花火大会(1)~屋台巡り~
半袖からはみ出る腕にしっとりとした熱気がべたつく夏の夜。煌めく星々から隠れるように俺はひっそりと家から出たかったが、「お兄ちゃん、デートだ! 天音さんとデートだ!」と騒がれそうもいかなかった。「違う! デートじゃない!」って何度も誤解を解こうとするも、そこはさすが我が妹、「この反応、やっぱりデートだ!」と聞く耳持たず。なぜか母にも「じゃ、じゃあ頑張ってね」と謎の免許証を渡された。適当に俺の写真が貼られ、20歳って書いてる免許証。
「偽造じゃねえか!!」
俺はそう叫んでマンションのエレベーターの床にそれを叩きつけた。俺の母さん大丈夫か。反社じゃないよな? ラブコメの主人公の母親が反社とか冗談にもならないだろ。免許の偽造とか結構重い罪だろ。ペラペラの免許証を破き捨て、離反する世界観に
「ヤクザなんてクソだ!」
と吐き捨てながらマンションの自動ドアを潜って外に出ると、鋭い視線がその喉元に刺さってきた。目が合った。ギンギンと黒く尖らすサングラス、両手指にびっしりとつけた飴玉みたいな宝石のかかる指輪、画用紙みたいに皴の無い高級そうな真っ黒なスーツ、みるからにヤクザみたいな老人がマンションの駐車場にいた。電話片手にタバコ蒸してこっちをじーっと睨みつけていた。
「ヤバい、今の聞かれたか?」
まるで森で遭遇した熊を刺激しないように、俺は目を合わせたまま後ずさりした。いつから俺の住むマンションは獣の狩人の領地になったのか。老人はそんな俺に「なんじゃこいつ」と一言言って、どこか自慢げに真っ白のポルシェの鍵を開け、空を見上げた。そして老人はなぜか俺に見せつけるように、電話の相手へこう言った。
「なに? 花火には行かんのかって? 花火は触れないが、宝石は触れるじぇええ!!」
そのままボケた老人はまた見下すように、トリュフの香りのするらしいポルシェの排気ガスを、俺にぶつけ去っていった。
「ごほ! ごっほ! なんだったんだ、あの老人……住民にあんな人いたっけ。まぁいいか」
どうにもおなら臭い排気ガスから逃れるように俺は花火会場へ走り出した。夜空の下、少しだけ騒がしい今宵の住宅街の道路を。
流る街は色々、青い小学生、赤い中学生、手を繋ぐ親子――――麗しき身体を金魚が踊り泳ぐ浴衣の色っぽい女子大生たち。この時期になると俺はいつも部屋に籠ってゲーム三昧だった。まさかこんな花畑が外にあっただなんて、少し胸が躍る。思わず俺の秘めたるコイキングもギャラドスになりそうだった。
「うんうん、一目惚れだけに恋kingってことで?」
「理君、馬鹿なの?」
「この前風邪引いたので、馬鹿じゃないだろ!」
苦笑い混じる彼女のそよ風のような声が、ちょっとだけ肌寒い。また風邪をひきそうになるほどだ。なので、やはり自分は馬鹿じゃない。と自負して、俺は風の主へ振り向く。
「台風の中ゲームして風邪引いたんだから、どっちにしろ馬鹿じゃん」
空の向こうを駆け抜ける彗星も心を奪われ立ち止まるだろう。浴衣は青の夜、黄色の向日葵は開いて恒星のよう、夏の星座を浮かべていた。白のリボンは蝶のよう、結ばれた茶髪の上でその成り行きを優しく見守っている。そう華やかな服装彩る天音であるが、その顔はたじたじだった。ちょっとニヤニヤしたり、そわそわしたり、今度はしょぼんとしたり。忙しいな。
いつもの親しみやすさとはちょっと違う、彼女の大人っぽさが青の奥行きに、いつもの子供っぽさがその黄の輝きに。あの白の蝶は俺に感想を問う。
「天音っぽくてかわ、かわ――――」
「かわ?」
「かわ、かっ、カカカカカ――――」
「かわい?」
「かわ――――カワハギって今が旬らしいぞ」
「かわはぎぃ???」
天音はムッと顔を小さくして俺の頬をポコっとグーパンした。またぶっ飛ばされるかと身構えたが、今日は特別な日のようだ、機嫌が良かった。ちょっとだけ嬉しそうに笑みをこぼしていた。けどもまぁ、いつまでもジリジリと拳をやられるとそろそろ頬から煙が出そう。
「いや、出てないか」
「火起こししてカワハギの焼き魚作る?」
「すいません、冗談でした。カワハギは勘弁してください」
「だったらちゃんと感想言ってよ」
「感想……えっと、えー……」
そう正直になれと要求されると言葉が出てこない。もごもごと丁度いいセリフを探す俺を、天音は茨田にも負けない、むふふとした意地悪な顔をして眺める、上目遣いする。出せ出せと促してくる。
た、耐えられない! ま、まだ! まだいける! 頑張って俺は耐える。それが長くなるにつれて、あれ、天音の顔はだんだんと曇ってきた。その後は悲しそうな顔になった。耐え過ぎた。
「いいよ、理君がそう思うなら、別に」
「そ、そうじゃ、そうじゃない」
「ならなんで――――」
「おーい。理、天音ちゃん~!」
大野金太郎こと金ちゃんが、綿あめ片手に唐揚げ棒片手に合流。助かった。大野の大声のおかげで、今の不穏な空気が吹っ飛んだ。あとその力士みたいな浴衣姿のおかげで。
「てかなんでもう綿あめ持ってんだよ。唐揚げ棒も」
「味見だよ、味見。もぐもぐ。あれ、理だけ浴衣じゃないのか」
「あー、そうだな」
「あ、天音ちゃん、浴衣いいね! 綿あめもう一本あるけど食べる?」
「食べる」
天音は不機嫌に俺をちょっと見た後、頬を綿あめで膨らました。やっぱり弁明しておくべきだったかも。でも俺は天音の彼氏じゃない。今日だってデートじゃない。そうだ、何が悪い。俺がそうやって誤魔化している間に天音の頬はへこんだ。俺は悪くない、だから胸の奥がムズムズして気持ち悪いのは気のせいだろう。
「理も綿あめ食べるかい?」
「いらん」
「そうか、ファミチキもあるよ」
「それは食べる」
「私も欲しい」
「はい、どうぞ」
にしても大野、なんでも持ってるな。ドラえもんみたいだ。見た目も少し似てるし。
「もしかして大野、たこ焼きとかもあるか?」
「あるよ、はい」
「金ちゃん、りんご飴ほしい!」
「はい、赤と青あるよ」
「おいおい、大野、バナナチョコはさすがに……」
「あるよ、祭りと言ったらこれだよね」
「金ちゃん、フライドポテト!」
「でんでででっで~ふらいどぽてとぉ~! はい」
もうこれ、出店行かなくてよくね? というか大野が出店みたいなもんだろ。四次元ポケットはその浴衣の脇にあるのか。
「よし、このまま花火会場まで行っちゃおう!」
「そうだな」
「ちょっと天音ちゃん、理、ちょっと勘違いしてるかもしれないよ」
「何がだよ出店」
「出店じゃなくて大野だよ! 僕がいち早く出店を回ってきたのは君たちに紹介するためだよ。それに熱々のほうがもっと美味しいよ?」
「金ちゃん、出店に味を求めてる人なんていないよ?」
「天音ちゃん、辛辣!?」
確かに辛辣な一言であるが、真実である。そもそも花火自体がテレビやネットでも見れるし、女子大生の浴衣姿までは見れないけど。あ、あの人、彼氏いたのか。やっぱ家でいいのでは。天音だってそれに気づいたのか、スマホをポチポチと。
「あ、茨田さん、遅くなるって」
「そっか、もぐもぐ。じゃあ先に出店に行こう。いい店を知ってるんだ」
そういえばまだ茨田の浴衣見てなかった。私服だとしてもそれはそれであり。俺はスマホを勇者の剣のごとく天高く構え、考えを改める。
「スマホは花火を見るためにあるわけじゃない。浴衣美女を撮るためにあるんだ!」
「ふーん、そうなんだ。楽しそうだね、理君」
天音の視線が冷たい。まだ怒っているのか。じーっとしばらく俺の方見て、何か要求してるのか。謝ればいいのか? スマホは土下座がわかる機能もあるんだぞ。
「違うよ! いい出店をメモるためにあるんだよ! 去年はこの店とこの店が……今年は理が参加するからまとめておいたよ!」
ズラーっと事細かく書かれたエクセルを見せつけられても胃が痛くなる。そんなに食えるか。よく見れば十年以上前から名簿作ってるのかよ、すげえな大野、ドン引き通り越して敬礼だよ。
「よし、今回の花火大会。僕が絶対満足させるよ! いくよ、二人とも!」
大野はそう宣言しながら俺にイカ焼き、天音にクレープを渡して先導する。まるでどこかの城に攻め込む気概の大野と、食べ物片手の俺たちは「二周目? どんだけ出店好きなの?」と周りの老若男女に変な視線を向けられつつ、天音は「くれぇぷぅ……」と縮こまって若干恥ずかしがりつつ、俺は「女子大生の痛い視線、ちょっと気持ちいい」とシャッターボタンとニヤついていた。すると余計に険しい視線を向けられるので天音が「くれぇぷぅ……いかやきぃ……」と呟いて、さらに縮こまった。
普段はだだっ広いだけの堤防下の公園も今日はオレンジの灯と七色の人混みに賑わっていた。まだ花火が打ちあがるまで時間があるのに、ぶつかる両肩が脱臼するくらい人まみれだ。しかも暑いし、蒸すし、色んな臭いが鼻につくし。
「うえ! おっさんの汗が鼻についた……」
短い半袖の袖で汗を拭こうとするも届かないので、そのおっさんの服で拭いてやろうと手に取ったら今度は手が汚れました。ハンカチやティッシュはちゃんと持っておこう。鼻に漂う教訓がただ蒸発するのを待つしかないようだ。そんなイガイガした顔をする俺をまじまじと覗き込む天音は、やはり不思議そうに俺に尋ねた。
「気持ち悪い顔してどうしたの?」
「おっさんの汗が鼻に」
「そっか」
天音は長い袖からハンカチを取り出して、ポンポンと俺の鼻を拭いた。白いリボンがゆらゆらと踊るのが目立つ。またそのゆらゆらが自分の胸を擽るのも。少し恥ずかしい。でも背に腹は代えられないものだろう、汚染された鼻を救うためだ。
「天音、ありがとう。これでパンデミックは回避された」
「誇張し過ぎだよ。もしかして昨日も徹夜したの?」
「三回ほどラクーンシティを救って、一回だけリバティーシティーで強盗して、またその後一回だけ謎の村でペラペラソースした」
「ちょっと何言ってるかわかんない」
天音の困惑したような真顔に、さすがに「ふざけすぎたか」と少し焦っていると、今度はクスっと笑われた。天音もテンションが高い?
「天音、最後かもしれないだろ。だから言っておきた――――うえっ! またおっさんの汗が!」
「理、僕はおっさんじゃないよ」
「なんだ、お前かよ」
「金ちゃんだよ。ほら、ついたよ」
出店周りもとい屋台周り。数々の店が連ね、人混み為すこの公園の路。10年以上通っている屋台の美食家が勧める第一の店は――――ホッドドッグ。嘘みたいにアメリカのどっかのニューヨークにあるらしい、道端にある小さなホッドドッグ屋台と同じだった。
「欧米か?」
「あ、そっちじゃないよ。こっちこっち」
「理君、大丈夫? ホッドドッグが花火大会に合うわけないよ?」
天音にまで言われ、全米は涙した。ちょっと申し訳なかったのでホットドック一つだけ買って、隣りのお面屋に屈んだ。
「大野、お面は食べ物じゃないぞ」
「いや、わかってるよ? 祭りと言ったらお面だよ。まずはお面をつけてから周るものだよ」
「けどなぁ、高校生にもなってお面は――――」
ルンルンと兎のお面を被ろうとしていた天音と目が合う。時間の硬直はおよそ二秒。天音は「高校生、高校生」と赤面した顔を隠すように兎を狐に変え、それを被った。結局、お面は買うんかい。
「私は狐だから天音じゃないのだ。だから兎のお面もありなのだ!」
「……高校生でもお面買ってもいいと思う。全然」
「僕は買わないけどね」
「お前は買えよ。連れてきたんだから」
俺がそうツッコむと大野はドラえもんの変顔をして間を凌いだ。そこにあるドラえもんのお面で顔隠せよ。
「理君は買わないの? これとか似合うと思うよ?」
「天狗……なんか煽ってる?」
「チャンネルトウロクシャスウ100マンニン~」
「やっぱり煽ってんな」
「兎は煽る性格!」
今度は兎の面を被って兎のせいにする天音。やっぱり今日の天音はテンションが高い。俺も天狗の面を被ったら天音にぶっ飛ばされずに済むか。そうありもしない思考を練っているとお面屋のおっさんが俺を睨んできた。なんだ、怖いな。
「兄ちゃん~? お面ってのは優秀ですぜぇ~?」
「優秀?」
「おっさんの汗が顔につかねぇ」
「買います! 全部ください!」
「毎度!!」
「理君、馬鹿なの?」
「馬鹿なのは天狗のせいなのだ~」
「理君、馬鹿なの???」
「返品します」
「えぇ!? 兄ちゃん?」
天音にああ言われるなんて、やはりお面なんて高校生になったらいらないものだろう。つける顔も無い。天音みたいに阿修羅の三面無ければ。怒りと哀しみの面が隠れ、楽しそうにしている天音をわざわざ見ないようにする面もいらない。
「よし、次行くよ!」
大野の行進。三度ほど俺は鼻に汗をつけて、うち一回は女子大生のだったので天音に「拭かなくていい」と断ったら鼻血が出てきたので結局拭かれ、ついたのは――――自転する肉の柱。それを長い包丁で剃るように捌く髭の店主。
「ケバブ? ちょっと美味しそう」
「あ、そっちじゃないよ。こっちこっち」
「理君、大丈夫? ケバブなわけないじゃん。私の分も買っておいて」
天音に言われ、俺は二人前のケバブを買って隣りの射的場へ。パンがついててなんかちゃんと腹が膨れて食べやすい。
「大野、射的は食べ物じゃ――――」
「そりゃそうだけど、ほら、理はゲーム得意だろ」
「確かにそうだが」
「えっと、ここ押せばコルクが出るってこと?」
俺と大野が議論を躱す前で、天音は銃弾を詰め、貧弱な景品に銃口を向けた。なんか嫌な予感がする。俺は直感的に空を見上げ、円盤みたいのが漂ってないのがわかって胸を撫でおろした。が、目を戻すと――――羽毛が雪降る夏夜――――すでに景品の熊のぬいぐるみの頭が吹っ飛んでいた。
「お、お、お嬢さん!! 組長! てぇへんです! うちの○ーさんが!」
「なんだと! そいつはどこの組だぁ!」
「知らねえですが! どっかの娘です!!」
「ああん?!」
なんかガタイの良い屋台のグラサンが電話越しに騒いでいる。そのうちに、天音は二発目を不気味に笑う子供の人形に――――あれ、あの人形、ブルブルと震えてるような――――でもそんなの関係ない。天音は熟練のスナイパーのごとく、銃弾を放つ。
「お、お、お嬢さん!! 組長! てぇへんです! うちの○ャッピーが!」
「なんだと! そいつはどこの組だぁ!」
「知らねぇですが! 浴衣姿の娘です!!」
「ああん?!」
銃弾は全部で三発。残り一発は屋台が大々的に『取れたら君もアサシンだ!』と掲げる、100万円入りらしい巨大な猫の、銅の貯金箱。どう考えたってこんな軽いコルクじゃ撃ち落とせないクソ景品。天音はニタリと笑って、それに銃口を向ける。屋台の店主は恐れのあまり膝から崩れ落ち、ついにサングラスを落とす。大野はそれを拾って天音につけ、その後ろで腕組みして険しい顔で見守る。そして天音は
「I am assassin」
どこかの映画の主人公のようにハードボイルドにセリフを言って、トリガーを引いた。ありもしないはずの乾いた銃声と香る硝煙――――それと共に降る百円玉の雨――――銃弾は猫の貯金箱の頭をぶっ飛ばした。天音はサングラスを外し捨て、渋い顔で俺のほうを見た。
「あいあむあさしん」
「言いたいだけだろ」
「組長!! 屋台やられました!!」
「ああん?!!」
俺がゲームする分には問題ないのだが、やはり天音がするとなるとこんな有様になってしまうものだ。普通に空から降ってくる百円玉は痛いし。
「よし、次行こう!」
「大野、全然よくねえだろ」
「うるせえ、行くよ」
結局天音が店舗潰しただけなんだが。天音は、辛うじて何故か頭のぶっ飛んでいない気持ち悪い子供の人形だけを、嬉しそうに抱きかかえている。なんかその人形、震えてない?
「なんか嫌がってるから逃がしてやれよ」
「おかしいな、人形に魂なんてあるはずないのに」
ちょっと残念そうにしながらも天音は人形を逃がした。人形はなりふり構わずチャッチャッと林に隠れていった。今更人形が動いても驚かない自分に驚いたんすよね。
「ほら、着いたよ!」
そこにあったのは年季のある汚れだらけの屋台とどこか懐かしい香ばしい匂い。覗いてみると櫛の入った魚が色々、網の上で焼かれてました。店主の手際もまた無駄のない。まさしく知る人ぞ知る名店の様子。
「店長さぁん、この店は長いんですかぁ?」
「え、今日始めたばかりだけど」
「おーい、理、こっちだよ!」
「理君大丈夫? 焼き魚? 私も食べる!」
天音と一緒に焼き魚を買って、隣りの金魚すくいに。金魚の隣で魚焼くだなんてあの店長ちょっと怖いな。
「あと金魚は食えんぞ。隣りで焼くとかそういうのじゃないとおもうぞ」
「当たり前だよ」
「あといつになったら食い物紹介するんだよ」
「金魚すくいは祭りの醍醐味でしょうが!!」
俺と大野が激論を躱す前、天音はすでに網を三枚ほど破いていた。四枚目を買ったが、手に持った瞬間に破けた。どういう原理だ、それ。「これは不良品ですよね?」と天音がちょっと不機嫌に文句を言うも、店主は「リーガルです」とあしらう。それで五枚目、水につける寸前で破れて天音が「絶対、不良品!」とまた文句を言うと、店主はテクニカルファウルを取りました。
「今の金魚すくいってファウルとかあるんだな」
「別にないはずだけどなぁ……」
天音がいよいよ我慢できなくなったのか、破いたままの網で金魚をすくい始めた。一匹、二匹と救えたものの、店主からまたテクニカルファウルを吹かれて出禁になりました。
「私、なんか悪いことしたのかな?」
「天音、たかが金魚すくいだろ。俺がやるから見てろよ」
この前のゲーセンでは天音に色々とお株を奪われた。今度こそ天音に、この手のゲームもできると見せつけるチャンス。あれから俺はゲーセンのゲームはもちろん、今日の為に金魚すくいだって練習してきた。流し素麺やってる妹と母親の前で、プールに金魚のフィギュア浮かべたものだ。妹には「お兄ちゃん、たかが金魚すくいでしょ」と素麺片手に煽られて、やや窮屈だったが、それも無駄ではないとここで示そう。
「我が妹よ、家に帰ったら金魚の天ぷらだ」
「理君、気合入り過ぎだよ。怖いよ」
「よし、かかってこい金魚!!」
二千回の練習、三千回の素振り。完璧なフォームと入水角度。満を持して満は持した。俺の網はまさしく完璧に水へ潜り、金魚を捉え、すくった。想定通り。努力は裏切らない。
「どうだ天音! これがゲームの匠の実力だ! ビデオゲームだけじゃなく、こういうのも――――」
「理君、破れてるよ」
「え?」
ぽちゃり。破けたあみの真ん中から金魚は水に帰っていった。すいすいと何事も無かったように泳いでいた。そんな馬鹿な。確実に捉えたはず。間違いないはず!!
「不正だ!! 何か不正があった! 店主、あんたがやったんだろ!」
「不正? なんのことですかね」
「嘘だ! やったはずだ! 今ので取れないはずがない! あれだけ練習したんだ!」
「兄ちゃん……裏切ったのはあっしじゃなくて、努力のほうですぜ」
「そんな馬鹿な!!」
「テクニカルファウル! お疲れぇ!」
店主は闇の住人だ。じゃなきゃ、こんなあくどい商売ができるわけがねえ。あのたらこ唇みたいに余裕澄まして細める目が、不正を証明してんじゃねえか。
「兄ちゃん、だったらもう一回やってみたらどうだ? 不正なんかねえってわかるからよ」
舐めやがって。タジタジと笑みを浮かべて、俺に網を差し出してきやがった。お前に不正がわかるわけねえってことかよ。この店主、性根が腐ってやがる。
「いいぜ、やってやる」
「理君、もう止めなよ」
「止めるな天音、ここまで挑発されて黙ってるわけにはいかねえ」
「網は一本、50円ですぜ」
「ああ、買った! やってやる、絶対に不正を暴いてやる」
凍てついた50円が手汗に滑る網に変わる。プラスチック製の安い網が、薄っぺらい紙の網がその向こうにある気持ち悪い顔の店主を透かせてくる。その悪事も。絶対にやってる。やってるならこの網だ、この網に仕掛けがある。いや、待てよ、この水のほうにあるんじゃねえか? クソ、わかんねえ。
「あと5秒だ。5秒以内にすくわないとまたファウルだよ」
「ああ? 聞いてねえぞ!」
「何言ってんだ兄ちゃん。ここに書いてあんだろぉ?」
「はぁ? ”5秒以内にすくわないとファウル(罰金500円)”だって? 罰金だと!」
「5、4、3……」
「なんだよそれ!!」
こんな短時間で不正が暴けるわけねえじゃねえか。クソ、この店主。どこまでも腐ってやがる。俺みたいなチャンネル登録者数100万人のゲーム実況者から金を搾り取って楽しいってのかよ。この前、ショッピングモールで使い切ったばっかだってのによ。
「くそ、もうどうにでもなれだ!!」
「毎度あり」
結局俺は負け犬だった。金魚は一匹も救えず、店主の不正もわからず。天音にはカッコいい姿を見せつけれなかった。俺はこの悪党店主の手に平の上で転がされるしかなかった。
「くそ、ふざけやがって!」
「いいのか? テクニカルファウルがあるよ?」
「ああ、いいぜ。こんな店、こっちから退場してやる!」
「何言ってんだ君? テクニカルファウル2本で1万円の罰金だぜ」
「はぁ!? そんなの聞いてねえぞ!」
「そこの嬢ちゃんの合わせて2万円か」
「この野郎! ふざけんな! 罰金だと! 不正だろうが!」
「はい、テクニカルファウル。罰金ね」
店主はしてやったりと、悪い顔してニヤついて俺のほうへ手を出してきた。「罰金を払え」って。払うわけがない。俺はその手を払った。そしたらさらに店主は「はい、レッドカード! 罰金プラス5万円!」と大声で言いふらした。こんなの犯罪だろ。
「ほら、兄ちゃん払いなよ」
「クソ、クソ……」
浦嶋理、万事休す! 手持ちの金額、たったの3千円!! 渡里天音、知らずに豪遊! 焼き魚爆食い!! 大野金太郎、金魚すくい、不正と知らず5回目失敗。250円の出費!!
「ねぇ、店長さん。袋くれない? もうお椀に入んないから」
「ん? 袋? ああいいですぜ、えっと――――ん? そんな馬鹿な!!」
横から入ってきたのはどこか棘のある、可憐な声。必要の無いはずの袋を要求する、摩訶不思議な現象。店主が立って驚いたのは、まさしく、取れるはずのない金魚がそのお椀に沢山いたからだ。
「な、なんで金魚が取れてやがる! 網は絶対破れるはずだ!」
「え? そうだったの? 知らなかったわ」
滝のように出る汗、焦る店主をあざ笑うように女は見せつける――――とっくに破れた網を。その女は、いや、もう隠すまい。茨田紗綾は破れた網で金魚を乱獲したのだ。そこに立っていたのは流れ星舞い降りる、願いの結晶。浴衣は赤の夏景色、彩られた薔薇柄は見た全ての目を刺しては魅了する。芳しい毒の魔女、茨田紗綾だった。
「芳しい毒の魔女とか、ちょっと煽りすぎじゃね? まぁいいけどさ。それよりほら、店長そこに書いてあるよな?」
「な、なんのことですかねぇ?」
「じゃあ読んでやるよ。”金魚1匹につき、賞金10000円” あたしは30匹取ったから、30万円だろ? おい、寄越せよ」
茨田はニタニタと先程の店主にも負けない悪い笑みを浮かべて店主を追い詰めていく。金魚一匹で一万円とかマジかよ。知らなかった。どおりであくどいと思ったら、こんな賭け事が。
「そんなわけあるか! 不正だ! 不正だ! 30匹も取れるわけない!」
「じゃあ見てろよ。ここにいるの全部、獲ってやるから」
「なんだと!」
「ほら、1匹……2匹……」
「や、やめろ!」
「3匹……4匹……」
「やめろぉ!!」
茨田はまた悪い顔して滑らかに網の端のほうを使って金魚をお椀に入れていく。茨田、楽しそうだな。あと店主、そこは喜ぶところだろ。天音も焼き魚口に咥えたまま戻ってきて、茨田の手際の良さと一匹取るごとに青くなっていく店主の顔見て「美味い美味い」と魚を食べている。俺も貰おうかな。
「ほらほら5、6、7……」
「やめろ! わかった! 払う! 払うから!」
「ああ、そう。ところでさ……店長から止められてもやめなきゃいけないってどっかに書いてあったっけ?」
「な、なんだと!」
この後、茨田は容赦なく水にいた金魚全てを捕まえた。その総額は八十万円。でも茨田は受け取らなかった。俺は貰った方がいいと言ったのだが、茨田は持って帰れないからと、俺たちの罰金の分と金魚二匹だけを天音に渡した。
「天音、向日葵の柄いいじゃん! 可愛い!」
「ありがとう、茨田さんも薔薇カッコいいね!」
「カッコいい……まぁいいか」
「よし、次行くよ」
また大野は張り切って行進する。また俺はおっさんの汗が顔について、天音に拭いてもらう。茨田はそれを見て「え、理と天音って……」と誤解されそうになって、天音が「違う違う」と何故か顔を赤くして答え、俺も「汗を拭いてもらうだけの仲だぞ」と弁明。茨田は「どんな仲なのそれ」と困惑の表情、その横から俺の頬に天音パンチ――――迫るところをおっさんにぶつかって転んで回避。一命を取り留めるも、顔はおっさんの汗まみれで、天音は怒って拭いてくれないので俺は自然に祈った。
「てか理さ、そのポケットからハンカチはみ出てるけど、使わないの?」
「え?」
「もしかしてわざと使ってないの? マジか、やるじゃん理。あ、言わなかったほうが良かった?」
茨田に言われてポケットを探ると、確かにあった。そういえば入れてたんだっけ? あと何故か茨田がニヤニヤとしているのだが、どういうことだ、茨田は俺がおっさんまみれになった方がいいってことか。そんなハードなプレイを!
「茨田、俺がおじさんになったら興奮するのか」
「え、なんで?」
苦笑いする茨田。その横で天音が赤面して俯いている。茨田が異常性癖だと天音が恥ずかしがる理由でもあるのか。俺はハンカチで顔を拭きながら天音をじーっと見て考える。
「理君、そんなに見ないで」
「え?」
「あ、あー、そういえば金ちゃん、次の店はどこ?」
茨田が何かと察したように俺たちから離れ、大野のほうへ行った。もう少し茨田の浴衣姿を見ていたかったのに残念である。
「……そうなんだ?」
「あ、もしかして今の聞かれ……?」
「茨田さんの浴衣可愛いもんね! 見に行こーっと!」
恥ずかしがったと思ったら今度は怒って。天音が何を考えているのかよくわからない。まぁそれはそれとして、
「茨田の浴衣可愛いから、見に行こーっと!」
見に行ったら天音パンチを喰らいました。我ながら今日は少しふざけすぎているかもしれない。いや、ちょっと天音の真似しただけなのに。それに、
「茨田の浴衣可愛いだろうが!」
「そうだけど!」
「あのちょっとだけ見える鎖骨とか!」
「そうだけど!」
「うなじのとことか!」
「それにいつもよりちょっと歩きにくくて女の子っぽい歩き方になってるとことか!」
「確かに! あと胸周りが……」
天音と茨田の浴衣について激論を交わしている間に、大野の超おすすめ屋台についたらしい。茨田はそれまで「おい、そんなに褒めんなよ!」って嬉しくてほどけそうな顔をどうにか隠そうとして、さらに討論が加熱すると「だからやめろって!」と天音の狐の面を奪って被って顔を隠した。
「はい、ここが僕おすすめの屋台! 唐揚げ屋だよ!」
「え? あっちの輪投げだろ?」
「違うよ、ここの唐揚げ屋だよ」
「金ちゃん、あっちの輪投げじゃないの?」
「違うって、ここの唐揚げ屋だって!」
俺と天音が輪投げをしたがるのも無理はない。この唐揚げ屋さん、確かにものすごく食欲そそられる香りがするのだが、そこの店主がどこか見覚えのある……
「おい、さっきから何話してんだポヨ。食うなら食う、輪投げするなら勝手にしろポヨ」
「大野、輪投げって食べれるんだよ」
「え、そうなの?」
「食べれるわけないポヨよ! どんだけ嫌ポヨよ!」
エプロンつけてハチマキつけて、この夏の夜の熱い中、汗を流して頑張って唐揚げ揚げてる同級生は賞賛したい。それが陽キャじゃなければ。なんで花火大会でもコイツと合わなきゃならないんだ。
「相変わらず語尾変だし」
「それお前のせいだろポヨ! 前回の話が繋がんないのに、いつまで俺の語尾続くポヨよ!!」
「理君、あの陽キャ、何言ってるの?」
「俺にもよくわからん」
「ちきしょうポヨ!」
「まぁまぁ、皆、確かに陽キャ君は性格に問題があるかもしれないけど、ここの唐揚げは美味しいんだ」
「え、なんか今日、皆辛辣すぎない? カバーできてないポヨよ?」
「そこまで言うなら食べてやってもいいぞ」
「金ちゃんがそこまで言うなら」
「え、渡里さんまで辛辣なの? えぐいポヨ」
大野は祭りの屋台を十年研究している。その最大の成果がこの屋台というのなら、俺が楽しめるように紹介してくれてるのだから、例え店主が嫌いな野郎でもここは俺も我慢すべきところ。それに大野はそんなのどうでもよくなるくらい美味しいのだと、その煌めく目とちょっと零れている涎で説得してくる。大野とは長い。この目と涎が出たとき、今まで外れはなかった。
「とりあえず醤油。僕は醤油で」
「はい」
「私は……私も醤油にしようかな」
「渡里さん、浴衣似合ってるね。一個おまけしちゃうポヨ!」
「あ、ありがとう!」
「じゃあ俺も醤油で」
「はい」
「……は?」
「どうかしたポヨ?」
「一個しか入ってないぞ」
「クソ陰キャには一個で十分ポヨ。金なら要らんから輪投げでもして来いポヨ。輪投げ食ってこいポヨ」
紙コップに虚しく入った岩のようなから揚げ一つを見下げ、蚊みたいな顔の陽キャを見上げ、俺は思った。どんなにうまくてももうこの店には行かない。その決意を爪楊枝にこめ、唐揚げを刺し、適当に口に入れた。
「こ、これは」
アイツは俺に爆弾を投下した。唐揚げを口に入れ、噛んだとたん、肉汁と香ばしいさが爆発。ジューシーかつ肉厚な唐揚げ、あまりのおいしさに口から光が出そうになった。というか出た。
「どうだ。これが僕の探究の果てだよ」
「まぁいいけどさ、食うな食う、食わないなら食わない。陰キャは輪投げポヨよ」
「陽キャさん、これ美味しい! もっとください!」
「そう言われると嬉しいな、はいおまけポヨ!」
「え? 5個だけですけど、おまけって?」
「そのカップ1個無料ってことポヨ!」
「わぁ、ありがとう!」
「じゃあ、俺にも」
「お前はきっちり500円ポヨ」
「俺も可愛いだろ」
「600円ポヨ」
さすがに今のは自業自得か。鎌かけたが無理だったか。値切りもゲーム通りにはいかないと。まぁ美味しいからいいか。
「あれ? あっちにいる赤い浴衣の子は来ないポヨ?」
「あ、茨田さん、唐揚げ美味しいよ~! 食べないの?」
「む? 茨田さんポヨ!?」
天音は唐揚げコップ片手に適当に座ってる茨田に寄っていく。白いリボンがゆらゆらとしてちょっと可愛い。茨田はスマホを見ていたみたいで、天音が唐揚げを押し付けると「いらないわ」と断るも、頬にまで押し付けられると勢い負けしたみたいで、口だけ開けて、天音にあーんしてもらっていた。
「なんか平和だね」
「そうだな。平和記念という事で次のワンカップは無料……あれ? 陽キャどこいった?」
「あっちだね」
迷子の犬が飼い主を見つけて駆け寄るみたいに、陽キャは唐揚げコップ両手に茨田のほうへ。金髪ギャルの為なら店も捨てるか。なるほど。俺は店に置いてあった唐揚げコップを二つほど拝借した。
「麗しき茨田さん。唐揚げ10個、どうぞポヨ!」
「あ~、油は今、控えてるからいいや」
「丹精込めて作った唐揚げが食べられずに終る……でも茨田さんが美しくあるためなら本望ポヨ! そうじゃなくてもそそられるポヨ!」
あいつも大概だな。気持ちはわからんでもないが。茨田も大変だな、モデルの仕事の為にはこんな美味しいものも食べれないとは。よし、ここは俺が代わりに。
「茨田が食べないなら仕方ない。俺が食べよう」
「なんだポヨ?」
「ちょっと待ってよ。僕も食べるよ」
「おい、これは茨田さんの為のポヨで。お前らは有料ポヨよ?」
「私も食べる!」
「天音は油大丈夫なのか? やめておいたほうがいいぞ?」
「唐揚げは別肌です」
「なんだよ別肌って」
「ああ、そんなに食いたいならまだあっちにあるポヨ、待ってるポヨ」
「……よし、逃げるか」
「え? なんで、理君? もうちょっと食べてこうよ」
「じゃあ俺だけ逃げる」
「あたしも行くわ」
天音は知らないだろう。茨田は若干察したようだ。よし、陽キャが気付く前に俺はスタコラサッサしよう。バレなきゃ犯罪じゃないんだぜ。うちのシマでは。
「あ、ないポヨ! ただ食いポヨ!! いないポヨ!!」
唐揚げの孤島に一人。陽キャの語尾だけが響く。理への恨みをその油に滲ませ「次、会ったらアイツを唐揚げにするポヨ」と唐揚げを揚げる。その憎しみは晴れない、その語尾が響くほどに。だが、女子大生が来るとすぐに忘れた。
「む? その子はお子さんポヨ?」
「姪ですよ」
「そっか。じゃあ姪ちゃんにもおまけしちゃうポヨ」
なお、おまけばかりしたせいで赤字となり――――陽キャはバイトなので――――あとで店主から怒られるのだった。「これも理のせいだ」と赤字のわずか数%でしかないのに全てを理のせいにする陽キャであった。
久々に外に出たから足がもう筋肉痛。屋台が沢山あって、人も色んな人がいて、ちょっと楽しいが、ずっと歩いてなきゃならないのが辛い。人も増えてきた。
「ふぅ、結構回ったね。ホットドッグ、ケバブ、焼き魚に唐揚げ。どれも美味しかったぁ」
「ホットドッグ? ケバブ? 妙だな。僕そんなの紹介したっけ?」
「食べ物ばっかだとちょっと退屈かも。なんか遊べるのない?」
「あっちにパチンコ台があるくらいだよ」
なんでパチンコの出店があるんだ。ダメだろそれ、どんな祭りだよ。まぁ茨田の言う事もわかる。もう満腹だ。腹さえ満ってしまえば、出店も褪せて見えるもの。疲れも来るし。
「出店はこんなもんで、花火の場所取るか?」
「それもいいかも。あたし、いい場所知ってるんだ」
「ええ、僕はもうちょっと周りたいなぁ」
「私もまだまだ食べれる!」
天音、そんな頑張るぞって顔されても。花火を見に来たわけで食べに来たわけじゃないんだから。てかお前らどんだけ食べるの?
この後について色々と話し合っていたところ、すぐそこの屋台がなんか騒がしい。二人の男が何か言い争っているようだ。
「ポテトフライは178円だ!」
「いいや、103円で売れ!」
「うちは最初から178円だって言ってる! 178円じゃないと売らん!」
「わかった。123円ならいいぞ」
「話にならん!」
だんだんと口論が加熱してきた。なんの口論だが、よくわからないが、野次馬も集まってきて。足の踏み場もなく、半ば胴上げに。いや、集まり過ぎだろ。
「あれ、天音や大野は?」
ある屋台の喧嘩により、こうして俺は野次馬の上に。そのままその海の波に流され、気付いたら公園の外れ。俺は一人ぼっちになっていた。あんな唐突に口論なんて起こるのか、いまいち面倒な状況を受け入れられず、とりあえずスマホで天音らに連絡を取ろうとするも、繋がらない。あれだけの人混みだとスマホも繋がらないようだ。
「……帰るか」
夜も暗くなってきたし。ここは帰っても仕方あるまい。と、足を動かそうとしたその時。影の闇の奥から何かが出てきた。
「迷子? 何か手伝おうか?」
朗らかに笑う蝶々がそこにいた。まるで月から舞い降りてきた彼女はかぐや姫のよう。浴衣の白はまさしく夏の月夜、ゆらめき纏う蝶の柄は彼女のどこかミステリアスなところを映している。そう、俺の目の前に月が浮かんだ。それが闇を掻き消したのだ。彼女は、霞京子は戻ろうとする俺の足を止めて、その手を繋いだ。
「あたしも迷子だったんだ」
今日はやけに冷たい夜だ。霞京子の無邪気な笑みと瞳の奥にある輝きに少し胸を刺されてようで、ドキドキしてきた。月下美人とはこのことだろうか。
――あとがき――
次回は霞京子と天音ら探しつつ、花火大会を満喫します。
今回は色々と勢いよくやりました。前半はわりと真面目だったけど、後半に行くにつれてね。最後の口喧嘩のところとかあからさまだしね。次回は恋愛やラブコメ多めになると思います。つまり真面目です。たぶん。




