第六十五話 どこまでも子供だった少女
それから、若葉はどこでも和にくっついて回るようになった。授業が終われば真っ直ぐに和の席へ向かうし、和がトイレに行くと言えば自分は別に行きたくなくてもついて行った。昼食も当然一緒。帰り道も出来る限り同じ道を通るようにしたし、そのまま和の家までついて行って遊ぶことも多かった。
若葉にとって、最も楽しいと思える時間だった。こんなに仲良くしてくれる友達が出来たのは初めてのことだ。和以外には以前にも増して避けられるようになってしまったが、それでも楽しかった。
本当に楽しくて
だから分かっていなかった。
それが、面白くない人間だっているのだと。
和はそれなりに人気者だ。やや小柄ながら可愛らしく、頭もよくて明るくて話していて楽しい。あまり趣味は広くないので話が合うことは少ないが、大体はどんな話をしても楽しそうに聞いてくれる聞き上手でもある。クラスメイトとはほとんど友達だし、クラスの外にもそれなりに知り合いがいる。
それが、急に付き合いが悪くなった。
最近の話し相手はほぼ傍依若葉に独占されている。横から話しかけても、和も若葉の相手を優先することが多くてなかなか聞いてくれなくなった。和が取られそうになると、若葉はすぐに泣きそうな顔になるのだ。優しい和がそれを放っておく訳もなく、すぐに話を切り上げて若葉の相手に戻ってしまう。
当然だが、全員もう高校生だ。少し友達との話を邪魔されたくらいで怒りはしない。多少ムカつきはしても、それだけで怒鳴ったり、ましてや暴力を振るったりはしない。そもそも最初に話していたのは若葉の方で、むしろ邪魔をしている側なのだから。これで怒り出すのは我儘が過ぎる。その気持ちを飲み込むくらいの分別はある。
ただ、飲み込んだ気持ちがなくなりはしない。
相手が若葉であるというのも悪かった。その子供っぽさから、若葉は最初から多くのクラスメイトに嫌われている。他の誰かに和を取られるなら我慢出来ても、若葉に取られるのだけは我慢ならない。それは理不尽でもある考えだが、しかし仕方がない気持ちでもあった。若葉なんかと過ごすよりは、絶対に自分といた方が良い。若葉には可哀想なことだが、それは客観的に見て普通の思考だ。確かに若葉といる時の和はいつも笑っていたが、傍から見れば振り回されているようにしか見えないのだから。
ずっと自分のことばかり話していて、思いつきで和を振り回して、不注意で失敗しては和に世話を焼かせている。和は優しいからそれに困った顔をしたり怒ったりすることはないが、きっと内心では止めて欲しいと思っているに違いない。和が自分の趣味を隠していることもあり、周囲はその内心を勝手にマイナス方向へと推理していた。若葉の世話をする時間が何よりも幸福だと思っているなんて、そんな思考を表面から読み取れる訳がなかった。
だから、きっとそれは必然だった。
呼び出しの手紙に従って、屋上に向かった若葉。
そんな彼女を待っていたのは
和が迷惑している。邪魔。自分ばっかり楽しんで和を振り回す自己中。消えろ。和も邪魔だって思ってる。キモい。皆お前が嫌い。高校生にもなって。人に頼ることしか出来ないくせに。寄生虫。視界に入るだけで不快。自分じゃ何も出来ない。何も決められない。少しは成長したら。ゴミ。ガキのまま。嫌われてることも自覚してないアホ。空気読めなさすぎ。ホントに消えて欲しい。和だって無理して笑ってくれてる。和のお荷物になってることを理解しろ。和は他の友達と遊びたいと思ってる。和のことも考えろ。
死ねば良いのに
「あ、ああ、ああああああぁぁぁぁァァァァッ!!」
「ひゃっ!? こいつ、噛み付いてきた!」
「ふざけんなよ、ゴミ! お前に怒る権利なんかねーんだよ!」
「このっ! 死ねっ! 死ねっ!!」
クラスメイトたちに取り囲まれて投げつけられる言葉の数々。それがあまりに辛くて、止めて欲しくて、若葉は訳も分からないまま飛び掛かっていた。しかし、それが逆に引き金になってしまう。一度始まってしまった暴力は、もう止まらない。殴られて倒れ込んだ若葉を押さえつけるように、上から降り注ぐ無数の足。何度も、何度も踏みつけ、あまりの痛みに若葉が泣き叫んでも止まらない。
どれだけ時間が経ったのか、段々と若葉の反応が小さい物になっていって。その内にやっと満足したのか、クラスメイトたちが屋上からいなくなって。しかしボロボロになった若葉は動けない。全身が痛くて、どこを怪我しているのかもよく分からなかった。今まで経験したことがない痛みに、もしかして骨が折れているのかもしれないなんて、まるで他人事のように虚ろな思考が回っている。
しばらくそのまま休んでいると、やっと思考が現実に追いついてきた。自分は嫌われている。それは確かに辛い事実。全身の痛み。それも辛い。だが、何よりも若葉を苦しめていたのは、クラスメイトたちから投げつけられた言葉の中の一部だった。
和が迷惑している。
和も邪魔だって思ってる。
和が、和も、和は……。
もしかしたら、他のクラスメイトと同じように、和も自分のことが嫌いなのかもしれない。確かに思い返すまでもなく、自分はずっと和に頼っていた。何か和のことを助けた記憶は一切ない。和はいつも笑っていたけれど、その裏で何を考えていたのかなんて空気の読めない自分に分かる訳がないんだから。
よろよろと、立ち上がる。
全身が悲鳴を上げていたが、その痛みもあまり気にならなかった。ポタリと赤い滴が垂れ落ちて、そこで初めて切れた口から血が垂れていたのだと自覚した。歩く。やけに歩き辛いと思ったら、左足の色がおかしい。きっと折れているんだろう。足を引きずって移動して、屋上から屋内へと続く扉を開ける。
目の前に続く階段を降りようと足を踏み出して
「あ……」
一段下につけた左足が激痛を発し、膝から崩れ落ちる。
階段を転がり落ちていく。
痛みは、なかった。
「若葉ちゃんッ!!」
薄く開けた視界に、大好きな彼女の姿が映った。ぼやけて見辛いが、自分を抱き起こした彼女は必死で呼びかけてきているように見える。
「のどか、ちゃん……なに……? きこえない、よ……」
和が何かを叫んでいる。しかし、若葉にそれは聞こえない。自分を抱き起こす手の感触も分からない。視界もどんどん暗くなっていく。
ポタリと、顔に降ってきた滴。
「のどかちゃん、ない、てるの……?」
和が何を言っているのか、どんな表情をしているのか、もう若葉には分からない。しかし、顔に彼女の涙が落ちてきている。だから、彼女が泣いているということだけは分かって。
だから、彼女が自分の死を悲しんでくれていることだけは分かって。
それが、若葉には嬉しかった。
眠りから目を覚ます。視界に映るのはいつも通りのボロアパートの天井だ。
「ん……? 泣いてる?」
体を起こした和は、何故か流れ落ちてきた涙を拭った。
「何でだろ。昨日は楽しかった記憶しかないけど……」
祭りを楽しんで、花火を楽しんで、心地よい疲労感に包まれたまま帰宅して。サッと風呂に入って歯を磨いて眠ったはずだ。悲しいことなんて何もなかった。
「夢でも見たのかな。覚えてないけど」
覚えてないものは仕方がない。考えて分かるものでもないだろうと、涙のことは忘れてスマホに手を伸ばす。さっさとデイリークエストを片付けなくてはと、慣れた手つきでスマホゲームを起動した。




