79話 まほろばの思ひ
冷たい土に天井から滴る水。
目の前はぼんやりと日の明かりがわずかに差し込み竹の柵が頑丈に出入り口を塞いでいる。
私は縄で縛られることはなくここに放り込まれまだ一刻も経っていないだろう。
——これは浅はかだったと思う。
まずナビィさんと二人で話してイナギが私たちを探っているという話題が出たのにどうしてあんな不用心な言葉が出てしまったのかが不思議でたまらない。
愛夜比賣の髪の毛を飲んだからか? あの頭からヒビいいた声がすんなりと川のせせらぎのように口から出たあの言葉は私からは出るわけがない。
その声の主はまさに愛夜比賣その人。あの人、私にあんなことを言わせて何をしたいの?
私がそう考えていると遠くから誰かが歩いてくると二人の兵士とイナギが現れた。
兵士の一人は握り飯をが置かれている器を柵の中に入れ私に食うように口にする。
試しにイナギを見ると見下ろしながら早く食いなさいという感じの目をしていた。
うん、さっさと食べよう。
私がちょうど握り飯を掴み口に入れるとイナギはゆっくり口を開いた。
「——愛夜比賣様に何か言われたな?」
イナギの言葉に何か言おうと握り飯を急いで食おうとするもイナギは続けて話し始める。
「手は出さない。きっと髪の毛を飲まされただろう。あの人は悪気ないが人見知りでな、何か言いたいときは誰かを依代にしがちだ」
イナギは悲しい目をしながらそういうと私に手を伸ばし頭の上に手を伸ばした。
「禍の神に憎しみを委ねるな。か。あの人はよく私を見ていらっしゃる」
私は握り飯を一気に飲み込み立ち上がって柵を掴み稲城に顔を近づけた。
イナギの目には嘘は見えない。
「禍の神の味方を?」
「昔の話だ。昔のな。今の筑紫原の母親が我が国に来て愛夜比賣様に一度無礼を働いてな。乳母からの話でかつて筑紫原に侵略されたことを思い出してつい禍の神の呪いを学んだのだ。無論、兄上に止められ厳罰に処され出世の道はなくなり今では独り身の神官じゃ」
イナギの言葉を聞いて私の脳裏にはハルメの姿が見えた。
飛騨国で己の復讐のために民さえ皆殺しにしようと堕ちてしまった人。彼もまたそれの狭間にいた。
禍の神にさえなれる呪いはアハバと言うカグヤの姉の堕ちた先の姿さえ作る。
もし復讐をするのであれば別の手段があるはずなのになぜか彼らは皆を殺す道へと進む。
禍の呪いが容易に世界に災禍をもたらす呪いだからこそ——。
私は唾を飲むとゆっくり返す。
「今はどうなんです。禍の呪いを使い、禍の神の味方をするんですか」
「もう止めた。が、愛夜比賣様は私を心配しているんだろう。確かに今でも我が脳裏に禍の神が語りかけてくる。今すぐ国を乱せと。だがその気はない」
「それはどうして? 自分の野望が浅はかだったから?」
「……」
イナギは何も言わず背中を向けた。
イナギの真意が全く分からない。
この男は愛夜比賣様のもとに仕える神官。
そして愛夜比賣はかつて筑紫原源氏に攻められ神殿に封じられている。
どっちかというと禍の呪いを使いかねないのは愛夜比賣なのになんでイナギが呪いを使い愛夜比賣様が止めようとするのかが分からない。
その時、突如兵士たちがそそくさに柵を取り払い始め、イナギは肩の力を抜くと腰にかけてある剣を掴むと腹に力を入れる。
「——その前にマカ殿。その口ぶりだとワシより前に禍の呪いに魅了された人がいるのでは?」
イナギの手を見ると力強く握っている。
背中からは感情はわからないけどあの握り方は何かに悩んでいるんだ。
そして私はゆっくり息を吐く。
「いました。家のしきたりに絶望したある豪族の娘が呪いを使い国を滅ぼした光景を。あなたはどうなんです。絶望したんですか? 国に恨みが?」
「そうか。そんなことがあったのだな」
イナギは細く口だけで微笑むと振り返り私に手招きをして牢から出るようにと圧をかけるような目を向ける。
「分かった。ワシは決めたぞ」
「——っ」
イナギは大きく息を吸うと頚城から解放されたような鮮やかな顔を作る。
「愛夜比賣様をやはり裏切れない、あの人こそが私のまほろばである」
その時のイナギの顔は不思議と嘘には見えなかった——。
————。
それから牢獄からイナギと出ると入口ではナビィさんがあたふたしており私を見るとズカズカと近づきかなり怒った。
経緯もしっかり説明されていたみたいだけど、詳細を話したらナビィさんは少しは納得してくれた。
けど万が一アハバが愛夜比賣になりすましていた場合を考えてほしいと本気で泣きながら怒られたから次からはしっかり確認はしておこう。
そしてイナギにナビィさんと共に大広間に案内され今回の作戦について説明がされた。
とは言っても兵を十人連れての愛夜比賣がいる神殿に向かうだけでその神殿も街から出て一刻程度の場所。
火を吹く大蛇は住み着いただけで神殿を燃やしたりしないので話し合いが主軸らしい。
イナギは上座の上で私とナビィさんに説明をし終えると背筋を伸ばした。
「以上が大筋だがわからぬところはあるか?」
ナビィさんを見るとナビィさんは理解したのか私を見て「マカさんは大丈夫ですか?」と言うような目を向ける。
私もイナギさんの説明で十分だから本当に神殿に向かうだけ。
「イナギさん。いつでも大丈夫です」
「そうか。では——」
「だけど、これだけは教えてください」
私の言葉にイナギは固まる。そして顔をゆっくり上げると私はイナギの目とじっと見る。
「なぜ、禍の呪いを使おうと思ったのか。それだけでも教えてください」
私の言葉にナビィさんは初耳だったのか私の盾になるように前にくるもイナギは何もせず、ただ静かに頷くと話し始めた。
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——。
その昔、愛夜比賣と言う美海原国の女神様が封じられた神殿に顔に対してまだ角子が小さい一人の少年が来ました。
その少年の名前は愛夜稲毛と言い、美海原君の一族の者。
この時のイナギは愛想笑いをするような子であまり口数が多くなかった。
だけど口数が多くなる時は子供ながらな理由でした。
それは愛夜比賣が甘い果実を合間の食事に出した時。
甘い果実を渡した後のイナギは年頃の子供らしくはしゃぎ愛夜比賣と楽しそうに話をするのでした。
わいわいと長く、夜が明けるまで。
そしてそんな日が続くうちに次第に二人には特別な感情が生まれてきました。
それは恋愛といったものではなく親心。
特別な感情はその人同士の壁を消す良いものながらその感情を他人が逆撫でした時の代償は大地が揺れるほどの騒ぎとなると言われています。
そんな大騒ぎが起きたのは二人が出会ったから十年ほどの時が過ぎた後のこと。
——イナギが長い髪を持ち角子が大きくなってから三年。神殿に筑紫原の使者が来ました。
愛夜比賣と使者との神事はイナギはここに来て初めて見るぐらいのもの。
なぜなら100年に一度しかしないものだからです。
神事の由来は筑紫原が愛夜比賣から神器を借りた出来事から。
かつてはこれを筑紫原が愛夜比賣に無理強いして争いが起きてしまったものの今ではそんなことは気にしなくなったもののイナギは気が気じゃありませんでした。
イナギからしたら勝者が敗者に謙遜になるとは思ってもいなかったためです。
事実、神事も愛夜比賣が筑紫原に貸し出した神器の貸し出しを先に伸ばすのを許すと言うもの。
これは美海原君として見ていられないもの。
そしてついにイナギはこの社での禁忌の言葉を大きな声で叫んでしまいました。
『筑紫など禍の神に滅ぼされれば良い!』
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イナギは話し終えると上座から立ち上がると私の肩に手を乗せる。
「あの後に謹慎を喰らってな。アハバという呪い師から学んで禍の呪いを学びいざ使おうとした時に愛夜比賣様にバレて本気で怒られたさ。涙を流しながらな。あの涙を見て以降、ワシはあの人を死ぬまで悲しませず守ると決意したのだ」
イナギの話を聞いていたナビィさんはイナギを見る目を警戒を解いたのかある意味尊敬の眼差しを向けると体を私に向けて私の脇腹を小突いた。
「——マカさん。行きますか」
「——はい」
私がその場から立ち上がるとナビィさんもすっと立ち上がった。
そしてイナギを見ると私は隣に行く。
「愛夜比賣様をお救いを手伝いますので、その代わり鱗をいただけないか改めて話をつけてくれませんか? 一応あげるとは話してくれたのですけど」
「分かった。話をしよう。無論、我が頼みを叶えてくれたらな」
私たちはそうして愛夜比賣がいる神殿へと向かった。




