第20話
「5年前、あなた方は『天使』をご覧になられたんですよね? どうでした? 天使、何か反応しました?」
高揚を孕んむ影井の声に、有紗はピクリと肩を揺らす。
そんな妻をちらりと見て、庇うように、けれどあくまで冷静に悠介は言った。
「『天使』はずっと真の方を見ていたので、私たちには何の反応もしていなかったと思います」
「ずっと見ていたとは? お二人がN2…、『天使』の部屋に入ってから出るまでの天使がした行動を全て教えてください」
監視カメラの映像は荒く、N2の表情までは確認できていないため、影井はどうしても様子が知りたかったのだ。
場に似合わない影井の楽しそうな声と笑顔は、桐谷たちにすら不気味に映った。
「でももう5年前の話ですし…ちょっと記憶が曖昧で…」
怖くなった有紗は早く終わらせようと視線を逸らすが、覚えている範囲で結構ですので、と影井は逃がさない。
また肩を震わせた妻の手を悠介はそっと握って影井を見据える。その風貌は、子どもなら泣いてしまいそうな怖さがあった。
だが、何か起こるわけでもなく、悠介は淡々と答える。
「部屋に入ったとき、二人は互いを見ていた気がします。真は私たちに気付いて少し動いた気がしますが、天使はただ真を見ていました。少なくとも、私と目が合った覚えはないので。
私たちは『天使』を一目見れたら良いと思っていましたので、5分も経たずに部屋を出ました」
天使がずっと見つめていた…、小さな声でぶつぶつと言い始めた影井を無視して、桐谷が話を続けた。
「そのときの真さんの様子は?」
「ただ立っていた気がしますが、あまり覚えていませんね」
悠介は腕時計を確認すると、話を結論に持っていく。
「私たちから見た真はいい子でした。『天使』を知ったあとも変だと思うことはありませんでしたし、何かを思い詰めている様子もなかった。私たちがお話しできるのはそれくらいです。…長旅で疲れてしまったので、もういいですか?」
有紗もずっと下を向いていて、これ以上話を聞けそうもない。
こうして、大した情報も得られないまま話し合いは終了した。
念のため、夫婦には警備を付けて帰ってもらい、影井は周りの声が聞こえていない様子で不気味な笑顔をそのままに部屋を後にした。
三人の足音が聞こえなくなると、笹原は沫時夫婦が座っていた席にドカッと腰かける。
「どう思います」
機嫌が悪いことを隠さない笹原に、桐谷はさっぱりだ、と掌を上に向けた。
「沫時真もN2のことも掴めない」
桐谷がパソコンのエンターキーを押すと、出てきたのは沫時真の資料。
実は両親に聞くまでもなく、既に沫時真が通っていた学校にも、学校側から聞いた友人にも連絡は取っていた。
夫婦から見た沫時真の姿や、話の信憑性を確かめるためにあえて伏せていたが、学校側も友人たちも特に不審な点はないと証言していた。
大学に関しては、テストの点数が良ければ単位がもらえたらしく、最低限の出席だけで交流関係はほとんど掴めなかったが…。
周囲から見た沫時真の評価はどれも似たようなもので、頭が良く運動もできる。見た目も整っており、おまけに同年代の男子にしては大人びた性格。深く関わる友人はいなかったようだが、大人からも評判は良く、好意を寄せる生徒も多かったようだ。
桐谷は資料に乗っている沫時真の、高校の卒業写真と目を合わせた。
「非の打ちどころがないというのは、本人の努力もあるだろう。ただ、この子の場合はちょっと不気味に感じるかもな」
裏表がある人間も怖いが、沫時真は小さい頃から皆平等に接していたのだと思うと、それもそれで怖く感じられた。
「彼のこともN2のことも確かに分かりかねますが…。あの夫婦は子どもたちをどう思っているんでしょうか」
切りそろえられた髪がかかる笹原の眉間は、意味もなく机の角を睨んでいる。
「どうだろうな。まぁ、嫌いではないのだろう。子どものお願いは叶えてあげるようだし。親としての深い愛情があるかどうかは、…見えてこないがな」
「子どもにとって自分たちの行動がどのような影響を与えているのか、一ミリも考えてなさそうなのが…」
何かを言いかけて言葉を止めた笹原は、小さくクソッと吐き捨てた。
桐谷はそんな副司令官を気にすることもなく、兄である光を思い出す。
「だが、昨日長男と話した感じだと別に両親を恨んでいる感じはしなかった。あの家はそれが当たり前で回ってきたようだ」
「…兄の方も不思議です。沫時夫婦はこちらと感覚がズレているところはありますが、嘘を付いている様子はありません。ですが、光の方は嘘を言っているのかいないのか判断しかねます」
同意する桐谷は既に昨日になってしまった6月30日、沫時夫婦と同じく画面越しに話した光の映像を開いた。
パソコンに映る光はどちらかというと父親似であり、切れ長の目には何かを狩るような強さを宿している。しかし、いざ話してみると態度は飄々としていて掴みどころがない。
「こんにちは」
その声は優しく、少し開いた口元には綺麗な曲線を描いていた。




