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終末保管局のリボン付き遺失物―落とし物に宿った感情が見える私が、先輩の喪失を受け取るまで―  作者: 明石竜


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第二章 終末保管局へようこそ

 終末保管局・久瀬支部の扉は、思ったより軽かった。

 昨日初めて開けたとき、この古びたドアは重くて軋むだろうと構えていたのに、拍子抜けするくらいすんなり開いた。そういうもののほうが怖い、と今朝また来て思った。軋まない扉には、慣れすぎた人間の気配がある。

「来た来た」

 依子さんが奥から声をかけてきた。今日も棒付きキャンディをくわえている。いちごあじ、と書いてある。

「おはようございます」

「おはよう。昨日は帰ってからどうだった? 変なものが見えたりしなかった?」

「……特には」

「ならよかった。初めて感応を本格的に使ったあとって、しばらく感度が上がることがあるから。夢に出てきたりとか」

 出てきた。とは言わなかった。「行かないで」という感情が夢の中で繰り返されて、三時に目が覚めた。他人の感情なのに、目が覚めてしばらく、ひどく胸のあたりが重かった。

「高槻」

 奥から真壁さんの声がした。今日は書類が少ないのか、デスクの上が昨日よりすっきりしていた。

「昨日の一件については、冬月から基本的な説明は受けたと思う」

「はい」

「今日はもう少し詳しく話す。座れ」

 真壁さんが椅子を示した。

 私は素直に座った。正面に真壁さん、横に依子さんが来て、ルチルは棚の上から見下ろす形になった。自分で見晴らしのいい位置を確保しているのは昨日から気づいていた。

「終末保管局とは何か、から始める」

 

 真壁さんの説明は、三十分ほど続いた。

 要約すると、こういうことだった。

 人が何かを失くすとき、その物には持ち主の感情が染み込む場合がある。日常的な失くし物のほとんどは薄い。気にせず忘れてしまえば、感情も薄れて消える。

 問題は、強い感情と結びついた失くし物だ。

 後悔、未練、怒り、悲しみ。誰かへの愛情でも、誰かへの憎しみでも、感情の濃度が一定を超えると、その物は怪異化する。現実に干渉し、周囲を歪める。昨日の改札のように、あるいはもっと大規模なものも起きる。

「最大規模の怪異は、街ひとつを封鎖しかねない」

 真壁さんは無表情だけれど、脅かそうとしているわけではないと分かった。ただ事実を言っている人の顔をしていた。脅かすためではなく、知らないまま近づかせないために先に言っているのだと分かった。あの人なりの親切は、たぶんこういう形なのだ。

「そこまでいくことはめったにない。怪異には段階がある。初期であれば、感応を持つ者が核の感情を受け取るだけで収束する。昨日あなたがやったように。中期以降は封縫が必要になる」

「封縫、というのは?」

「私の術式だ」

 依子さんが手を挙げた。

「怪異化した遺失物を糸で封じる。縫い留める、みたいなイメージ。正直見た目は地味だけど、効く」

「地味と言うな」

「地味だもん」 

「高槻」

 真壁さんが私に向き直った。

「遺失感応は、この組織において非常に希少な能力だ。怪異の核に最も近づける体質であり、初期収束を最も効率よく行える。が……危険性も高い。感情の強い怪異に深く触れれば、自分の記憶まで引きずられることがある。過去の案件では、感応持ちが他者の感情の中に意識を囚われたまま戻れなくなった事例もある」

「それは」

「まれだ。ただし、ゼロではない」

 私はルチルを見た。ルチルは棚の上で尻尾を揺らしながら、別の方向を向いていた。視線を逸らしているというより、じっと考え込んでいるように見えた。

「見習いとして扱う。最初は冬月が同行する。単独行動は許可しない。学校での案件については、可能な限り接触を最小限に留めろ。日常を乱すな」

「はい」

「分からないことがあれば聞け。ただし無駄な質問はするな」

「無駄かどうか聞く前に分からないんですが」

 真壁さんが初めて私を正面から見た。

「……それは正論だな」

 少しだけ、表情が動いた気がした。ほんのわずか。すぐ元に戻ったけれど。

「では聞け。答えられる範囲で答える」

「ありがとうございます」

「素直なところは評価する」

「ツンデレだ」

 依子さんが小声で言った。

「冬月」

「冗談です」


         ☆


「実際のところ」

 昼休みに、依子さんが事務所の窓際でキャンディを別のに変えながら言った。今度はメロンあじだった。

「あなた、どこまで理解した?」

「だいたいは」

「正直に言っていいよ」

「……半分くらい」

「正直だね」

 依子さんは意地悪な笑い方ではなかった。

「ま、最初はそんなもんだよ。私も最初に説明されたとき、霊質がどうとか感応干渉がどうとか言われて、半分以上飛んだし」

「依子さんも最初は一般人だったんですか」

「普通の大学生だった。封縫の能力は後天的に得たやつだから、訓練した。あなたとは逆のパターン」

「じゃあ私みたいに、最初から変な体質だったわけじゃ」

「変じゃないよ」

 依子さんの良い方はさらりとしていたけれど、否定の速度が速かった。

「遺失感応は、感じやすい体質だってこと。それだけ。変なんじゃなくて、他の人より受け取れるものが多い。それはそれで、しんどいこともあるだろうけど」

「……しんどい、って知ってるんですか」

「何人か見てきたから、そういう体質の人を」

 軽い言い方だったのに、その一言だけは少しだけ重かった。

 慰めじゃなくて、見送ってきた人の言葉みたいに聞こえた。


 窓の外、久瀬ヶ丘の昼の街が見えた。お弁当を持って公園に向かうサラリーマン、自転車で走り抜ける高校生、スーパーの前で話している老人たち。あの中の誰かが今日失くし物をするかもしれない、と思うと、少しだけ街の見え方が変わった気がした。

「怖かった? 昨日」

 依子さんが尋ねた。

「最初は、はい」

「その後は?」

 その質問に、私は少し考えた。

「……なんか、置いてきてしまうのが、嫌でした。定期入れを道端に戻して行ったら、その感情がずっとそのままでいるみたいで」

「うん」

「持ち主に返してあげることはできないけど、受け取るだけでも、少しはましかなと思って」

「そういう人に来てほしかった」

 依子さんの良い方は穏やかだった。

「この仕事、回収して封じることはできても、本当に受け取ってあげられる人は少ないから」

 ルチルが棚の上から降りてきた。丸い目で私を一瞥して、依子さんの方を向いた。

「甘いことを言いすぎだ、冬月」

「いいじゃない。本当のことだし」

「見習いが勘違いする」

「どんな勘違いを」

「なんでも受け取れば正しいわけじゃない、ということだ」

 ルチルは私を見た。丸い目が、少しだけ真剣な光を持った。

「深く入りすぎれば、戻れなくなる。おまえの体質はそういうリスクを持っている。優しさと無謀の区別がつかないやつは、この仕事に向かない」

「じゃあ私には向いてないかもしれない」

「……何故だ」

「自分でも区別がつかないから。どこまで踏み込んでいいか、いつも分からなくて、でも見えてしまったら止まれなくて」

 ルチルはしばらく黙った。尻尾がゆっくり揺れた。

「それを自覚しているなら、まだましだ」

 ぶっきらぼうに言った。

「自覚のないやつが一番厄介だ」

 褒められているのか、けなされているのか、よく分からなかった。でも悪い気はしなかった。


 午後から、初めて保管庫の中を案内してもらった。

 棚に並んだケースの中に、回収済みの遺失物が収められている。一つ一つにタグがついていて、回収日と場所と、簡単な怪異の種類が書かれていた。

「触るな」

 ルチルが命じた。

「触りたいとは言ってない」

「触りたそうな顔をしている」

「してない」

「してる」

 依子さんが苦笑した。

 棚の前を歩きながら、私は各ケースを眺めた。片方だけの手袋。古い鍵。黒い傘の骨。破れた財布。ぼろぼろのノート。ガラスのペンダント。

 どれも、誰かが失くしたもの。

 どれかが「行かないで」という感情を持っていたように、それぞれに何かを残している。私が触れたら、それぞれの声が聞こえてしまうかもしれない。

「この人たちは、持ち主のところに戻らないんですか?」

 そう尋ねると、依子さんが説明してくれた。

「基本的には戻らない。怪異化した遺失物は、回収してここで管理する。持ち主に戻せる場合は戻すけど、追跡が難しいことも多いし、戻したことで怪異が再発することもある」

「再発?」

「持ち主がまた同じ感情を持てば、また怪異化することがある。感情の根本が解消されないと、物だけ返してもぶり返す。ケースバイケースだけど」

「だから保管している」

 依子さんが、棚の奥を見渡しながら続けた。

「失くされたまま、ここで管理する」

 依子さんの言い方はいつも通りだったけれど、長くここで働いている人だけが持つ静かな疲れが、そこに少しだけ混じった気がした。

 私は棚全体を見渡した。物の量が、想像より多かった。久瀬市内だけでこれだけ、ということは。

「全国に支部があるんですか」

「ある。ここは中規模の支部」

「この量で中規模」

「大都市の支部は倉庫みたいになってるよ」

 失くされた感情が、倉庫になる。なんだか変な話だと思った。変な話なのだけれど、じゃあ他にどうするのかと言われると、分からなかった。

 保管庫の一番奥に、他と少し違うコーナーがあった。棚ではなく、鍵のかかったキャビネットが並んでいた。

「あれは?」

「特殊案件の保管区域。通常より感情の濃度が高い、あるいは怪異の規模が大きかったもの。開けるときは主任の許可が必要」

「最近のものもある?」

「最近増えてる」

 依子さんはそこで少し声のトーンを落とした。

「特に、学校周辺の案件が」

 私は振り返った。依子さんは普段の飄々とした表情のまま、ただ少しだけ目が真剣だった。

「真壁さんも言ってましたよね。学校周辺の案件が増えている、って」

「うん。久瀬ヶ丘高校の近くで、ここ数ヶ月で件数が跳ね上がってる。それもあって、近くにいるあなたに声をかけた、というのが正直なところ」

 ルチルが、そこで棚の端に飛び乗った。こちらを見なかった。

「特定の場所に遺失物怪異が集中するとき、それは単発の案件じゃない可能性がある」

「どういうこと?」

「核がある。大きな感情の、中心が。それが周囲に影響を出し続けている」

「久瀬ヶ丘高校に、そういうものが?」

 ルチルは答えなかった。棚の端を見たまま、しばらく黙っていた。

 黙っているというより、そこから先を口にすると自分まで何かを思い出してしまいそうで、止めているように見えた。

「まだ分からない。調査中。だからあなたに学校内でも目を光らせてほしい。ただし無理はしないこと」

「はい」

「本当に無理しないこと。大事なことだから二回言った」

「分かりました」

「ルチルも見てるから、無茶したらすぐバレるよ」

「バレる前に止める。見習いが暴走するのは困る」

「暴走するとは思ってないけど」

「おまえは自分が暴走しているときに気づけないタイプだ」

「なんでそこまで分かるの」

「見ていれば分かる」

 ルチルがこちらを見ないまま、そう言った。

 その言い方は偉そうというより、二度と同じものを見たくないやつの声だった。


 夕方、保管局を出て帰りを歩いていると、ルチルがついてきた。いつの間にかいる感じがあって、鞄の上に乗っていたりする。

「一つ聞いていいですか?」

「何だ」

「ルチルって、普段どこにいるの。学校のとき、私の近くにいた?」

「いた」

「気づかなかった」

「当然だ。そういうものだ」

「見えないようにできるの?」

「人間の目には映らないようにできる。おまえには映るが、それは感応のせいだ」

 なるほど、と思った。じゃあ昨日の今日まで、ずっと近くにいたのかもしれない。私が気づいていなかっただけで。

「ルチルは、ずっとここにいるの? 久瀬ヶ丘に」

「ここに用がある」

「用?」

 答えなかった。

 夕暮れの商店街を歩いていると、前から高校生のグループが来た。久瀬ヶ丘高校の制服ではなかった。通りすがりに、一人がポケットから小銭をこぼした。硬貨がアスファルトに散らばって、その子は拾いながら「あー、もう」と言っていた。

 私は気にしないように、少し目を逸らして歩いた。

 拾えた。全部、ちゃんと拾えていた。感情が流れ込んでくることはなかった。よかった。

「今、目を逸らしたな」

「こぼした硬貨は全部本人が拾ったから」

「それだけか?」

「……触ったら感情が来るかもと思って」

「正直だな」

「正直にしかなれないので」

 ルチルがちょっとだけ、笑ったような気がした。表情は変わらないのだけれど、なんとなく、雰囲気が少し緩んだ。

「慣れる。強いものと弱いものの区別が、だんだんつくようになる。全部受け取ろうとするな。鍵は、流れ込んでくる前に、自分が選んでいることを意識することだ」

「選ぶ?」

「受け取るか受け取らないか、おまえが決める。無意識に吸い込もうとするな」

「でも今まで意識したことがなくて」

「だから訓練する。あたしが教える」

「教えてくれるの」

「見習いの管理が仕事に入っているからだ」

 あくまで仕事だと言いたいらしかった。

「ありがとう、ルチル」

「礼は要らない」

 帰り道の途中で、鞄の上のルチルが急に黙った。

「どうしたの」

「なんでもない」

「急に静かになったから」

「考えごとだ」

「何の」

「おまえには関係ない」

 そこで会話が終わった。ルチルはそのまま、家の前まで黙ってついてきて、「また明日」とだけ言って、夕暮れの中に消えた。消えた、というのは本当に消えた。さっきまで鞄の上にいたのに、気づいたらいなかった。

 ふわふわしているのに、妙に気配がある生き物だと思った。


 翌日、学校で木乃葉が「昨日どこにいたの?」と聞いてきた。

 柊木乃葉は同じクラスの、一番話しやすい友達だった。明るくてよく笑って、ましろ、と呼び捨てにするのが板についている。

「少し用事があって」

「用事~? 部活もやってないのに」

「家のお手伝いみたいなもの」

「ふーん」

 木乃葉は疑っていないのか、それとも疑いながら踏み込まないでいるのか、よく分からない。おそらく後者だと思う。木乃葉は賢いから。

「そういえば、ましろ、昨日生徒会長と話してたんだって?」

「遅刻届を出すときに、ちょっと」

「すごいじゃん。榊先輩って話しかけるの緊張するじゃない、あの人」

「そう?」

「え、緊張しなかった?」

「緊張する暇がなかった」

「どういう状況」

 うまく説明できなかったので、「色々あって」とだけ言った。木乃葉は「ましろって偶にそういうこと言うよね~」と笑って、深く掘り下げなかった。


 午前中の授業を終えて、昼休みに廊下に出た。購買に行こうとして、曲がり角で、また見かけた。

 晴澄さんが、廊下の窓の外を見ていた。

 一人だった。生徒会の仕事の合間なのか、手に書類を持っている。でも書類を見ていなかった。窓の外、中庭の方をただじっと見ていた。

 何を見ているんだろう、と思った。

 遠目でも、表情が読めないと感じた。感情の表面を全部整えてある、みたいな顔だった。でもそれは依子さんの言う「感情が薄い」とは違う気がした。薄いんじゃなくて、出し方が分からないか、出すことを許していないか。

 私は廊下を歩いて、通り過ぎた。

 通り過ぎながら、横目で見た。

 晴澄さんは私に気づかなかった。気づかないまま、窓の外を見続けていた。

 引っかかりが、また胸のあたりをかすめた。昨日も感じた、あれ。落とし物のときとは違うが、なぜか似ている感覚。何かを失くした人の近くにいるときに似た感覚。

 ――でも触れてもいないのに。

「早く行け、のろい。見ていると気づかれる」

 耳元でルチルの声がした。今日は学校に入れていないはずなのに、声だけが聞こえた。気配が耳のそばにある。

「気づかれてない」

「おまえの見方は分かりやすい」

「分かりやすくない」

「分かりやすい」

 そう言って、声が遠くなった。気配が消えた。

 私は購買まで歩きながら、まだ少しだけ、さっきの廊下のことを考えていた。

 晴澄さんが何を失くしているのか、そのとき私にはまだ分からなかった。分からないまま、気になっていた。

 放っておけない、という気持ちは、落とし物と同じだとその時初めて思った。

 それがどういうことなのか、理解するのはもっとずっと後になってからだったけれど。

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