HERO(7)
「岩岡さんは私のこと心配してくれてたのに、勝手なこと言い過ぎたかも。……ごめんなさい」
いつかヒカルと来たコーヒーショップで、約三週間ぶりに会ったヒカルは相変わらず盛りに盛ったコーヒーの前で頭を下げた。いつになく殊勝なヒカルの姿に、俺はうろたえてしまう。
「い、いや別にいいんだ。それよりも、俺も覚悟を決めた。それをお前に早く言いたかった。水曜日プラネットを捕まえよう。あんな馬鹿共をいつまでも野放しにしとく訳にはいかない。できるか分からないが、あんな悪党共が野放しになっているのを許しておけない」
ヒカルは本当に嬉しそうな、驚いたような顔で頷くので、俺はそんな風に言って本当に良かったと思う。
「私、信じてたわ。イワオカさんはそう言ってくれるって」
ほんとかよ、なんて野暮なことを俺は言わない。俺は黙ってヒカルの言葉を聞く。頭の悪い俺は余計なことは言わずにヒカルの駒となって、悪党をぶん捕まえるのだ。
「じゃあ早速次の計画に移りたいんだけど、その前に見てもらいたいものがあるの」
ヒカルはずるずると甘そうなコーヒーを飲み干して立ち上がるので、俺も慌ててコーヒーを飲み下した。
電車とバスを乗り継いで俺たちは移動した。
その間、俺たちの間にほとんど会話はなかった。俺が余計な口を挟まないようにする以前に、生まれた時代も性別も違う俺たちに共通の話題なんかある訳がないのだ。そう考えると少し寂しいものだ。
たっぷり一時間かけて俺たちがたどり着いたのは病院だった。俺がいつも入院する親父の顔なじみが経営しているようなウサンクサイ病院じゃなく、もっと大きな総合病院だ。
病院の正面玄関の前には駐車場と、駐車場を囲むようにして芝を敷いてある広場があって、そこを散歩している入院患者らしき男女が結構いた。
「ちょっとここで待ってて」
そう言われたのは広場を見渡せる位置にある駐車場の端のベンチで、俺は言われた通りそこに腰掛けて待つことにする。ヒカルは一人で病院に入っていった。
広場にはいろんな人間がいる。年寄りから子ども、それに男に女、それぞれジャージやら病院着を着てぼけーっとした顔で歩いていた。
それを見ながら、俺はなんとなく、本当になんとなくここにいる全員を俺が守るのは無理なんだなと考えた。
そりゃそうだ、俺はテレビ画面の中で敵を倒しまくるヒーローじゃない。スパイダーマンみたいに壁に張り付いたり鉄腕アトムみたいに爆弾を宇宙に持っていって爆発させたりはできない。
でも俺はただ、ヒカルの願いだけは叶えてやりたいと思った。それで何とかヒーローということにしてもらえないだろうか。
十五分もすると出入り口からヒカルが出てきた。車椅子を押していた。
車椅子に乗っていたのは小学校中学年くらいの男の子だった。何を話しているかは分からなかったが、二人はとても親密そうだった。たぶんヒカルの弟じゃないか、少年の顔立ちや二人の関係性を見て俺はそう思った。
ヒカルは車椅子を押して広場をのんびりと歩いた。呑気な陽光に包まれて、二人は楽しそうに笑っていた。
その光景を見て、俺はヒカルの願いを叶えるだけじゃなく、ヒカルのことも守ってやりたいと思った。どうしてか分からないが、俺の目には車椅子を押すヒカルが見慣れているヒカルよりもか弱く、壊れやすいもののように映ったのだった。
「あれ、私の弟なのよ。半年前まで元気だったんだけど、水曜日プラネットの連中に遊び半分に襲われてああなったの。たったの千円ちょっとしかなかったお金を奪わて暴行を受けたのよ、ひどいでしょ?警察の人に話を聞いたけど、連中は子供を襲って、持っているお金の金額を競ったりするゲームをしていたらしいのよ。そんなくだらないゲームに何も関係ない弟が巻き込まれて歩けなくなるなんて……そんなのって信じられる!?」
少年を病室に送り届けてきたヒカルは目に涙を浮かべて激昂した。聞けば、歩けるようになるかは本人の努力と運次第だそうだ。
「ひどい話だな……。でも連中を捕まえて、それからどうするんだ?復讐でもやるのか?」
俺が聞くとヒカルはまだ決めてない、と呟いてそのまましばらく黙ってしまった。かと思えば、次の瞬間にヒカルは両手で顔を隠して泣き出していた。
強がっていてもまだ中学生だ、弟に突然降りかかった不幸を受け入れられなくても無理はない。そしてそのやりきれなさこそ、ヒカルが新聞広告でヒーローを募集した動機だったのだ。
とにかく奴らを捕まえよう、難しいことはそれから考えたらいい。馬鹿な俺はそう決意してヒカルが泣き止むのをただじっと待った。こういうときにかけてやるべき言葉なんて、自慢じゃないが俺が知っているはずがなかった。
その夜、リリィから久々に電話が掛かってくる。
「そうなんだよ刺されちゃってさ~マイっちゃうよね~アハハ」って笑って言ったのだが、リリィは真剣に心配するので俺は困ってしまう。
「刺された!?大丈夫なの?またいつもみたいに死にかけたんじゃないでしょうね?お兄ちゃん、ちゃんと病院行かないと駄目よ」
「いや病院はもう行ったよ。ってかもう退院したし」
「入院してたの!?」
「あ、それを言ってなかったっけ?悪い悪い」
「悪いじゃないわよ、あれでしょ?あの犯罪者集団、幻影旅団だっけ?」
「違げーよ、水曜日プラネットだ」
「ダサい名前よね~、誰が考えたのかしら?」
「そんなの知らねーよ。もう切るぞ。国際電話って高いんだろ、よく知らねーけど」
「あ、ちょっと待って。今月中にお母さんとそっち帰るからお父さんにそう言っといて」
そういうことは早く言えよ!と俺はキレかけるが我慢する、リリィがマイペースなのはいつものことだ。イチイチ気にしてたらこっちの身が持たない。
「じゃあね、愛してるわよ」と弟(本当は兄だが)に言われ、俺は「死ね」とだけ答えて電話を切った。
俺はそのまますぐにジャージに着替えて外を走り始めた。
退院してからというもの、俺は毎日かかさず走っていた。それが今の俺には必要なことだからだ。他に必要なことも多いが、まずは体力がなきゃ始まらない。
近所の体育館の室内周回コースを三十周ほど走り、その後に緑地公園まで足を伸ばす。浮浪者のオッサン連中も「ユウちゃん、頑張れよ~」と声を掛けてくれる。公園を十周ほど走ると、軽く足に痛みを感じ出したので俺はクールダウンしてストレッチを始める。
もしものことがあってからじゃ遅い。俺はこの前の事件でそれを痛感していた。以前痛めてしまった左足に多少のリスクを抱えているとしても、この体をいつまでもこのまま鈍らせておく訳にはいかないのだ。
家に帰って和室を覗くと親父が相変わらず生け花をやっていたから、その背中に向けて声を掛けてやる。
「今月中に母さんとリリィ帰ってくるってさ」
「そうか、良かったな」
強がってそんなことを言う親父の背中が笑っているのを、もちろん俺は見逃さなかった。
そいえば俺は親父の笑った顔というものをほとんど見たことがなかった。
笑っていないわけではないんだろうが、怒った顔や普段のムッツリした表情が脳裏に刻みついているせいか、どうにも俺は親父の笑顔というものを思い出せなかった。
そこで俺は唐突にピンと閃く。
ひょっとしてヒーローというものは笑わないものなんじゃないだろうか?笑わないからこそ強いんじゃないだろうか?
泣かず、笑わず、クールに悪を討ち、何も語らず去っていく。
あまり詳しくはないが、ヒカルが好きだというデビルマンや仮面ライダーがそんな感じじゃなかったろうか。
あとは俺もよく知っているウルトラマンなんかも笑ったり泣いたりしているところは見たことがない。そうか、ヒーローっていうのは笑わない奴のことをいうのかもしれない。
ふと思い立って洗面所に行って鏡を覗いてみれば、そこには緊張感のない三十男の姿。試しに眉間に皺を寄せて顔をしかめてみても、ヒーローというよりも間抜けな悪役に近い顔がそこにあった。
俺はそのまま洗面所を出て、親父の背中にまた声を掛けてみる。
「親父ってさ、なんで笑わねーの?」
「笑わない人間なんかいるか。お前が見てないだけでちゃんと笑ってる」
だそうだ。まぁよく考えたら俺の好きだったタートルズなんかしょっちゅう笑ってるし、笑わないくらいでヒーローになれるならちょっと頑張れば誰でもなれる。
俺は馬鹿だけど、さすがに笑わないからヒーローだなんていう考えが間違っているっていうことくらいは、少し頭を働かせればすぐに分かった。
そこでふと、俺の脳裏にいつだったか若い頃の親父が本気で笑っている姿が浮かんできた。あんまり唐突で脈絡のない記憶だったので、俺はついぶふーっと噴き出してしまう。
「なんだいきなり、気持ち悪いな」
「いや、なんかさ、小さい頃に親父が爆笑してる顔を見た覚えがあったのを、今ふと思い出して……」
「あぁ、多分あれだろう。お前がまだ小さい頃、台風の日にお前がコンクリートと間違えて田んぼに走って突っ込んだ時だ、あれは爆笑したな。なぜか一歩目で気づかずに二歩目三歩目と」
そこで親父はもう我慢できないとばかりに噴き出してしまう。
俺はその時の俺自身の悲しみと全身ずぶ濡れで両足が膝まで泥だらけの何ともいえない気持ち悪さ、そして親父の心底楽しそうな表情を思い出してキレかけるが、ボコボコにされたばかりだしなんとか気持ちを静めて「ひどい親がいたもんだぜ」とだけ吐き捨てた。
こんな奴でも俺にとってはヒーロー、か。
ほんとヒーローって何なんだろうな?ともかく俺のヒーローへの道がまだまだ遠いことだけは確かなようだった。




