猟犬と餓狼
レブログから軍用列車に揺られること十時間、夏の長い日が暮れ始めるころ、文洋は王都テルミアに到着した。墜落した飛行船の残骸はすでに綺麗に片付けられており、石畳に焦げ跡の残る広場には小さな記念碑が立てられている。
近衛旅団司令部への出頭は明朝の十時という事だったので、長らく留守にしたままのアパートメントの様子を見にゆこうと駅前でタクシーを止めた。
「ユウキ少尉! 少尉ってば!」
乗り込もうとしたところで、後ろからラディアの声がして、文洋は振り返る。
「どこに行くのさ? 宿なら近衛の宿舎を貸してくれるそうだよ?」
「ああ、ちょっと家にな、長いこと留守にしたままだから」
そう言ってタクシーに乗り込む文洋に続いて、ラディアが反対側のドアを開けて乗り込んできた。
「フェアリード准尉?」
「ラディア!」
そう言うとプイと頬をふくらませたラディアに、文洋は苦笑いして運転手にアパートメントの住所を告げた。どうあってもついてくる気なら、止めるだけ無駄だろう。
「タクシーなんて初めて乗るよ、自治区には無いからねえ」
「そうか」
車窓に流れる繁華街の風景を、ラディアが子供のようにはしゃいで眺めるのを、文洋は何の気無しに見つめていた。褐色の肌に琥珀色の瞳、開けられた窓から入ってくる風が、薄い紫の髪を揺らしている。
「少尉……」
「ラディア、最初に言っとくが泊めないからな?」
「か弱い女の子に一人で夜道を帰れとか、ユウキはひどい奴だねえ」
「家の様子見て、着替えを取ったら、近衛の宿舎へ行くからな?」
「えー、折角のお泊りなのに……」
文洋の腕をグイと掻き抱くと、イタズラっぽい笑顔を浮かべて、しなだれかかるラディアの顔に、文洋は手を伸ばした。頬にかかったラディアの髪をそっとかき上げる……。
「ユウキ……?」
琥珀色の瞳が面白がるように文洋の顔を覗き込む
「ラディア」
名を呼んで、ほつれた髪を尖った耳の後ろにかけてやり、そして、そのまま……文洋はラディアの額にデコピンを一発お見舞いした。
「痛っ!」
「からかうのもいい加減にしろ」
居住区入り口でタクシーを降りると、文洋は居住証明書を衛兵に見せ、エルフ居住区の検問所を通り抜けた。ダークエルフのラディアに、検問所の衛兵が露骨に嫌な顔をしてみせたが、秘書だと文洋が言い切ると、さっさと行けと身振りで示す。
「なんだい、感じ悪い」
「まあいつもの事だ」
もともとがエルフ居住区の外れということもあり、アパートメントは検問所からそれほど遠くない。少し坂を登り、雑貨屋の角を曲がったところで、アパートメントが姿をあらわす。
「いいところに住んでんだね」
「ローラの家だけどな」
「ローラさん、あたしらダークエルフにも、とても丁寧でいい人だったよ」
「俺みたいな、極東の端っこから来た馬の骨を、旦那にしちまうくらいだからな」
門の鍵を開け、左右から覆いかぶさる藤棚を通り抜ける。樫の木で出来た正面扉に近づいたところで、文洋は違和感を感じて立ち止まる。
「少尉」
「判ってる」
ラディアも何かを感じたのだろう、小声で、だが鋭く言って、腰から短い双剣を引きぬいた。
ガサリと茂みをかき分ける音がして、ゆらりと大きな影が姿をあらわす。
「ッツ!」
息を飲んで、ラディアが後ろに下がる。
腰の後ろに吊った双剣程度では、足しにもならない圧倒的な存在感。
「グルル」
あちこちに乾いた血をこびりつかせた、銀色の獣が文洋達の前に立ちふさがる。
「クラウス……?」
「ワガキミ ハ イズコニ」
無事でなければ、お前を食い殺してやる。そんな迫力で銀狼が一歩前に出る。
「少尉!」
「……大丈夫だ、レオナの身内だ」
チリリと首の後ろに電気が走る。小さく印を結ぶような仕草を見せるラディアを手を上げて止めると、文洋は腰の短刀から手を離した。
「レオナはレブログのエルフ居住区だ。セレディアの元老院議長の孫娘、俺の妻のローラが面倒を見てる」
そこで一旦言葉を切って、文洋は武器をしまうようにラディアに促した。
「それに、ここにいるダークエルフ自治区の連中、何人かのテルミア貴族も助けてくれている、問題ない」
「ソウカ……ソレハ……ソレハ、ヨカッタ」
安心したのか、ドウ、と膝から崩れ落ちると、クラウスが気を失って倒れこむ。風船から空気が抜けるように、老人の姿に戻るクラウスに、文洋はラディアと顔を見合わせ、安堵した。
とりあえず、倒れたクラウスを三階の客間に担ぎこんで横にする。人狼の回復力のせいもあって、浅い傷は殆どふさがっているが、肩に一箇所、弾が抜けていない傷があり、ひどく炎症を起こしていた。
「弱ったな……」
「医者かい?」
「ああ、不法入国者の治療なんて、引き受けてくれる所に心当たりないぞ……」
「普通はそうだろうねえ」
熱があるのか、時折唸り声をあげるクラウスを前に、文洋は途方にくれていた。
「仕方ないねえ、この家、電話はあるのかい?」
「ああ、二階のダイニングだ」
「ちょいと借りるよ」
「ああ」
「上手くいったらキスの一つもしておくれよ」
「わかった」
軽口を叩きながら、ラディアが部屋をでてゆく。
「申し訳ない……みっともないところを……」
気がついたのか、疲れきった表情でクラウスがしゃがれた声を出す。
「近所には、老人が訪ねてきたら、レブログにいると伝言を頼んでいたが聞かなかったか?」
「今日の払暁前に……、新聞配達の少年に聞いてたどり着いた所でして……」
ケガをしてやつれ果て、鬼気迫る目をした老人に、道を尋ねられた新聞配達に文洋は同情した。
「いま、ラディアが医者を呼んでいる、今からレオナとローラに電話してこちらに来てもらおう」
「それでは……面目が立ちませぬ」
「レオナはきっと喜ぶぞ、だから、そんな面目なんざ、裏庭に穴掘って埋めちまえばいい」
そう言って、文洋はクラウスに笑ってみせる。
「そうでしょうか……」
「ああ、家族だからな、そりゃ喜ぶさ」
「家族……ですか……」
「ああ、そうだ」
憔悴しきった顔で、それでも心底嬉しそうな笑顔をクラウスが浮かべた。
「少尉、うちのやぶ医者が一時間でくるとさ」
「すまん、恩に着る」
「暗黒神の加護を、爺さん」
「ああ、恩に着るよお嬢さん」
闇医者がやってくるまでの間、文洋はレブログに電話をすると、ローラとレオナに事情を説明した。電話の向こうで嬉しくて泣きだしたレオナに、朝から軍務で出かけるので、なるべく早く来てくれるように伝えて文洋は電話を切る。
「クラウス、明日の朝には俺達は軍務で行かなきゃならん、夕方前にローラとレオナがこちらに来てくれる」
「お嬢様が来てくださるのでしたら、死んでも死にきれませんな」
「ああ、そうだな」
麻酔なしで弾丸を取り出した闇医者が、痛み止めと傷薬を置いて帰るころには、時計は夜半を回っていた。今から近衛旅団の宿舎に押しかけるわけにも行かず、ラディアに自分の部屋のベッドを使わせて、文洋は客間のソファーで横になった。医者に見てもらったとは言え、クラウスが心配だったというのが、正直なところだ。
§
翌朝、目を覚ました文洋は、クラウスを起こさないように静かに起きると、簡単な朝食を作り始めた。瓶詰めのソーセージにピクルス、食料庫にあったジャガイモにチーズ、豆の缶詰で出来る料理などたかが知れているが、料理が好きなローラのお陰で、調味料には事欠かない。
幸い、エルフ居住区は街の中心部にそびえ立つ『銀の塔』にほど近く、近衛旅団の司令部までは自転車で十五分ほどだ。朝食を食べてからでも十分間に合うだろう。
「クラウス、朝飯だ、食えるか?」
客間に朝食を運んで、ベッドサイドのテーブルに盆を置く。マッシュポテトに缶詰のベイクドビーンズ、軽く焼いたソーセージにピクルス、作っておいてなんだが、なかなかに手抜きでロクでもない。
「おお、ありがたい……なんとお礼を言ってよいか」
目を爛々と輝かせて、クラウスが朝食を文字通り、かき込むように口に押しこんでは飲み下す。
「ゆっくり食えよ、メシは逃げないから」
「温かいものを食べるのは三日ぶりでして」
マッシュポテトを、飲むように食べるクラウスが、ピクルスの酸味にあてられたのか、大きくむせる。
「後で下げに来るから、食器は置いといてくれ」
まるで、腹を空かせた狼だな……涙目になりながら、ソーセージにかぶりつくクラウスを見てそう思いながら、文洋は客間を後にした。
§
「准尉、入るぞ」
ドアをノックしても返事がないので、文洋はそう声をかけて扉を開いた。あと一時間半程あるとはいえ、近衛旅団の司令部にギリギリについたとあっては格好がつかない。
「……ん」
寝返りを一つうって、ラディアが文洋に背を向け、ブランケットに潜り込む。
「准尉、起きろ遅刻するぞ、軍法会議で懲罰房だぞ」
「ラディア……だもん」
「わかったわかった、ラディア、ほら朝メシもできてるから起きてくれ」
「……ユウキ、昨日約束した」
「ん?」
「上手くいったら、キスしてくれるって」
……約束はしてない……いや、した気がするな……。思いながら、文洋はラディアの背中を見つめる。
「あたし、頑張った」
「うん」
「少尉の嘘つき」
子供のように拗ねるラディアの髪に文洋は手を伸ばした。
「わかった、約束したもんな」
「うん」
尖った耳にそっと触れて、自分のほうを向かせる。
「恥ずかしいから目は閉じて」
そういって琥珀色の瞳を閉じるラディアに、つられるように目を閉じて、文洋は頬に手を添えると、顔を近づけた。
パチン!
「痛ってえ」
「昨日のお返し」
力いっぱいのデコピンを食らって、文洋は涙目で額を抑えた。腹を抱えて笑うラディアに、釣られて一緒に笑い出す。
「なあ、ラディア」
「なんだい、ユウキ」
「クラウスのこと、ありがとうな」
「なんだい、水臭い……ほら、着替えるんだからでてっておくれよ」
「ああ、二階のダイニングに朝飯できてるから、降りてきてくれ」
そう言って、後ろ手に扉を締める文洋の耳に、「ユウキのバカッ」と小声でつぶやくラディアの声が聞こえた。そうだな、うん、バカなのは間違いない。
淹れたてのコーヒーの香りがするキッチンへ向かいながら、文洋は一人、微笑んだ。ともかく、レオナの家族が増えた。それは同時に俺の家族にもなるのだろうけれど。
だからこそ、気を引き締めてこの任務、かからないとな……。両手でパチンと頬を叩いて、文洋は自分に気合を入れなおす。みな、大事な仲間だからこそ、誰一人、犠牲にするわけには行かないのだ。




