前編
香月よう子様主催の「夏の夜の恋物語企画」参加作です。
――晴れ渡った夏の青空の下に、扉を叩く音が響き渡る。
「おい、いるんだろう? 開けたまえ!」
扉を叩く音に交じってうるさい声が聞こえ、ローザシャーンはつむっていた目を開いた。
しかし開いてもなお視界は薄暗く、再び睡魔に引き込まれそうになりかけたが、響く音がそれを許してくれない。
「……鍵は開いてるので、勝手に入ってきてください」
仕方なく口を開いてそう言うと、扉が開いて太陽の光が差し込み、眩しさに思わず顔を顰めた。
同時に入ってきた人物が、ローザシャーンの方を見てぎょっと目を剥く。
「床で寝るのは止めろと言っただろう! それと日中でも鍵はかけろ! 寝ているのならなおさらだ!!」
扉一つ分を隔てなくなった声はよりうるさい――そう思いながらローザシャーンは寝転んでいた床から体を起こした。
着ていたフード付きのローブが床の埃を拾っていく。
そういえば掃除をさぼっていたとぼんやり思っていると、うるさい声の主がずかずかと家の中へ入ってきて、強い力で腕を引っ張られた。
「……やっと依頼されていた薬を作り終えたところなんです。寝かせてください」
「だったらベッドか、せめてソファで休め。大体、また考えなしに大量の依頼を請けて、寝る時間がなかったんだろう」
引っ張り上げられたままソファへと移され、柔らかいクッションの中に頭を預けた。
「寝食を忘れるなと何度も言っているだろう。大体、昼間なのにカーテンも開けずにいるからこの家は年中薄暗いんだ。まさに魔女の家じゃないか!」
魔女の家が薄暗くて何が悪い、魔女らしいじゃないかと、ローザシャーンは思った。
そう、ローザシャーンは魔女だ。
薬を作るのが得意な魔女。
そしてローザシャーンの目の前で、家中のカーテンを開き窓も開けて換気をし、そのまま掃除まで始めようとしているのは、王国騎士団に所属する騎士のライナスだ。
帯剣をしているが、彼が手に持っているのは剣ではなくハタキだ。
「薬を取りに来たんじゃないんですか……?」
「その前に、この家をなんとかしなければ気がすまん!」
そう言うや否や、ライナスは家中の掃除を始めた。
ローザシャーンはそれを横目で見ているだけだ。
薬を作ることには有能だが、それ以外はまるっきりだめなローザシャーンが手伝ったところで余計な仕事を増やすだけでしかない。
そもそも掃除をして欲しいと頼んだわけでもないので手伝う義理もない。
ローザシャーン自身の家ではあるが、連日の徹夜で眠いこともあり、我関せずを貫くこととした。
半分眠りの世界に落ちながら、てきぱきと掃除をしている騎士を薄っすら開いた目で眺める。
魔女のローザシャーンと騎士のライナスは、いわば仕事仲間だ。
一年前、十七歳で独立して魔女となったとき、城から依頼されて作った薬を取りに来たのが騎士のライナスだった。
彼はローブを着て魔女らしい恰好をしたローザシャーンを見て、「こんな小さな子どもが魔女?」と言い放ったのだ。
確かに十歳上のライナスから見れば子どもだったかもしれないし、同年の子たちより背も低めで、お洒落や化粧に興味のないローザシャーンは街の娘たちより子どもっぽく見えたかもしれないが、魔女として一人前を自負していたローザシャーンには侮辱的な言葉だった。
二度と会いたくないと思ったのに、次に薬を取りに来たのもライナスで、それからも毎回この家に来るのはライナスだ。
必要最低限にしか外へ出ない引きこもり気味の魔女であるローザシャーンでも、騎士が若い娘たちの憧れの的だということは知っている。
しかし、目の前の騎士は薬を受け取りに来るたびに、ローザシャーンの生活態度に苦言を呈し、我慢ができないという様子で家の中を掃除するので、街の若い娘たちの好みは理解できないと思った。
騎士という花形職業にくわえ、背が高く端正な顔立ちをしているのに、口うるさいせいでそれが台無しだ。
ローザシャーンがそんな失礼なことを考えている間に、掃除をさぼっていた家の中はすっかり綺麗になり、快適な空間へと変貌を遂げた。
それと同時に、ローザシャーンのお腹が盛大な音を鳴らす。
そういえばしばらく食事もしていなかったなと、どこか他人事のように思い出したとき、ふと騎士の方を見上げれば、再び口うるさいお説教が降ってきた。
何品もの料理がテーブルの上に並び、ローザシャーンは久しぶりの食事にありついた。
「いいか? 薬を作るのも大切だが、食事はきちんと食べろ」
向かいに座る騎士の小言を聞きながら人参のスープを口に運ぶ。
程よい甘さが口の中に広がりお腹も心も満たされていく。
口うるさいが言っていることは当たっており、確かに食事は必要だと実感した。
それにしても、この騎士は料理人にでも転職するつもりなのだろうかと思えるほどの腕前だ。
人参スープの他にも、ナスやズッキーニの夏野菜煮込みから、トマトソースのかかったチキン、そして甘いデザートまでそろった贅沢な食事に、ローザシャーンのお腹は久しぶりに大満足となった。
「ごちそうさまです。依頼されていた薬はそこの棚の上にあります」
「君が食べている間に確認した」
「あと、隣の箱は騎士団への傷薬です」
「何? 団長から依頼があったのか?」
「そうではありませんが、魔獣盗伐が先日あったと聞いたので。傷薬の在庫が少なくなっているんじゃないかと思って、補充分を作っておきました」
ローザシャーンがそう言うと、目の前の騎士は切れ長な目を細めた。
彼がこんな表情を浮かべるときは、その次に決まって小言が始まるものだ。
「君の作る薬はよく効いて助かるが、睡眠を削るほど無理をするのは止めろ。自分の体も顧みるようにしろ」
案の定、小言が始まりローザシャーンはうんざりした。
ローザシャーンの作る薬はよく効くと大人気で、ひっきりなしに依頼が舞い込むのだが、彼だけはなぜかそれを歓迎していない。
今みたいに、寝る時間を削るな食事を怠るなと、まるで父兄かのように口うるさく言う。
確かに薬作りに没頭すると寝食を忘れてしまうが、薬を作るのはローザシャーンの仕事なのだから放っといて欲しいと思う。
小言を言われるなどまるで子ども扱いだ。
最初に言われた言葉をまだ許してはいない。
「聞いているのか?」
「聞いていますよ」
ローザシャーンは頷いてみせたが、ライナスの目はまだ細められたままだ。
話を早く終わらせたくて適当な返事をしたことが見透かされているようで、ローザシャーンは話題を変えることにした。
「あ、騎士団に頼みたいことがあるんですが」
「何だ?」
「今度の満月の夜に、騎士を一人貸してください」
ローザシャーンがそう言うと、目の前の騎士の目がこれでもかというくらい見開いたまま固まった。
その表情を見て、そんなにおかしな頼みを口にしただろうかと思った。
別に薬の実験に貸せと言ったわけでもない。
それとも騎士団は人員不足で一人欠けるのも死活問題なのだろうか。
「……夜に騎士を? 何のためにだ……?」
少しの間のあとに、どこか硬い表情で理由を問われた。
それを聞いて、先に理由を説明しなかったのがいけなかったのかと、ローザシャーンは口を開いた。
「南の森に、夏の満月の夜にだけ咲く花があるので採取したいんですけど、なるべく多く集めたいので私一人では持ちきれないのと、森なので念のため護衛に。もちろん護衛の代金は払います」
ローザシャーンが理由を述べると、ライナスは硬い表情を手で覆い、俯いて長いため息を吐いた。
「……ならば俺が同行する。あと代金は必要ない」
「えぇ……?」
「何だ、その声は。俺では不満か?」
「いえ……。薬を取りに来るのもあなたばかりだし、お城の騎士団は他に人がいないんですか?」
「俺では不満か?」
「……お願いいたします」
昼間だけでなく夜まで彼の小言を聞かなければならないのかと、ローザシャーンは若干気分を落としたが、圧のある言葉で繰り返し尋ねられそれ以上言うことを諦めた。
かくして、次の満月の夜に二人で南の森へ行くこととなった――。