51.本当の笑顔
「私は、伝説の銀のセイレーンより、奴等の方がよっぽど恐ろしい」
セリーンの低く小さな声音。
彼女はその大戦の最中、どんな恐ろしいものを見てきたのだろう。私には想像もつかない。
狭い部屋の中に流れる重苦しい空気。
それを破ったのは、ライゼちゃんの幾分か明るくなった声だった。
「急にお話に入ってしまって、失礼しました。父が昼間言っていたように、魔導術士はもう私たちの敵ではありません。お夕飯が出来ていますので、こちらにいらしてください」
「あ、うん。ありがとう!」
ライゼちゃんはにっこりと微笑んで寝室の幕を下ろした。
「……ねぇ、セリーン」
「ん?」
「セリーンは、ラグのこと嫌いなんだよね?」
「……あぁ」
「それって、ラグが魔導術士だから?」
恐る恐る訊く。
セリーンはそんな私を見つめ、ふっと笑顔を見せてくれた。
「いや、単に奴の言動がいちいち癇に障るだけだ。あの子の方になら何を言われても可愛いのになぁ」
釣られて、つい私も笑ってしまった。
「奴が恐ろしくなったか?」
優しく問われて、私はゆっくりと首を横に振る。
「ううん。……というか、初めて会ったときからラグはちょっと怖かったし、今ようやく慣れてきたとこかな」
あははと笑いながら言うと、セリーンは私の頭を撫でてくれた。
「さて、では飯にするか」
「うん!」
そうして、私たちはライゼちゃんのいる部屋へと移動した。
ストレッタのこと、そして魔導大戦のこと。
もっと知りたいような、これ以上知るのは恐いような……。
でも、先ほどのセリーンの低い声音。
ライゼちゃんが一瞬見せた怒りの表情。
そして、昨夜のラグの……。
――私は、当分このふたつの言葉は口にしないと決めた。
ライゼちゃんは食事中終始笑顔だった。
彼女の作ってくれた料理は、やっぱりとても美味しかった。
「私、ちょっとラグのところに行って来るね」
ライゼちゃんが席を外した隙に、私は立ち上がりセリーンに言った。
なんとなくライゼちゃんのいる前では言い出しづらかったから。
「昨日のお礼、言ってこようと思って」
「そうか。ひとりで平気か?」
「うん。大丈夫!」
私は笑顔で手を振って、ひとりテントを出た。
昼間よりはいくらか冷えた心地の良い風が頬を撫でる。
昨夜と同じ、虫たちによる煩いくらいの大合唱。
中には明らかに虫ではない、聞いたことのない生き物の鳴き声も混じっている。
想像のつかないその姿に少しだけ身震いして、前方にほんのりと見える灯りを目印に私は歩き出した。
「カノン様」
「!?」
そのとき唐突に声を掛けられ心臓が飛び上がった。
振り向くと、みつあみの少年がこちらにやってくる。
「び、びっくりした。ブライト君!」
「あ、驚かせてしまって申し訳ありません」
私はほっと息をついて、首を振る。
「ううん、大丈夫。今戻ってきたんだよね。お疲れ様! ライゼちゃんに報告?」
「はい。それと、カノン様にお礼をと」
「その、カノン様ってちょっと恥ずかしいな……って、え? お礼?」
姿勢を正して、ブライト君は私に深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。カノン様のお蔭で、久し振りに子供達の笑顔を見ることが出来ました」
まさか彼からお礼を言われるとは思っていなくて、私は慌てて両手を振る。
「や、私はただ歌っただけで……そ、そうだ! 私の方こそブライト君にお礼を言おうと思ってたんだ!」
「え?」
顔を上げ、きょとんとした顔で私を見るブライト君。
「ほら、ファルシェのこと。私あの時頭の中真っ白になっちゃって、ブライト君が案を出してくれなかったら、多分あのまま失敗してたと思う。だから、ありがとう!」
私も彼と同じように頭を下げてお礼を言う。
すると今度慌てたのは彼の方だった。
「いえ、そんな! 顔をお上げください! 私は、ただ思いついたことを言っただけでして、そんな、お礼を言われるようなことは決して!」
「ううん、ブライト君のおかげ。私、みんなと歌えて本当に楽しかったんだ。だから私の方こそみんなにお礼を言いたいくらい。ライゼちゃんにもね」
ライゼちゃんの名を出すと、ブライト君は眩しそうに瞳を細めテントの方に視線を向けた。
「ライゼ様の笑顔を見たのも、久し振りでした」
その優しげな瞳に、つい悪戯心に火がついてしまった。
「ライゼちゃんの笑顔って、とっても可愛いもんね」
「はい。……!? い、いえ、その」
私の視線に気付いてブライト君の声が裏返る。
暗くてよくはわからないが、きっとその顔は赤く染まっているのだろう。
思わず口元が緩んでしまう。
「ブライト君て、本当にライゼちゃんのことが、大事なんだね」
――好きなんだね、と喉元まで出かかったけれど、流石にそれは言えなかった。
ブライト君は明らかにホっとした様子で小さく頷いた。
「はい」
(……あれ?)
そのとき、ふと疑問に思った。
「久し振りって、ライゼちゃんいつも笑顔だよね?」
と、ブライト君の顔が悲しげに曇る。
「ライゼ様の本当の笑顔は、フェルネ様が亡くなられた日からほとんど見ることはなくなってしまいました」
「フェルネ様?」
「ライゼ様の、お母様です」
(あ……)
チクリと胸が痛んだ。
――ライゼちゃんと同じ神導術士であり、若くして亡くなってしまったというライゼちゃんとラウトくんのお母さん。
「フェルネ様が生きておられた頃のライゼ様は本当によく笑っていらっしゃいました。そして、……よく泣いていらっしゃいました」
「泣いて?」
「はい」
ブライト君が目を伏せ頷く。
しっかり者なお姉ちゃんというイメージがあるからか、私には泣き虫なライゼちゃんが想像できない。
その頃を思い出すように視線を落としブライト君は続ける。
「丁度、大戦が終結した頃でした。……なぜ神導術士は何も出来ないのか。なぜ、自分たちにだけこうして食料があるのかと、フェルネ様に泣きながら訴えられているお姿を度々目にしました」
そう話すブライト君の顔は酷く悲しげで、そして誇らしげでもあった。
彼は、そんなふうに民を想って泣くライゼちゃんの守り役であることをとても誇りに思っているのだろう。
「しかし、それから間もなくしてフェルネ様が亡くなられ、泣かれることも、それまでのような笑顔を見せてくださることもなくなってしまいました。……それから、ライゼ様は神導術士として立派に民の支えとなってくださっています」




