side 02 アップルパイ
「暇です……」
お店のカウンターで頬杖を付きながらうな垂れる私。
正直ここまでお客さんが来ないとは想定外だ。
きっとみんな隣町の収穫祭に参加しているのだ。
既に新作の練炭もいくつか試作を作ってやることが無くなってしまった。
「いいなぁ……。私も行きたかったなぁ……」
冷えた足先を行火に当てながら一人呟く。
今日はまた一段と冷え込んでいるが、収穫祭では街の中央で大きな焚き木をして暖を取っている筈だ。
近隣の練炭師が一斉に集まり、神様に感謝の意を込めて『神念木』という特殊な木から作った木炭で焚き木をする。
私もいつか一人前になったら参加させてもらいたい。
一体いつになるのかは分からないけれど。
「どうしようかなぁ。テトの所にでも遊びに行って来ようかな……」
これだけお客さんが少ないのならばグランさんの所もべゼウスさんの所も暇の筈。
べゼウスさんはガッドおじさんと収穫祭に出掛けてるから、テトも私と同じく留守番をしているに違いない。
「でもなぁ……。最近テト、えっちなことしようとしてくるしなぁ」
昨晩のガッドおじさんの言葉を思い出し、また顔が赤くなってしまう。
確かにテトから告白されたことはあったが、嫁入りするには早すぎる年齢だ。
べゼウスさんも良い人だし、テトの事も嫌いじゃないけど……。
「……って私は一体何を考えているんだあぁぁ! 駄目駄目! まだ私達は子供なんだから、そういうのは駄目ー!」
頭に浮かんだ妄想を振り払うかのように私はがむしゃらに手を回す。
駄目だ。
暇すぎるからこういう事を考えてしまうのだ。
私は行火の火を消し、カウンターに『CLOSE』の札を立て掛ける。
きっと今日は誰も来ない。
この街の決まりで、何かあったときの為に必ず3つの練炭店は常にお店が開いていないといけないのだが、今日はきっと大丈夫だ。
みんなしっかりし過ぎだと思う。
少しくらい気を抜いたって神様はきっと許してくれる。
「そうだ! 主教様にアップルパイを持っていこう! 今度持って行くって約束してたし!」
主教様なら私がお店を抜け出したと知っても街の大人達には黙っていてくれるだろう。
その帰りにテトの所にも寄って御裾分けをしてあげよう。
誰も居ないからって、えっちな事をしようとしたら『もう絶交だよ!』って言えば良いし。
そうと決まれば、さっそく今朝作ったアップルパイを籠に入れて、と。
私は鼻歌を歌いながら外出の準備をする。
きっと主教様も喜んでくれるに違いない。
なんたって私の自信作のアップルパイなんだから!
◇
「さぶい……」
お店の扉を開けた瞬間、寒気が私を襲う。
吹雪とまでは行かないが、普段よりもかなり気温が低い。
亡くなったおばあちゃんの話だと、昔はもっとこの世界は暖かかったのだとか。
でも当時の神様が悪い人間達に裁きを下して、世界は氷に閉ざされてしまったのだとか。
「神様ももう少し手加減してくれれば良かったのに……ブツブツブツ……」
一人で文句を言いながら黙々と街の中央を目指す。
中央通りまで歩いて行っても人っ子ひとり見当たらない。
普段は開いているお店も全て閉まっている。
まるでこの世界に私しか存在しないみたい。
もしもそんな事になってしまったら、私は一体どうなるのだろう。
ふと誰かの視線に気付き後ろを振り向く。
「……?」
そこには雪に埋もれた自身の足跡が延々と続いているだけ。
他には誰の足跡も見当たらない。
風の音かな?
「……へくちっ! おお、さぶ~い!」
大きくクシャミをした私は再び歩き出す。
あの小さな橋を渡った先に教会がある。
流石に主教様まで収穫祭に出張ってはいないだろう。
どうしよう。お洒落とかしてお祭りを楽しんでたら……。
「……なんかそれはそれで可愛いかも」
一人想像してモフモフしてしまう。
早くこのアップルパイを届けてあげよう。
せっかく温かいのにこのままでは冷えてしまう。
私は急ぎ足で教会を目指す。
◇
「おや、ライカじゃないか。お店を抜け出して来たんだね」
教会の扉の前に辿り着くと、主教様が雪かきをしている最中だった。
ということはシスター達も皆、収穫祭に出掛けているという事だろう。
「えへへ。皆には内緒にしていてくれますよね、主教様」
「まったく……。お前は昔から悪戯が好きな子なのだから。寒いから早く入りなさい」
「はーい」
主教に連れられ教会の中に案内される私。
入った瞬間にほっとする様な暖かさに包まれる。
そして嗅いだ事のある匂いが私の鼻腔を擽る。
「あ、これ新作の練炭の香り」
「うん? ああ、うちのシスターが買ってきた練炭だね。ライカの所で買ってきたのか」
主教は優しく微笑み、私に椅子に座るように促す。
「そうだよ。安らぎのハーブの匂いを混ぜてみたんだ。女の人はこういう香りが好きだからね」
得意げな表情でそう答える私。
そして持ってきたお土産を主教に手渡す。
「はい、約束してたアップルパイ。熱々だから美味しいよ」
「そうか。これを届けに来てくれたのか。有難う、ライカ」
そう言って私の頭を撫でてくれる主教。
大きくて優しい手。
私は主教に頭を撫でられるのが大好きなのだ。
そのまま台所に向かい紅茶を沸かす主教。
ここにはお茶にうるさいシスターがいるから、結構な種類の茶葉が棚に所狭しと並べられている。
「主教様。今日ってどうしてこんなに寒いのかな」
お茶を用意して貰っている間に私はアップルパイを切り分けて用意する。
吹雪でもないのにここまで気温が落ちる事は滅多に無い。
もしかしたら主教ならば何か知っているのかも知れない。
「ああ、今日は『氷の神』の誕生の日だからね」
「氷の……神様?」
確かおばあちゃんから聞いたことがある童話に出てくる神様だ。
そうか。
今日は氷の神様の誕生日なのか。
だからこんなに寒いんだ。
「収穫祭が365日に一度行われるのに対し、氷の神の生誕の日は1000日に一度だからね。昔と今では誕生日の数え方が違うのだよ」
「へぇー。なんか不思議」
主教の淹れてくれた紅茶からは良い香りが漂っている。
アップルパイと美味しい紅茶の組み合わせは最高だ。
やっぱり来て良かった。
「ねえねえ、主教様。もっと氷の神様のお話を聞かせて!」
「ああ、いいとも。ライカは勉強熱心だね。いい子だ」
もう一度、私の大好きな手で頭を撫でてくれる主教。
こんなんだから、いつまでも子ども扱いされてしまうのだけれど。
でも私はいつまでも子供でいたい。
皆と幸せに暮らして行ければ、他には何もいらないもの。
「それじゃあ、『氷の神』がどうして誕生したのか、お話してあげよう――」
ワクワクしながら主教の話に耳を傾ける私。
あとでテトの家に寄ったら自慢してやろう。
私はこんなにも知識が豊富なんだよって――。