025 Day The Bell
グランディア訓練学校を出発した俺達は東門から街を出る。
隣町のランドンに向かうのも何ヶ月ぶりなのだろう。
テレミウス伯爵のお使い以外で街を出ることなど、ほとんどと言っていいほど無かったのだ。
(そういえばあの洞窟にもあれ以来行っていないが……)
ランドンに向かう途中にヴィゼンド洞窟の近くを通ることになる。
まさかまたあの蜘蛛の化物に遭遇することはないだろうが、警戒だけはしておいたほうが良い。
神から与えられたこの能力がある日突然奪われる、ということも考慮しておかなくてはならない。
その時のための『保険』が欲しい。
心底俺を崇拝し、俺の奴隷となり。
万が一能力を失ったとしても、俺の右腕として俺を成り上がらせることの出来る人物――。
(生徒らは早めに奴隷にしておいたほうが良さそうだな。フィメルは恐らく大丈夫か……)
俺の後ろを付いてくる生徒らに軽く視線を向ける。
楽しそうにおしゃべりに花を咲かせるリリィとゼシカ。
無言のまま付いてくるアーリアとジル。
そして最後尾には終止笑顔でいるフィメル。
(シイラとレイノは野心が強すぎる……。俺が能力を失ったと知れば簡単に掌を返してくるだろう)
あの2人を俺に溺れさせるには相当の苦労がいる。
それにアーシェ・ブラスタル。
彼女にかけた『魔法』の仕掛けが解除されれば、彼女はレグザと共に俺を捕らえ国に受け渡すだろう。
そうしたら俺は間違いなく極刑だ。
『魔法』の力を悪用した犯罪者としてこの世から消されてしまう。
そもそも『魔法』とは童話に出てくる造語にすぎない。
未知の力を手に入れた少女がその力を暴走させ、最終的には世界を壊滅させてしまうという内容だ。
モチーフとなった史実は今から1000年ほど前に起こった世界的な事件が発端らしい。
その事件のせいで世界の人口はおよそ3分の1にまで激減したと言われている。
突如空から大きな鈴の音が鳴り響き、その音を聞いた人々は狂い、お互いに殺し合った。
一日中鳴り響いたその鈴の音で、世界はたった一日で血の海と化した。
後に『天鳴事変』と呼ばれたその事件は、当時は『Day The Bell』と呼ばれ。
その語源が訛り『魔法』という言葉が誕生した。
その後も、時代の節目には必ずと言ってよいほど未知の力を持つ者が現れ。
その度に世界は恐怖に陥り、人々の不安を増長させた。
当然、各国の政府も対応策を練ることになる。
『魔法』の力を手にした者を、早急に発見し抹殺する。
それが女子供であっても容赦はしない。
力を手にしてしまった時点で人間としての尊厳は剥奪される。
世界に『技』が普及したのも、元はといえば『天鳴事変』が発端だ。
全ての生命に宿る力を表面化させ、様々なエネルギーに変換する。
早急な『技』の普及は人々の生活を豊かにしたが、それにより戦争も勃発した。
今では『魔法』の力を持つ者が現れるよりも、戦争を怖がる人々のほうが遥かに多い。
云わば『魔法』とは、『天災』のようなものだ。
そんな不確定なものよりも、身近な戦争に恐怖するのは当然のことなのかもしれない。
街を出発してから数刻が過ぎた。
そろそろヴィゼンド洞窟が見えてくるはずだ。
俺は神経を尖らせ最大の警戒をする。
(……?)
しかしどこにも洞窟の影は見当たらない。
辺りの風景は確かにこの前見たものと変わってはいない。
そこにあったはずの洞窟だけがすっぽりと無くなってしまっている。
「フィメル先生。ここには確かヴィゼンド洞窟がありましたよね」
後ろを振り向きフィメルに話しかける。
「ヴィゼンド洞窟、ですか? 初めて聞く名の洞窟ですけれど……」
首を捻りそう答えるフィメル。
初めて聞く?
街の人間ならば誰でも知っている洞窟の名だぞ?
「お前らはどうだ? ここにあっただろう。大眠兎が縄張りにしているヴィゼンド洞窟が」
他の生徒らに話を振る。
しかし皆顔を合わせるだけで何も答えない。
「ヴィゼンド洞窟ってのは知らないけど、大眠兎ならその辺で寝てるじゃない。そもそもこの辺りに洞窟なんて無いわよ」
ゼシカが俺を小馬鹿にするように答える。
「私も聞いたことがないですぅ。ここら辺には良く遊びに来るんですけど、洞窟どころか建物も無い場所ですよぅ?」
リリィがゼシカに続く。
アーリアとジルは黙ったまま俺を見つめるだけだ。
(どういうことだ……? 俺は奴らの記憶を操作してはいない。もしも『魔法』の副作用だったとしても、リリィやゼシカにはまだ使用していないはず……)
脳内にある『説明書』に問うも、答えは返ってこない。
まさか俺自身に魔法の副作用が現れているのだろうか。
もしもそうだとしたら非常に厄介なことになる。
(いや、副作用など起こりえない。これは神の力。使用制限などあってはならないことだ)
もう一度脳内に問うも、またしても答えは返ってこない。
この件に関しては『説明書』の記載事項外ということか。
最も重要な事項だというのに、使えない説明書め。
「あの……クレル先生? お顔の色が優れないようですけれど……」
心配そうな顔で俺を覗き込むフィメル。
俺は表情を作り「大丈夫です」と答える。
「本当に大丈夫なの? ボケるには早すぎるんじゃないの?」
「ちょっとゼシカちゃん! クレル先生にそんなこと言ったら駄目でしょう!」
ゼシカを叱るフィメル。
しかし頭の後ろに手を組み、飄々とした表情で先に進んでしまう。
「あ、ちょっと待ってよゼシカちゃん~!」
その後を慌てて付いていくリリィ。
「……」
「……」
無言のまま俺の前を素通りしていくアーリアとジル。
「もう……。この子達は……」
「良いんですよフィメル先生。……こいつらには後でたっぷりとお仕置きをしておきますから」
「え?」
「いいえ、なんでも」
俺は作り笑顔で彼女に手を差し出す。
少し頬を赤くしたフィメルはおずおずと手を差し出す。
「い、いいんですか……? て、ててて手を……繋いでも……」
「はい。今ならあいつ等にも見えないですし、少しだけなら」
俺の言葉に顔を輝かせたフィメルはその手をそっと握る。
彼女の温かい体温が俺の冷たい手に伝わってくる。
「……クレル先生の手……。冷たくて、気持ち良いです」
幸せそうに手を見つめるフィメル。
俺はそっと彼女の耳元で囁く。
「(今夜、ギルド本部に到着したら、俺の部屋に来てください)」
「!! …………はい」
顔を赤く染め、下を向いてしまうフィメル。
そこで何をするかを想像してしまったのだろう。
表面上は俺とフィメルは恋人同士になったのだ。
彼女を俺に溺れさせるためにもこれは必要なことだ。
(くくく……。魔法の副作用の件は気になるが、今はいい。対応策は幾らでも練ることは出来る)
権力さえ手にしてしまえば、あとは優秀な部下が何もかも上手く事を進めてくれるだろう。
そうしたらもう『魔法』の力など用済みだ。
いつ命を狙われるかも分からない大き過ぎる力など、無用の長物でしかない。
俺は力に溺れない。
欲しいのは権力と名誉だ。
最後まで周りを欺いてやる。
そのための基盤作りにこいつらを利用する――。
フィメルがそっと俺の肩に頭を預ける。
俺は空いた手で優しく彼女の髪を撫でる。
幸せそうなフィメルの横顔を眺めながら、俺は静かに歩を進めた。