25
地震は、ほどなく治まった。いっそ全員が建物の外に避難するくらい大きければ良かったと、メルは男たちに囲まれて、思った。
「手錠をしないだけ有難いと思えよ」
横柄に背中を押されたが、多分、手持ちの手錠はすでに使ってしまったのだろう。武器の一切を押収されて、スティーブと一緒にオースティンの部屋から出された。
スティーブはしっかりとLWの入った籠を抱いていた。オースティンの部下が手を伸ばしかけたが、「あなたたちには、もう不要です」と言い切り、オースティンも部下を止めた。
連れて行かれた場所は、一階の管理人室の奥にある物置きだった。ドアを潜ると、ぷんと血の臭いがした。薄暗くて狭い物置には、怪我をした先客がいるようだった。
スティーブとメルが入る間、息を殺していた先客は扉が閉まる音がすると、ごそごそと動き始めた。元々は掃除用具や洗剤、トイレット・ペーパーの倉庫だろうが、地震ですっかり棚の物が落ちていた。
メルは先客に向かって声を掛けた。
「私は、ロサンゼルス市警のメル・オズモンド巡査部長。連れは、レクリエーション・公園局のスティーブ・アイラーズです。危害は加えませんよ」
相手に危害を加えられる可能性は、よもやあるまいと思ったときに、掠れた声がした。
「メル、あなたですか?」
聞き間違えようのない、ジョージの声だった。
容貌が変わるほど派手に殴られたジョージには、同室者もいた。テレビのレポーターの女性だ。
オースティンの声明が出された後に、群衆の一人に抱きつかれていたレポーターが、これまた顔を腫らして閉じ込められていた。
「あなたは?」
「××テレビのレポーター、ケイト・ラッセンです。独立軍の士官に痴漢行為をされて、抗議したら、もっと酷い目に遭わされそうになったんです。公表してやると言ったら、閉じ込められました」
どうやら殴打以上の暴力は受けていないようだが、さっきメルたちが入ったとき、散乱した荷物の陰に隠れようとした。当たり前だが、怯えている。
「ジョージ。お前、よく生きてたな」
我ながら驚くほど優しげな声が出た。「ふへへ」と歯の折れた口から苦笑を洩らしたジョージは、顔だけでなく、身体も打ち身が酷そうだ。身体を起こせずに、床に横たわっていた。
「あんな演説ぶちましたからね。もう、ボッコボコですよ」
逃亡車の映像の再確認でウェスト・ハリウッドに行った際、偶然にも、搬入される武器を見たのが運の尽きだったとジョージは説明した。拘束され、協力するように説得されたが、応じなかった。
一度だけ応じるふりをした理由は、次々に寝返る市警の警官を食い止めるアナウンスのためだった。
「コンプトンに連行されてから、蜂起軍の資金源がコロンビアの組織だ、って話を聞きました。外にも蜂起に反対して拘束された保安官補佐官がいて、教えてくれたんです。私がアナウンスをする前に、どこかへ連れて行かれましたが……」
途切れた語尾が、ジョージの会った保安官補佐官の処遇を示唆していた。
「苦しい状態にいる人間を転がすのは、簡単ですよ。とりあえず目先の問題を何とかしたい一心で、皆、踊らされてるみたいです。コンプトンの住人も、保安官補佐官も」
物置で転がっている間、ずっと頭の中で繰り返したらしい内容を、ジョージはしゅーしゅーと空気を洩らしながら話した。
「ラミレス刑事が無事だったのは何よりですが、ここから、どうやって出ましょうかあ?」
急にスティーブが話題を変えた。
スティーブは作り付けの棚に寄りかかって、高い位置の小窓を見ていた。嵌め殺しではないが、人間が出るには少々小さい。メルは扉を振り返った。
「さっき見た限りでは、ドアはノブの鍵だけで、外側に掛け金やラッチは、ないみたいだったがな」
物置は処理に困った人間を一時的に入れているだけだろう。ジョージは立ち上がれもしないし、レポーターのケイトは怯えきっていた。
もっとも、すぐ外には銃を持った見張りがいるから、ただ単純にドアを開ければ出られる状況でもなかった。
しかし、メルの答に、スティーブは表情を明るくした。ついでケイトに話し掛けた。
「あなたと一緒にコンプトンに入ったクルーは、どうしました?」
「分かりません。私が叩かれている間、ボスも誰かと掴み合っている姿を見ましたけど。ボスなら、逃げ帰っていないと思うんです。その……、無事なら」
「あなたの上司の名前は?」
「ポール・コンラッドです。うちの社の人間を、知ってるんですか?」
ケイトには「知っているというほどでは」と答えたスティーブだが、名前を聞いたときに一瞬びくっと眉が上がったリアクションを、メルは見逃さなかった。
スティーブは、かつてアンカーマンだった。良いサインであると期待するしかない。
「次に大き目の地震があったら、パニックになったふりで、飛び出しましょう。建物の外に出るんです」
スティーブの提案に、ケイトは口を引き結んで頷き、ジョージは少し複雑な顔をした。メルはジョージに頷いてみせた。ジョージの背は低い。担げないこともないだろう。
地震が来るまではと、メルは床に転がっていたペーパー・タオルの束の上に、腰を下ろした。わずかでも緊張感が緩むと、疲労が頭を擡げそうになる。
振り払うつもりでスティーブに話し掛けた。
「責めるつもりは毛頭ありませんが、どうやら、あなたの掴んだ情報は、間違いでしたね。籠のそれ、どうするおつもりですか?」
苦笑とともに首を振ったスティーブの目が、真っ直ぐメルを見た。鮮やかな緑色に影が過ったようだった。
「LWとアスファルトに関係があるのは、間違いないんです。正しい関係を見つけて、天変地異を止めなくては」
ケイトが驚愕の表情をスティーブに向けた。今にも質問を始めそうな顔に、スティーブは口の形だけで「後で」と、答えた。
小さな地震は何度もあったし、遠くから戦闘の物音はほとんど絶え間なく聞こえた。しかし、見張りも逃げ出すほどの大地震は、そう頻繁に起きるものでもない。メルは壁に寄りかかって、半分ほど睡魔に身を任せた。
どれくらい経ったころか、尻の下からの震動でメルは文字通り飛び上がった。
「来たぞ」とスティーブが叫び、籠を抱えてケイトの手を掴む。必死で立ち上がろうとするジョージを背中に乗せて、メルはスティーブの後に続いた。
ドアを潜ると、管理人室にいた見張りは、すでに廊下に出ていなかった。ホール方面から人の悲鳴が聞こえた。
足元に、黒い液体がぬるぬると流れて来た。鼻を突く異臭もする。
「ホールの正面出口は、ダメです。建物の中にアスファルトが噴き出ている。裏口から出ましょう」
市役所の背後には大きな病院があった。病院は無事かと思いながら、方向転換した。
廊下が単に揺れているだけではなく、大きく捩れ歪み、足の下が崩れていくような、不気味な感触が走った。ケイトが派手な悲鳴を上げる。
「砂漠の嵐」作戦当時の体力が戻った勢いで、メルはジョージを背負って、揺れる廊下を裏口へ抜けた。
病院の玄関にも通じる裏口を出ると、建物内ほどには揺れていなかった。
少しでも広い場所へと、左手の広場へ進む。オースティンが独立の声明を発表した場所だ。後ろからスティーブとケイトの外に、何人もの蜂起軍の人間が続いた。
市役所から離れるに従って、建物自体が歪んで拉げている姿が分かった。しかし、隣の病院には、大きな被害は出ていないようだ。
ふいにゴッと音がして、市役所の建物の真ん中が持ち上がり、噴水のように黒い物が噴き上げた。臭気が凄まじい。
「アスファルトだ」
スティーブが放心したように呟いた。
勢いよく上がった天然アスファルトは、建物全体を包み込むように、どろりと流れ始めた。まだ中にいる人間の悲鳴が、割れた窓から響いた。オースティンはどうしただろう。
メルたちの後を追って避難した男たちの顔には、一様に濃い不安が漂っている。「今まで誰も顧みなかった力」が、蜂起軍に手を貸すはずなのに、この有様はどうしたと聞きたそうだ。
建物の二階で誰かが怒鳴っていた。地面が揺れていないせいで、物音もよく聞こえた。怒鳴り声の主に別の誰かが叫ぶと、銃声が響いた。
広場の男たちに、いやな緊張が走った。
次の瞬間、窓が割れる音がして、二階から天然アスファルトと共に人が落ちた。
落下と同時にアスファルトで真っ黒になった男は、保安官補佐官のユニフォームを着ていた。
メルは、ジョージを広場のオブジェの陰に下ろすと、落ちた男に近付いた。周囲の男たちも、それに従った。
見事に頭から落ちた男は、アスファルト溜まりに顔を伏せて身動きもしなかった。落ちる前にすでに撃たれていたなら、絶命している可能性も高い。
仕事のくせで、反射的に近付いたメルの靴の下で、アスファルトが動いて、ぱっと飛沫が上がった。
思わず、一歩下がった。男の身体の上のアスファルトが生き物のように動く。音も立てずにゆるゆると隆起して、蛇が鎌首を擡げる形を作った。背後から、男たちの息を呑む気配が伝わってくる。
生き物ですらないはずなのに。メルは、目の前で起き上がったタールを睨んだ。メルの呼吸がままならないほどの強い殺気を感じた。
すぐ後ろにいた男たちは、いつの間にか大きく下がっていた。アスファルトの不気味な動きに怯えたのだろう。
アスファルトが獲物に飛び掛かる動物のように、一瞬、低い姿勢になる。
メルは、下腹に力を入れた。銃は取り上げられていた。肉弾戦といって、どう戦えばいいものか。
アスファルトが地面を蹴って飛び上がったように、メルの目の前に広がった。視界が一面の黒で覆われる。
しかし次の瞬間、黒い粘着質の液体は、びしゃびしゃと音を立てて石畳の上に落ちた。ズボンに黒い染みが無数についたが、妙な動きは、もはや起きなかった。
「どうしたっていうんだ?」
近寄ってみたが、アスファルトはすっかり、ただの液体になっていた。靴の先でアスファルトを二度、三度と叩いて踏んだが、全く反応はなかった。
どういう訳かは分からないが、ともかく天然アスファルトの活動が急に止まった。
メルが倒れている男に近付くと、後ろの男たちも呪縛が解けたように動き出した。
「おい、ウィンダムじゃないか」
男の身体を仰向けにして、顔を拭いた一人が叫んだ。周囲からは驚愕と動揺の声が上がった。反応からするとウィンダムは、蜂起軍の中枢メンバーのようだ。仲間割れか。
メルはウィンダムが落ちてきた窓を見上げた。独立軍の結束にヒビが入った。
「アスファルトが止まったようですが、LWは何か、反応していますか?」
ウィンダムの対処を男たちに任せて、メルはスティーブの元に戻った。男たちはメルが勝手な行動をしても、咎める気は一応ないらしい。
スティーブはメルの指示通り、オブジェの陰から成り行きを見守っていた。
「いえ、何もありません。ですが、もしかしたら、NAUの連中が、対処法を考えついたのかもしれません」
ジョージの隣に腰を下ろしていたスティーブは、眩しそうな顔でメルを見上げ、付け加えた。
「だからって、LWをお払い箱には、できませんけどね」
「すみません、私、他のクルーと合流したいんですけど、携帯を取られちゃって。電話を貸してもらえませんか?」
勢いよく割り込んだ言葉は、ケイトだ。詳しい話は知らないにしろ、天然アスファルトの活動が治まったと聞いて、安心した顔をしている。
スティーブもメルも携帯電話は取り上げられなかったが、アンテナは一本も立っていなかった。
「病院で電話を借りられるか、聞いたらどうでしょう?」
スティーブがメルの背後を指差した。
市役所と違って大した被害がないと見えた病院の入口からは、杖を突いたり車椅子に乗った人々が、外を窺っていた。内と外のどちらが安全か測りかねているようだ。暴動や戦闘で怪我をしたコンプトンの住人が大半らしい。
「そうしましょう。ラミレスも手当が要るし」
頷いて、メルはジョージの身体を起こしに懸かった。
ロビーは傷病人に加えて、大変な混雑ぶりだった。九割以上がアフリカ系かヒスパニックで、保安官補佐官のユニフォームでもないメルとスティーブを、珍しそうに見た。
「ケイト、無事だったか」
大きな声が掛かったのは、病院に足を踏み入れてから三十分ほども経った頃だった。
電話を借りるどころか、座る場所も確保できず、ジョージの診察も受けられないままに、移動を繰り返した。
ようやく三階の待合室に隙間を見つけると、目深に野球帽を被った男が人の間を縫って来た。
ケイトが探していたクルーが、こんな所にいた。
撮影クルーの本隊は、市役所の前の道を挟んだ向かいのショッピング・センターにいると野球帽は説明した。
暴動が始まってすぐ襲われたショッピング・センターは、商品もディスプレイも持ち去られて廃墟同然になったため、却って安全だと判断したそうだ。今、病院にいる野球帽は、住民の談話を取りに来ていた。
「良かった。会社からは、一旦、戻れと言われているんだ。君がいないから、ポールも困っていたんだ」
メルたちが乗って来たトラックは、鍵を取り上げられて使いようがなかった。テレビ・クルーが車を持っているなら、便乗しない手はない。スティーブに視線を移すと、メルを見て無言で頷いた。
「ぜひ同行したいんですが、出発を少しだけ、待ってもらえませんかあ?」
下ろしていた籠を持ち上げて、スティーブが野球帽に声を掛けた。目尻に皺ができて、笑顔に近い顔をしていた。
「一時間もあれば充分ですしい、もし合流できなければ、先に行ってください」
いつもの詐欺師調の喋りだが、穏やかな話ではない。
「何をするつもりです?」
口を挟んだメルに、スティーブはわざとらしい笑顔を向けた。
「アンディにもう一度、会ってこようと思うんですが」
「また捕まったら、どうするんです?」
つい反対する声音になったが、悪い案ではないと思えた。
オースティンが応じるとも思えないが、説得にあたる価値は、ありそうだ。この先、蜂起軍が抵抗すればするだけ、犠牲が増えるだけだ。
「撮影隊のポール・コンラッドとラミレス刑事になら、LWを託せます。必ず、NAUの人間に渡してくれるでしょう。そこから先は、NAUの連中が対処します。上手く言えませんが、アンディにこのまま死んで欲しくないんです」
困った顔になったスティーブが口角だけを上げた。メルは肩を竦めた。
「じゃあ、ちょっと行きましょうか」
無線も銃もなく、疲労で肉弾戦にも自信がないが、何とか対処するしかない。同行を辞退するスティーブを、メルは押し切った。
「あまり恰好つけるのは、似合いませんよ」
LWの籠を抱えたジョージが、子犬のような顔で見送ってくれた。




