返した。
「はい、是非」
「こちらこそお願いします」
「……ありがとう。ラスト君、ダイヤちゃん」
またご飯に行く約束を交わした後、アパタイトさんはベニト君を連れてギルドを出て行った。
その後ろ姿を見届けた僕とダイヤは、次の目的地を決めるためにまた図書館に行こうかと話し合う。
そしていざ図書館を目指して歩き出そうとした時……
「君がラスト君かな?」
「えっ?」
不意に後方から声を掛けられた。
低く掠れたような男性の声。
振り返るとそこには、橙色の短髪を輝かせる“ご老人”が立っていた。
僕よりも断然逞しい体つきをしており、それでいて優しさに溢れる容貌をしている。
「え、英雄スフェーン……」
長夜森の館で神器をぶつけ合った、あの英雄スフェーンが目の前に立っていた。
どうやら彼も聴取が終わったらしく、解放されたのちに僕たちを見つけて声を掛けてくれたみたいだ。
よくよく見ると、スフェーンさんは傍らに一匹の子犬を連れていた。
これもダイヤ伝てに聞いた話だが、子犬はどうやら館の一室に閉じ込められていたらしく、ダイヤたちが町に戻ってくる時に連れて来たらしい。
これといった怪我などもなく、スフェーンさんは無事に愛犬と再会することができたみたいだ。
にわかにそのことを思い出していると、スフェーンさんがおもむろに頭を下げてきた。
「今回は本当に申し訳なかった。私の力のせいで君たちを危険な目に遭わせてしまった。情けない限りだ」
「そ、そんな……! ペットの愛犬を楯にされてしまったんですから、仕方がないことですよ」
そのせいでスフェーンさんも、アパタイトさんと同じようにモルガナイトの言いなりになるしかなくて、神器で精神を操られてしまった。
だから僕たちを攻撃してしまったのは仕方がないことなのだ。
今ではこうして大切な愛犬と再会できているんだから、終わり良ければすべて良しということでいいのではないだろうか。
「しかし私は、愛犬を助けるためにより多くの人たちを傷付けてしまった。英雄と呼ばれるような人間ではない」
スフェーンさんはぺこぺこと何度も頭を下げてくる。
そういえばダイヤも、『町に戻ってくるまでにたくさん謝られた』って言っていたっけ。
物凄く腰の低い人物のようだ。
そしてなんだか自信も無さそう。
まるで鏡を見ている気分になっていると、スフェーンさんはさらに申し訳なさそうに続けた。
「それに私は、今でもあの選択が間違いだったとは思っていないんだ。私は守りたいもののためにこの身を差し出し、奴の手駒となる道を選んだ。そんな選択を取った時点で、私は“英雄”と呼んでもらえるような人間ではないんだよ」
先ほど僕が“英雄”と呼んだことを気にしている様子。
悪党の手駒として動かされていたから、そう呼ばれることが居心地悪く思っているんじゃないかな。
「でも、スフェーンさんは、実際にたくさんの町と人たちを救いました。僕が読んだ冒険譚にも、ちゃんとそう書いてあります」
だからそんなに悲観的にならないでほしい。
そう思いながら伝えると、スフェーンさんはかぶりを振りながら意外な返答をしてきた。
「『三獣災』のことを知っているのか。確かに結果的に私は、多くの人の命を救ったことになった。しかし実際は、“たった一人の女性”のためだけに神器を取り、巨大魔獣と戦っただけなんだよ」
「たった一人の、女性……?」
誰のことを言っているのだろう?
それにそんな話、英雄スフェーンの冒険譚には記述されていなかった。
「今はもういない、とても大切な女性だ。山育ちで浅学な私に、色々なことを教えてくれた。人付き合いが苦手な私に、饒舌に話を振ってくれた。そんな彼女が大切にしている町が危険に晒されたから、私は巨大魔獣に立ち向かっていっただけなんだよ」
冒険譚に記されていなかった事実を聞き、僕は目を見開いて驚愕した。
たくさんの人たちを守ろうとしたのではなく、たった一人の女性のために戦った。
冒険譚に書かれていた内容も胸を熱くさせるものがあったけれど、事実は冒険譚よりもさらに素敵なお話だった。
そう思うと同時に納得もする。
スフェーンさんが自分自身を英雄だと思っていないのは、きっとそれが理由なんだ。
多くの人たちを助けるために戦ったわけではなく、あくまで利己的に動いただけだから、称賛されていることに違和感を覚えているのだろう。
それでも、僕は……
「僕は、スフェーンさんのことを英雄だと思っています。それで僕もいつかは、冒険譚で語り継がれるような、そんな英雄になりたいです」
ほとんど知らず知らずのうちに、そんな決意が口からこぼれていた。
冒険譚の中の英雄と対面しているからだろう。
自ずと心が騒いでしまい、その衝動が僕の唇を動かしていた。
スフェーンさんは驚いたように目を丸くしている。
すると彼は、不意に静かに頬を緩ませて、どこか遠くを見つめながら呟いた。
「なろうとしてなるものではなく、いつの間にかなっているもの。きっと“英雄”は、そうやってなるものなんだろうな」
次いでスフェーンさんは、傍らの愛犬を抱え上げて、その子の頭を撫でながら続けた。
「ラスト君には、どうしても守りたいと思う大切な人がいるかい?」
「大切な、人……」
その問いかけに、すぐに答えることができなかった。
その問いにどんな意味が含まれているのかわからなかった、というのもそうだが、守りたいと思う人がそれなりにいるためどう答えたものか迷ってしまったのだ。
守りたい人はいる。結構いる。
でもそれがスフェーンさんの求めている答えになっているかどうか、判断を付けることができない。
だからただ黙り込んで眉を寄せていると、そんな僕の様子を見つめていたスフェーンさんが、やがて得心したように頷いた。
「君はきっと、英雄になれる」
「……」
「英雄になり切れなかった私とは違って、確かな英雄になれるはずだ」
その後スフェーンさんは、再び僕たちにお礼と謝罪を言って、この場を去っていった。
しばらく僕はスフェーンさんに掛けてもらった台詞に感銘を受けて、その場で固まってしまう。
君はきっと、英雄になれる。
まさか冒険譚の中の本物の英雄に、そんな言葉を掛けてもらえる日が来るなんて思ってもみなかった。
嬉しい気持ちを抱きながら、スフェーンさんの面影を追うようにギルドの出口に目を向けていると、ふとダイヤがスフェーンさんについての話をしてくれた。
「スフェーンさんには奥さんがいたらしいんですけど、一昨年に病気で亡くなられたみたいです」
「そう、だったんだ」
「あの子犬ちゃんは、奥さんが残してくれた最後の宝だって言っていました。だから何が何でも守り通すんだって」
どこまでも一途で、たった一人の大切な人のために戦い続けたスフェーンさん。
やっぱりあの人は偉大な英雄だと思う。
同じようにアパタイトさんも、弟さんを助けるために心身を削って戦ってきた。
僕からしてみれば、二人とも尊敬すべき立派な英雄だ。
僕もあの二人みたいに、かっこいい英雄になりたい。
大切な人を守れる英雄に。
大切な人のために戦える英雄に。
なろうとしてなるものではない、本物の英雄に。
「……大切な人」
僕は隣に立つ銀髪の少女を一瞥しながら、頭の片隅で、赤髪の少女のことを思い出していた。




