表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終末保管局のリボン付き遺失物―落とし物に宿った感情が見える私が、先輩の喪失を受け取るまで―  作者: 明石竜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/8

第五章 渡されなかった手紙

 文学部の部室は、本館の四階にある。

 普段ほとんど人が来ない場所で、放課後になると廊下がしんと静まり返る。図書室の隣で、本の匂いが廊下まで漏れてくる。私はそこをたまに通ることがあって、その匂いは嫌いじゃなかった。

 でも木曜日の放課後に木乃葉から「文学部の棚で変なものが見つかったって」と聞いて、その匂いが少し変わって感じた。

「変なものって?」

「手紙が大量に出てきたらしくて。棚の裏側から」

「誰かが隠してたの?」

「そうみたい。でも差出人の名前がないし、宛先もないやつが大部分で。文学部の子たちが読んだら、なんか夜になると誰かに会いに行きたくなるって」

「夜に?」

「うん。放課後の遅い時間に、校舎の中をうろうろしてる生徒が最近増えてて。それ全員、その手紙を読んだ子たちだって」

 私は鞄の中でルチルが動いた気がした。鞄の中にいるのか外にいるのか、ルチルは気分で変えるのでよく分からないのだけれど、今日は中にいたらしい。

「高槻」

 ルチルに小声で名前を呼ばれた。

「分かってる」

「何? ましろ」

「なんでもない、ひとりごと」


 放課後、文学部の部室に行った。

 ルチルは鞄の中に入ったまま来た。部室のドアを開けると、中に三人の部員がいた。本棚を整理していた二人と、机に座って何かを読んでいた一人。

「あの、すみません。文学部の部室ですよね」

「そうだけど」

 読んでいた子が顔を上げた。二年生くらいに見えた。

「最近、棚の裏から手紙が出てきたと聞いて。少し見せてもらえませんか」

「なんで?」

「気になって」

「あなた、文学部じゃないよね」

「高槻ましろといいます。二組の」

「……手紙ねえ」

 本棚を整理していた一人が振り返った。少し困ったような顔をしていた。

「持ち主が分からなくて困ってたところではあるんだけど。読んだら変な気持ちになるし、でも捨てるのも気が引けて」

「変な気持ち、というのは」

「なんか、誰かに会いに行きたくなる。特定の誰かじゃなくて、自分でも分からない誰かに」

「昨夜も、気づいたら廊下に出てた。どこかに向かおうとしてたみたいで、でもどこかは分からなくて」

 別の子が言った。

「手紙を見せてもらえますか」

 私がお願いすると、しばらく迷ったあと、棚の整理をしていた子が引き出しから束を出してきた。

 かなりの量だった。便箋や大学ノートのページを切り取ったもの、チラシの裏に書いたもの、それぞれ別々の筆跡で、別々の人間が書いたのは一目で分かった。でも全部共通しているのは、宛先がないこと。「あなたへ」と書いてあるものもあるけれど、名前がない。

「触っていいですか」

「どうぞ」

 一番上の一通を手に取った。


 薄かった。

 一枚目は、感情の濃度が低かった。書いた人は遠くにいて、感情も時間とともに薄れている。誰かへの小さな感謝、という感じだった。

 二枚目も薄かった。

 三枚目を手に取ったとき、少し変わった。

 四枚目で、はっきり分かった。

 これだ、と思った。

 便箋が二枚。丁寧な字で、でも途中から少し乱れていた。最後まで書こうとして、最後まで書けなかった、という感じが字にあった。

 流れ込んできた感情は、最初からずっと一色だった。

 好きでした。

 それだけだった。それだけなのに、どれだけ濃いのかと思うくらい、その感情が満ちていた。

 女の子の感情だった。相手のことを、ずっと考えていた。一緒に帰ったこと、笑った顔、図書室で隣に座ったこと、小さな記憶が積み重なって、それが全部この四枚目の便箋に溶けていた。

 そして相手もまた、女の子だった。

 好きだった。言えなかった。

 卒業式の日に渡そうと思っていたけれど、できなかった。人が多くて、それだけじゃなくて、怖かった。変に思われたら、嫌われたら、今まで積み重ねてきたものが全部壊れてしまう気がして。

 結局、手紙は渡されなかった。

 相手は卒業して、どこかへ行った。

 手紙だけが、ここに残った。


 目を開けた。

「大丈夫?」

 部員の子が話しかけてくれた。

「はい。少し、集中してしまって」

「顔色悪い」

「大丈夫です」

 手紙を持ったまま、少し考えた。依子さんに連絡すべきか。でも今夜また校舎をうろうろする生徒が出る前に、何とかした方がいい気がした。

「この手紙の束、もう少し預かってもいいですか。一日だけ」

「え、なんで?」

「持ち主を探したい」

「持ち主ってどういう意味、差出人がいないんだけど」

「それでも」

 部員たちが顔を見合わせた。それから「まあ、いいけど」と言ってくれた。

 私は手紙の束を鞄に入れた。鞄の中でルチルが動いた気がした。


 廊下に出てドアを閉めてから、ルチルが鞄から出てきた。肩の上に乗って、小さな声で言った。

「四枚目のやつ」

「うん」

「あれが核だ。その手紙に残った感情が、周囲に干渉して夜の徘徊を引き起こしている。"誰かに会いに行きたい"という感情が、読んだ者に伝播する」

「受け取れば収束する?」

「単純ではない。この場合、感情の源がまだここにある。書いた人間が」

「え、卒業したんじゃ」

「書いた時点の感情がそこまで強く残っていれば、本人は卒業していてもまだ何かに縛られている可能性がある。あるいは」

「あるいは?」

「本人がまだここにいる」

 私は立ち止まった。

「まだ、久瀬ヶ丘高校の生徒?」

「可能性はある。書いたのが最近だった場合」

「どうやって分かる」

「おまえが感応を使うしかない。ただし、丁寧にやれ。あの手紙の感情は濃い。飛ばされるな」

「飛ばされる、って」

「感情の中に引きずり込まれるということだ。今日のおまえにはまだ早いかもしれない」

「でも夜になると徘徊が起きる。それは止めないといけないよね」

 ルチルが黙った。

「……正論だ」

「じゃあやる」

「できるかどうか確認してからにしろ」

「できるかどうかはやってみないと分からない」

「そういう判断が一番危ない」

「ルチルが止めてくれるんじゃないの?」

「止めるために言っている」

「大丈夫」

「根拠は?」

「なんとなく」

 ルチルが尻尾を強く揺らした。怒っている時の動き方だということは、もう分かっていた。

「……なんとなくで動くな、と毎回言っているのに、毎回なんとなくで動く」

「直感は大事だよ」

「直感と無謀は別物だ」

「わかった、じゃあ気をつけながらやる。それでいい?」

 ルチルはしばらく黙って、「気をつけながら、という意味を理解しているなら」と言った。

「理解してる」

「本当に引きずられそうになったら、あたしが呼ぶ。そのときは手を離せ」

「分かった」

「約束しろ」

「約束する」

「おまえの約束は信用できないが、一応聞いておく」

「信用できないって何」

「放っておけない性格のやつの約束は、感情が勝った瞬間に破れる。おまえはそういうやつだ」

 否定できなかった。


 空き教室を借りた。

 四枚目の便箋を両手で持って、目を閉じた。

 ルチルが隣にいた。音はしないけれど、気配がある。

 受け取る、と思った。全部じゃなくていい。でも、ここにある感情を、ちゃんと見る。

 好きだった感情が、また流れ込んできた。

 今度はもう少し深く入った。感情の輪郭だけじゃなく、記憶の断片が見えてきた。

 図書室。本を返しに行く日、いつも少し早めに来るのは相手に会えるかもしれないから。声をかける口実を探すのが習慣になっていた。声をかけると笑ってくれた。その笑顔のために一週間過ごしていた。

 文化祭。出し物の準備で遅くなって、二人だけになったとき、何か言えるかと思った。でも言えなかった。「お疲れ様」だけ言って帰った。帰り道でずっと後悔した。

 卒業式。式が終わって、校庭で写真を撮っているあの子を遠くから見ていた。手紙を持っていた。渡そうと思っていた。でも人が多くて、人が多くて、それだけじゃなくて、怖くて。

 気づいたら相手はもうどこかへ行っていた。

 手紙だけが手の中に残った。

 後悔が、じわりと重かった。

 言えなかった言葉の重さというのは、時間が経っても軽くならないのだということが、この感情を通じて分かった。言えなかった側がずっとそれを持ち続ける。相手は知らない。知らないまま、どこかで別の毎日を送っている。

 ここだけに、言葉にならなかったものが残っていた。

 受け取った、と思った。

 あなたがそこにいたこと。あの人を好きだったこと。言えなかったこと。渡せなかったこと。ちゃんとここにあった。見つけた。

 手紙が、少し軽くなった気がした。


 目を開けたとき、教室の外が暗くなり始めていた。

「戻ってこられたか」

「うん」

「引きずられそうになっていた」

「一回だけ、少し」

「気づいていたか」

「気づいてたから戻れた」

 ルチルが「そうか」と言った。短く。でもその短さに、少し安堵が混じっているような気がした。

「手紙の持ち主は、まだここにいると思う」

「根拠は?」

「感情が新しかった。古い後悔じゃなくて、今もまだ引きずってる感じ」

「……なるほど」

「相手の女の子のことを、今もまだ思ってる。だから感情が薄れていない」

 ルチルは尻尾を揺らした。

「どうする」

「本人を探す。ただ、名前が分からない」

「手紙から何か手がかりはあったか」

「図書室。よく行ってた。あと文化祭の出し物で、二人だけになったって断片があった」

「文学部か」

「かもしれない。あるいは図書委員」

「絞り込め」

「今日中に?」

「夜になると徘徊が起きると言っただろう」

「じゃあ急がないと」


 図書室に行くと、まだ開いていた。

 図書委員が返却作業をしていた。カウンターに三人いて、そのうちの一人が、私を見た瞬間だけ手を止めた。

 気づいた、と思った。

 感応じゃない。ただの直感だった。その子の手が、一瞬だけ止まったこと。私が手紙の束を鞄に入れているのを、どこかで知っていたかのような、そういう止まり方だった。

「少し話せますか」

 近づいて言った。その子は少し目を伏せた。

「……何の話」

「手紙のこと」

 長い沈黙があった。カウンターの後ろで、他の委員が本の整理を続けていた。

「外で話しますか」

 私は言った。


 図書室の外の廊下に出た。

 その子は三年生だった。名前を聞いたら、小声で答えてくれた。

「書いたのは、去年のことだから」

「はい」

「卒業式に渡せなくて、そのまま文学部の棚に置いてきた。正確には、置いてきてしまった、って感じで、捨てるつもりで置いて忘れてきた」

「でも捨てられなかった」

「……うん」

 廊下の窓から夕暮れが見えた。もう少しで日が落ちる。

「その人、今どこにいますか」

「別の高校。ここの高校じゃなくて、最初から別の学校で。でも図書館が同じだったから、一年くらい会ってた。毎週」

「今は?」

「今は会っていない。なんとなく、もう会えない気がして」

「なんで」

「言えなかったから。言えないまま会い続けても、どんどん苦しくなるだけだって思って。だから自分から離れた。でも気持ちは離れなくて」

 私はしばらく黙った。

「伝えたい、と思いますか。今も」

「……分からない。怖い」

「怖いのはどっちが怖いですか。伝えて何かが変わることが怖いのか、伝えないまま何も変わらないことが怖いのか」

 彼女が顔を上げた。

「なんでそういうことを聞くの」

「知りたかったから」

「……意地悪な聞き方」

「すみません」

「でも」

 彼女は窓の外を見た。

「伝えないまま、の方が怖いかもしれない。最近」

「そう思うなら」

「でも怖い」

「同時に怖くても、いいと思います」

 私はそこで少し迷って、言った。

「言葉にしなかった気持ちは、消えない。それは今日分かった。消えないなら、持ち続けるか、出すか、どちらかしかない。どちらが自分に向いてるか、本人にしか分からない」

 彼女はしばらく黙っていた。

「手紙、返してもらえる?」

「はい」

 鞄から四枚目の便箋だけ取り出して渡した。

「送ってみるかもしれない。まだ連絡先は持ってるから」

「それでいいと思います」

「うまくいかなくても?」

「それでも、出した手紙は届く。返事がなくても、届いた事実は残る」

「……なんか変な子だね」

「よく言われます」

 彼女はわずかに笑った。泣きそうな顔で笑う、というのはこういう顔のことだと思った。


 翌朝、依子さんに連絡したら「昨夜の徘徊は起きなかったよ」と返事が来た。「よくやった。手紙の残りは預かりに行くね」とも書いてあった。

 ルチルは登校中の私の肩の上で、尻尾をゆっくり揺らしていた。

「昨日の案件の話だが」

「うん」

「おまえは今回、何を受け取った」

「言えなかった気持ちの重さ」

「それだけか」

「……刺さった。また」

「自分自身に、か」

「うん」

「どういう点が」

 私は少し考えた。通学路に朝日が差していた。木の影が長く伸びていた。

「言葉にしないことを、なんとなく選んでることがある。傷つくのが怖いとか、変に思われるのが怖いとか。手紙の子と違う部分もあるけど、似てる部分もある気がして」

「何を言葉にしていない」

「いろいろ」

「具体的に言え」

「それは……言いたくない」

 ルチルが黙った。しばらくして、「そうか」と言った。

「責めていない。ただ確認した」

「うん」

「感応持ちは他人の言えなかった感情を受け取りやすい。それが自分の言えない感情と混線しやすい。今のおまえには特に気をつけてほしい」

「どうして今のうちに、って言うの?」

 ルチルはしばらく間を置いた。

「今後、もっと濃いものに触れることになる。そのとき、自分の感情と他人の感情の境界が曖昧だと危ない」

「もっと濃いもの」

「今の学校の案件は、まだ入り口だ」

 私は前を向いて歩いた。学校の屋根が見えてきた。

「ルチル」

「なんだ」

「今後、って言うけど。ルチルは最初から、ある程度知ってるんじゃないの。この学校で何が起きてるか」

 ルチルが一瞬だけ、動きを止めた気がした。

「どうして」

「なんとなく」

「……なんとなく、ばかりだな、おまえは」

「当たってる?」

「学校に着く。話は終わりだ」

 ごまかされた、と思った。でも今日は追いかけなかった。

 校門を入ったとき、渡り廊下の向こうに晴澄さんの姿が見えた。朝の点検をしているのか、生徒会の腕章をつけて、廊下を歩いていた。

 こちらには気づいていなかった。

 でも私はなんとなく、足が止まった。

 昨夜、言葉にしなかった感情の話をしながら、頭の片隅に浮かんでいたことがあった。

 晴澄さんに対して、自分が何かを言葉にしていないような、そういう感覚。

 怪異の話でも、感応の話でもない。もっと別の、単純な何か。

「行くぞ」

 ルチルが耳元で言った。

「うん」

 私は歩き出した。

 晴澄さんは、渡り廊下の途中で立ち止まって、窓の外を少し見た。何かを考えているような顔だった。

 その顔を見て、また言えない何かが胸のあたりに溜まった。

 言えなかった気持ちは、消えない。

 昨日自分で言ったことが、今朝自分に向かって返ってきた。

 私は目を逸らして、教室への廊下を歩いた。それが正しいのかどうかは、まだ分からなかった。

 振り返らなかったのに、晴澄さんがそこで立ち止まっていたことだけは分かった。

 あの人もまた、誰にも言えないまま持ち続けている気持ちがあるのだと、妙にはっきり思えた。

 ただ一つだけ分かった。最近この学校で起きる“失くしもの”は、ばらばらに見えて、どこか同じ場所を向いている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ