2・5話 田中さんの奇行がとまらない。本当に。
教室へ帰ると、刺々しく、ジトっとした重たい空気が張りつめていた。
そんな空気を強化するように、露骨にクラスメイト全体から睨まれている。
田中さんをむげに扱い、実里さん相手にひどい態度をとった。番犬さんを泣かして心をへし折ったことも、ほどなく周知されるのだろう。
僕はそういう空気に動じる気配なく、席についた。教科書を破られたり、椅子の上に画鋲を置かれていないことが幸運に思えた。
ほどなくは、すぐにやってきた。
泣きはらしたような腫れた赤い目をした田中さんがやってきた。
不穏な空気にざわついていた教室が静まり返る。
おそらく話題にしていた当人がやってきたからだろう。
堂島くんが逃げるように席を立っていく。
田中さんは空いた席に座ることはなく、僕を見下ろしていた。
「朱音、泣いてたよ」
完全無視はやめることにしたのだ。なので僕は返事をする。顔はあげない。
「はい」
「君に酷い言葉で責められたって、ほんと?」
「本当です」
舌打ちやあり得ない死ねクソゴミ、などの悪態がハッキリと聞こえてくる。さきほどまではコンプライアンスを気にしてなのか、ざわつきの中に紛れていた罵倒だった。
今はハッキリと聞こえてきた。
教室の空気がさらにひりついていく。
田中さんが堂島くんの席についた。僕は現代国語の教科書を読み込んでいる。視線はあげない。目を合わさない。
「酷いことするね」
「すみません」
周囲からまた声が飛ぶ。ひどいしねごみなどなど。
田中さんが両手を机に叩きつける。台バン。僕はビクっと震えてしまう。
机に椅子をぶつけるようにして席を立つ。勢いよく教室中を見回す。
睨みつけるように。
僕は思わず顔をあげていた。
嫌な予感がした。
敵意が、僕以外の方向へ、向いている。
「皆、ちょっといい」
柔和な田中さんの表情が一変している。
田中さんの一連の態度と声に、野次や悪態が一瞬で静まりかえる。
いつもの優しい、人を憂うような声音ではなく、とても攻撃的な刺々しい声音だったからだ。
僕は駄目だ、やめて、というべきだったかもしれない。
そうすれば田中さんは行動をやめてくれたかもしれない。
でも僕にそんな言葉を吐き出す行為はできず。
成り行きに任せるように。
ただ、観ているだけだった。
そして始まってしまった。
田中さんの奇行が。
僕にだけ向けられる奇行ではなく。彼女が生きている世界にまで向けて。
僕のせいだ。本当に申し訳ない。
「煩いから黙っていてくれる? 私はこの人と話しているんだから」
沈黙が数秒続いた。
静まりかえっていた教室内に、ざわめきやどよめきが復活する。
同時にありえない調子のりすぎメンヘラだわーなどなど、本来僕にぶつけられるような台詞が、田中さんに向けられはじめた。
いけない兆候だ。
僕は思わず実里さんの方を見ていた。共通の思いだったのか、遠くの席で傍観していた実里さんが腰を浮かしていた。
周囲が色めき立つことも気にせず、田中さんは僕だけを見つめている。
「でね、でもいいの。あなたがどんなに私の周りを傷つけても。私はあなたと一緒にいたいの」
いけない兆候が加速する。
周囲の田中さんを見る目が変容していく。
田中さんはもしかして、僕と同じ分類のやばい奴なの? という認識が加速する。いけない。
実里さんが田中さんのそばまで来ていた。
「田中。なにいってんの。やめなよ」
実里さんが田中さんの肩を掴む。席を立たせるように。この場から引き離すように。
バシっと渇いた音がした。
致命的な一撃だった。世界に対して田中さんの評価をひっくり返してしまうだけの決定打だった。
田中さんが掴まれていた実里さんの手のひらを、叩いた音だった。
実里さんは田中さんの親友として知られている。
その親友の手のひらを、こういうふうに、はっきりと拒絶するように、叩いた。
「触らないで。なんなの? 女の子が好きなの? 悪いけどお呼びじゃない」
「田中」
実里さんの声から力が抜けていく。
そしてそれは決定打だった。
僕という異常者への軽蔑は相変わらずだが、田中さんぐらい好感度と知名度と注目度が高かったゆえ。
その行動による、上下の振り幅は、圧倒的な高低差となる。
「私は君と一緒にいたい。だからお願いだから。私を捨てないで」
田中さんの奇行が知られてしまった。
僕と田中さんは同類として、教室から、学校から、世界へ周知された。
触れてはいけない、完全無視される存在へとなってしまった。




