第4話
その後も色々あったよ……。殿下のお母上の第1夫人がお開きになったお茶会だったり、遠乗りだったり、色々だったけど、シャイライン王女はいつもあんな風。欠席しようとするのに毎回なぜかそれができない感じになっちゃう僕は、なんとか彼女をやりすごそうと必死で逃げてた。
うん、『逃げて済む時は、さっさと逃げなさい。三十六計逃げるに如かずは本当。妙なプライドで時間や金や手間を浪費するなんて馬鹿のすることよ。笑いたいやつには笑わせとけばいいの、実利が一番』って姉さんも言ってたし。
それでもどうしようもない場合、殿下がかばってくださるんだけど、それが逆に火に油を注いだみたいで、王女さまのおっとり口調の嫌味はますます増えた。
あまりのことに僕もつい……、
「わたくし、悪気があって言っているのではないのよ」
「……って、性根がどうしようもないってこと」
とか、ついぽろっと漏らしちゃってたんだけどね……。
そういう時の王女の顔ときたらもう……。あれこそ好きな人の前でしていい顔じゃないと思う。
「他に、言うべきでないことを判断できない、もしくはできても理性で止められない、ただのお・ば・か・さ・んという可能性もありますわね、ほほほほ。あくまで一般論であって、ホートラッドの王女殿下に“まさか”当てはまろうはずもございませんが」
と言って王女を真っ赤にさせて横を通り過ぎていったマーガレットさんがいなかったら、僕どうなってたか、正直分かりません。
てか、マーガレットさんってなんであんなに強気なんだろう……。
え!? ち、違うよ、僕のは“つい”だよ。わざとじゃない、わざとじゃないんだ! ……多分。最近自信がなくなるけど。
そうなんだ、そうなんだよ、僕はそれでその度に『やっちゃった……姉さんにばれたら怒られる。というより、人としてどうよって領域に足を踏み入れかけてない?』って落ち込んでいて、その影にいつも特定の人たちがいたことに気付かなかったわけ。
――じゃあ、なんで今は知ってるのかって?
「あのお姫さん、外見はご立派だし、気位も根性もあったが、いかんせん中身が足りなかったもんなあ」
「王女ではあるが、王妃にはなれないということだろう。ホートラッド王はその辺を良くご存知だった」
「うちの国に押し付けられるならそれもよし、無理なら断りをネタにうちから何かを引き出すという腹づもりだったのでしょう。うちにとってはそっちの方が厄介なんですがね」
「まあ、その辺は陛下もご承知の上。加えて殿下もアンリエッタも抜かりなくホートラッド国王を牽制したようだし、よしとしてよかろう」
――セイルトン補佐官とマロール公爵とムルド伯爵がそう話してるのを、こないだ聞いちゃったからです。
クラーク先生のおうちにお借りしていた本を返しにうかがった時のことだ。
(しかも……陛下も承知の上って言った、今?)
微かに開いた古い木戸越し、応接室から響いてきた聞き覚えのある3人の声に僕は呆然とした。
「それにしてもルーディ殿は実にいい仕事をしてくださった」
「いや、ほんと。王女がチビ2に絡むたびに、周りがどん引きしてったからなあ。まあ、チビの弟ってのを差し引いても殿下のお気に入りだし、そもそもチビ2にはチビ2でファンクラブがあるくらいだし?」
「最後は年頃の女性陣ですら、「あのような方に王妃になられるくらいなら、アンリエッタさまの方が」ときた。これほど根回しが要らぬとはさすがに思わなんだ」
つまり、ホートラッド王女の品定めに、彼女がダメならダメで姉さんを王太子妃にする根回し――わあ、一石二鳥でお買い得……じゃない! 僕はそのための餌だったってことじゃないか!!
「それにしても、殿下は面白かった。チビ1に害が行かないようにするためだと自分が一番納得してるはずなのに、日が経つに連れて段々死にそうな顔になってくんだよな。で、チビ1が視界に入るとその瞬間だけちょっと持ち直して、その後さらに不機嫌。癒されてぇのか、チビ2の頭を撫でる時間も日に日に長くなっていくし」
「ゾアク、殿下を笑いものにするなど不謹慎が過ぎる」
「セイルトン、今更忠臣ぶるな。通りがかったチビ1に咄嗟に話しかけようとした殿下が、陛下に呼ばれてチャンスを潰された瞬間、お前、影で腹抱えて笑ってたじゃねえか」
「……人聞きの悪い。笑っていらしたのは陛下であって私ではない。私はあまりのお労しさに涙を流していただけのこと」
「ああ、あの顔は確かにおもしろ……ではなかった、確かにスタフォード補佐官ぐらいでしょう、ご機嫌にかかわらずあの殿下を振り回……ではなく渡り合って、なおかつ殿下と同じだけの仕事と責任をこなせる女性は」
「信じられない、最悪だ、こいつら……」
思わず姉さんばりに柄悪くつぶやいちゃったけど、殿下まで笑いものにする人たちだ、抗議したところで僕なんか鼻で笑われてきっと終わりだ。
そう悟って口を噤んだ、遠い目で。
いいんだよ、僕は負け犬で。勝てない勝負は挑まないんだ。
笑いを含んだ声は、茶器の立てる小さな音と共にさらに続いていく。
「だが、これで当面うちの国も安泰、と」
「まさか、多妻制まで一気に廃止に持ち込むとは思いませんでしたが。まあ、どの道その予定でしたしね」
「おう、殿下がのろ気まくって、周囲を脱力させてる間に全部片付けちまおう」
「あれは本っ当に迷惑ですよね。若い者たちが気の毒になる」
げらげらと笑う彼らに、「本気で狸じじいだ……」って、最初はそれしか思い浮かばなかったんだ。
でも……、
「……まあ、あれだけ一緒にいたんだ」
「いまさら離れ離れになど、出来ることではないわなあ」
「自分の未来を疎む者が他者の未来を考えられるわけはない、そう仰ったのはクラーク老でしたか……あのままの顔でお2人が笑っていてくださるといい」
何かを噛んで含むかのような声に、行儀が悪いとは思ったけれど、僕はついそっと応接室の中を覗いてしまった。
「それこそクラーク老は12年前からすべて見通しておいでだったのでしょうか」
「それをこれからはっきりさせようと押しかけたのだろう」
余計な装飾の一切ない革のソファ。足の低いテーブルを囲んでいるそれぞれにゆったりと腰をかけた3人は小さく笑っている。珍しく人の悪さとは縁のない顔で。
庭に向かって開け放たれた窓から、風が入り込む。その風が薄手の白いカーテンが舞い上がらせた。部屋を満たし、ドアのこっち側にいる僕にまで春の匂いを運んでくる。
「ふたりが幸せになるついでに、国全体も一緒くたで幸せにしてくれるっていうんだ、」
「「「――こんなお買い得な話はない」」」
その風が治まった後、3人がそうやって声を揃えていつもの顔でにやりと笑って、僕も結局つられて笑っちゃった。
餌にされたし、やっぱり狸だと思ったし、考えてることの中心は姉さんでもカイ殿下でもなくて、“王太子さまとそのお妃”なんだけど、なんでだろう、なんかちゃんと温かかったんだよ。
それで、ああ、きっと姉さんは殿下と結婚して王太子妃さまになっても大丈夫、そう思えたんだ。姉さんが口で怒っても、この人たちを嫌わないのは同じ理由なんだろうな。




