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「被害者は中曽根哲史。年齢は51歳で、職業は古物商。死因は言われるまでもなく――斬殺であると」
保科刑事が遺体の状況を説明するので、僕は例のダイイングメッセージについて補足した。
「それで、遺体の横にはこんなものが残っていた。漢字で『虎』、『三』、『備』、『兼』と書かれているが、どういう意図で書き残したかは不明だ」
「なるほど。――それはダイイングメッセージで間違いない。僕の見解だと、中曽根さんは刀剣について調べていて、それで――メモを書き残したんだと思う」
確かに、この漢字の並びは――「虎徹」、「三条」、「備前」、「兼定」だな。いずれも有名な刀派であり、某擬人化ゲームでも高レアリティのキャラとして実装されている。
しかし、令和の日本でこういう刀剣絡みの事件が立て続けに起こる事自体が異常だ。――中曽根哲史は、犯人の弱みを握っていたから殺害されたのか?
ふと、後ろを見る。――仕事柄なのか、監視カメラが設置されている。もしかしたら、ここに何かの証拠があるかもしれない。そう思った僕は、監視カメラからSDカードを取り出して、保科刑事が持っていたレッツノートのスロットに挿入した。
保科刑事は、フォルダの日付に着目した。
「映像は――昨日からずっと残っているようだな。何か証拠でも残っていたら良いのだが……」
中曽根哲史の死亡推定時刻を昨日の午後11時~午前0時であると予測して、保科刑事はその時間帯の動画ファイルを開いた。
動画には、中曽根哲史の後ろ姿と思しき姿が映っている。――まだ生きているのか。
あまりにも動きがないので、倍速再生を2倍速、そして4倍速へと切り替える。
映像を倍速再生しているうちに――僕はあることに気づいた。
「ちょっと待ってくれ。――午後11時45分前後に、窓から人影が見える」
保科刑事は、訝しげな顔をした。
「人影? 僕には何も見えないですけど……」
「いや、窓の方へとズームインしてくれ」
「窓ですか。――分かった」
この人影が――一連の事件の犯人だろうか。そう思った僕は、スロー再生ボタンを押した。
人影が一旦消えた後、約1分が経過したところで――監視カメラに誰かの人影が映った。窓に映っていた人影と同一人物だろうか。手には、細長い棒のようなモノが握られている。
やがて、細長い棒が伸びて――先細ったモノが見えた。刀剣か!
刀剣と思しきモノを見た中曽根哲史は必死で抵抗するが、後ろに追いやられて――背中を向けた。
中曽根哲史が背中を向けた瞬間に、人影は――刀を構えて、そして背中を切りつけた。見事な十文字傷である。
口を覆いつつ、保科刑事は話す。
「ああ、これは酷い。――人影は割と大柄でしたけど、男性の犯行なんでしょうか?」
――僕に分かるか、そんなモノ。今のフェーズだと、否定せざるを得ない。
「どうだろうか? それは僕にも分からない」
「そうでしょうね。まあ、今僕たち京都府警にできることといえば――これ以上刀剣による殺害を防ぐことだと思う。一応、洛中は厳戒態勢を取ってもらうつもりでいる」
「そうか。――今は殺害現場も洛中で済んでいるけど、万が一洛外に出てしまったら、その時点で手遅れだ。そのためにも、保科刑事――いや、捜査一課の協力が必要だ」
僕がそう言うと、保科刑事は――そっと頷いた。
「分かっていますよ。そのための捜査一課ですから。それはそうと、冬月さんたちはこれからどうするんだ?」
その質問は――難しいな。僕は仕方なく答えた。
「とりあえず、捜査一課にお任せしたいと思う。どうせ僕たちは一般人だし、これ以上事件に深入りしても碌なことがない」
僕がそう言うと、藤崎沙織と城戸口杏奈も同調した。
「そうよね。冬ちゃんの言う通り――ここは警察に任せた方が良いと思うわ」
「アタシもそう思う。――帰るわよ?」
そういう訳で、僕たちは――事件現場を後にした。
*
城戸口杏奈のアトリエへと戻ったところで、僕は保科刑事からもらっていた捜査メモを見た。捜査メモには――髙島屋で発生した事件、そして中曽根哲史が殺害された事件に関する情報が書かれていた。
どうやら、髙島屋で発生した事件の被害者は和泉謙二という男性らしい。年齢は45歳で、職業はシステムエンジニアとのことだった。――和泉か。中曽根といい、和泉といい、何か引っかかるな。なんだろうか、この違和感。
違和感の事は頭の片隅に置いておくとして、僕は例のダイイングメッセージを改めて解読することにした。
仮にこの殴り書きが刀派を示す記号だとして、殺害されたのが和泉謙二と中曽根哲史。そうなると、最低でもあと2人は殺害されることになるのか。それだけは避けたい。
和泉謙二=和泉守兼定、中曽根哲史=長曽祢虎徹。確かに似ているが、違和感の正体はこれじゃないと思う。その証拠に、備前と三条の名を冠した刀剣はそうそうある訳じゃない。あるとすれば、「備前長船」と「三条宗近」ぐらいか。人名ですらない。となると、矢張り――消された文字を並べるべきか。
虎「徹」、三「条」、備「前」、そして兼「定」――並べ替えると人名に近いのは「前条定徹」だろうか。これなら人物に見えなくもない。
しかし、本当にそんな人物がいるのか? 僕はそれが分からなかった。
念のために、スマホで「前条定徹」という名前を検索したが――矢張り、検索結果は0件だった。当然だろうか。
「前条定徹」という名前に反応したのか、城戸口杏奈が僕に声をかけてきた。
「――それ、次の漫画のアイデアに使えそうじゃないの」
「アイデア? ――ああ、確かに人名っぽいな。ただ、これは僕が考えたアイデアだから、使用料は頂こうと思う」
「そうなの? ケチ」
「――冗談だ」
「アハハ、そうよね」
僕はそういうジョークを言うのが苦手なので、たとえジョークを言ったとしても、すぐに相手に見透かされてしまう。それは学生時代から変わらないし、改善するつもりはない。――口下手で悪かったな。
その後も藤崎沙織や城戸口杏奈と話をしていたが、矢張り事件の手がかりを掴むまでには至らなかった。
万策尽きたところで、スマホの時計を見ると――午後1時過ぎだった。後のことは京都府警に任せてあるし、僕と藤崎沙織はさっさと帰るべきだろうか。
そう思った僕は、持ってきた荷物をまとめていた。荷物をまとめていると、城戸口杏奈が声をかけてきた。
「あら、帰るの?」
「ああ、事件については京都府警に任せているし、僕と沙織の出る幕はないだろうと思って」
「なるほど。――仕方ないわね。四条河原町までなら送ってあげるわよ?」
「助かる。――送ってくれ」
そう言って、僕と藤崎沙織は有料駐車場の方まで向かった。――当たり前の話だけど、京都における駐車場の大半は有料駐車場であり、それは自家用車を持っていても変わらない。
*
オレンジ色の日産リーフに乗り込む。カーナビからは、FM802が流れている。――交通情報によると、芦屋と摩耶の間で混雑しているらしいが、どうせ電車で帰るので関係ない。
やがて、車は四条通へと戻ってきた。――ここまでくれば、駅まではすぐだ。
ハンドルを握りつつ、城戸口杏奈は僕に質問する。
「――それで、今後の方針はどうなのよ?」
「方針か。難しいな。――一応、僕としてはこの『日本刀斬殺事件』を推理していきたいと思う。ただ、連続殺人事件になってしまった以上、深入りしても碌なことはないと思う」
「なるほどねぇ。――また、何かあったら報告するわ。絢ちゃんも、小説家としてがんばってよね?」
城戸口杏奈にそうやって言われると、照れるな。でも、漫画家としての彼女が僕を応援していると考えると――矢張り、頷くべきか。
そう思った僕は、彼女の意見を――肯定した。
「――分かっている」
そして、僕と藤崎沙織は京都河原町駅から特急へと乗り込み、それぞれの家へと帰った。
*
芦屋川駅に着いたのは、午後3時ぐらいだっただろうか。――流石に、疲れたな。一応、藤崎沙織とは西宮北口駅で別れて、それから普通電車に乗り換えた。
アパートに戻ったところで、僕は――またしても隣人――降矢瞳の額にドアをぶつけた。
「イテッ! ――なんだ、冬月さんじゃないですか。取材旅行にでも行っていたんですか?」
彼女がそう言ったので、僕は――正直に答えた。
「そうだ。取材旅行に行ったのは良いけど――事件に巻き込まれてしまった」
「事件? それ、私も気になります」
「――仕方ないな、中に入ってくれ」
言われてみれば、降矢瞳という隣人を僕の部屋へと案内するのは初めてだったな。
そもそもの話、降矢瞳という女性は――神戸の港南大学に通う大学生である。確か、まだ1回生だったと思う。彼女は「清楚」という言葉がよく似合う女性であり、生真面目な性格をしている。
降矢瞳を僕の部屋へと案内したところで、彼女は――目を丸くした。矢張り、「小説家の部屋」というのが珍しいのか。
「すごいですね。資料でいっぱいじゃないですか」
「この資料が実際に役に立っているかどうかといえば――微妙だけどな」
「いや、私が借りたいぐらいですよ」
僕は仕事柄――物騒な資料を所持していることが多い。その資料は犯罪学から科学、民俗学の資料まで多岐に渡る。珍しいモノとなると――「オカルト学」の資料まである。まあ、僕の家系自体がオカルトの家系なので、そういう資料に関しては――正直言って、眉唾モノなのだけれど。
冷蔵庫から麦茶のポットを取り出して、コップの中へと入れる。それをテーブルの上に置いたところで、降矢瞳は僕に話を振ってきた。
「――なるほど、京都でこういう事件があったんですね。被害者は和泉謙二という男性と中曽根哲史という男性で、死因は両方日本刀による斬殺と見られている……なんだか、物騒ですね」
「ああ、物騒だ。――和泉謙二の事件に関しては、殺害された瞬間を目撃しているからな。もっとも、犯人は取り逃がしたんだけど」
僕がそう言うと、彼女は――かけていた眼鏡を外しつつ話した。
「そうなんですね。――冬月さん、少しいいですか?」
「どうしたんだ?」
「その……私、被害者の名前に聞き覚えがあるんですよね」
聞き覚えがある。――詳細を、彼女に聞くしかないな。
「――それは本当なのか!」
「本当です。和泉謙二さんの方はさておき、中曽根哲史さんの方は――大学で講義に来ていたんですよ」
「講義? ――専攻はなんだ」
僕がそう言うと、彼女は目を見開きつつ答えた。
「えっと、私の専攻は――民俗学です。そうだ、パソコンで『中曽根哲史』って検索してみてください。多分、論文が出てくるはずです」
彼女にそう言われたので、僕は言われたとおりにダイナブックのブラウザで「中曽根哲史」を検索した。――確かに、検索サイトで刀剣に関する論文が複数見つかった。
そして、論文の中に――『京都の刀剣とその歴史について』という論文が見つかった。論文の内容は京都における刀剣の所持者に関する歴史だったが、どうやら――彼が調べていたモノが事件の起点だったらしい。
降矢瞳は話す。
「それでね、その論文――港南大学との共同研究になっているはずなんですよね。その証拠に、私、中曽根さんの論文をデータベースで閲覧しましたから」
「なるほど。――胡散臭い名前だと思って申し訳なかった」
つまり、中曽根哲史は京都で古物商を営みつつ、全国各地の刀剣を研究していたのか。そして――何らかの理由で、刀剣が盗み出されて惨劇が起こった。恐らく、こんなところだろう。
彼女の証言を照合した上で、僕は――とりあえず、藤崎沙織と城戸口杏奈にメールを送信することにした。
――今、「中曽根哲史の講義を大学で聞いた」という人物と話をしているんだけど、彼は全国各地の刀剣を蒐集していたらしい。
――恐らく、一連の事件で使用された凶器は彼が所持していた刀剣で間違いない。
――多分だけど、何者かが刀剣を盗み出して、犯行に手を染めた可能性が高い。
――ただ、その人物に対してそれ以上の証言は望めないと思う。それだけは覚悟してくれ。
*
メールを送信して数分後、城戸口杏奈からスマホ宛にメッセージが送られてきた。
――メールは見させてもらったわよ?
――確かに、中曽根哲史が所持していた刀剣を何者かが盗んで、殺害したという可能性は考えられるわね。
――そうだ、こんな記事を見つけたけど、何かの手がかりにはなりそうだわね。
僕は、城戸口杏奈が送信してきたニュース記事を読んだ。
【右京区で刀剣が盗まれる 令和6年7月15日 京都日報】
昨日、京都市右京区の男性の民家から刀剣1振りが盗難されるという事件が発生した。
刀剣の持ち主は古物商を営む中曽根哲史(51)であり、蔵から盗まれた刀剣は無銘の刀剣と見られている。
最近、京都市内では刀剣の盗難が相次いでおり、京都府警捜査二課では「盗難物が何らかの形で悪用される事態にも繋がりかねない。ましてや、盗難された刀剣で刃傷沙汰が起こる可能性も考えられる」としている。
なるほど。そして、実際に――刃傷沙汰――殺人事件は起きてしまった。それも2件。
これ以上の事件は阻止したいが、今の僕にできることはなんだろうか?
そんなことを考えていると、降矢瞳が――あることに気付いた。
「冬月さん、これ――無銘じゃないっぽいですよ?」
「えっ?」
「えっと、私――こう見えて、刀剣ガチ勢なんですよ。あの、擬人化されていない方。それで、刃紋を見ると――これって『三条』だと思うんですよね」
「三条? 三日月宗近とかで知られている三条か」
「そうそう。それ。――冬月さん、私にも事件を推理させてもらえないでしょうか?」
そうは言うが、降矢瞳は――ただの学生だ。僕の事件を持ち込む訳にはいかない。
そう思った僕は、彼女を――突き放した。
「すまない。この事件は――降矢さんのような学生が関わる事件じゃない。ましてや、死者が2人も出ているんだ。――残念だけど、帰ってくれ」
当たり前の話だけど、彼女は引き下がらない。
「えーっ、そんなぁ……」
仕方がないので、僕は冷蔵庫からガリガリ君(ソーダ味)を彼女にあげて、そのまま帰るように伝えた。――彼女は、それで納得してくれた。
隣人に帰ってもらったところで、僕は――降矢瞳の証言を整理した。仮に、凶器が三条派の刀剣だとしたら――色んな意味で歴史的スクープである。ただ、悪い意味であることに変わりはないのだけれど。
とりあえず、凶器の件を藤崎沙織と城戸口杏奈のグループチャットで伝えたところで――睡魔が襲ってきた。
*
居眠りから覚醒すると、時刻は午後5時を回ろうとしていた。流石にこの時期は喉が渇くので、麦茶がいくらあっても足りない。
麦茶を飲んでいると、グループチャットには――新着メッセージが10件以上来ていた。恐らく、沙織と杏奈の間でやり取りしていたのだろう。そして、メッセージの中に――気になるモノを見つけた。
メッセージの送り主は、杏奈だった。
――絢ちゃんの隣人さんの証言、読ませてもらったわよ?
――確かに、あの刃紋は三条派のモノで間違いないわね。もっとも、贋作の可能性も考えられるんだけど。
――それで、アタシも事件について調べてたら、あることに気付いたのよね。
――絢ちゃんや沙織ちゃんがどう信じるかはさておき、これって事件を解決する上でかなり重要だと思うのよ。
――中曽根哲史が殺害された瞬間の映像を見てたんだけどさ、彼の推定死亡時刻は午後11時47分で間違いないと思う。
――監視カメラの撮影時刻は1時間単位で区切られてたんだけどさ、日付変更線を過ぎると、既に死んでたのよね。だから、死亡時刻は絢ちゃんが人影を見つけた時間プラス2分ぐらいが正しいわ。
メッセージはそこで終わっていた。そして、沙織は彼女のメッセージに対して以下のように返信をしていた。
――杏奈ちゃん、でかしたわね。
――あれから私も事件について調べてたけど、そこまで追求できなかったわ。
――多分、杏奈ちゃんが言ってることが正しいと思う。
――そうそう、私、しばらく返信できないから。
――それじゃ。
これは、城戸口杏奈の推理を信じるべきだろう。僕がそう思うぐらいなので、多分――合っている。
しかし、事件の犯人を直接見つけ出した訳ではないので、矢張り――推理は難航している。もっとも、こういうのって警察の仕事であって、僕たちのような一般人がやることではない。一般人にできることといえば、ただ――事件解決の進展を見守ることしか出来ないのだ。
ふと、ダイナブックの画面を見る。――特に変わったことはないが、強いて言えばデスクトップのアイコンが混沌としていて、整頓したいことぐらいか。ちなみに、壁紙は言うまでもなく推しのアーティストである。――なんだ、このファイル。
どうやら、僕は無意識のうちにテキストファイルを作成していたらしい。作成日時は「2019年8月25日」となっていた。――一番病んでいたときか。小説は全然売れないし、精神的には不安定だし、何よりも、「死にたい」と願っていた頃だった。いや、見るべき場所はそこじゃなくて――その隣のファイルである。確か、国会図書館に収蔵されていた刀剣に関するデータベースであり、どういう訳か僕はそれをメモして保存していたらしい。多分、当時の刀剣ブームに関して日和っていたのだろう。
当然の話だが、明確な資料が残っているのは近代に近い刀剣――いわゆる幕末期の刀剣である。特に、和泉守兼定なんかは割と新しい。
和泉守兼定は――言わずもがな、新選組副長である土方歳三の愛刀であり、五稜郭にも連れて行ったという謂れがある。彼がなぜこの刀を函館へ連れて行ったかは諸説あるが、新選組を預かっていた松平容保曰く「戊辰戦争の最中でも戦えるように」とのことである。現在では土方歳三の子孫の元で保管されており、確か――東京の日野で見られるとのことだった。流石に遠い。
新選組の刀と言えば、有名なのは沖田総司の菊一文字宗則辺りだろうか。――もっとも、これは脚色が多すぎて史実がよく分かっていないのだけれど。剣士だけあって、菊一文字の他にも加州清光や大和守安定を帯刀していたなんて話もあるらしいけど、実際のところは――不明だ。
そして、贋作として伝えられている長曽祢虎徹は新選組隊長・近藤勇の愛刀である。一応「虎徹」という名前だが、近年の研究によって贋作扱いされることが多い。――なるほど、そういうことか。
和泉謙二と中曽根哲史を殺害した犯人は、言うまでもなく新選組に対して恨みを持つ人間――つまり、新選組とは真逆にある人間で間違いない。となると、矢張り――これだ。
そう思った僕は、データベースの中である刀剣に着目した。名前は「陸奥守吉行」である。
陸奥守吉行は、坂本龍馬の愛刀として伝えられている。とはいえ、拳銃を使うことが多かった龍馬からしてみれば、刀なんてどうでも良かったのだけれど。当たり前の話だが、龍馬が近江屋で暗殺された後――坂本家の関係者の手元に回収されている。そして、今では京都府国立博物館に収蔵されているらしい。坂本龍馬自体が「刀を使わない」ということで、陸奥守吉行の謂れに関しては懐疑的な考えがあったのだが、近年の研究によって――矢張り、近江屋で暗殺された時に帯刀していた刀は陸奥守吉行で合っていた。――もっとも、使えなかったら意味がない。
――陸奥守吉行か。とても人の名前には見えない。そう思っていた時だった。スマホが短く鳴った。
画面には「新着メッセージ」と表示されていたので、恐らく――城戸口杏奈だろうか。
僕はスマホのロックを解除して、メッセージアプリを起動した。矢張り、城戸口杏奈のところに新着アイコンが1件表示されていた。
――あれから色々調べてたんだけどさ、この事件の犯人の狙いって、新選組が帯刀していた刀と似た名前の人物だと思うのよね。
――そうなると、事件の犯人って……アタシは岡田以蔵だと思うのよね。ああ、見立てよ? 見立て。
――だって、岡田以蔵の愛刀自体よく分かっていないじゃないの。
岡田以蔵か。――盲点だった。確かに、坂本龍馬ばかり気を取られていたが、混沌の幕末において龍馬以上に京の都で恐れられていたのは、「人斬り以蔵」こと岡田以蔵の方である。
岡田以蔵の愛刀といえば――肥前広忠か。知名度こそ低いが、その刀は数多の人間の血を吸ってきたという。そして、一連の事件における刀傷は――十文字に斬られている。――十文字か。
僕は、改めて「中曽根哲史だったモノ」の画像を拡大する。――確かに、この太刀筋は一般人のモノではない。となると、矢張り――この事件は、刀剣の扱いに慣れている人間による犯行なのか。そう思っている時だった。――またしても、スマホが鳴った。
どうせ城戸口杏奈だろうと思って通知メニューを表示させたら――ニュース速報だった。
【速報 京都市内で発生中の連続殺人事件 新たな被害者か】
その見出しで、僕の心臓の鼓動は早鐘を打っていた。――厭な予感がする。
恐る恐る見出しをタップすると、矢張り――被害者の名前は「加藤青洸」とのことだった。これは、言うまでもなく「加州清光」の見立てだろう。
そうなると、残る見立ては――大和守安定と菊一文字宗則か。一体、犯人は何のためにこんなことをしているのだろうか? 僕に分かることといえば――矢張り、犯人は自分を「岡田以蔵」だと思いこんでいて、何らかの理由があって人を殺している。そんなところか。――こんなこと、許されるはずがない。これ以上の犯行は阻止したいが、僕にそんな力はない。そう思うと、情けなくなる。
*
どうやら、藤崎沙織も新たな事件の速報を見たらしい。その証拠に、メッセージが入っている。
――見たわよ、新たな殺人。
――被害者の名前が「加藤青洸」って、笑わせるよね。犯人って相当なお馬鹿さんなのかしら?
――そうだ。冬ちゃん、なんとかして杏奈ちゃんを手助け出来ないかな? 保科刑事から「芦屋のミス・マープル」って言われている以上、ここは安楽椅子探偵として手助けしてあげるべきよ?
確かに、ミス・マープルは「世界一有名な安楽椅子探偵」と言っても過言ではない。ミス・マープルはロンドン中の噂を蒐集して事件を解決に導くが、僕がやっていることといえば――小説家として資料を蒐集して、そこから事件に対する解決策を導き出して、そして友人の手助けをしている。あの連続毒殺事件だって、本来なら――藤崎沙織が解決すべきところを、僕がすべて喋ってしまった。それは事件が僕の住んでいる近所――六麓荘で発生したからであって、事件に関与しても問題はなかった、
しかし、今回の事件の舞台は――京都である。いくらなんでも、そんな頻繁に出向ける訳ではない。そうなると、探偵役は僕ではなく京都在住の城戸口杏奈が務めることになる。そうなると、矢張り――彼女の手助けをすべきだろうか。
そう思った僕は、ダイナブックで――城戸口杏奈のパソコンを呼び出すことにした。
*
ビデオチャットはすぐに接続できた。画面越しでは、フェイスパックをした彼女の顔が映っている。――正直、『犬神家の一族』の犬神佐清を彷彿とさせて、怖い。
「あら、スマホじゃなくてパソコンなのね?」
スケキヨマスクの彼女に対して、僕は言葉を返した。
「ああ、杏奈に頼みがあって」
「頼み? 何なのよ?」
「――探偵役をやってくれ」
僕の頼みに対して、矢張り――彼女は反論した。
「そうは言うけど、探偵役は絢ちゃんじゃないの」
彼女の反論に対して、僕は――正論を述べた。
「いや、そんな頻繁に京都には行けない」
「まあ、そうだよね。――仕方ないわね、アタシが探偵をやればいいんでしょ? そして、絢ちゃんはアタシを手助けする役ってこと? いいわね、その手に乗ろうかな」
「いいのか。――助かるな」
交渉の結果、僕は安楽椅子探偵としてのポジションに回ることになり、城戸口杏奈は探偵――ここではシャーロック・ホームズとか、エルキュール・ポワロとかだろうか――という立場に回ることになった。
探偵が2人いれば、その分事件も早く解決できることになる。僕がそういうことを彼女に説明したところ、彼女は乗り気になってくれた。――むしろ、乗り気になってくれて助かったと思っている。
「じゃあ、早速――」
城戸口杏奈にこれまでの経緯を説明しつつ、僕は自分の考えを述べて、そして――話は岡田以蔵の方へと向かった。
「――なるほどねぇ。史実はさておいて、犯人が自分のことを岡田以蔵だと思っていて、それで新選組の隊員が帯刀していた刀と似た名前の人間を殺害していく。それってサイコパスのやることよね。アタシが犯人でも、そんなことはしないわよ?」
「そうだな。それで、保科刑事はなんて言っているんだ?」
僕がそう言うと、彼女は――申し訳なさそうに口を開いた。
「ゴメン、あれから保科刑事とは連絡が取れていないのよね」
「――普通に考えたらそうだな。でも、新たな事件が発生したことによって、もしかしたら杏奈の方にも連絡がいく可能性がある」
「なるほど、それは盲点だったわね。――とにかく、保科刑事から何か話があれば、すぐに連絡するから」
「分かった。――頼む」
そう言って、僕はビデオチャットの退席ボタンをクリックした。
そうやって考えると、現代社会においてはビデオチャットやメッセージアプリで安楽椅子探偵もどきのことがやれるから――なんとなく、気が楽だ。それは出版会社とのやり取りでも同じである。
僕が城戸口杏奈を探偵として仕立て上げて、彼女は僕を支える立場に当たる。――たまには、そういうモノも悪くはないだろう。そのために僕ができることと言えば――矢張り、犯人に取り憑いた「岡田以蔵」という名の悪魔を祓うことだろうか。
そう思った僕は、引き出しから悪魔祓いで使うためのロザリオを出した。――こんなモノ、どうせインチキでしかないのだけれど。というか、岡田以蔵が悪魔として現代で悪さをしているって、考えただけで滑稽だ。僕がこういう小説のプロットを書こうものなら、問答無用でボツにする。
果たして、この先どうなってしまうのだろうか? 城戸口杏奈という漫画家は、僕の言う通りに探偵として活躍してくれるのだろうか?
そんなこと、考えても仕方がないけど、矢張り、友人のこととなると――考えざるを得ないのが現状かもしれない。