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終末保管局のリボン付き遺失物―落とし物に宿った感情が見える私が、先輩の喪失を受け取るまで―  作者: 明石竜


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8/12

第八章 副会長は信じない

 久我志季が私を呼び止めたのは、火曜日の昼休みだった。

 場所は生徒会室の前の廊下で、私は用事があったわけではなく、ただその前を通りかかっただけだった。でも生徒会室のドアが開いて、「少しいいですか」と声がかかった。

 中性的な顔立ちで、整った雰囲気の人だった。眼鏡はかけていないけれど、かけていそうな印象がある。生徒会副会長の腕章をつけていた。

「高槻ましろさんですよね」

「はい」

「久我志季といいます。生徒会副会長の」

「知ってます」

「少し話を聞いてもいいですか。昼休みの間だけ」

 生徒会室に通された。

 中は思ったより狭かった。机が四つ並んでいて、棚に書類が詰まっていた。窓から校庭が見えた。今日は曇っていて、校庭がくすんで見えた。

「座ってください」

 志季さんは机の椅子を一つ引いて、自分は正面に立った。座られる側が立って話すのは、圧迫感を出すためなのか、それとも単に習慣なのか、判断できなかった。

「単刀直入に聞きます」

「どうぞ」

「榊先輩と、最近よく接触していますね」

「はい」

「旧校舎でも一緒にいたと聞きました」

「一緒になりました。意図して一緒にいたわけではなくて」

「結果として一緒にいた」

「そうです」

 志季さんは私を見た。感情の読みにくい目だった。怒っているのでも、疑っているのでも、ただ値踏みしているのでも、どれにも当てはまらないような見方をされた。

「先輩の体調が、ここ最近優れないことが多い」

「気づいていました」

「旧校舎に行った日も、頭痛を起こしていた」

「見ていました」

「そのたびに、あなたが近くにいます」

 私は少し間を置いた。

「因果関係があると思ってますか」

「可能性を排除できない、と言っています」

「私が原因で先輩の体調が悪くなってるとは思いません」

「根拠は?」

「先輩の体調不良は、旧校舎に関係しています。私が近くにいることで悪化しているわけではない」

「あなたがそう判断できる根拠は?」

「説明が難しいですが」

「説明できない根拠は根拠ではない」

 冷たい言い方ではなかった。ただ正確だった。論理として正しいことを言っていた。だから返す言葉が難しかった。

「……先輩の体調が心配なのは分かります。だから私を疑うのも理解できます」

「疑っていません。確認しています」

「その確認の結果、私が怪しいと思ったら?」

「先輩に近づかないよう言います」

「従わなかったら?」

 志季さんが少し目を細めた。

 「あなたは従わないと言いたいのですか」

「場合によっては」

「どういう場合に」

「先輩が、私に近づかれることを望む場合」

 長い沈黙があった。

 志季さんは私を見たまま、動かなかった。

「……先輩があなたを必要としていると?」

「必要、とは言っていません。でも先輩が関わることを選んでいる。それはあります」

「それを根拠に動くのは、危うい」

「危うい、というのは?」

「榊先輩は優しい人です。必要でない人間でも、拒絶することが苦手な。相手が踏み込んでくれば、受け入れてしまう。それを都合よく解釈するのは」

「都合よく解釈しているつもりはないです」

「つもり、というのが問題です」

 また正確なことを言われた。否定できなかった。

「先輩のことを心配しているんですね、志季さんは」

「当然です」

「ずっと近くで見てきたから」

「三年間、生徒会で一緒にいました」

「先輩のことをよく分かっているから、私みたいな人間が近づくのが、不安なんですよね」

 志季さんが少し動いた。ほんのわずか、表情が変化した。

「不安、とは言っていない」

「でも、そういう感じがする」

「あなたは感情を読むのが得意なんですか」

「少し」

「……便利な体質ですね」

 皮肉ではなかった。本当にそう思っているような言い方だった。

「不便なこともあります」

「そうでしょうね」

 少し、空気が変わった。対立ではなく、会話になった気がした。

「榊先輩の体調については、私も気にしています。先輩に関係のある怪異が、学校内で起きているのは確かです。その調査に私が関わっているのも確かで」

「怪異、という言葉を使うんですね」

「それ以外の言い方が分からなくて」

「信じますよ、一応」

「一応、が正直で助かります」

「信じるかどうかと、あなたを信用するかどうかは別の話ですが」

「それも正直で助かります」

 志季さんは初めて、わずかに表情を崩した。苦笑、と言えるくらいの、小さな変化だった。

「あなたは変な人ですね」

「よく言われます」

「本当に、よく言われているんですね」

「はい」


 その日の放課後に、怪異が起きた。

 透子から連絡が来た。「三年生で、名前を書いたものが全部消える子がいる。ノートの自分の名前が消えてて、下駄箱の名前プレートも消えて、出席簿でも自分のページだけ空白になってるって」

 場所は確認できていないけれど、持ち物は学校のものだという。

 ルチルに確認したら「行く」と即答だったので、依子さんに連絡して合流場所を決めた。依子さんは「今日は少し遅れるかも」と言った。「先に状況確認だけしておいて」とも言ったので、放課後の教室棟から回ることにした。

 透子が言っていた三年生というのは、二組の川村という生徒だった。透子の情報網はどういう仕組みで動いているのかよく分からないけれど、名前まで把握していた。

 三年二組の教室に行くと、もう生徒はほとんどいなかった。一人だけ、机の前に座って手帳を見ている女子がいた。

「川村さんですか」

 振り返った。顔色が悪かった。

「そうだけど……あなた、二年じゃない?」

「高槻といいます。少し話を聞かせてください」

 川村さんは手帳を見せてくれた。

 ページを開くと、書いてあるはずの名前の部分が、白くなっていた。消した跡でもなく、最初から何も書いていなかったように。

「今朝から気づいて。友達に確認したら、私の名前は分かるって言うんだけど、書いたものだけ消える」

「何かを拾いましたか、最近」

「え?」

「落とし物を、拾ったとか」

「……生徒手帳を、一昨日拾った。廊下で。でも拾って先生に届けたから」

「届けた、ということは触れた」

「そりゃそうだけど」

「その生徒手帳は今、どこに?」

「先生が預かってるはず。持ち主から申し出がないって言ってたけど」

 ルチルが耳元で言った。「職員室だ。その生徒手帳が核だ。かなり強い」

「強い?」

「名前を奪う性質の怪異だ。持ち主の名前が徹底的に削られている。触れた者の書いた名前まで影響が出ている」

 私は川村さんに「少し待ってもらえますか」と言って、廊下に出た。

「名前を奪う、ってどういうこと?」

「その生徒手帳の持ち主は、名前を失くした。あるいは、名前を消されることへの強い恐怖が残っている。それが怪異化して、周囲の名前を消し始めている」

「名前を消されることへの恐怖」

「もっと正確に言えば、存在を消されることへの恐怖だ。名前が消えれば、存在が消える。そういう感情が核にある」

 私は少し立ち止まった。

「ルチル、それって」

「職員室に行くぞ。依子がまだ来ないなら、おまえが先に核を確認しておけ」

「触っていいの?」

「触るだけにしろ。感情を確認して、依子が来てから封縫する」


 職員室で事情を説明するのに少し手間取った。担任の先生を呼んでもらって、保護者からの依頼で調査している、という依子さんに教えてもらった説明をした。詳しくは言えないけれど調査のために確認させてほしい、という話をしたら、担任の先生が困った顔をした。

 ちょうどそのとき、廊下から声がした。

「私が確認します」

 晴澄さんだった。

「生徒会として、該当案件の状況確認を行います。高槻さんは私と一緒に来ています」

 先生は晴澄さんの顔を見て、「榊さんが、分かりました」と言った。生徒会長の名前は強かった。

 生徒手帳を別室に持ち出す許可が出た。

 廊下に出てから、晴澄さんに「なんで来たんですか」と尋ねたら、「志季から連絡が来た」と言われた。

「志季さんが?」

「高槻さんが動いていると。一人では危ないかもしれないって」

「志季さんが、そう言ったんですか」

「意外?」

「……少し」

「あの子は、信用する前に確認するタイプだから。今日あなたと話したんでしょう。何かを確認したんだと思う」

「確認した結果が、連絡する、だったんですか」

「完全に信用したわけじゃないと思うけれど」

 晴澄さんは手帳を入れた袋を持ちながら、前を向いていた。

「それでも動いた。それが志季なりの判断」

 空き教室に入って、机に生徒手帳を置いた。依子さんからは「あと十分で着く」と連絡が来ていた。

「触っていいですか」と私はルチルに確認した。

「確認だけ。深く入るな」

「分かった」

 生徒手帳を手に取った。


 強かった。

 想定より、強かった。

 名前が削られていた。本当に、削られていた。持ち主の名前だけが徹底的に抜け落ちている。名前を書いたページ、名前を書くはずの欄、全部白かった。

 感情は、恐怖だった。

 ただの恐怖ではなかった。もっと根本的な、存在を消されることへの恐怖。名前がなければ自分はいなかったことになる、という恐怖。誰かに呼ばれなければ、自分はここにいない、という感覚。

 持ち主は、名前を呼ばれることに、ひどく執着していた。呼んでもらえなかった経験があるのかもしれない。あるいは、呼んでもらえなくなることが怖かったのか。

 それ以上深く入ろうとしたとき、ルチルが「止まれ」と言った。

「深いところに何かある。今は入るな」

「何かって」

「分からない。ただ、触れてはいけないものがある。おまえの感応が引き寄せられている。手を離せ」

 手を離した。

 深呼吸した。

「大丈夫?」

 晴澄さんの声だった。私の顔を見ていた。心配している目だった。いつもの整えた顔より、少しだけ崩れていた。

「大丈夫です。ただ、少し重かった」

「無理しないで」

「しませんでした。止められたから」

「誰に?」

「ルチルに」

 ルチルは晴澄さんのそばで尻尾を揺らしていた。晴澄さんはルチルを見た。ルチルは晴澄さんを見た。

 いつも、この二人が向き合うと少し空気が変わる気がした。ルチルが晴澄さんに向けている何かが、ただの警戒とは違う気がして、でも何なのかはまだ分からなかった。

「ありがとう」

 晴澄さんはルチルに言った。

 ルチルは黙った。

「なんで黙るの?」

「礼を言われる筋合いはない」

「でも止めてくれた」

「それはおまえへのことだ。こいつへの礼には当たらない」

「ずいぶんはっきり言うのね」

「事実だ」

「あなたは私のことが嫌い?」

「嫌いとは言っていない」

「でも歓迎もしていない」

 ルチルが尻尾を一回強く揺らした。

「……今は関係ない。依子が来たら封縫してもらえ」

 話を切った。晴澄さんは少し不思議そうな顔をしたけれど、それ以上追いかけなかった。


 依子さんが来て、封縫が行われた。

 白い糸が生徒手帳に巻き付いて、感情の根を縫い留めた。時間がかかったけれど、終わると川村さんの名前が戻った、と透子から連絡が来た。

「よかった。ただ、この案件は少し気になる点があって」

 依子さんが伝えた。

「名前が消えること?」

「それもあるけど、核の深いところ。触れた?」

「少し。深く入ろうとしたら、ルチルに止められた」

 依子さんはルチルを見た。ルチルは依子さんを見た。

「何があった?」

「触れてはいけないものがあった。おまえも感じたはずだ、封縫のときに」

 ルチルは依子さんに向かって言った。

「感じた。名前に関わる、かなり深い根がある。今回の怪異だけの根じゃない」

「どういう意味ですか」

 私が尋ねると、依子さんとルチルが少し顔を見合わせた。見合わせた、というのが正確かどうか分からないけれど、一瞬だけそういう間があった。

「学校全体の怪異の根と、つながっている可能性がある。名前を消す、存在を削る、という性質は、個別の案件にしては特徴的すぎる」

「個別じゃなくて、全部同じ根から来てる」

「かもしれない。まだ確定じゃないけど」

「その根っこが何なのかは」

「調査中」

 依子さんが答えた。でも目が少し、違う方を向いた。晴澄さんの方を。

 気づいたのは私だけだったかもしれない。晴澄さんは窓の外を見ていた。依子さんの視線に気づいていなかった。

「高槻」

 そのとき、廊下から声がした。

 志季さんだった。ドアのところに立っていた。

「結果はどうでしたか」

「収束しました」

「そうですか」

 志季さんは中に入ってきた。依子さんに目を向けて話しかけた。

「冬月さんですね。榊先輩から伺っています」

「こんにちは」

 依子さんは軽く返した。

 志季さんは晴澄さんのそばに来て、「大丈夫ですか」と尋ねた。

「大丈夫」

「無理をしていませんか」

「していない」

「先輩がそう言うときは信用できないので、客観的に確認しています」

「ずいぶんな言い方ね」

「事実です」

 この二人の会話の仕方は、長い時間をかけて作られたものだと思った。晴澄さんに対して志季さんが持つ感情は、忠誠心だとか献身だとか、そういう言葉が近いのかもしれないけれど、それだけではない気がした。もっと個人的な、深いところにある何かだった。

 志季さんが私を振り返った。

「今日のあなたの動き方、見ていました」

「そうですか」

「無茶をしていた場面と、止まった場面がある。止まれることは分かった」

「それは信頼してもらえると?」

「完全にではないですが、今日よりは」

「それで十分です」

 志季さんがまた少し表情を崩した。今日二回目の、わずかな苦笑だった。

「あなたは変な人ですね」

「今日二回目です、それ」

「そうでしたね」


 帰り道、私とルチルだけになった。

 日が落ちていた。十月の夕方は早い。街灯が灯り始めていた。

「志季さんが連絡してくれたこと、意外だった」

「そうか」

「最初は完全に敵対してる感じだったから」

「完全に敵対していたわけではない。確認していただけだ」

「ルチル、志季さんのこと、わりと好きでしょ」

「好きではない」

「でも嫌いでもない」

「……嫌いではない」

「似てるよね、ルチルと」

「どこが」

「信用する前に確認する。感情を表に出さない。でも動く」

 ルチルが黙った。

「まったく似ていない」

「そう?」

「そうだ。あの副会長とは根本が違う」

「どこが違う」

「あの副会長は榊晴澄のために動いている。あたしはおまえのそばにいる」

「ルチルはなんで私のそばにいるの」

「仕事だ」

「それだけ?」

「それだけだ」

「嘘っぽい」

「嘘ではない」

「でも今日、止めてくれたのは仕事じゃない気がした」

 ルチルが尻尾を強く揺らした。

「仕事の範囲に含まれる」

「無理やりな解釈では」

「含まれると言った」

「はい、はい」

 私は少し笑った。ルチルは「笑うな」と言った。

「一個だけ聞いていい?」

「なんだ」

「今日の生徒手帳の、深いところ。触れてはいけないって言ってたけど、あれは何だったの」

 ルチルが黙った。

「名前を消された誰かの、感情に近いものがあった」

「名前を消された、って」

「今の学校に起きていることの根と、つながっていた。それ以上は言えない」

「言えない理由がある?」

「ある」

「私が無茶をするから?」

「それもある。ただ」

「ただ?」

 ルチルは歩くのを止めた。肩の上で、私の顔を正面から見た。小さな目が、真剣だった。

「知ることで、おまえが傷つく可能性がある。そのための準備ができていないうちは、言えない」

「準備」

「心の準備でも、能力の準備でも」

「それって、かなり大事なことを知ってるってこと?」

「……かもしれない」

「ルチル」

「なんだ」

「教えてくれるって、信じていい?。準備ができたとき」

 ルチルはしばらく黙った。

「……ああ」

 短く言った。でもそれが今日で一番、はっきりした約束だった。

 私は歩き出した。ルチルが肩の上に戻った。

 街灯の下を歩きながら、今日のことを整理した。志季さんと話したこと。生徒手帳の怪異。晴澄さんが心配してくれたこと。ルチルが止めてくれたこと。

「あなたは人を助けるふりをして壊している」

 志季さんが言った言葉が、ふとした拍子に戻ってきた。

 その言葉は、今も胸のどこかに刺さったままだった。否定できなかったから。放っておけないから動く、それが本当に正しいのかどうか、まだ分からなかった。

 でも今日、止まれた。

 それだけは、少し信じられた。

「ルチル」

「なんだ」

「今日は止まれた」

「知っている」

「よかった?」

「当たり前だ」

 ルチルの声が、短かったけれど、温度があった。

「次も止まれ」

「努力する」

「努力では困る。止まれ」

「……止まる」

「よろしい」

 そう言って、ルチルは黙った。

 夜の道を、二人で歩いた。


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