第八十一話 恵みの雨
賽銭をそっと投げ入れ、輪豊神社の拝殿前で手を合わせる。そうして流凪が目を閉じ軽く頭を下げて祈ると、晴れていたはずの空がみるみる雲に覆われ、やがて雨が降り出した。天気予報では一日中晴れだと言っていたのに、急に降り出した雨に人々が慌てて屋根を目指して駆けていく姿が街のそこかしこで見られる。
雨が降り出した音を聞いて、流凪は目を開ける。
「ありがとう」
そう呟いて、玲が持つ傘に入った。
「これで本当に解決ですか」
「うん。この雨がわずかに残ってる散った呪いとかアパートに溜まった呪いとか、そういうのを全部洗い流してくれるはずだよ」
呪いのバリアを斬り裂いた時、流凪は柏手一つで散らばる呪いを消し去った。しかし、流石にそれだけで全てを残らず浄化出来た訳ではないので、こうして輪豊神社に祀られている神にお願いしに来たのだ。流凪なら時間をかければ散らばった呪いも全て綺麗に消し去ることが可能だが、それは面倒なので広域を浄化するのが得意そうな神に頼むことにした。
そもそもこの呪いをかけた神というのがこの輪豊神社の神なのだ。この地域を見守る神であるため、あのアパートも自身の守る範囲に入っている。そこで神に許可も取らずに勝手に建築をしていたので、軽い呪いをかけたのが今回の事件の発端ということになる。神自身も若葉のような存在は想定外であり、あんな大事にする気はなかったのだが、それはそれとして神の責任であるという側面もあるので、後処理くらいは自分でやってもらっても罰は当たらないだろう。
「さて、じゃあ帰ろっか」
玲と並んで一本の傘に入りながら、帰宅しようと鳥居へ足を向ける流凪。
「少々お待ちください」
しかし背後からそれを呼び止める声があった。聞き覚えのない男性の声に振り返ると、そこにいたのは白衣に紫色の袴、草履という姿の男性だ。服装からしてこの神社の宮司、綺季の父親だろう。年齢は五十手前程度だろうか。白髪交じりの短髪を綺麗に整え、優しそうながら頬がやや痩せこけて見える顔に飾り気のない眼鏡を乗せている。全体的に弱々しく感じる人物だ。
「お初にお目にかかります。私はこの輪豊神社にて宮司を務めております、高木道 誠と申します」
「流凪だよー」
「……篝火玲と申します」
名乗られたので何も考えずに名乗り返す流凪と、話しかけてきた目的が分からないため少し警戒しながら返答する玲。態度は異なりつつも、二人の名前を聞いた誠は一つ頷いた。どうやら二人の名前を知っていて話しかけてきたようだ。
「やはりあなた方がそうでしたか。娘が大変お世話になったようで、一度お礼を言いたかったのです」
ありがとうございますと頭を下げる誠の姿に、玲も一先ず警戒を解いた。流凪と玲は特徴的な容姿をしているし、綺季から聞いていたなら見ただけで判別出来ても不思議はない。どうやらただお礼を言いたかっただけのようだし、警戒する意味はなさそうだ。
「娘は生まれつき特別な力を持っていました。ただ、どうにも私にはその方面の才能はなく、あの子の話を分かってあげられなかった。流凪さん、あなたのような友人が出来て、あの子も大変喜んでおります」
「そっかー。なら良かったよ」
誠の話に、流凪もうんうんと頷きながら笑っている。だが、唐突にその目が鋭く細められた。
「で、まさかよく分からないからって綺季ちゃんの話を聞き流してる訳じゃないよね?」
「……え?」
「お嬢様?」
何を言われたのかよく分からないというように、流凪の顔を見て尋ね返す誠。玲も突然流凪の雰囲気が変わったので驚いたように横を見た。そんな周囲の反応が見えているのかいないのか、流凪は話を続ける。
「父親なら当然知ってると思うけど、綺季ちゃんって話をする時に大げさなくらいのリアクションをするんだよね」
「そ、そうなのですか? 申し訳ありません、私の前では落ち着いた物静かな子ですので……」
「ふーん、そうなんだ。わたしの前ではこっちがビックリするくらいのオーバーリアクションなんだけど」
流凪の脳裏には、綺季と会話した際の映像が流れていた。初対面、無駄にへりくだって三下の悪役のようになっていた綺季。それに、地鎮祭を終えて流凪と話している時、彼女のクラスメイトはその態度を『いつもより』と表現した。そのことから、流凪に対しての綺季の態度は普段よりオーバーではあるものの、普段から似たような態度で生活しているらしいということが分かる。
それに、クラスメイトに鍛錬に付き合って欲しいとお願いし、それを受け入れてもらえた際の態度。涙を浮かべるほど感動していた彼女の姿は、初めて協力者が見つかって喜んでいるように見えた。
「教えて欲しいんだけど、今回の事件が発生する前、綺季ちゃんに何か相談された?」
「いえ……」
「それ以前でも良いや。綺季ちゃんに能力について最後に相談されたのはいつ?」
「確か……七年ほど前でしょうか。妻が出て行った頃から、あの子は私に何も言わなくなってしまったように思えます」
「それ以前はちゃんと話を聞いてたってこと?」
「はい、もちろん…………いえ、ちゃんと、ですか。どう……でしょうか……」
誠は妻がいた頃のことを思い出す。綺季が不思議な力を持っているのはずっと前から分かっていたが、それについて綺季が聞いてきた時、自分は何と答えただろう。よく分からないからお母さんと話しなさい、などと言ってはいなかったか。妻が出て行った時、何と言っていたか。こんな意味不明な娘の世話、押し付けないでよ! そう怒鳴られた記憶に自然とたどり着く。
あの頃は自分の娘に向かって何てことを言うんだと憤った覚えがある。私たちの子なのだから、私たちが責任を持って育ててあげなければならない、と。だが、実際に自分がしたことは何だろう。宮司の忙しさを言い訳に、妻に娘の世話を押し付けただけではないのか。あの子の能力について何も分からないというのは事実だが、それでももっと話を聞いてやらなくてはならなかったのではないか。本当に責任を持って育ててきたのか。自信を持ってそう言えるのか。
「綺季ちゃんのあの態度は、昔からちゃんと話を聞いてもらえなかったから、大げさに動いて人の興味を引こうとしてるように見えたんだよ」
「そう……なのですか。いえ、きっとそうなのでしょうね。私の前では大人しいのですから」
「あの子は危なっかしいくらいに人の役に立ちたがる。そうしないと自分を見てもらえないって思ってるんじゃないの?」
「………………」
流凪の言葉に何も言えなくなった誠は、ただ地面を見てその場に立っている。雨は更に激しさを増していた。
「これからどうするかは君次第だけど、一つ忠告しておくよ。こういう能力っていうのは、結構心の影響を受ける。あの子はこれから力を鍛えようとしてるけど、それがどんな方向に強くなるかは君の影響も大きくなるだろうね」
「…………っ!」
全てを洗い流すように降り注いでいた雨は、その役目を終えたように急速に弱まっていく。ほどなく、雲の切れ間から一筋の光が差し込んできた。
「うん、これで今回の事件は全部解決、かな。じゃあ帰ろっか、玲」
「はい、かしこまりました、お嬢様」
先ほどまでの大雨が嘘のように、空は晴れ渡る。傘を閉じた玲と流凪は、鳥居を潜って神社を出て、そのまま降り注ぐ光の中へと消えていった。
次回、第三章完結となります。




