三十六日目
質の良い革張りのシートが快適な車内を演出してくれ、行きの安い列車とは比べ物にならない安らぎを与えてくれる。時折感じる揺れは、長旅で疲れた体を眠りへと誘うような心地の良いものだった。
ふと肩に重さを感じると、初めての外で疲れたのか、傍らの半身は丁度眠りに落ちたようだった。
沢山の羊の群れや、見たこともない美しく明るい世界に興奮した様子であった彼女に、俺は一抹の不安を感じずにはいられなかったのだ。窓から身を乗り出した彼女が、本来在るべき明るい場所に、光に連れていかれそうで独りぼっちになってしまうのではないかと思い、何度か優しく引き戻す。
本当は引率という監視役のコイツが居なければ、俺の腕の内に閉じ込めて只ひたすらに彼女の温もりを感じながら外の風景を共に見ていたかったのだ。
彼女のさらさらとした美しい黒髪を撫でながら物思いにふけっていると、感じ慣れた視線が前方から注がれているのに気づく。
「なんでしょうか?」
「いや、なんでもない。只……。」
「ただ……?」
「外から連れてきたこの娘を、どうしてそこまで執着する?」
チラリと彼の顔を確認すると、いつになく真剣な表情をしていた。きっと監視の少ないこの状況でしか問うことの出来ない疑問。
何故だろう……俺自身も明確な解答を持ち合わせていない。只ずっと欲していた半身が、俺の力に耐えうる存在が現れた。タイプTにやっとなることができた、だから失いたくない。物心ついた頃から、それよりのずっと以前から聞かされ続けた”半身を喰い殺す”ことを繰り返したくない。
独りぼっちはもう……嫌だ。
只それだけの理由だとも思っていた。それと同時にそれ以上のナニカもある気がして、問い続けたが今だ答えが出ない。
だから明確に答えられない。
「どうしてだろう……僕自身もわからないです。ただ、何か良くわからないのですが、初めて会ったその時から彼女は僕の心の内に入ってきていた……いや当たり前のように繋がっていた。そしてそれはごく自然なことで、アリスは今まであてがわれた候補とはまるで違う存在でした。」
「精神の繋がりが当たり前のように既にあった……だと……?」
「そうです。小説で言うならば"二人は運命の赤い糸で結ばれていた"って奴ですかね。」
我ながら随分とロマンチックな言い回しだ。だが、これ以上の例えが見つからなかったのだ。マーレイは俺の答えに何か思うことでもあるのか、ブツブツ独り言を言っていたと思ったら急に黙って考え事を始めた。
こうなってしまうと、だいたい呼んでも帰ってこないので放っておくことにしている。
窓の外の景色は随分と賑やかで、駅を中心に宝飾店に食料品店、服に本に娯楽や飲食にホテル……数多くの店が立ち並ぶ通りを過ぎれば随分と立派な居住地区に入る。暗い影に隠れるように痩せた粗末な身なりの人間を気にとめることもなく、多くの人々が行き交う。さすが大国の1つ。大きな街ともなれば人も物資の量も大変多い。
しかしながら多くの国はここのように豊かではない。人々が行き交うことも少なく、古びた建物と壊れかけの建物が混在しているのだ。廃墟と化した場所も多く、そこかしこで血の流れる小競り合いが絶えない。
きっとこういう場所が戦いとは無縁の安全な場所とでもいうのだろう。しかし半身の首もとに触れれば嫌でも自覚させられる。
アリスと出会って誓った外の世界にいるはずなのに、俺たちは未だ硝子の内に居て首輪を付けられ囚われているのだと。
俺はその気に入らない思考を振り払うため、仕事のことに思考を戻した。
資料ではこの一角に対象の自宅があり、そこで近くパーティーが催されるという。研究施設はその付近に存在し、入り口は自宅に隠されているためパーティーに乗じて潜入・破壊し対象の殺害を実行する事となった。メイドは全員アンドロイド、出入りの業者は身元が確認され対象家族とも顔見知りで入り込むのが難しい。パーティーも客は事前に情報が登録され、招待状と共に確認されなければ参加することが出来ないが、顔のわからない相手だろうと参加が出来る唯一の機会だ。既に手はずは整えられており、参加できるようにしてある。
(今回の実戦……泥やらナニやらで汚れることもないし、汚ならしい兵士がそこかしこに居るわけでもなく、野宿するわけでもないからまだ良い。あぁ、そんな事アリスにさせたくない。)
過度のストレスに狂った兵士、欲にまみれた野郎どもの集団と過ごすことのない彼女との初めての実戦訓練に感謝した。可笑しな話だが……な。
(……ん~……うぅ。)
俺の眠り姫がゆるゆると意識が覚醒し始めるのを感じる。彼女の名を優しく呼んでやると、頭を起こして口に手を当てあくびを1つ。まだ眠そうに瞼が半分閉じている。
(うぅ~、おはようアッシュ。……お家に着いた?)
(おはようアリス、良く眠っていたね。住宅街に入ったからもうすぐだよ。)
肩に当たって乱れた方の髪をなおしてやり、俺たちは手を繋いで到着を待つ。マーレイはいまだ何かを考えているようだった。
「ホワイト様、ホワイト様。」
運転席からポーターが声をかけてきた。その声にマーレイは意識を戻す。
「何だ?」
「もうじきの到着でございます。」
「そうか、わかった。」
見えてきたのは立派な門とその奥に建つヴィクトリアンスタイルの邸宅。一見するとただの比較的裕福な家。車が到着すると自動で門が開き、中へと誘われる。
(絵本に出てくるお家みたい!ねぇねぇアッシュ、後で探検してみましょう!?)
(そうだね、そうしようか。)
到着するとポーターがドアを開け、荷物はメイドが預かってくれる。
しばらくの間、ここが俺たちの住まい……ベット以外何もない白い部屋よりも温かみがある檻の中へ、裕福な家庭の兄妹を装いながら俺たちは身一つで邸宅へと入って行ったのだった。




