表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/110

第38話 明日を信じてみたいから

 耳に残る彼女の歌声。

 何度も反芻させたくなるくらい心に響いて、俺を捕らえて離さない。

 年が明けたからって、何かが急激に変わる訳じゃない。

 そんな事は、今までの経験でイヤってほど分かってる筈なのに、期待せずにはいられなくて…………あと……三ヶ月もしないうちに卒業か……


 変わらずに電子ピアノの音色が、リビングに響いていた。彼の周りでは傑と夢が歌っている。


 ーーーー二人とも、water(s)が好きだよな…………

 リクエストに応えて弾けるくらいには、上手くなってる筈なんだけど、試験となれば話は別だ。

 実技試験は、それくらい緊張感がある。

 この四年間、受け続けても慣れる事はなかった。

 いつだって、その瞬間が今の精一杯で……


 「次、"夢見草"がいい!」

 「はいはい」


 さっきからリクエストを受けてるけど、water(s)オンリーだ。

 難易度高い曲が多いから、指を動かすのに丁度いいけど、こんだけ弾いてると自分の曲を演りたくなるな。


 「今度、夢の卒業式で歌うんだって」

 「傑も来年はやるんじゃない?」


 今の小学生の卒業式に使われるって……どんだけだよ……

 時代を感じる……っていうか、water(s)の曲が教科書に載ってたりするから、凄いよな。

 そこまで凄い曲は生み出せないにしても、ずっとリスナーがいるような曲は作っていきたいって思う。

 俺も拓真も、そう思ってるんだけど……そんなに簡単に生み出せないのが現実だ。

 でも、だからこそ……出来るって信じたい。

 どんなに時間がかかっても、単独ライブが出来た時みたいに。


 いつも通り教材の楽譜を置いて弾き始めた曲は、跳ねない所で微かに飛び跳ねていた。

 理由は、分かってる。

 さっきまで弾いていた曲の名残りだ。

 俺がファンだからっていうのもあるけど、water(s)の音をなぞる時は、胸が弾んでいるから……


 「お兄ちゃん、そろそろ夕飯にするから」

 「はーい」


 母さんに呼ばれて、ずっと弾き続けていた事に気づいた。

 集中してたんだな……


 潤の感じていた以上に、早く時間が過ぎていた。




 大学最後の試験は、休み中に電子ピアノに触れる機会が多かった事もあって、上手くいったと思う。

 大学に通うのも、あと少しか…………

 時間が過ぎるのが、早いとは思ってたけど……後は試験の結果と、卒業式を待つくらいだ。


 学食に並んでいると、チラチラと視線が向けられていると気づく。潤の前には彼女が並んでいたのだ。


 「上原、お疲れ」

 「樋口くん、お疲れさまー」


 注文したローストビーフ丼が出て来ると、一緒に中央にある六人掛けの席を二つ陣取った。

 これからピアノ専攻の八人が集まるからなんだけど、今なら二人きりだから伝えられるか?


 「試験、やっと終わったね」

 「そうだな。あの、上原……」

 「うん?」

 「年末はライブ来てくれて、ありがとな」

 「こちらこそ、誘ってくれてありがとう。またライブするの?」

 「する予定だけど……俺も拓真も就職したから、落ち着いてからかな」

 「そっか……また機会があったら教えてね。miyaも聴きたいって、言ってたから」

 「本当に?! 絶対教える!」

 「うん、待ってるね」


 並んで話していると、他のメンバーも試験を終え、続々とカフェテリアに集まってきた。


 もう少し遅く来てくれても良かったんだけど……何て考えてる自分に引いた。


 「二人ともお疲れー」

 「お疲れさまー」

 「金子、気力使い果たした感じ」

 「あぁー、試験の雰囲気は独特だからな」

 「張り詰めた緊張感があるよねー」

 「理花の言う通りだな」

 「なぁー、石沢と潤は同じ楽器メーカーに、就職したんだろ?」

 「そうみたいだね」

 「あぁー。でも、希望部署は違うからな」

 「そうそう。新人研修で会うかもだけど、人数多いから微妙だよねー」

 「そんな感じか。阿部っちも拓真も音楽関係の企業だろ?」

 「まぁーな、ピアノは弾かないけどな」

 「それは私達も同じだよー」


 石沢がそう応えたから、俺も頷いていた。

 楽器に触れる機会は、自分で作らない限り無いに等しいから……


 「詩織は音楽教諭でしょ?」

 「うん、母校に行くの楽しみ。金子は?」

 「一般企業。だからピアノは、趣味で弾く程度になりそうだな」

 「そうなんだ……」


 知ってたけど……本当に就職したら、楽器に触れる機会が減るよな。

 今まで音楽に打ち込める環境があったから、此処までやって来れたんだって……今更ながらに思う。


 「拓真と潤は音楽活動、続けるんだろ?」

 「それは、勿論!」


 勢いよく応えた拓真に、思わず笑みが溢れる。

 二人して視線の先には彼女がいたから……


 「目標は……water(s)だからな」

 「あぁー……」

 「……ありがとう」


 少し照れたような上原に、また可愛いとか……思うなんてな。

 あの日から……変わらずにwater(s)は憧れであり、目標だから……


 「結局、地元に帰るのは詩織だけかぁー」


 いつもの面子だと……森だけが地元に帰って、他は東京に残るって事か。

 何か不思議な感じだよな……


 潤はお茶を飲みながら、周囲の話を聞いていた。


 「うん。でも神奈川だから近いよ。この中だと、実家が遠い阿部っちが大変じゃない?」

 「あぁー。学生寮に住んでたから、これから引っ越しだよ」

 「阿部っち、大変だな」

 「まぁーな」


 ピアノ専攻で集まって、こういう話が出来る機会は殆ど……残されてないって事か……


 隣にいる彼女に視線を向けていた。


 そう……だって、上原は四月に結婚するから……


 今後の話をしながら昼食を食べ終えて、拓真といつものように練習室に立ち寄った。

 これが出来るのも、あと数える程度か……練習場所は、これからの課題だよな。

 お互い仕事を始めたら、どうなるかまだ分からないし……


 「潤も二次会、参加するだろ?」

 「あぁー」


 二次会っていうのは上原の結婚式の二次会だ。

 メッセージが来てたから、即行で返した。

 何が悲しくて想い人のに参加するのか? って、言われるかと思ったけど……拓真らしくスルーしてくれた。

 幸せな二人を見て、終止符を打ちたいんだ。

 今のままじゃ動き出せない事も分かってるから……


 「結婚かーー……」

 「ん? 拓真もしたいのか?」

 「バ! 違くて! その、いいなーとは思うけどさー」

 「あぁー」


 いいなー……か…………それは分かるけど、まだ学生で……ようやく社会人になる俺達にとっては、遠い話だ。

 拓真はともかく、相手すらいないからな……


 「潤、アレンジするだろ?」

 「あぁー」


 あと、どのくらい……こんな風に曲が作れるんだろうな。

 珍しく弱気になってるのは、卒業試験で気力をすり減らしたからだって言い訳をして、エンドレの音を楽しんでいたんだ。


 「お疲れー」 「お疲れ」


 試験が終わった勢いもあって、外はもう暗い。

 これが夏なら、もう少しマシなんだけど……


 「試験、終わったなー」

 「あぁー、ようやくな」

 「とりあえず、四月からは土曜日にライブするだろ?」

 「そうだな」


 ーーーー何処まで行けるか……まだ想像もつかない。


 いつものように拓真と分かれてイヤホンを付けた。

 

 心に届く音色に、いつも揺さぶられる。

 イヤホンから流れる彼等の曲に、移りゆく景色をただ眺めていた。

 



 ピアノ専攻のメンバーは優秀というか、現実を見てる奴が多い。

 だから全員進路が決まったんだと思うし、女子はフランスに卒業旅行で行ったらしくて、お土産のクッキーを受け取った。


 「せっかくだし、みんなで何処か行くか?」

 「カラオケ行きたい」

 「森、いいじゃん!」


 さすが拓真というか……何ていうか…………


 急遽、カラオケ店に寄ってから帰る事になった。

 俺の前を上原が歩いてる。

 石沢と楽しそうに話しながら、いつもと変わらない感じで。


 たまに思うけど、water(s)はメジャーなバンドなのに……よく気づかれないよな。

 

 マイクは順番に回ってるけど、上原は控えめに歌ってるみたいだ。

 控えめっていっても、歌が上手い事には変わらないし、凄いんだけど……いつもと違うんだよな。


 「上原は音楽で食べていくんだろ?」

 「うん、今月もライブあるよー」

 「メンバーで集まって練習するのか?」

 「そうだね。リハで最終調整って感じかな」


 上原だけが特別な訳じゃない。

 water(s)は、個々の能力が高い。 

 嫉妬すら掠れてしまうくらい、音が違うんだ。

 ライブ前に喉がダメにならないように、控えてるんだろうけど……それでも、惹かれる。

 一緒に歌うと引き上げられていくみたいに、声が伸びていった。

 夢中になっていたんだと思う。

 楽しそうな笑顔を向けられて、驚きよりも達成感みたいなものが強かった。


 「上原と潤のハモリ、凄いな」

 「私も思った! よく相手に釣られずに歌えるよねー」

 「……ありがとう」


 少し照れたように笑った彼女は、いつもの上原だったけど……それが、出来て当たり前の世界にいるんだ。


 「ーーーー俺のは、拓真のおかげだな」

 「エンドレのハーモニー、綺麗だよね」


 それが社交辞令じゃない事くらいは、俺にだって分かる。

 大学生活を四年間、共に過ごしてきたんだから。

 こうやって笑い合う事にも慣れたけど、もうすぐ別々の場所で働いていくんだよな。 


 「上原……次、この曲歌って?」


 珍しくリクエストした潤は既に曲を入れていた。


 「面白そうじゃん!」

 「酒井も歌ってね?」

 「了解!」


 乗り気な拓真に釣られて声を出して、重なったハーモニーに鳴ってた。

 また一つ、貴重な体験をしている事に気付かされていたんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ