63話 健やかな竹のように
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マカが目覚める五日ほど前、飛騨の高山の麓にアハバはアカバヒコ含めた十数人の従者をを引き連れて行幸していた。
百姓は畑を耕し土師は器を作るそんな当たり前の営みをアハバは飛騨の王という偽りの姿のままながらじっくりとみる。
その光景が面白かったのかアカバヒコは笑う。
「王よ。相変わらず民の営みがお好きですな。もし民として生まれたら何をしたかったんです?」
アカバヒコの言葉にアハバは悩む。
もし間違えて自分が禍に堕ちる前のことを話せば疑われる。なぜならこれまでの会話の中でアカバヒコは王のことを熟知して己を偽物と分かっていると考えていたからだ。
しかし、アハバは心の奥底で己を追うと信じて欲しいという禍の神からの命とは外れた思いを抱き始めていた。
アハバは一息つくと一人の早乙女に指を指す。
「あの気ままな女子と自由に話してみたかったな」
アハバの言葉にアカバヒコは感心したのか「流石は王でございますな」と声を出した。
その言葉にアハバは心の奥底で、今まで自分自身を苦しめてきた呪いが解き放たれていく感触になる。
すでに遠い過去でその呪いが何かはわからない。だけど気持ちのいい感触が己を包む。
ずっと欲しかった物、ずっと求めていたものが今叶った気持ちだ。
アハバは心の中で申し訳なく空を見る。
——この飛騨だけは、滅ぼしたくないな。
そう心の奥でつぶやいた。
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「——あ」
徐々にぼんやりといた声が大きくなってくる。気持ちの良い音色に意識を取り戻していく。そしてゆっくり目を開けると知らない天井。そして目の前には私にどこかにた少女がおり、彼女は私が目を開けたことに気づくと笑みを浮かべた。
「おはようございますマカ様。十日間ぐっすりでしたね」
「十日……?」
私はまだ目覚めていない頭の中で、現実を受け入れるのに精一杯になる。そして頭に柔らかい感触がしてようやく状況を読み取れた。
彼女は私を膝の上に寝かしたまま私を見下ろす。
「十日。ずいぶんお腹が空いたんじゃなくって?」
「——信用出来ない。毒を持って殺す気でしょ?」
私の言葉に彼女は不敵な笑みを浮かべると口を袖で隠した。
「あら酷い。十日もあって起きた瞬間に毒殺なんて品の無いこと。やるなら寝ているうちに胸を剣で突き刺す方が早いじゃない」
彼女の声には変化がない。
つまり、毒はないのだろう。
私は警戒を解かず、頭を上げると離れる。
「——辱め相手を信頼なんてできない」
「そうですね。三日とは言え姫様にとっては辱めで。私なら自ら死に果てますがあなたは生きる道を選んだ。それはどうして?」
彼女はそう言いながら袖に手を入れると丸く笹の葉に包まれた何かを取り出すと、それを広げると中からおにぎりを取り出した。
「食べます? いきなり食べるとお腹を壊しますので小さめですが」
彼女が持つおにぎりをしばらく観察しそれを受け取るとゆっくり口に運んだ。
味付けはそれほど美味しいものでもない。だけど、腹にものを入れたせいか少し心が落ち着いてきてしまう。
そして私がおにぎりを食べ終えた頃合いに彼女は「改めて」と口にすると一度頭を下げた。
「私の名は丹生珠春売。ハルメとお呼びください。マカ様」
「——アカバヒコの親族?」
「えぇ、丹生赤羽彦の娘です。マカ様のお家と比べたら、田舎国の姫のため卑しいとは思いますがご容赦を」
ハルメはここまでの会話で一度も表情を崩さない。ずっと笑みを浮かべたままだ。
だけどその笑みは不気味ではなくまるで心が彼女に吸い込まれてしまうような感触になる。
だめだ、彼女のそばにいると己を見失いそうになる。
私は逃げるように立ち上がると急に脚がすくむと床に膝をつけた。
私の情けないその動きを見てかハルメは細く笑う。
「うふ。十日も寝たら体が少し動きにくくなるのは普通ですよ。なのでしばらく安静に」
「うるさい、話しかけるな」
私は足に全身全霊をかけて力むと徐々に日本足で立てた。そして戸口を見つけそこに向かってゆっくり歩く。
「私は行かないといけないんだ。ナビィさんを殺したあのゲス野郎を。殺さずに手何になるか!」
そして私が戸口に手をかけると全身に痛みが走り一瞬後ろに倒れそうになるも、と久々に体をくっつけて無理やり開けようとするがピクリともしない。
それから戸口から離れると後ろからハルメは「あらまぁ」と声を出す。
「出れないですよ。私しか。お父上の策のため時が来るまでマカ様にはここにいて貰います」
「は?」
その声にハルメに詰め寄るように近づくと彼女の髪の毛を力一杯掴むと少し力一杯揺さぶる。
彼女は少し苦しそうな顔を私に見せた。
「今すぐ出しなさい。さもないと殺すけど」
「へぇ。脅しですか」
ハルメの声には少し怯えが見える。私の胸は動悸で痛く、子鹿のように手が震えている。
ハルメはそれに気づいたのか自身の神を掴む私の手に触れる。
「出てもいいですよ? だけど出ればあなたが死にます。飛騨の呪いは舐めない方がいいですよ。もし出れば一国を飲み込むほどの蛇の群れがあなたを殺しにいくでしょう」
「——や、やれるものならやってみるが良い! お前が死んだところで私は困らない! 今すぐにこの国の王を斬らないとだめなんだ!」
私は声を裏返しながら叫ぶ。
頭の中にナビィさんとカグヤの声が響く。
——殺しても良いんだよ?
——マカさん。十日間も寝ていたら世界なんて変わりますよ。
そして、一瞬頭の中に斑鳩町で女将のために死んだイトフジさんが頭の中に浮かび上がる。彼女は目から血涙を流し、私を睨む。
そして耳元でイトフジさんは幻なのに生暖かい吐息を耳に吐きつけている感触がする。
声は聞こえないけど胸の底から吐き出したくなるほどの嫌悪感を感じた。
私はハルメから離れて両耳を塞ぐ。
「やめて。なんで今更。カグヤもナビィさんも殺せなんて言わない。イトフジさんは私を恨んでなんかない! イトフジさんは許してくれているはずなんだ!」
私は胸の痛みにもがきながら壁の板を力一杯殴る。それも一回じゃなく何度も。
『甘えたい時に血の分けた兄がいなくなり、ずっと一人で頑張ってきた。だからカグヤさんを妹だと思って大事にして、甘えたり出来ていたのに天人が来た。マカさんは義理の家族が欲しかったんですよね』
ナビィさんが以前私に言った言葉が突然脳裏に走る。
あの時は私は否定したけど、この純粋に言葉は嬉しかった。ナビィさんをいつか姉と呼んで見ようとも思った。
だけどっ!
私はハルメを睨む。
「全部お前たちが潰したんだ! 偽りの王に騙され真の王が簡単に殺されるから私の大切な人が死んだんだ!」
「——そうですか。なら」
ハルメはそう言って表情を急に無くし立ち上がると戸口まで歩きいとも容易く戸口を開けると、外に向かって指を指す。
「どうぞ。死ぬのでしたら山奥で熊の餌にでもなってください。下手に里で死なれますと父上の策を台無しにしますので」その一言だけだった。
私は呆気に取られながらも戸口に近づく。ハルメは一筋の涙も流さない。
むしろ私を侮蔑の眼差しで見てきて腹がたつ。
全て自分が招いたことだと分かるのに、虫唾が治らない。
それにしてのアカバネヒコの策ってなに?
私は一呼吸置くとハルメを横目で見る。
「——むしろハルメさん。あなたの父上の策というの、一応教えてくれませんか?」
「——協力してくれるのなら教えます。が、その荒んで壊れた心で遂行できるとは思いませんので必要はないです」
「——っ!」
私は振り上げそうになった右手を押さえるとハルメに詰め寄る。
「あなたは、禍の神を舐めている。王から聞いたはずでしょ? 天人のことも禍の神のことも。絶対聞いているはず」
私の言葉に、ハルメは少し悩んだそぶりを見せると首を横にふる、
「それは聞きましたよ。が、その様子だとこの国の状況がわかりますよね? とりあえずお父様が対処しているので、邪魔です。出ていっていただきたいです」
ハルメは私は突っぱねる。
もういい、私だけでなんとかしよう。どうせみんな私の苦労や悲しみなんて分からない。誰も信じられない。
そして私がコヤから出ようとすると後ろでハルメが肩をちょんと突いた。
「マカ様の荷物は、この小屋の裏に回ったところにある獣道を登った先にある洞穴の中に隠してありますので。早く行ってください」
「——ありがとう……ございます」
私はハルメにそれだけを告げると小屋から飛び出した。
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小屋の外はどこか深い山の中で、昼時なのに薄暗い。野草が道に無造作に生え、腰の高さまで生えて道は合ってないようなものだった。
この場所、まるで私をアハバの目から逸らしているように見える。
そして道らしきものを跨ぐように鳥居があり、そして周囲をくまなく観察するtp小屋を囲うにしめ縄がされていた。
「私を……守って」
振り返って小屋の方を見ると、と口をほんの少し開けてハルメさんがこちらをじっと見ていた。
「早く行こう。確か、小屋の裏だったよね」
私はハルメの視線から逃げるように早足で小屋の裏に回った。
するとそこにはハルメが口にした獣道があり私はその道を駆け足で登る。
すると首にかけていた勾玉が急に光るとずっと眠っていたのか勾玉から私の拳程度の火の玉、ヒヌカンが飛び出した。
私が足を止めるとヒヌカンは私の顔に近づく。すると私の頭の中に穏やかな顔で祈りながら眠るカグヤの顔が浮かんだ。
そして、次にどこかいいお屋敷で涙を流すチホオオロさんの顔も。
「もしかして、私にまだ壊れるなって言いたいの? ヒヌカン」
私の言葉にヒヌカンは何も反応は示さなかったけど、彼の心地よい暖かさは心に温もりを与えてくれる。
あと少し。あと少し頑張らないとだめなんだ。ここで挫けて壊れたらナビィさんが夢に出てくる。絶対に絶対に諦めたらだめだ。
私は深く息を吸う。
「ヒヌカン。もしかしたら私の壊れた心をなんとか保てているのはカグヤがいるからだ。うん、やっぱりカグヤがいるから。カグヤは絶対、私に人殺しなんてさせたくないよね? ナビィさんもイトフジさんも私を恨んでない。むしろ超えないと恨むんだ」
私は重い足で一歩一歩前に進む。
そばにはヒヌカンがいる。だから大丈夫。きっと大丈夫だ。
私は隣で浮かぶヒヌカンを見る。
「ヒヌカン。禍の神の封印にはカグヤは生贄にならなくてもいいよね?」
私の言葉にヒヌカンは優しく輝いた。
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それから獣道をひたすら登ると洞穴があり、奥にヒヌカンの光を頼りに進むと私の荷物が一式揃っていた。
もう外は夕方になろうとしてる。早くしないと。
私はすぐに荷物を背負い、剣と盾を肩に掛けて支度をする。
すると後ろからひんやりと冷たい風が入ってきた。
振り返ると洞穴の入り口に古の勇者の亡霊、私の兄、ゼロの亡霊がいた。それもどこか哀れみの目を向けるかのように私を見ている。
「——兄さん」
私の言葉に兄はゆっくりこちらに喋りながら近づく。
『マカ、こんな状態になるまで無理をさせてしまってすまない』
「別に、兄さんの後始末をしているだけだから」
『——その張り詰めた笑みを兄が見逃すと思うか?』
「——」
兄のその言葉に周りの空気が重くなる。そして兄はようやく目の前に来ると足を止めた。
『マカ。ナビィのことは怒っていない。気にしなくても大丈夫だ』
右手を見ると少し震えているようにぼやけている。
そして、視線を兄に戻すと睨め付ける。
「——大丈夫って?」
兄の言葉につい反射的に返してしまう。そして鞘から剣を取り出す。
「ナビィさんは、兄さんのことをずっと愛していた。兄さんはナビィさんを愛してなかったの? 愛していたらそんな言葉でるの? 出ないよね?」
『ナビィは神霊だ。死ぬことはない。きっとどこかに居る』
「——けど、感じないよ。ナビィさんの生気が!」
私は怒りに任せて兄に斬りかかるもあっけなく躱された。
『言い方が悪かった。ナビィは今でも愛している。だけど、もしここで引きずって死んだしまう方があいつを怒らせる。マカ、人は大事な人を残して死ぬ時に残す言葉は何かわかるか? 追って欲しくないんだ』
「——それがどうしたの? だったらまだ十歳の私を置いて消えたあの日、最初から現れて支えてくれたっていいじゃない! あれから私の人生は狂ったんだ!」
私が再び剣を振りかぶり、風に乗るように脇腹を切ろうとすると兄は武器も取らず、ただ避けているだけだ。
そんな兄に私は一撃も加えられない。
「私はずっと! 誰かに愛して欲しかった。姉や、兄の代わりが欲しかった! 誰かを甘やかすんじゃなくて甘えたかったんだ! あの時からずっと一人なんだ!」
——斬り殺しなよ。
——憎しみは溜めるだけ無駄。殺すことに使わないとですよ。
————ね、マカさん?
また頭の中にカグヤとナビィさんの幻聴が聞こえる。
二人の声が聞こえるたびに動悸が苦しい、痛い!
「うわぁぁ!」
私は雄叫びを上げながら剣を振るう。そして兄の動きが一瞬遅くなった隙に左腕を切ると一瞬霧のように消えた。
そして咄嗟に兄を見ると予想外だったのか目を大きく開いている。
『——マカ。落ち着け。お前は今っ』
兄はが何かを告げた途端、間にヒヌカンが割って入り、振りかぶった右腕を止める。
気づけば兄の左腕はとっくに復活していた。
「——ヒヌカン。邪魔! 今兄を斬らないと、頭の中でカグヤとナビィさんが汚される。ずっと人を殺せって呼びかけてくる!」
熱くなる目頭で視界が歪む。
ヒヌカンはスゥと私に近づくと胸にくっついた。
兄はじっとヒヌカンを見た後、ゆっくり顔を上げて私を見る。
『マカ。お前は今呪いをかけられている。心を壊す呪いだ』
兄はそう言って近づくとヒヌカンに手を添えた。
『お前は、俺のせいで心を壊した。そして空虚の中寄り添う場所を求める子になってしまった。そしてナビィを失い……その隙をつかれたんだ』
「——どうせ、私に寄り添ってくれる人なんていない。いても、いなくなった後がつらい。見捨てられるのが辛い」
そしてしばらくヒヌカンが胸にくっついていると、何か心の中の突っかかりがとれた気がした。
兄はヒヌカンから手を離す。
『ヒヌカン。お前がマカを首の皮一枚でなんとか持ち堪えさせてくれたんだな』
ヒヌカンは兄の言葉に若干照れ隠すようにそそくさに私の勾玉の中に入っていった。
私は、兄から目を逸らす。
「……けど、私がこんなのになったのは兄さんのせい。兄さんが強かったら。ううん、兄さんでも勝てないの、戦ってみてわかった。これ、もしかしてカグヤを生贄にっ」
その時、兄は優しく私を抱きしめた。
すでに死に、その冷たい体で全身を包むように。
『お前の怒りに任せた攻撃、あれはわざと当たったわけではない。もしかしたら、一瞬でもアイツを恐怖させることができるだろう』
「一瞬じゃ嫌。その魂がある限り恐怖を味合わせないと割に合わない」
『そうか。その様子だと少しは気が晴れたか?』
兄の言葉に私は兄の着物の袖を握る力を強くする。
認めたくないけど、今回は兄のおかげかもしれない。ずっと言いたかったことが言えた。
私は兄から離れると荷物を背負い直す。
「とりあえず私はアハバをまず殺さないといけない。お兄ちゃん。アハバはどこにいるのか知ってる?」
私の言葉に兄は表情こそは変えないが、少し嬉しそうに背中を向ける。夕陽の光が差し込んでくる洞穴の入り口をじっと見つめる。
『アハバは丹生山に先ほど封じられたみたいだ。そこに行けばいる』
「封じられた?」
『それと、その呪いを掛けた奴をアハバと同じく殺せ。アイツは——っ』
私が質問する前に兄はこういった。
『アハバと同じく、禍の呪いを巧みに操る』
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同時刻、山奥の小屋の中でポツンと一人寂しく中央にすわている座っている少女がクスクス笑い続けていた。
その少女はどこかマカに似ている。そんな雰囲気を漂わせている。
少女——丹生珠春売はゆっくり立ち上がると戸口を開けて夕陽を顔に浴びた。
「あぁ、なんと可哀想なアハバ様。やはり、父上は飛騨一の知将。娘である私が始末せなば」
ハルメはそういうと小屋からゆっくりと出ていった。
裏話;
丹生珠春売は飛騨で一番美しい姫と言われ、何を考えているのかが分からない愛想ある笑みは老若男女問わず魅了する。




