61話さらば、思い人
全身を走る痛みと頭から血を抜けば痛みが落ち着くんじゃないかと思ってしまうぐらいの頭痛とともに私は徐々に感覚を取り戻していく。
透き通る肌寒い風、皮膚に触れる冷たい土の感触。
——捕えられた?
ゆっくり体を起こそうとするが腕が感触があるのに自由に動かない。そして目を開けるとあたりはぼんやりと明るく目の前には柵がある。
そして後ろを見ると私の腕はま木の柱に縄で括り付けられていた。
そして傷口が土に擦れるたびに呻き声を上げながらゆっくり体を起こし柱にもたれると思いため息を吐く。
息をするにもやっとの胸が苦しさ。
禍の神、マガヒコノミコトの絶大な強さをこの身を持って理解した。そして、兄が負けたのも心の奥から分かった。
そうすればアイツに勝てる? いや、勝てない勝てる訳がない。
そしてあの時何も出来ず小鹿のように蔑ろにされた記憶が蘇る。
なすすべなくただひたすら痛めつけられ底奥すらも出来なかった。
「無理、次は死ぬ……」
体が震え始めると下半身の力が急に抜けてひんやりとした水の感触が広がる。
もし二回目となれば確実に殺される——。
次に瞬間、遠くから何かの気配が知る。そして足音が遠くから聞こえる。
その音の主は死んだ魚のような目をした、肌白い男で檻の前に来ると足を止めた。
この生気と覇気が無いような王の姿をしたこの骸にアハバがいるのだろう。
アハバは自信をまだ王と信じる従者たち二人を連れてまるで見下すかのような笑みを浮かべる。
「嘆かわしや。我が重鎮を殺したのがウガヤの大王の源造とは……。大王より千年前より国造に任じられておる我々を襲うとは和の盟約に反することではないか?」
アハバはそう口にすると腰を下げて私と視線を合わせる。
「打首の前に好きなことを申すといい。ほれ?」
「——あなたのようなか弱い女子にこのような辱めをするなんて王に相応しいとは思いませんけど。己より打ちに誘っておきながら己の手で重鎮を殺したものを死者の責任にするとは恥知らずこの上なし」
私の言葉にアハバは表情を変えず怒りすらないように従者より木の棒を受け取ると先を私に向けた。
「ふ、恐れをなして幼子のように床に尿を広げる者がよう言う」
「——っ!」
私がすぐに足を閉じるとアハバは鼻で笑う。そして棒を檻の中に入れると私の腹を突いた。
「——一生、子を産めぬ体にして放り出すのも良いかもしれんな? 女子として生きる道を失い天地の罪となろうな」
「お、脅しのつもり?」
「聞けば主は男のことが興味がないと言う。なら命惜しくば子を産めなくしてくれと願うが良い」
それを長々というアハバの目には光は点っていなかった。彼女は本気だ。
そんな時、隣にいる従者の一人は困惑しながらアハバに近づく。
「王よ。なりませぬ。いくら王といえども……若い女子にそのような辱めは流石に!」
「——我に歯向かうのか?」
「——ウガヤ、いやユダンダベア諸国より征伐され民共々皆殺しにされますぞ」
アハバは従者の言葉に露骨に嫌がる顔をする。しかし、彼女も愚鈍ではなく己が今王の皮を被っている事を自覚しているのか冷静な表情へとゆっくり戻ると閃いたかのように従者に顔を近づけた。
「なら、此奴の従者を捕らえ吐かせよ。もし吐かぬなら此奴の目の前で辱めてから吐かせる」
「——し、承知しました」
二人の従者はまだ何か言いたげだったがアハバの気迫に押されるようにしてこの場から立ち去った。
そして誰もいない事を確認すると再び私に近づく。
「ふ、源マカよ。この私に恥をかかせるとは」
「恥をかかせる? 恥がすでに掻き出されているあなたに掻き出す恥なんてない。ただ正直に言いたい事を言っただけよ」
「そうか。が、ならお主の従者を一人殺すのもありだな。その虚勢いつまで——」
「どうせ最初から殺すつもりだったのは知っている」
「——バカな女」
アハバはそう口にすると何事もなかったかの様子でこの場からゆっくり歩き去っていき残ったのはただの静寂。
ただ静かに天井から滴る雫の音だけが鳴り響く。
——死にたくない。死にたくない。
情けなく、私は最初に己の保身を願ってしまった。
————。
マカさんが宮殿に向かってからすでに夕刻。一向に戻ってくる気配がない。
心なしか宮殿からは忌々しいあの禍の神の覇気を感じる。
今は私とツムグさんしかいない小屋の中、出入り口には見張りが二人いるから逃げ出そうにもそう簡単ではない。
そう考えているとツムグさんはゆっくり私に体を寄せると私にしか聞こえないような声で喋り始める。
「ねぇ、ナビィさん。チトセ様からマカと禍の神が接敵したって」
「——やっぱりあの気配……マカさんが死んでしまいます」
私が立ちあがろとするとすぐにツムグさんに止められる。顔を睨むようにしてみると必死に首を横に振っている。
「落ち着いてナビィさん。多分だけど禍の神は少なくとも今はマカは殺さない。チトセ様が少なくとも自分より弱い彼女を殺さないって言っているんだから信じようよ」
「——あの神は国に大きな禍をもたらす神と八十の禍を司る神とはまた違うのです」
「え、違うって……どういうこと?」
——ツムグさんの言葉は理解はできる。
けど、あれは神と呼ぶには相応しいけど神には相応しくない。
あれは禍を司る呪いを身につけ自らが神となったまつろわぬ王にすぎない。そして国に禍をもたらしたことから禍の神であるマガヒコノミコトと呼ばれているだけだ。
私はツムグさんの手を振り払う。
「あの神には心を寄せてはいけません。怒りを鎮め封じるしか手はないのです」
「——分かった。ナビィさんがそういうのなら」
ツムグさんは理解してくれたのかこれ以上私を止めることはなく、すっと立ち上がる。
「なら僕も行く。けど逃げたいのが本音」
ツムグさんがそういうと小屋の周りが急に騒がしくなり、鉄同士が擦れる音が一つだけではなく五、十どころか二十人分の音が周囲に鳴り響く。
そして音が不気味なまでに静かになる。
「そうですね。……逃げた方が先決かもしれないです」
「うん。一足遅かったけど」
小屋の中に五人ほどの男たちが剣を手に携えながら入ると私たちに向けて構える。
男たちは冷や汗を流しながら手が震えているのがわかる。
「——み、源マカの従者よ。大人しく殺されてくれ。捕えたら主人の前で辱めるように命じられている。武人として我々は抵抗されたため殺したという事実が欲しい」
男の言葉にツムグさんは息を飲むと短剣を取り出そうとするのを私は止めて前に出る。
多分今の私の顔は怒りで酷いことになっているかもしれない。だけど、今の状況からツムグさんだけでも救った方がいい。
私は首につけた勾玉を魂を流し込むように強く念じながら握り締めた後ツムグさんに何も言わず渡す。
ツムグさんは戸惑ったような反応でそれを受け取る。
うん、あとはもうどうだっていい。
「殺すなら私を殺してください。この赤毛の女子は私より年下。年上を殺す方があなたの心のためにはなるでしょ?」
「ま、待ってナビィさ——っ!」
私はツムグさんの口を塞ぎ耳に口を近づけると小さな声をかける。
「大丈夫です。遠くに逃げてください。マカさんをお願いします」
「——っ」
ツムグさんは涙を抑えると頷いた。それを見届けたあとツムグさんから離れて男に近づく。
「意見はありますか?」
私の言葉に筆頭であろう髭がボサボサの男はしばらく考えたのちツムグさんに指をさす。
「そこの赤毛の娘。はよう出ていけ。そしてこの国から逃げろ」
「はい……。ごめんなさい」
ツムグさんは最後に謝罪の一言を私にしか聞こえない声で漏らすと全速力で小屋から飛び出した。
そして男が私に近づいたのに合わせて私のその場で両手を広げる。
男は深く息をのむと剣をこちらに向けた。
——私は長く生きれた。しばらく眠るのが惜しいくらい起きた。
「許せ!」
男は謝罪の言葉と共に突進する。
男の動きがゆっくりと見える。
まるで神様が少し思い残したことを吐露するように私に告げているようだ。
思い残したこと……。
あぁ、ゼロの敵討結局見れませんでしたね。けどきっとマカさんがなんとかしてくれるでしょう。
——そして徐々に男の大きな体が目の前まで来る。
いや、ゼロのことよりも、マカさんへの未練が今は多いですね。
気づけば目元が熱い。あぁ、泣いているんだ。
「マカさん。本当は貴女とは姉妹のような関係を築いてみたかった——」
——————。
あれ? 今確かにナビィさんの声が!?
分からないけどナビィさんの生気がなくなった感じが……。
私は牢獄の中で膝を立てて顔を隠す。
「私も、ナビィさんのことをお姉ちゃんて呼んでみたかった……」
静かな牢獄の中、私の啜り泣く声がやけに響いて聞こえた。




