第125話『頼むということ』
第125話『頼むということ』
木曜日の四限目が終わると、窓から差し込む日差しが少し柔らかくなっていた。
玲奈は道具を鞄にしまい、教室を出る前にスマートフォンを確かめた。
今日は急いで帰る用事もない。
ふと思い立って、叔父のカフェへ寄ってみることにした。
店の扉を開けると、コーヒーの香りと一緒に聞き慣れた声が飛んできた。
「お、玲奈。今日は一人か?」
「うん。何、その言い方」
「いや、また大勢連れてきたのかと思って」
「毎回誕生日会しに来るわけじゃないから」
「そりゃそうだ」
拓真が笑いながら、カウンターの上のカップを片づける。
奥から出てきた美幸も玲奈に気づいて手を振った。
「いらっしゃい、玲奈ちゃん。学校帰り?」
「そう。ちょっと寄ってみた」
「何か飲む? 冷たいのでもいいわよ」
「じゃあ、アイスティーお願いしてもいい?」
「もちろん」
店には窓際に二組の客がいて、玲奈は邪魔にならないようカウンターの端の席に腰を下ろした。
美幸がグラスを用意する間、拓真はレジ横に置いた紙を見て首をひねっている。
「おじさん、何してるの?」
「これな。書き直そうと思ってたんだけど、どうにもな」
差し出されたのは、透明なカード立てに挟まれた小さな案内だった。
焼き菓子を持ち帰れることや、注文するときの案内が手書きで詰め込まれている。
文字は丁寧なのに、一番伝えたいことがどこなのか、ぱっと見ただけでは分かりにくい。
「……ちょっと字が多くない?」
「やっぱり?」
「これ、全部読んでもらうつもり?」
「いや、そんなつもりはないんだけどさ」
「だったら、持ち帰りできるってところ、もっと大きくした方がいいんじゃない?」
「なるほどなあ」
拓真がカードを顔から離し、少し遠くに置いて眺めた。
その仕草がおかしくて、玲奈はつい笑う。
「遠くから見るなら、なおさら読めないよ」
「店主は近くでしか見てなかったからな」
「お客さんが見るものなのに?」
「返す言葉もない」
美幸が運んできたアイスティーを、玲奈の前に置く。
「その紙、また悩んでるの?」
「玲奈に字が多いって言われた」
「私も言ったじゃない」
「言われたな」
「二人に言われてやっと認めたんだ」
玲奈がストローを袋から出すと、拓真はカードを立て具に戻した。
「そうだ、玲奈。これ、見やすく作ってみるか?」
「え、私が?」
「学校でそういうのもやってるんだろ?」
「やるけど……絵を描くのとはちょっと違うよ?」
「違うのか?」
「文字の並べ方とかも考えるし。まあ、できないわけじゃないけど」
言いながら、玲奈はもう一度カードへ目を向けた。
大きさは手のひらより少し大きいくらい。
絵を入れるなら、それほど場所は残らなそうだ。
「何を書きたいの?」
「持ち帰りができることと、焼き菓子の種類と、値段だろ。それから、数がなくなったら終わりってことも」
「え、それ全部?」
「あと、注文はレジでって書いといた方がいいかな」
「増えてるじゃん!」
拓真が声を上げて笑った。
「だから今のもこうなったんだろうな」
「自分で分かってるなら減らそうよ」
「何を減らす?」
「それを私に聞くの?」
思わず言い返してから、玲奈はカードを指で軽く押さえた。
どれも店としては伝えたいことなのだろう。
けれど、小さな紙に全部書いたら、肝心なところまで埋もれてしまう。
「……じゃあさ。まず、何に気づいてほしいの?」
「焼き菓子を持って帰れることかな」
「それなら、そこを一番目立たせる。種類とか値段は、別のところにあってもいいんじゃない?」
「別のところか」
美幸が横からカードを覗き込む。
「種類は日によって変わるものね。全部印刷しちゃうと、そのたびに作り直さなきゃ」
「あ、そっか。それは面倒だね」
「面倒なのは俺じゃなくて作る人だな」
「……私のこと?」
「まだ頼んでもいないけどな」
その言葉に、玲奈はグラスを置いた。
さっきまでは、ちょっと手伝うくらいの気持ちだった。
でも店で使うなら、思いつきで描いて渡して終わり、とはいかないのかもしれない。
「おじさん、本当に使うつもり?」
「ちゃんと見やすくなるなら使いたいよ」
「私が作ったからって、無理に置かなくていいからね」
「そりゃそうだ。読めなきゃ困る」
「そこは少しくらい遠慮してよ」
「玲奈が遠慮するなって顔してたから」
「してない!」
拓真がまた笑う。
玲奈もつられて笑ったが、気になることが一つ残った。
「でも、こういうのって……普通に手伝う感じでいいの?」
「まず何を作ってもらうか決めてからだな。店で使うものを頼むなら、お礼のこともちゃんと話さないと」
「お礼?」
「時間使わせるんだから、何もなしってわけにもいかないだろ」
「おじさんの店なのに?」
「うちの店だからって、玲奈の時間がただになるわけじゃないしな」
美幸が頷きながら、使い終わった皿を下げていった。
玲奈はグラスの氷が小さく鳴るのを聞きながら、しばらくカードを見つめた。
学校で作るものは、課題の条件に合わせて自分で考える。
でも今は、使う人が目の前にいて、希望も少しずつ違っている。
それが思ったより面白い。
「……ちょっと、メモしていい?」
「もちろん。紙いるか?」
「自分のがある」
玲奈は鞄から小さなクロッキー帳を取り出し、空いているページを開いた。
人物の姿を描くために持ち歩いている帳面に、今日は文字を書いていく。
『持ち帰りできることを大きく』。
その下に『種類は変わる』『置く場所はレジの横』と足した。
「ねえ、これって今の大きさじゃないとだめ?」
「いや、そこは変えていいよ。邪魔にならなきゃ」
「じゃあ、置ける場所の幅も今度測らせて」
「お、もう作る気か?」
「まだ考えてるだけ!」
勢いよく答えると、美幸が奥で笑った。
玲奈は少し恥ずかしくなり、クロッキー帳を閉じる。
代金を払って店を出ると、外の空気は思っていたより冷たかった。
いつもなら、人が立ち止まる姿や歩く時の手の動きに目が行く道だ。
今日はなぜか、通り沿いに並ぶ小さな店の案内ばかり気になる。
文字の大きさも、色も、置いてある高さもばらばらだった。
鞄の中のクロッキー帳には、まだ絵になっていない短いメモが残っている。
玲奈はそのことが少しおかしくて、歩きながら笑った。
何を作るかは、これから考えればいい。
とりあえず、次に店へ行く時は定規を持っていこう。




