第4話
「カイエンフォールさま、ご一緒にお散歩しませんか」
「午後のお茶にいらしてください。美味しいお菓子を焼かせましたの」
「まあ、遠乗りですか。失礼いたしました、招待が私にまで届いておりませんでしたの。すぐに準備してまいりますわ」
などと延々付きまとわれること数週間――。
ストレスに耐えかねたカイは、既に安全圏ではなくなった自室から逃げ、アンリエッタの部屋に避難中だ。キーンと並び、アンリエッタの部屋のソファにぐったりともたれかかって、お手製の“ハーブティ”を飲んでいる。
「ストレス解消にいい」と古い薬学書に書いてあった雑草(と言うと「薬草!」と怒られるけど)を、アンリエッタがなんとか売りだせないかとあれこれ試しているのの、実験台と化している。
(あの王女とずっと一緒にいることに比べれば、おなかを壊す方がまだいい……)
渋くて、苦くて、微妙に酸っぱい、変な臭いの液体を口にしながら、カイはそう確信する。
「お疲れですね、殿下」
「キーンだって時々微妙な顔、してるじゃないか」
今までいくらカイ達が誘っても、仕事だから駄目だと言い張っていたキーンも、最近ではカイと共にアンリエッタの部屋に入ってくるようになり、一緒にお茶をしたり話をしたりするようになった。
「あー、まあ、四六時中ですし、意志の強い方ですし」
「意志というより我が強い、つまり我がままってことだろ」
頬を指でかきつつ、気まずそうに目を泳がせたキーンの言葉を翻訳すれば、彼は目を丸くした後、吹き出した。
彼はカイたちに対して率直で、他の人のように見え見えの嘘をついたり、お世辞を言ったりしない。兄のように慕っているそんな彼が一緒なのは、カイにとってもアンリエッタにとっても嬉しいことなのだけれど、だからと言って今は笑える気分ではない。
「本当に殿下の態度はご立派です。見事に使命を果たしておいでかと」
「正直いえば、もう逃げ出したい……」
温かいキーンの言葉に、思わずカイが溜息をつけば、それで彼はさらに笑った。
(アンリエッタの次に気を払わなくていいキーンがいつも側にいてくれるだけましなのかもしれないけど……)
「それにしても、アンリエッタはアンリエッタで大変そうだね」
そう言いながらキーンは、今度は横に座ったアンリエッタの頭を撫でた。
「うーん、予定は色々狂わされてるけど、私は基本王女に付き合ってないから、そういう意味では平気よ、キーン。すごいのはカイだわ」
普通なら「子供だと思って舐めているのね――さて、どう利用してくれようかしら」などとよからぬことを考え出すアンリエッタも、彼にはただ笑い返している。
カイたちが彼を好いてるだけではない。そもそも今3人でこうしていられるのも、キーンが宝石商や仕立て屋を手配してくれて、上手く王女の気を逸らしてくれたからだ。昔からキーンはカイたちに甘いのだ、アンリエッタ曰くの「下心」もないのに。
「今回私は失敗したみたいだけど、カイは真逆だもん」
「……」
アンリエッタにも感心されたけれど、喜ぶ気にはやはりなれず、カイはうんざりと顔をしかめた。
いつもいつも付き纏われて、その度にアンリエッタを追いやられて、彼女と話すことどころか、横に並ぶことすら出来なくなる。
奇麗な花とか、宝石とか、ドレスとか、詩の話とか。ついていけるけど面白くない。
品種改良のためのソラマメの花とか、宝石の価格差の話とか、破ったドレスを直して売り飛ばした話とか、新しい経済論の話とか。ついていけないことも多いけど、そっちの方が面白いんだ。
おっとりと穏やかに話をして笑ってくるのを可愛いとは思うけど、それだけだとちょっと退屈。
ぎろって人を睨んだり低い声で笑って脅してくるのを怖いとは思うけど、それにどう反応しようって必死で考えるのは刺激的。
こんなことを褒められるとか、皆が可愛いと言ってくれるとか、私はこれが素晴らしいって話を聞いても相槌を打つぐらいしかできないし。
何をやって怒られたとか、皆が可愛いと言ってくれるのを利用しない手はないとか、私はこれが駄目だから修行するのとかの方が話をしやすい。
(……本当にアンリエッタに毒されてる)
カイは苦笑を零すと、怪しい液体をまた口にした。
「でもつまんない。カイと全然話せないし、一緒に色々できないし、老師やトンプソンの所にだって満足に行けないし」
「……」
眉を下げたアンリエッタがそう言ってくれて、なぜかドキッとした。じわじわと嬉しい気持ちが広がっていく。
でも、どうしてだろう、「僕もいつもみたいにアンリエッタと2人がいい」と言えなくて、カイは聞こえないふりをし、カップで顔を隠した。
そんなカイを見、キーンが小さく微笑む。その顔にも疑問を覚えた。
ノックの音が響いて、カイはアンリエッタと顔を見合わせると、一緒に眉をひそめる。
それを見てキーンが、「同じ顔をしていますよ」とふき出したけれど、カイは笑えなかった。
「こちらにカイエンフォール殿下がいらっしゃるでしょう」
「ええ、まあ。ですが、今は公務の打ち合わせ中でして」
「まあ、ホートラッドの王女たるわたくしより大事なご用事があって?」
(うげ、やっぱりシャイライン王女だ……)
応対に出てくれたキーンに対する彼女の声は、おっとりしていて可愛らしいのに、内容は居丈高だ。彼女の側役が小さくいさめる声を出したけれど、「大丈夫、カイエンフォールさまだもの」とこれまた訳の分からない言葉ではねのけられている。
「カイがここに逃げ込んで来てからずっと探していたとか……?」
「怖いことを言わないでよ……」
「好かれてるのは、この先を考えれば、悪いことじゃないでしょ。あとちょっとだし、頑張れ、カイ」
「うーん……でも、なんかきついんだってば。嫌なことをしてくるわけじゃないんだけど」
「そういえばそうよねえ、不思議な感じよねえ」
顔を寄せて小声で内緒話をかわす。
「――何をしていらっしゃるのですか?」
突然戸の方向から、最近ずっと聞いている甲高い声がして、カイはアンリエッタと同時に振り向いた。困った顔をしているキーンの前で、王女が泣きそうな顔をしていて、2人はまた顔を見合わせる。
『あ、あれ、なに、アンリエッタ?』
『わ、わかんないわ』
「カイエンフォールさま、わたくしと参りましょう」
なんだかよく分からないけれど、王女はきっ、とアンリエッタを涙目で睨んだ。それにぎょっとしながら、同じ顔になっているアンリエッタと目で会話する。
『な、なんなのかしら、カイ?』
『わ、わかんない』
そうこうしている間につかつかと近寄ってきた王女が、勝手にカイの腕を取った。そのまま引っ張って、部屋から出ていく。
「シャイライン殿下、どうなさいました……」
「知りません!」
(泣きそうなくせに同時に怒ってる――相変わらずよく分からないけれど、これってかなり失礼な気がするんだけど……?)
何度も同じ質問をしたのに、無視し続けて中庭にまで強引に引っ張り出し、挙句この態度――。
「……」
微風が吹き、日差しがさんさんと降り注ぐ庭園では、咲き乱れる花々の間を蝶や蜂が飛んでいる。アンリエッタと一緒にトンプソンと話し込んだりする、本来ならカイお気に入りの場所なのに、げんなりしてしまう。
「あと5日しかありませんのに、あんまりです、カイエンフォールさま……」
(万歳、あと5日だ! けど、なにがあんまりなんだ? 僕なりにちゃんとしているのに。それこそアンリエッタが文句を言わないようなレベルでさ)
「それはどういう……ぅ」
無言で涙をほろりと流されて固まった。
相変わらず訳の分からないことを、説明もなしに当たり前のように言う。分からないから訊ねるのに、答えをくれない。それなのに、何かを訴えてきているのは分かる。説明を求めれば泣く――彼女のこの辺もなんだか苦手だ。
少し離れた所に控えているキーンを見れば、少し眉を寄せているけれど、生憎彼とはアンリエッタのように目だけで会話が出来ない。
「申し訳ありません、何かお気に障るようなことをしてしまったようで……」
棒読みになりそうなのを堪えつつ、とりあえずハンカチを差し出してみるものの、余計泣かれてしまって受け取ってもらえない。
かと言って、アンリエッタのように(アンリエッタは泣かないけど)、『そんなことで誤魔化そうとすんじゃないわよっ』って差し出した手を叩き落したりもしない。
「……」
(どうしろっていうんだ……)
仕方なく王女の目元にそれを当ててみると、王女は視線を上げてくる。その機を逃さず、適当に笑って流してしまおうと思って……。
(……げ)
王女の潤んだ目と赤らんだ頬、加えて遠くで「あちゃあ」というように額を抑えたキーンにまた失敗を悟った。
(アンリエッタ、僕、新たな発見をしてるのかもしれない……。笑うの、結構まずいこともあるみたいだ……)
そして、なぜか機嫌が直ったらしい王女に内心で溜息をつきながらも、彼女の望むまま一緒に庭を歩くことになった。
「あ」
(あれはアンリエッタとトレバー……)
その途中、渡り廊下の向こうで2人が仲良く笑いながら話をしているのを見つけて、カイは思わず足を止めた。
トレバーがアンリエッタに何かを言って、アンリエッタはそれに歓声を上げると、
「っ」
――抱きついた。
「……」
刹那、体の奥底から激しい何かが湧き上がった。同時に戸惑いを覚える。
(なに、今の……ムカッとした? なんで? アンリエッタが嬉しいと僕も嬉しいはずなのに……)
「……」
もう一度2人を見れば、笑顔をかわしながら並んで歩いていく。その様子に今度は眉が寄ってしまう。
なぜだろう、アンリエッタが笑っているのが、すごく嬉しくない。
「カイエンフォールさま?」
「え? あ、はい」
むっとした声で振り返った王女に急いで視線を戻し、接待の仕事をこなすべく、再び歩き出す。
「……」
なのに、ちらりと後ろを振り返って、アンリエッタを確認してしまった。
視線の先では、アンリエッタが元気にトレバーに手を振って、1人で廊下を駆け出していくところ。その様子に胸をなでおろした後、カイは唇を引き結ぶ。
(なんで今ほっとした……?)
困惑しつつ、見るともなしにアンリエッタを見送るトレバーへと目を移した。そして、息を止める。
「……っ」
――同じ目、だ、王女のと。潤んだ、何かを訴えているかのような……。
「カイエンフォールさま、さっきから一体何なのですかっ」
王女がヒステリックな声を出しても、トレバーが歩み去っても、カイの心臓は速まったまま。足も地面に縫い付けられたかのように動かなかった。