後編
そうして訪れた満月の夜。
いつものようにやってきたライナスは、普段の騎士服の上からマントを羽織っていた。
ローザシャーンもいつものローブを着ているが、その背には背中より大きな籠を担いでおり、中には空の瓶が大量に入っていた。
「なぜ空瓶の入った籠を担いでいるんだ?」
「採取したものを入れるためです」
「そんなに取るのか?」
「せっかくだから取れるだけ取っておこうかと思って……」
基本的に引きこもり気味なローザシャーンは、薬の材料を集めるときしか外に出ない。
ライナスが同行してくれるのならいつもより多く集めたい。
そもそも今晩採取する花は夏の満月の夜にしか咲かないので、チャンスは限られている。
「籠を貸せ」
「あ、ありがとうございます」
側から手を伸ばしたライナスが背負っている籠を取った。
ローザシャーンが背負っているときにはまるで籠に潰されそうだったが、背の高いライナスが担ぐと小さく見えた。
「あ、これをどうぞ」
「これは?」
「昼間の光を溜めた魔石です」
「なるほど、便利だな」
ローザシャーンが手渡した明るく光る魔石は紐で結ばれており、それを腕に巻けば歩くときに足元を照らす灯り代わりになった。
そのまま手配していた馬車に乗り込み、まずは南の森の入り口まで向かい、森の中は徒歩で進む。
念のために騎士の護衛を頼んではいるが、王都から近い森には獰猛な肉食動物も生息していないので危険はなく、安全な工程になるはずだった。
しかし森に入って早々に、ライナスがうんざりした悲鳴を上げることとなった。
「――何なんだ、この森は!? あちらこちらに精霊たちがいるぞっ?」
声と同様にうんざりした表情で目を向ける先には、たくさんの精霊たちの姿があった。
森には精霊たちが暮らしているが、幼い子どもは見つけることもできるが大人にはあまり見えないと言われている。
それなのに、森に入った瞬間から精霊たちの姿があちらこちらに確認できた。
それだけならばまだ驚きですんだものだが、そうも言っていられない光景が広がっている。
「しかも馬鹿みたいに浮かれているぞ!?」
「夏の夜は自由になるものですから……」
つまり、精霊たちがいちゃついているのだ。
右を見れば愛を囁き合い、左を見れば熱い告白を捧げ、その先では自由になりすぎて浮気でもしたのか揉めている。
『あら、魔女がいるわ』
『人間もいるぞ』
二人に気づいた精霊たちが物珍しそうに見てきた。
精霊たちに囲まれてライナスは少し押され気味の様子だが、ローザシャーンはいたって普通に話しかける。
「花を探しにきたんだけど、どこに咲いてる?」
『ああ、あの花ね。この道をずっと奥へ進んだ先に咲いているわよ』
「分かった。ありがとう」
精霊に場所を教えて貰い、示された先に足を進ませた。
その後ろをライナスもついてくる。
二人の後ろでは、精霊たちが愛の囁きを再開していた。
しばらく歩けばその囁きも徐々に小さくなり、足音以外は聞こえないほど森を深く進んでいく。
「ずいぶんと奥まで行くんだな」
「人知れず咲く花なので」
「精霊は道の奥と言っていたが、そんな大雑把な説明でたどり着けるのか?」
「特徴がある花なので近くまで行けば分かります」
ローザシャーンは辺りを見回しながら、鼻をぴくりと動かした。
「――あそこです」
鬱蒼と茂る草をかきわけて木々の間を通り抜けると、突如として目の前が開け、満月の元で咲き乱れる白い大輪の花の群生が現れた。
満月の光を受けてきらきらと輝く様に、ライナスも思わず感嘆の息を漏らす。
「これは見事だな」
「真夏の満月の一夜のみの開花ですから」
辺り一面に咲き誇り、甘い香りが充満している。
ローザシャーンは持っていた鞄の中から大きな布を取り出し、ライナスに手渡した。
「これで鼻を覆っていてください」
「どうしてだ?」
「この花は香りが強いのであまり吸わない方が良いです」
「分かった」
ローザシャーンは自分も同じように布で鼻から口元を覆った。
それからライナスが背負ってきた籠の中から空瓶を取り出し、大輪の白い花を少し傾けて、零れた花の蜜を瓶の中に落とした。
「花を取るんじゃないのか?」
「必要なのはこの蜜の方です」
「そうなのか。俺も採取を手伝おうか?」
「いえ、コツがあるので、私が瓶に詰めたものを籠に運んで貰っていいですか?」
「分かった」
ライナスは頷くと言われた通りに花の蜜を詰めた瓶を籠へ運び、交代に空瓶をローザシャーンへと手渡す。
一つの花から取れる蜜の量はそう多くはないが、ローザシャーンは真剣な表情で花の蜜を一つずつ採取し、持ってきた空瓶は一本二本と花の蜜で満杯になって籠の中へと収められていく。
二人の間に特に会話はなく、風の音だけが通り抜け、甘い香りが運ばれる。
どれくらいの時間が過ぎたのか、夜空に浮かぶ月の位置が変わったころ、ようやく最後の一瓶も満杯になろうとしていた。
「結構集めたからもう良いんじゃないか?」
「あ、あそこにひと際大きな花があるので、あれまで取ったら……」
「待て、一人で進むな!」
背後から呼び止める低い声が響いたが、花に意識が向いていたローザシャーンの足は止まることがなかった。
しかし、花に近づいてしゃがんだとき、突然体が傾いた。
「あ……っ」
満月の光が降り注ぎ、光る魔石も携えていたとはいえ、昼間のように明るいとは言えない森の中で、花が咲いているすぐ向こうが斜面だということに気づかなかった。
足を滑らせて斜面の下へ飲み込まれるように落ちる中で、ローザシャーンは思わず目をつむる。
その耳に聞き慣れた声が届いた。
「――ローザシャーン!」
名前を呼ぶ声が聞こえたのと同時に、強い力で引き寄せられる。
驚いて目を開いたときには、ライナスの腕の中に抱え込まれながら斜面の下へ落ちていた。
地面に落ちる音が響いたが、ライナスが強く腕の中に抱き込んで庇ったおかげで、ローザシャーンはどこにも痛みは感じなかった。
代わりにライナスは背中を地面にぶつけたにも関わらず、顔色一つ変えず腕の中のローザシャーンに心配そうな視線を向けた。
「怪我はないか?」
「わ、私のことより、あなたの方が……っ」
ライナスに庇われたローザシャーンには怪我一つない。
むしろ、怪我をしている心配は下敷きになったライナスの方で、彼が地面にぶつけた肩を庇っている様子を見て、ローザシャーンは青ざめた。
「大丈夫だ。仕事柄、怪我には慣れている」
「何を言ってるんですか! 怪我に効く薬草を探してくるので、待っていてください……っ」
「いらん。一人で歩き回るな。それよりも、そろそろ街に戻るぞ」
「その怪我で歩くんですか……!?」
「足は折れていないから大丈夫だ」
「だ、大丈夫なわけないじゃないですか……! 助けを呼んでくるので、ここで待っていてください!」
足は折れていないと言うが、崖から落ちた際に打ったのか少し庇うような歩き方をしている。
無理に歩いて悪化すると良くないので、ローザシャーンは自分が一度街に戻って他の騎士か医者を呼んでこようと思い立ち上がったが、ライナスの手がそれを引き留めた。
「あんな森中の精霊たちが浮かれている中を、一人で歩き回るつもりか! 何かあったらどうするんだ!」
「え? 何もあるわけないじゃないですか。妖精たちは魔女に興味はありません」
「君は危機感がなさすぎる! 夜の森へ騎士を連れて行こうとするし、年頃だと言う自覚を持て!」
怪我の心配をしていたのになぜか叱られ、その上、記憶の中の言葉とは真逆のことを言われてローザシャーンは思わず反発した。
「人のことを子どもって言ったのはそっちじゃないですか!」
一年前のことだ。
開口一番、子どもだと言ったのは確かにライナス自身だったはずだ。
「ああ、言った。その辺にいる街娘より華奢な見た目なのに、城や騎士団から山のように薬の注文を受けるほど働き過ぎで、さらに貧しい民のために無償で薬を作って、自分の寝食など二の次にするお人好し過ぎる魔女のローザシャーン!」
ライナスの言葉にローザシャーンは思わず背筋を伸ばすほど驚いた。
確かに、城や騎士団、他にも貴族たちからの有償依頼のほかにも、対価を払えない貧しい民や孤児院にも無償で薬を提供している。
城からの報酬で充分に生活できるし、持つ力を分け隔てなく使えと師である魔女から教えられた。
いや、それよりも、目の前の騎士はローザシャーンの名前を呼ばなかっただろうか。
そういえば、崖から落ちる直前にも名前を呼ばれた気がする。
仕事仲間である彼から今まで名前で呼ばれることなんてなかったのに。
「薬作りに関しては有能なのに、それ以外は世間知らずで人を疑うこともなく、その上なんて鈍感なんだ!」
「鈍感……っ? 何であなたにそんなこと言われないといけないんですかっ? 大体、いつも私に文句ばかり言ってきて、一体何なんですか!?」
しかし、鈍感とまで言われてローザシャーンも今までの我慢が爆発するかのように反論した。
静かなはずの夜の森の中に二人の言いあう声が響き渡る。
「事実だろう! 世間知らずな君に邪な奴らが近づかないよう、どれだけ手を尽くしていたと思っているんだ」
「え……?」
「若い魔女に付け入ろうとするやつは多いから、薬を受け取りに行く役目も死守してきたというのに、よりによって夜の森に騎士を連れ立とうとするなんてな! こんなことなら気持ちを隠しておくんじゃなかった……!」
早口でまくし立てるライナスに、鈍感と言われたローザシャーンもさすがにその意味は理解できた。
ぽかんとした表情で見上げるローザシャーンに、ライナスは自身の顔を手で覆う。
「……っ精霊たちの色ボケが移ったな」
手で覆った隙間から、赤い色が覗く。
一方のローザシャーンは何も言えなかった。
それを手の隙間からちらりと見たライナスは、まるで色ボケを振り払うかのように頭を左右に振りながら立ち上がり、マントから甘い香りがすることに目を細めた。
「……落ちたときに瓶の中身がかかったのか。そういえば、籠は上に置いたままだから取りにいかないとならないな」
落ちたときに、集めた花の蜜がかかってしまったようだ。
顔に巻いていた香り除けのための布もいつの間にか外れてしまっていて、甘すぎる香りは酔いそうなほどだった。
「籠を取ってから街へ戻るぞ。ところで、これは何の薬の材料なんだ?」
怪我をしているとは思えない足取りで歩くライナスに、ローザシャーンは呆然とその背を見つめながら、顔に熱が上がっていくのを感じた。
瓶から零れた花の蜜はローザシャーンにもかかっており、ローブからは甘い香りが漂った。
真夏の満月の夜にだけ咲く恋の花――。
この花から取った蜜は恋のまじないに使われる。
精霊たちが浮かれているのも、この花の蜜から出る甘い香りのせいだ。
ローザシャーンは甘く香るローブを握りしめながら思った。
これはきっと、花の香りのせいだ。
頬が熱いのも、胸の高鳴りも。
きっと花の香りのせいだと、ローザシャーンは思った。
――その後、ライナスの元には大量の薬が届けられ、驚異の回復を見せたという。
喧嘩腰な魔女と騎士の、精霊も出てくるファンタジーです。
ローザシャーンは恋愛面に疎いので、二人の仲が深まるのにはまだ時間がかかりそうです。
読んでいただきありがとうございました!




