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恋の見出し方  作者: ユキノト
第7章【猫の化け方】
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第7話

 テラスに出た後、キーンはアンリエッタを端の方へそっと押しやると、ハンカチを差し出し、丁寧に目元をぬぐってくれた。そして、アンリエッタが落ち着くまで、何も言わずに待ってくれる。


 冷たい風が頬を撫でていき、おかげで頭も目頭も冷えた。


「……ありがとう、キーン」

 また助けられたと礼を口にしたアンリエッタと、彼は膝を落として目を合わせる。

「大丈夫じゃないんだろう、アンリエッタ」

「……」

 寄せられた眉とため息にキーンの心配が見える。それで少し笑うことができた。

「……まったく」

 さらに顔をしかめた彼は、風に散らされたアンリエッタの横髪を昔と同じ丁寧な仕草で直してくれる。

 昔からそうだ。彼は優しくて、いっぱい甘やかしてくれる。

(こんなふうに何度救われたっけ、私もカイも……)


 奇麗な三日月が中空に浮いている。

 建物の中の喧騒が嘘のように、テラスが面している庭は静まり返っていた。


「キーン、私、とっても馬鹿だったみたい。ずっと自分のことを賢いと思っていたのに……」

 彼が醸し出す空気に包まれて、安堵したせいだろう。するっと言葉が口をついて出てきた。そして耳に響いた自分の言葉に、本当にそうだと再認識してしまって、さらに視界を滲ませる。

(本当に馬鹿、だ、一番大事なことを見失っているなんて。それで、結局……)

「……だ、いじなものを、失くし、みたいなの……」

 何より大切にしたかったものだったのに――。

 込み上げてきた嗚咽に声が震えて、その拍子にまた一滴、瞳から零れ落ちた。次から次へと溢れて止まらなくなる。


「……」

 無言のままに大きな手が頭に落ちる。キーンは少し横にずれ、静かなこの場所とカイのいる会場を隔てるガラス戸を、アンリエッタの視界から遮ってくれた。

 彼の気遣いが嬉しくて……けれど、それこそがカイとの距離そのものに思えて、ひどく悲しかった。



* * *



 そこから、さらに長い時間を経て、アンリエッタの嗚咽がなんとか収まった頃。

「アンリエッタ」

 ゆっくりと、どこかためらいがちにキーンが口を開いた。

「まだ時じゃないと思ってたんだけど……」

 そして、どこか苦しげな顔で、彼は内ポケットから布を取り出す。

「……キーン?」

(新しいハンカチ? じゃないわ、濃紺の……タイ? 近衛の制服、の……)

「……」

 真っ先に思い浮かんだ可能性に、顔から血の気が引いていく。

(ま、さか、よね……? ぜ、絶対見間違いだわ、カイのことで判断が鈍っているだけで……)

 アンリエッタは目を見開き、怯えと共にその布を凝視する。

(だってそうだとしたら、正真正銘、私、馬鹿以外の何物でもない――)

「そんな顔しないで」

「……」

 苦笑するキーンを、アンリエッタは硬い顔で見上げた。

 キーンは真剣な顔をすると、固まったままのアンリエッタの左手を取った。そして息をとめたアンリエッタにかまわず、そのタイを緩やかに、でも取れないように手首にきつく結ぶ。

「……」

 何度瞬きしてみても自分の手に巻きつけられているのは、戦場で生死を共にする、近衛騎士にとって特別なはずの布。

 それを女性に結びつけるのは、そういう場所から戻る拠り所になって欲しいという意味で、キーンのそれが今この手にあるということは――

「……」

(……ああ、もう本当、馬鹿決定……)

 アンリエッタは引き結んだ唇を戦慄かせる。


「アンリエッタ」

 暗闇の中、月明かりを背後から受けたキーンの顔には濃い影が落ちていた。

「……っ」

 見慣れているはずの瞳に、自分が全く違う姿で映っていることを認識させられて、心臓が強く収縮する。

「兄としか見てもらっていないのは知っていた。だから3年前離れた」

 その声と同じものを含んだ別の声を、何度も聞いていたことに気付いて、身体が震え出す。

「離れている間に、アンリエッタが僕を男として見てくれるようにならないかと期待したんだ」

 キーンはゆっくりと膝を付き、こちらを見上げてくる。

「そうでなくても、その間に殿下が君をご自分のものとなさるなら、それもいいかと思っていた」

 彼の瞳にあり得ないと思っていた熱が篭っていることに気付いて、瞬きの仕方を忘れてしまう。

「2人ともひどく幸せそうだったから、それをずっと見ていられるなら、それも悪くない……そう思っていた」

 そう小声で呟いて、彼は何かを懐かしむかのように小さく笑った。


 後ろから吹いてきた風が彼の横髪を小さく揺らした後、アンリエッタの頬を撫でていく。


「だけど……3年ぶりに会って決めた。アンリエッタを殿下に渡したくない」

「キーン……」

(誰、この人……)

 早くなっていく心臓の音に、タイの巻き付いた手を握っている強い感触に、全身が緊張に再び硬くなっていく。

「それに……何人もの妃と殿下の寵を競う、そんなアンリエッタは見たくない」

 宥める様に手の甲を撫でつつ、言い難そうに発せられた言葉に、ズキリと胸が軋んだ。

(そうだ、それは変わらない。私がカイとずっと一緒にいることが出来たとしても、きっとそれは……)

「そんな顔をさせていたくないんだ、アンリエッタ……」

 どこか苦しそうな顔をしたキーンが、アンリエッタの左手を緩く引き寄せる。

(どう、しよう、そんな場合じゃないのに……)

 つい先ほど見た同じ仕草が目の前の光景に重なって、不意に泣きたくなった。やはり同じように甲に落とされた、柔らかくて温かい感触……。

「アンリエッタ・スタフォード嬢、私、キーリニアス・オルッセンと、どうかこの先の一生を共にしていただきたい」

 そして色は全く違うのに、どこか同じ瞳が真っ直ぐにアンリエッタへと向けられた。



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