第七十八話 輝く笑顔で一件落着
「……えー、和先生についてはわたしもフォローするようにしますね。何かあれば言ってください」
「うん、ありがとう綺季ちゃん。ちょっと買い物をお願いしたいかも」
「分かりました、後で内容を教えてください。で、問題はあの呪いの正体なのですが……」
そこまで言葉にして、チラリと流凪の方を見る綺季。それで教えて欲しいと言われていることを察した流凪が口を開く、ようなことがあるはずもなく。綺季が自分の方を見ていることすら気が付かないまま、若葉に向かってよろしくーなどと仲良くなっている。どうやらしっかり言葉にしないと答えてもらえなさそうだと察した綺季は、再びの咳払いの後流凪へと質問する。
「流凪様、あの呪いは一体何だったのでしょうか」
「あれはねー、何かに怒った神様が気まぐれに放り込んだ、ちょっとした呪いだね」
「ええ、それはわたしにも分かるのですが……」
「まあ多分、このアパートを建てる時に地鎮祭をしなかったとかじゃない?」
地鎮祭とは、建築工事の前に行われる工事の無事を祈願する儀式だ。ただそれだけではなく、土地を守る神様に土地を使用する許しを請うという面もある。法律で定められた行事ではないのでやらなかったからといって工事に支障が出る訳ではないのだが、ずっと昔から行われてきた儀式だ。
「巫女であるわたしが言うのも何ですが、それだけで、ですか……?」
現代では、昔から行われてきた儀式というのは多くが形骸化している。ただ形をなぞるだけでその意味も理解していないことも多く、その場合は儀式をやる意味もほとんどない。実際、地鎮祭をせずに建てられた建物もいくらでもあり、そういった建物全てに神の呪いが降りかかっていたならもっと大騒ぎになっているだろう。地鎮祭の実施が義務化されていてもおかしくない。が、そうはなっていない。
「んー、この場所が何か特別なのかー、もしくは若葉ちゃんがいるから、とかの可能性もあるかもね」
「若葉ちゃんがいるから……?」
呪いについては専門外過ぎて何も分からないため黙っていた和だったが、若葉の名前が出てきては黙っていられない。若葉がいるからとはどういう意味なのか。神は幽霊を嫌ったりするのだろうか。だとしたら、自分は神に対抗する術を学ばなければならないのか。そんな考えから、和がどうやったら神の力と対峙出来るかを真剣に検討し始める。
「地鎮祭をやらなかったことがちょっと気に障った神様が呪いをかけたとする。でも、それって大した呪いじゃないんだよ。このアパートが建ってすぐの頃は何か影響があったかもしれないけど、時間が経てば薄れていく。感覚的に、二年もすれば呪いはほとんど眠ってしまうはず」
「二年なんてとっくに経ってるはずだよ。わたしがここに住み始めてからでも、もう五年になるんだから」
「だから呪いは眠っていたはず。でもここに若葉ちゃんが来た」
流凪の言葉に、その場にいる全員が宙に浮く若葉へと目を向ける。そんな視線を受けて、若葉はただ首を傾げるのみ。若葉自身には呪いを目覚めさせた覚えなどないのだから当然だ。
そもそも、若葉が目覚めさせたという表現が適切かも怪しい。
「若葉ちゃんはさ、ちょっと異常なんだよね」
「わたし、異常?」
「うん、良い意味でね。幽霊にしてはちょっと正気を保ち過ぎてる」
幽霊とは、この世に繋ぎ止められるほどの未練を持ったまま死んだ人間の魂だ。通常はその未練に関しての行動を無意識的に繰り返すのみ。人間との円滑なコミュニケーションなど不可能だ。
「それは流凪様が和先生の生命力を分け与えたからではないのですか?」
「生命力で出来るのは治療までだよ。その精神は変わらない。若葉ちゃんは元々正気のまま和ちゃんに憑いていたんだ。それが、呪いが目覚めた原因と関係ありそうだなって」
「それは一体……?」
「若葉ちゃんが持っていた恨みとか悲しみとか、そういう負の部分が呪いに吸われたんだ」
恐らく、和がこのアパートに引っ越してくるまでの若葉はただの幽霊だった。正気をなくし、ただ和と一緒にいたいなどという欲から取り憑いていただけだと考えられる。だが、このアパートに来てそれが変わった。若葉から正気を奪っていた負の感情が呪いに吸われ、若葉は正常な思考を取り戻した。その代わりに、負の感情を吸ったせいで呪いが活性化、アパートを襲うようになった。
「そういえばわたしも考えていたんです。もしかして若葉さんが今までずっと呪いを抑え込んでいて、わたしが攻撃してしまったことで呪いを抑えることが出来なくなったせいでこうなってしまったのではないか、と」
「そうなの、若葉ちゃん?」
「うん。だって放っておいたら和ちゃんの家が壊されちゃいそうだったから」
若葉はずっと呪いと戦っていた。ボロボロになっても、ずっと。和のためを想って。
「あ、もしかしてわたしに何か言ってきた人は守ってなかった?」
「……ちょっと、抑えるのも大変だったから、守りたくない人まで守る余裕がなくて」
和からの指摘に、ばつが悪そうに目を逸らす若葉。それを聞いて和は納得した。四、五年ほど前からこのアパートを出ていく人が増えたというのは恐らく呪いの影響だろう。若葉から負の感情を吸って目覚めた呪いが異音等を起こして、それを嫌った住民が出て行った。大体の住民は若葉が守ってくれていたが、和に迷惑をかけた住民に関してはその限りではなく、若葉に見捨てられた住民を呪いによる異音やポルターガイストが襲ったことで大家に文句を言いながら出て行った。
「ゴメンね、和ちゃん……」
「どうして謝るの? 若葉ちゃんはずっとわたしを守ってくれていた。謝られることなんて何もないよ。むしろ、ありがとう」
「でも、わたしのせいでこうなっちゃったんだし……」
「そんなことない。そもそも若葉ちゃんがそうなったのがわたしのせいなんだから」
「今回の事件はわたしのせいです。わたしが勝手な想像で若葉さんを攻撃したのがいけないんですから。申し訳ありませんでした……」
若葉と和と綺季、三人がそれぞれ向かい合ってペコペコと頭を下げ合っている。全員が自分が悪いと思っているし、全員が自分以外は悪くないと思っている。だから相手が頭を下げる度にいやいや悪いのは自分だからといって更に頭を下げる。何度も何度もそのサイクルを繰り返して。
しばらくして、やっと頭を下げるのを止めてちゃんと相手の目を見て向かい合って。
「……あはは」
「……ふふふ」
「……うふふ」
込み上げてくる笑いがこらえきれず、誰からともなく笑いだした。それぞれに申し訳ないという思いを抱えていて、しかしそれは相手も同じであると理解した。その申し訳ない思いが消えた訳ではないが、きっとそれぞれに悪いところがあったのだろうということが分かった。
だから
「お互い様ってことで、良いかな?」
「うん、和ちゃん」
「はい、和先生」
皆が悪かったということで、一件落着。三人で顔を見合わせて、全員で流凪と玲に向き直る。
「流凪ちゃん、玲さん」
「んー?」
「はい」
ありがとうございました!
三人の声が綺麗に揃って響く。三人の頭が綺麗に揃って下がる。流凪と玲がいなければどうなっていたか分からないから、無事にこの事件を乗り越えられ、そして大切な人を助けてくれた感謝を伝える。
「うん、気にしないで」
「皆さん、ご無事で何よりです」
流凪と玲の言葉に頭を上げた三人の表情は、夜の闇を照らしているのかと思えるほどに輝いていた。




