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市役所の中は、爆撃後さながらだった。建物全体が歪んで、ブルーシートや板すらもなくなり、いたる所がアスファルトで真っ黒だ。少し前、広場でウィンダムの遺体を囲んでいた男たちが戻った様子はなかった。
ただ、人数は少ない代わりに、緊張感と殺気だけは倍にも感じられた。三度、いやな邂逅をした赤毛の若者に声を掛け、メルはオースティンに面会を申し込んだ。
「せっかく逃げたのに、戻ってきやがったか。代表がお前らに割くヒマはねぇよ」
「うるせえ、いいから伝えろ。断わって後悔するのは、そっちだ」
噛み付かんばかりの表情で去って行った赤毛は、苦虫を千匹も噛んだ顔で戻って来た。オースティンが承諾したそうだ。
ところが例の副市長室の前まで来ると、スティーブがどうしても二人きりで話したいと言い出した。
「他人に聞かせられない昔話を持ち出すので」と、後には引かない様子だ。
仕方なく、メルは廊下で待つことにした。壁に寄り掛かりたいが、どこもアスファルトがべっとりと付いている。臭いもひどい。
赤毛が不穏な目つきで寄って来た。
「何で戻って来た? どうしても、ぶち殺して欲しいのか?」
赤毛の血走った目を見て、メルは首を左右に振った。こういう若者は、ストリート・ギャングやマフィアの組織内でも珍しくない。
赤毛も、一歩でも間違えば犯罪者側で頭角を現したタイプだ。組織への服従と外部への攻撃性だけが服を着て歩いている生き物だが。もっとも、若さとは鋭角的な部分をも持つ状態でもあるだろう。
メルはふと、逮捕されたロン・ニミッツを思い返した。ロンの忠誠心も、大したものだった。
オースティンは確かに魅力とカリスマ性のある男だ。
黙っているメルに焦れたように、赤毛は近くの黒い壁を蹴る。
「何とか言えよ。それとも、本当にぶち殺してやろうか?」
「ちっとは落ち着いたらどうだ? 発情期の猫みたいに喚くな。その勢いで、ウィンダムを撃ったのか?」
軽く鎌を掛けてみたつもりが、赤毛の青白い顔が薄赤くなった。
「ウィンダムは、土壇場でビビッたクズだ。『センセイ』が失敗したと聞いた途端、国外との橋渡し役を降りたいって言いやがった」
あまりにもありがちな話に、正直かなり白けた。だが、現実は「ありがちな話」に満ちている。
メルは露骨に鼻から息を吐いて、腕を組んだ。スティーブがオースティンの説得に成功しても、小型犬よろしく吠え立てる赤毛は、納得しないかもしれない。
闇雲に徹底抗戦を叫ぶ小型犬が、赤毛一人とは限らず、オースティンを連れて州兵の防御ラインまで戻る算段は、必要だ。
「だからって、片っ端から撃ってると、オースティン代表に落ち着きのない奴だと思われるぞ」
諭すような口調になったのは、つい年齢を意識したからだ。それでも赤毛が銃を抜く素振りを見せれば、飛び掛かるつもりではいた。
副市長室は静まり返っていた。スティーブのテンションの高い話し声は聞こえてこなかった。
扉が開いたのは、三十分以上も経ってからだった。
明るい表情のスティーブに続いたオースティンを見て、メルは眉間に皺が寄るのが分かった。
同じ部屋でオースティンがトーマス・グレイを撃ち殺してから、まだ半日も経っていない。僅かな間に、驚くほどに窶れて顔色が悪くなっていた。
「代表」と、声を上げて近付いた赤毛の肩に手をやって、オースティンは弱々しくメルに向かって微笑んだ。
「投降だとか自首だというつもりは一切ない。まず、アスファルトを抑える協力をする。後の話は、それからだ」
「結構ですね」
静かに答えたものの、メルはスティーブの手腕に、拍手を送りたかった。いったいどんな「昔話」を持ち出したのか。大した魔法だ。
「どこに行くんですか、代表。まさか戦いは、これで終わりじゃありませんよね」
予想通りに赤毛が甲高い声を出した。赤毛に向けたオースティンの表情は、息子を見る父親の目つきに似ていた。
「私は何も諦めてはいないし、独立に向けて進むのは止めない。ただ、独立運動の基礎を固めるために、起きた間違いを正さなくては、先々の障害になる。分かるね? まず、責任を果たす。独立運動の展開は順次、知らせるから、その気があったら、手を貸してくれ」
「ふざけんな。人を散々振り回しておいて、これかよ」
先ほどよりも顔を赤くした赤毛が、声を裏返らせた。「ロバート」と、オースティンが低い声を出した。
「私は独立の話をした時に、必ず一人の大人として、自分の責任で選んで欲しい、と言ったよ。計画が頓挫したり、長く掛かったり、すっかり消える可能性も説明した。それでも参加したのは、君の選択じゃないのか?」
ロバートが赤毛の名前らしい。ロバートを見つめるオースティンの目は、真摯だった。
「もういい。御託を並べてごまかすなら、死ね」
赤毛の手がホルスターに伸びるのに、メルは出遅れた。四人いる場所で揉み合う行為は、跳弾の危険性が高まるだけだ。銃口がオースティンの胸元に向けられた。
「撃つか?」
オースティンの声には誘うような響きがあった。ここで撃たれるならそれもいいと思っているに違いなかった。メルは赤毛のロバートの背後に回った。
「止めておけ。撃つと絶対に後悔するぞ」
憤怒の形相のまま、ロバートは凍りついていた。頭と胸の中は、さぞかし湧き返っているに違いない。一秒一秒と息苦しい時間が過ぎた。
どれくらい経ったころか、緊張が緩んだようにロバートが銃口を下ろした。スティーブが安堵の息を洩らし、オースティンの目を落胆の色が走り抜けた。
ロバートがオースティンを押し退けて、副市長室に入って行った。すぐに中から棚を倒したり、机を蹴り飛ばす音が聞こえて来た。メルにとっては、今まで棚が倒れずにあったことが驚きだ。
オースティンと並んで歩き出したメルは、再度オースティンの変容に驚いた。ウェスト・ハリウッド保安官事務所ステーションで出会ったときからオースティンが発していた空気すらも、消えていた。
カリスマ性と呼べる空気をなくした人間は、何度も見た。汚職で検挙された政治家や、犯罪に関与したセレブリティーたちで、カリスマ性を失った人間と関わる行為が、メルの仕事だ。
しかし、オースティンほど短時間に、拭ったように消えてしまうケースは珍しかった。
市役所の中にはまだまだ人が出入りしており、殺気立った雰囲気も同じだが、メルと並んで歩くオースティンは、自然に蜂起軍の人間とすれ違った。
撮影隊の責任者、ポール・コンラッドは小柄な白人だった。メルと大して年の違わない四十代だろう。スティーブに会った驚きが大きかったようだし、オースティンの姿を見て腰を抜かさんばかりだった。
「スティーブ。あなたが、独占インタビューを取るつもりですか? まだ、報道畑にいるんじゃ? 今、レクリエーション・公園局? え、ちょ、ちょっと待ってください」
慌てふためくポールは、ノートパソコンを取り出した。撮影隊が避難所として使っている場所は、平屋建てのショッピング・モールの中ほどにあるスポーツ用品店だ。
もちろん、スポーツ用品店を示す部分は表の看板だけで、ディスプレイまで綺麗さっぱりなくなり、火を焚いた跡すらあった。しかし、撮影隊は小型のパラボラ・アンテナを入口近くに設置していた。
画面を開いて何かを確認したコンラッドは、興奮した面持ちでスティーブを見上げた。
「数十分前から、ひっきりなしに色んなSNSやマイクロ・ブログで伝言が流れているんです。『公園局のスティーブ、レディを玉座にお連れして』って。何の話か、分かりますか? 『ロサンゼルスを救え作戦』だそうです」
埃のついた眼鏡越しにポールが目を瞬かせ、さらに説明を続ける。
「最初は日本から始まったんですが、すぐにアメリカに上陸して、もう西海岸じゃ、皆が呟いたりシェアしてますよ。あなたが噂の『公園局のスティーブ』なんですね!?」
頬を紅潮されたポールに、スティーブは固まったままだった。口を半開きにしたスティーブの顔は、見るからに嘘っぽいコメディー俳優の演技そのものだ。
「日本が発信地ですか。あなたの部下は、上司使いが荒いですね」
メルは三春が上司まで動員して、岩田和也の調査をした経緯を思い返した。やっとスティーブが顔の筋肉を動かした。
「驚かせてくれますよう。何か発見したらしい。玉座はペイジ博物館か、タールピットの意味ですね。そうか、ラ・ブレアにLWを連れて行けばいいんだあ」
緑色の瞳が潤んで見えた理由は、メルの錯覚ではないだろう。事情が呑み込めないまま、釣られて喜ぶポールやケイトの脇で、オースティンが呟いた。
「ああ、LWを動かすべきではなかったんだな」
ポールは、しきりとオースティンのインタビューを取りたがった。しかし、せめて州兵の防御ラインを越えてから、と説得した。
蜂起軍の形だけの軍規として、メディア関係は攻撃しない旨の一項目があるそうだ。撮影隊の二台のSUVの内、一台目に乗ったオースティンが、蜂起軍の警備が手薄な場所を指示した。
しかし、警備やチェック・ポイントよりも手を焼いた相手は、悪路だった。メルたちが来たときよりも遥かにひどい状態になっていた。
迂回を重ねたり、ショッピング・センターで集めた板を渡して段差を越えるなどして、前進した。
薄闇が迫る街の中で、倒壊した建物の近くでアスファルトの臭いを嗅ぎながら車を押すと、どこにいるのか分からなくなりそうだった。
時折、小さな地震が来た。ぐらっと揺れるのだが、大きくはならずに治まった。
隣のカメラマンが「街が元に戻るまでに、どれくらい掛かるだろう」と、誰にともなく呟き、返事はなかった。
メルは、大災害を受けた街から来たモンスターのような三春を思いやった。
三春も薄闇のどこかで、NAUの一員として活動しているのだろうか。自分の街でもない場所で。
普段なら二十分ほどの場所に辿り着くのに、数時間も掛かった。実際、歩いたほうが早いくらいだった。
だが、撮影隊は機材を諦めたくはなく、ジョージもそれほど長い間メルの背中にいたくはなかったはずだ。
午後八時を回ってやっと辿り着いたワシントン・ブールバードの防衛ラインで、殺人係のメンバーは、まだ疲れた顔を晒していた。
皮肉屋のエドでさえジョージの生還はメルに抱き付いて喜んだ。しかし周囲には、奇妙なほどの緊張感が漂っていた。
オースティンは撮影隊の車から降りないから、オースティンの同行は関係ないはずだ。
ポリスカーから半身を出してウィルが手招きした。
「メル、エド、ちょっと」
いつもの見慣れた無線システムが、やけに懐かしい。
「蜂起軍の本部です。さっきから奴ら、周波数を合わせていて、こっちにも聞かせているんですよ」
説明しながらウィルが音量を上げた。神経質な感じの声が聞こえてきた。
「こちら、独立軍本部。数時間前にアンディ・オースティン代表が狙撃された。命に別状はないが、無線には出られない状態なので、全軍、覚えておくように」
滑舌は悪くないが、感情的でヒステリックは喋り方だ。放送は続いた。
「また、ロサンゼルス市警はオースティン代表の替え玉を用意して、代表が投降したと見せかける予定、との情報を入手した。今後、代表の名前で声明が発表されても、信じてはいけない。オースティン代表は、負傷して本部にいる」
エドが濃い隈のできた顔をメルに向けた。ひときわ大きく見える水色の目が、言葉に出さずに尋ねている。無線の声は赤毛のロバートではなかったが、ロバートの筋書でも不思議はなかった。
再び疲れを感じながら、メルは短く「嘘っぱち」とだけ答えた。無線の声は、終わっていない。
「独立軍の諸君、ロサンゼルス市や合衆国の卑劣なやり方に、膝を折るな。今こそ、我々の底力を見せるときだ。諸外国からの支援は、もうそこまで来ている」
「これも出任せだってか? 被害が増えるだけだぞ」
苛立たしげなエドの声を聞いて、メルはすぐにオースティンに声明を出させるべきかと考えた。蜂起軍の本部がいくら替え玉だと主張しても、オースティン自身がテレビの画面に姿を現せば効果はあるだろう。
ただ、広域で停電している今、どれほどの人間に見せられるかは、定かではない。
つい首を巡らせて離れた場所に停まっているSUVに目をやった。ともかくオースティンに話してみようとメルが踵を返しかけたときに、無線が再び発信音を立てた。どこからか、アクセスが入ったらしい。
相手は、北のサンタ・バーバラ郡の保安官事務所だと名乗った。ヘリでロサンゼルス市へ届けるものがあるため、ウィルシャー、ラ・ブレア周辺の制空権を確保して欲しい、と頼んだ。
市警側は現在、同エリアの上空に蜂起軍のヘリはないが、保証できないので戻って待機するようにと指示を出した。警備中隊は、昨日ヘリを撃ち落とされたのが、トラウマになったような対応だ。
「うちは、ずいぶん弱腰ですね」
「まったくだ。しかし、こんな騒ぎの中で届けるものって、何だ?」
ウィルとエドが交わす低い会話の向こうで、無線では「戻れ」「戻らない」の押し問答が続いていた。
急に、サンタ・バーバラ側の声が変わった。
「ごちゃごちゃ言うな、この玉なし。あたしら、どうしたって、ラ・ブレアに行かなきゃならないんだ。でないと、アスファルトの海に沈むのは、他でもないロサンゼルスだよ。何もできないなら、黙って見てろ」
凄まじい啖呵は若い女性の声だった。思わずエドと顔を見合わせたメルの肩を、後ろから誰かが叩いた。
「あの人がこんな凄い芸当をするとは、思いませんでした。オズモンド刑事、私たちも早くタールピットに向かいましょう」
ついさっきまでオースティンと一緒にうち萎れていたスティーブが、詐欺師の口振りで、メルに笑い掛けた。いつの間にか、すぐ後ろにいたらしい。
「今、えらい男前な啖呵を切った方を、ご存じで?」
「ええ、もっと大人しい女性かと思ってましたが、見直した。さあ、急ぎましょう」
早く早くと、メルのシャツを引っ張らんばかりの勢いだ。防衛ラインからタールピットなら、直線距離では四・五マイル(約七・二キロ)程度だ。
機材やジョージを下ろした今、SUVにこだわる必要はない。それでも、行ける場所まで行ったほうが、時間の節約にはなった。
「タールピットで何があるんだ?」
聞いたエドの声が、少し掠れた。
「さあ、正確には分からん。けど、タールピットまで付き合って、ペイジ博物館強盗殺人事件は結了するんだと思う」
「じゃあ、行くしかないな。さっき係長が来て、課長がどうとか、組合の弁護士を頼むとかブツブツ言っててよ。ついに何かやらかしたらしい。皆、好きにやるさ」
あのハゲデブが課長相手に何を「やらかした」のか、想像もできなかったが、メルは片手を上げてエドに応え、スティーブの後を追ってSUVに向かった。