第4話
狙って少し遅れて入った迎賓の間では、既にダンスが始まっていた。
「……」
優美な音楽が流れる中、周囲の様々な思惑を含んだ視線を一身に浴びながら、その中心で踊っているのは王子だ。相手のシャイライン王女が、うっとりするような顔で彼を見つめている。
「……」
探しているつもりなんてないのに、すぐ見つけてしまったことで、さらに嫌気がさした。足が重くなってくる。
「アンリエッタ、あっちにお待ちかねの人たちがいるみたいだよ。それとも……面倒臭そうだし、放っておくかい?」
茶目っ気を含んだ声に、はっとして隣のキーンを見上げた。彼の瞳に優しい色が浮かんでいるのを見つけて、体の強張りが解れる。
「……できないって知っててそういうこと言うの、性格悪くなったんじゃない、キーン?」
「いやいや、騎士たるもの、姫君のお望みとあれば、何だって出来るよう、全力でご助力申し上げます」
睨むふりをしてみれば、くすっと笑って返してくれる。
キーンは昔からそうだ。こんな風にアンリエッタの気分を軽くしてくれるのが得意で、何度も助けられてきた。
「じゃあ、お返しはまたいずれってことで、ツケておいて。利息分も」
「それは期待できそうだ」
後日ご飯でもおごろうと決めて、アンリエッタも笑った。
一応言っておくと、ケチっているわけじゃない。誰かにごちそうするというのはアンリエッタ的に、最上級のお礼だ。大事なお金とそれより貴重な時間を割いて、自分が美味しいと思うご飯を誰かと共にするなんて、すごいことだと思うのだ。キーンはそれを理解してくれるという確信もあった。
キーンとそんなやり取りをかわしながら、アンリエッタはミドガルド国王と第1夫人、他国の元首達、外務大臣などが集まる一角をまっすぐ目指した。
一歩進むごとに周囲の視線が集まってくるのがわかって、意識して凛と背筋を正す。
敵はいつだってどこにだっていっぱいいる。王太子の執務補佐官という立場を妬む者、嫌う者、その仕事の内容を厭う者、カイに取り入ろうと機会をうかがっている者。
加えて今日隣には結構な有名人でもある、侯爵家の嫡男兼リバーズ警護隊長のキーンがいる。若い女性からの嫉妬の視線も追加だ。
(しゃんとして、付け込ませる隙を絶対に見せないように――)
「……」
ふと視線を感じて目線をキーンに向けると、彼は励ますような目でこっちを見てくれている。それが嬉しい。
取り繕っているアンリエッタも素のアンリエッタも、彼は受け入れてくれる。家族でもないのに、本当に変な人だ。だからこそ大事にしたい。
「ごきげんよう。無事協定成立となり今宵を迎えられたこと、本当に嬉しく存じます」
各国の元首達とその重臣達を前に、作法の見本のような笑顔で挨拶をこなした後、傍らのキーンを紹介する。
「オルッセン……失礼ですが、サイアヘルの強盗団の件で、指揮を執っていらしたのでは……?」
「その節は私どもも助けられました」
三年ほど前、大陸のあちこちで血なまぐさい窃盗を繰り返していた一団の首領を、キーンが指揮する部隊が捕らえ、組織を壊滅させた。そのことを知っている人がいて、彼は一抹の警戒と崇拝に似た空気と共に、軍関係の人たちの輪にすぐに引き込まれていった。
で、残ったのが、
「元気そうで何より! と言っちゃまずいかな。そのせいで、うちの国は有利な協定を取りもらした」
隣国クフマード連合王国の王だ。
豪快に笑っている40を越えたばかりの大柄なこの王さまとは、今年の初め、エーム神教の事件が国境を越えて隣国に波及した時に協力を求めて知り合った。相変わらず王さまというより熊……もとい武人のような人。
その後ろで、そんな彼の様子をおろおろしながら見ているのが、かの国の外務大臣。まだ30すぎだというのに、前に見た時より髪に白いものが増え、あまつさえ生え際の後退著しい。
(やっぱり苦労しているんでしょうね。本当に痛々しいわ。というか、他人事じゃないかも。私もこんな仕事を続けていたら、32になる頃には間違いなくああなる……)
「……」
(……ルーディ、この際胸は諦めてもいいから髪だけは……って一瞬思っちゃった姉さんって、やっぱりこの世で1番可哀相そうだと思わない?)
「では、貴女が噂の……」
目立つクフマード王の横から弱弱しい声が響き、それどころじゃなかったことを思い出す。メゾポナ王だ。老師の話どおり気が弱そうに見える。
その後ろで、苦々しい顔をしているのが、かの国の外交特務官(他国で言う大臣)だ。テイラン国による王子の毒殺未遂事件で巻き添えを食わせ、今回の協定でもだし抜いたから、かなり嫌われたようだ。
(というか、まだまだよねえ。そんなふうに内心を顔に出すなんて)
「お目に書かれて光栄です、ゴルディーラ・メゾポナ国王陛下。その噂、お耳汚しになっていなければよいのですが」
アンリエッタ“は”内心をおくびにも出さず、美しく微笑む。
そして、我がミドガルド王の横で、値踏みするようにアンリエッタを見ているのがホートラッド王――。
「ようやくお目にかかれましたな。カイエンフォール殿下の側役でいらした、あの可愛らしいお嬢さんが、今回の協定締結の立役者だと聞いて、再会を楽しみにしていました。実に美しくなられた」
社交辞令を含んだ言葉には、協定の件を超えた含みがある。
そう気付いたことを表情に出すほど馬鹿じゃないけれど、体の芯がじくじくし出した気がして、この場が余計嫌になってきた。
「光栄です」
だが、それも表には出さないように細心の注意を払って、アンリエッタは小さくはにかんで見せた。もちろん計算ずくの笑顔だ。
「ほお……」
「これはまた……」
不憫なおじさま方が勝手に夢を見たがるのはどこでも一緒なのか、目論見どおり引っかかってため息とかついてくれたけれど、そんな自分に今ほどうんざりしたこともなければ、これほど農園に引き篭りたいと思った瞬間もなかった気がする。
「……相変わらずね」
「ですね」
王子の母でもある第1夫人とキーンだけが苦笑してくれて、それにちょっとだけ救われたけれど。
「そうなんだよな、とびっきり可愛い娘がミドガルドから派遣されてきて、何をするのかとはらはらしながら見てたら、人の国の兵隊を平気で動かして、犯罪者どもを容赦なく一網打尽。見物だったぞ」
「エーム信教の事案ですか。その件もスタフォード嬢の手柄だったとは」
感嘆とも相槌ともつかない音がそこかしこから漏れる。
その中で中心になっている二人をじっと見つめた。噂どおりクフマード王とホートラッド王は個人的に近しいらしい。まったくタイプが違うから、意外な気がした。
「他にも色々なお噂をお伺いしていますよ、スタフォード王太子執務補佐官」
「まあ、良いものだといいのですけれど……」
困って見えるように笑ってみせたものの、あまりの居心地の悪さに頬がつりそうになった。ホートラッド王の言にはまた含みがある。彼はシャイライン王女の父親ということを考えればなおのこと……。
「……」
(……うふふ、いやだ、それは関係なかったわ、私としたことが)
アンリエッタは給仕を呼び止めると、飲み物を受け取り、動揺を誤魔化した。
「あんまり優秀なんで、うちの息子のところに嫁に来ないかって口説いているところなんだが……いい返事がもらえないのは彼のせいか」
(……ああ、本当、クフマード王、相変わらずだわ)
キーンを指さして片目をつぶってみせる彼の仕草に、少しだけ素で笑ってしまった。
こんな性格でなくては、少数民族の寄せ集めみたいな国家は、運営できないのかもしれない。
それから苦笑に紛れ込ませるようにため息をつき、否定しようと口を開く。
「ならば、私はご子息に決闘を申し込みませんと」
が、落ち着いた、穏やかな声に遮られた。
(え……)
振り仰いだ先の声の主、キーンは変わらず笑顔だ。
「ほお、じゃあやっぱり恋人、いや婚約者か」
(なっ、なんでそんな話に)
少し慌ててしまう。取り乱してはいけないが、これは流石にまずい。ミドガルド王が驚いたようにこっちを見ているし、下手すれば本気にされてしまう。
「い、いえ、そういう関係では」
「――違いますよ。キーンは私とアンリエッタにとって兄のような人ですから」
「っ」
釈明のために慌てて発した言葉は、聞き慣れた、よく通る低い声に補完された。そのまま近寄ってくる気配に息を止める。
「……」
カ……王子はアンリエッタのすぐ横で立ち止まった。心臓が鼓動を増したのがわかる。
「キーン、久しぶりだな」
「壮健なご様子、何より嬉しく思います、カイエンフォール殿下。それにしても……また一段と大きくなられましたね」
「あのな、もう18だぞ」
「あー、ですね。ついつい小さい頃と比べてしまって……。失礼いたしました」
2人が素に戻って交わした苦笑と、それに続いた昔と同じように温かい空気、含みのない笑いに、ようやく息を吐き出した。
(……大丈夫、大丈夫よ、何も変わってない、変わらない、わ……)
「ご覧の通り昔からこんな風なんです」
そうしておどけたように肩をすくめて見せたカイに、王たちとキーンが小さく笑いを零す。それに合わせてアンリエッタも笑ってみせた。
が、それも一瞬――。
「やあ、アンリエッタ。今日は一段と美しい」
「……は?」
そんな言葉に、緊張も気まずさも何もかも忘れて、王子の顔を見上げた。
(こ、壊れた……? カイが私を褒めるなんて、しかも人前……)
「……」
(……ああ、大丈夫。壊れてないわ。普通も普通、正真正銘)
おじさま方までが溜息と共に見蕩れる、輝かしい笑顔を向けられて、アンリエッタは落ち着きを取り戻した。
権謀術数に長けた狸どもが騙されたってアンリエッタだけは騙されない。彼の顔にはっきり企みの気配がある。
「身に余るお言葉です、殿下」
いつものペースを取り戻して、王子の策謀に応じるべく、涼やかに笑ってみせたが、よくよく考えれば、それもどうかという話だ。
(ほんと、ルーディ、姉さん、もう完全に汚染されてると思うの……)
思わず逃避に走ったアンリエッタは、茶番の相方であるはずの王子の行動に、それゆえ後れを取った。
(……え)
自分より高くなった紫の瞳が、すっと眼下へと沈んだ。そして跪き、口をぽかんと開けてしまったアンリエッタの手を当たり前のようにとった。
「……」
あまりの異常さに、頭が一瞬で真っ白になる。
思考がまとまらないが、あり得ないことが起きているのはわかった。“王子”が絶対にやってはいけないこと――
「アンリエッタ・スタフォード嬢」
「っ」
眼下の紫玉に真っ直ぐ見つめられて名を呼ばれ、アンリエッタは思考のみならず、息をも止めた。
「今宵、私、カイエンフォール・ミドガルドに、あなたと踊る誉を頂きたい」
「……」
とどめに、手の甲に唇が落ちた……。




