猟犬とフクロウ
文洋が機体の整備を手伝おうと格納庫を訪れると、整備兵達が片隅に集まっているのが目に入った。
車輪付きの台座に乗せられて、格納庫の片隅に置かれた『スレイプニル』の周りに集まった整備兵達が、空飛ぶ魔法金属の塊のような機体を分解しては組み立てなおしている。
「おやっさん、こいつは結局どうなるんです?」
「どうなるって、直したところでこんなもん、飛ばせる奴がいねえ、普通に考えりゃバラして報告書上げたらスクラップだ」
取り外したミスリルの外板と骨組みの一部を牽引して修正しながら、フリント整備中尉がニヤリと笑って言葉を継いだ。
「でも、おめえの娘は飛ばせんだろ?」
文洋は真剣な顔をして頷く。レオナにとって、この小さな飛行機は、思い出でそのもので、ほんの少しだけ残された、彼女の世界の一部なのだから。
「だからな、報告書上げてスクラップにしたことにしちまえばいいさ、外板は木製で推進器は燃料切れで詳細不明とでも書いときゃ問題ねえ」
「すまない、おやっさん、恩に着るよ」
「やめろよ、坊主、それにな、こいつはおめえの為ってわけじゃねえ」
ハンマーで、整備員たちを指して、中尉が肩をすくめてみせる。
「おめえがコウモリ共に絞られてる間に、どこから入ったのか可愛らしい嬢ちゃんが、格納庫の隅っこで飛行機を撫でながら泣いてんのを見つけちまった」
「そうですか……」
「そしたら、おめえ、バカ共が舞い上がっちまってよ、絶対なおしてやっから、泣くんじゃねえって、よってたかって、皆でお嬢ちゃんをなぐさめてやがる」
「……」
「本当? って聞かれたもんだからよ、俺もつい、胸ぇ叩いて言っちまった、任せとけってな」
「良かったんですか?」
「言っちまったもんはしょうがねえ。それに、こちとら整備屋だ、機械ならなんだって直してやるさ」
歪んだフロートの付け根を、アセチレンバーナーで切断していたバーニー伍長が、振り向いて笑った。
「そうっすよ、皆で金出してミスリルの外板も揃えたし、あの娘の瞳と同じ、紫色のペンキだって用意してるんっすから!」
「てめえは、偵察隊の機体組み立てをやってから、デカイ口叩きやがれ」
「酷いなあ、ちゃんとやってますよ、おやっさん」
今度の休暇に、修理しているところを見せてやろう……。文洋はそう思いながら、紫と銀色の外板が、つぎはぎになっている『スレイプニール』を見上げた。
「ロバルト中佐がお呼びだよ!」
機体を見上げる文洋の耳を、そよ風がくすぐり、唐突に耳元でラディアの声がして文洋は飛び上がった。文洋をからかうように、シルフがクルクルと舞いながら、格納庫の入り口で笑うラディアの方へ戻ってゆく。
「准尉、脅かすのはやめてくれ、毎回寿命が縮む」
「そりゃ大変さね、ただでさえ人間の寿命は、あたいらの四分の一くらいしかないのに」
「それで、ロバルト中佐が呼んでるって?」
「なんだかロクでも無いことを思いついたみたいだよ」
§
「お呼びでしょうか?」
司令官室の重いドアを開くと、文洋はテーブルに広げた地図を眺めるロバルト中佐に敬礼する。
「かけたまえ、傷はもういいのか? ユウキ少尉」
「おかげさまで」
「もう少し早く私が戻っていれば、情報部には好き勝手させなかったのだが」
差し出されたウィスキーのグラスを受け取り、文洋は椅子に腰掛けて中佐と向かい合う。
「妻と娘に車まで出していただいたそうで、ありがとうございます」
「整備中隊とダークエルフ達に礼を言っておきたまえ、大した愛されようだ」
「そうですね、そうします」
「それに、セプテントリオンの先代は知らない仲ではないからな」
「……」
中佐がフクロウの紋章が刻まれたシガレットケースからシガリロを出し指を鳴らす。指先に灯った小さな鬼火で日をつけると、紫煙を吐き出して文洋を見据えた。
「君が以前の戦闘中に氷をぶつけられた時、赤水晶の話をしただろう。その時から、もしやとは思っていたが」
「赤水晶の話ですか」
「そうだ、遊び程度ならともかく、そこまでの規模で魔晶石を自由に使える技は、アリシアの近衛騎士くらいにしか、もう残っていない」
アリシアの戦争への介入を、その時点で疑っていたということか……と文洋は思う。ならば、敵対したアリシアの騎士を、中佐が助けて良いのだろうか?
「そこまでご存知なら、何故です?」
「何故? 戦災孤児を助けるのに理由がいるかね?」
「……」
「子供を戦地に送り込む外道も、それを政治利用する外道も、少なくとも騎士のすることではない。そうだろう?」
グラスを掲げると、ぐいと一口で飲んで、中佐が人懐こい笑顔をみせる。
「奥さん共々、なかなかのお転婆さんのようだが、大事にしたまえ」
「……そのつもりです」
さて本題だ……と、中佐が咥えタバコで一枚の図面をデスクの上に開いた。
「これは?」
飛行船とは違い、翼の生えた船に見える図面を、文洋は手にとって眺める。精緻な細工の施された、前時代的な木製船に近いイメージだ。
「テルミア王家に代々伝わる精霊船『シームルグ』、世界で唯一の科学の力を借りずに空を飛ぶことが出来る船だ」
「名前は聞いたことがありますが、代々、王女殿下のお召し艦ですよね?」
「シルフの女王から初代の女王に贈られたという伝説の船だ。テルミアの歴史的遺産だといっていいだろう」
美しい船だと思いながら、文洋はテーブルに広げられた地図に目をやった。レブログの東方にいくつかの印がつけられている。
「一週間後、王女殿下が、『シームルグ』でレブログを訪問後、東方の都市を視察される」
「同盟が黙っているとは思えないですが」
「君ならどうする?」
「すくなくとも、あの飛行空母で拿捕をねらいますね、王女殿下を人質にすれば、炭鉱の一つや二つ、譲らざるを得ないでしょう」
「私も同じ意見だ」
文洋は顔をあげて中佐を見つめる。
「ゆえに、これを逆手に取って、我々は全力をもって『ヒュードラ』を拿捕する」
「……」
「お召艦を囮ですか?」
「いや、少し違うな」
そこで言葉を切って、中佐はニヤリとわらった。
「シームルグの乗員をもって、ヒュードラに移乗攻撃をかける」
「……え?」
「相手がこちらの拿捕を狙うのであれば、我々はそれを逆手に取って、接舷攻撃を敢行、相手を拿捕する」
「……」
「フェアリード准尉の偵察隊が志願している。偵察飛行船部隊から、操縦手と機関士が、整備中隊から数名のメカニックが参加する。」
右手に持ったグラスから文洋はウィスキーをあおってため息をついた。熱いものが胃に落ちてゆく。
「ユウキ少尉」
「なんでしょう、中佐?」
「君は、ダークエルフ達をどう思うかね?」
試すような視線を正面から受け止め、文洋は中佐に言葉を返した。
「義理堅く、真面目で、信頼に足る連中だと……少々クセはありますが」
「整備部隊ともずいぶん仲が良いようだな?」
「彼らが居ないと、飛べませんから」
ふむん、口ひげを撫で付た中佐は、しばらく考えるように目を閉じると、クリスタルの灰皿にシガリロを放り込み、文洋をまっすぐに見つめた。
「ユウキ少尉、本日より王立近衛旅団所属、シームルグへの乗組を命じる」
「はっ」
反射的に敬礼してから、文洋は聞き直した。
「中佐殿?」
「聞こえなかったか? 斬り込み部隊の指揮を取れ、作戦は追って伝える。委細は追って伝えるが、極秘任務である。他言は無用だ」
「了解しました」
カツン、とかかとを鳴らして敬礼すると、文洋はじっと中佐の顔を見つめる。
「まだ何かあるかね、少尉」
「もう一杯いただけますか、中佐」
「もちろんだとも、やりたまえ」
自分と文洋のグラスに、琥珀色の液体を注ぐと、中佐がグラスを掲げる。
「幸運を、少尉」
「王女殿下とテルミア王国に」
喉を焼き、胃に落ちてゆく甘い香りの毒薬に、文洋は不思議な高揚感を覚えていた。開け放たれた窓から吹き込む風は、少しばかり秋の香りがした。




