第5話
「どうしたの、カイ? 何かあった?」
夕方、やっとシャイライン王女から解放されたカイを部屋に訪ねてきたアンリエッタは、開口一番心配そうに顔を曇らせた。
普段と同じその顔を見た瞬間、ムカつきがすっと消えた。ちゃんと自分を見てくれていることも確認できて、ほっとしてしまう。
「昼、トレバーと何話してたの?」
そうしたら自然に気になっていたことが、口をついて出ていた。
「あ、見てたのね。それが聞いて、カイ! トレバーのうちの領地に面白い小麦があるらしいの。去年の冷夏でも収量が落ちないのがあって、それをくれるって言うの!」
「へえ、それってすごいね」
(なんだ、そんなことか……)
言葉とは裏腹のことを内心で思いながらも、なんだか気分が上昇してくる。
「でしょう、でしょう? カイならこのすごさを分かってくれると思ってたわっ」
アンリエッタはすごく嬉しそうで、それを見てさらに嬉しくなっていく。だから昼間、笑うアンリエッタを見て嫌な気分になっていたのは、勘違いだと思った。
「それで、明日その種を持ってトレバーと一緒に植物館に行ってくるわ。本当は独り占めしたいけど、あそこで品種改良して、皆がそれを使えるようになった方がいいも…………何よ、どうしたのよ、カイ?」
なぜかまたすごくむかむかしてきて、眉をひそめたカイに、アンリエッタは目敏く気づいた。
「……行くの、トレバーと? アンリエッタは僕の側にいなきゃいけないはずだろう」
話し終わるか終わらないかのうちに、アンリエッタの眉も寄った。自分だって同じ顔をしているくせに、その時はアンリエッタがそんな表情をすることがひどく気に入らなかった。
「だってあの王女、なんだかんだ言って、私がカイと一緒にいれないようにしちゃうじゃない。私だってつまんないもの、ただ部屋に籠ってるだけって」
「それはそうかもしれないけど……」
でもアンリエッタがトレバーと2人で出かけるのは面白くない。上手く説明できないけど……。
「でも駄目」
「はあ? ちょっと何よ、それ。カイ、横暴!」
「アンリエッタなんていつだって横暴じゃないか、僕がたまに横暴になるくらいいいだろう!?」
「ちょっと、私のどこが横暴だっていうのよっ」
「それ、自覚のないのが一番っ」
「っ、むっかつく、馬鹿カイっ」
「馬鹿アンリエッタっ」
(人の気も知らないで――……って、僕だって知らないじゃないか、僕に何が起きてるか……)
アンリエッタが憤然と部屋を出て行った後、ようやくそう気付いた。
* * *
「っ」
(アンリエッタだ、仲直りしに来たんだ――)
明かりを落とし、ベッドに入ってから響いたノックの音に、カイは跳ね起きた。
カイはあれから、アンリエッタと喧嘩してのぼせた頭のまま、ホートラッドの国王一家と夕食を共にした。
ただでさえシャイライン王女にうんざりしていた所に、訳の分からない感情への苛々と、アンリエッタとの喧嘩の苛々で気分は最悪だった。
「カイエンフォールさま」
王女に嬉しそうに笑いかけられたけど、もう限界は近くて、つい聞こえないふりをしてしまうこともあった。
父上や母上は気付いていなかったようだけれど、同席していたセイルトンがこちらを見て眉をひそめていたから、あの後アンリエッタに何か言ったのかもしれない。それで文句を言いに来たのだとしても、ちょっと嬉しい。
(ごめんって言って仲直りしよう。それで僕も一緒に3人で植物館に行けばいい、それだけの話じゃないか)
そう思っていそいそとガウンを羽織って、
「困ります」
「まあ、ミドガルドの近衛騎士の礼儀はホートラッドと違うのかしら? あなたに私をそのように扱うことが許されるとは思えないの」
「……」
今晩の当直をしているキーンに対する声に、カイは眉を思いっきり寄せた。
(アンリエッタじゃない。シャイライン王女だ……)
「申し訳ございません、シャイライン殿下。殿下はもうお休みになられるところでして……」
「あの側役は、このようなお時間でも、カイエンフォールさまとご一緒していると聞き及んでいます。わたくしが同じようにするのに、何か不都合があって?」
「側役だからこそでございます。ご理解いただきた」
「ならば、わたくしはホートラッドの王女です」
無視しようかと思ったけれど、応対に出た乳母のサリナも困っている。
アンリエッタと王女じゃ話がまったく違うに決まってるじゃないか、と肩を落としながら、カイは溜息をついた。
「あー、もう……」
思わず呻き声を上げて頭をガシガシとかく。
(話し方とか声とか、穏やかで可愛らしいんだけど、なんだかなあ……)
仕方なしに嫌々顔をのぞかせてみれば、そこにはやはり彼女がいて目が合った。背後の彼女の側近たちが気まずそうな顔をするだけで、主の彼女の行動を咎めようとしないのも、倦怠に拍車をかける。
「こんばんは、カイエンフォールさま、やはりわたくしにはお会いしてくださるのですね……」
感慨深げに言われて、「会わざるを得ないように仕向けておいて何を言ってるんだ……」と言いたくなったが、ぐっとこらえた。そんなことを言おうものなら、泣き出すか何かで余計時間を食うだけ。さっさとお帰り頂きたい。
「こんばんは、シャイライン殿下。なにか急ぎのご用事でしょうか?」
「ええ。私、カイエンフォールさまとお話ししたくて。今日晩餐の際、ご不興を買ってしまったのかしら、と気になってしまったのです」
(……それ、まったく急ぎじゃない)
意図的に無視していたことがばれていたらしいと悟ったが、反省するより何より、ならしつこくしないでくれよ、と思ってしまった。
(さっさと帰って欲しいけど、誤解だと言ってさらに調子に乗られても嫌だし、どうしようか……。ああ、アンリエッタなら、きっと上手いこと言うんだろうなあ……)
「少しでいいんですの、お話、できませんか?」
何かをねだる時にいつも見せる上目遣いで見上げられたが、可愛いとか、もうまったく思えない。
けれど、結局――ちょっとだけ夜のお茶を、と畳み込まれてしまった。
「――げ」
作法のメッソン先生がいつも怒る、そんなアンリエッタの口癖。カイにうつってしまった時、彼女は泣きに泣いていたけど、気分はそれ以外にないという感じだ。
「……ええと、何、をしていらっしゃるんです?」
「わたくしの気持ち、お気づきでしょう、カイエンフォールさま」
ガウンを下に落としたシャイライン王女が、下着姿ですぐ側に寄って来ている。
(ええ、と……これ、なに?)
『頭が真っ白になったら、あっという間に漬け込まれるわよっ、いつだって冷静でいなさいっ、現実を見据えるの、カイっ。あんたみたいにぼうっとしてたら、絶対に詐欺に引っかかるわっ』
脳内に響いた声に、ああ、そうだった、と気を取り直すと、カイはソファの上をずずっと動いて彼女から距離をとる。
なるほど自身の付き人やキーンを追い払った挙句、粘ったサリナに強引にお茶の用意を言いつけたのはこのためだったらしいと納得したが、それ自体一種の逃避かもしれない。
「……とりあえず、その上着を着てください」
(ひょっとして、まさかと思うけど、今僕は彼女に誘惑、されている……?)
カイは目の前に迫ってくる自分より1つ年下の王女を思わず凝視した。
キーンにそんなことをしている女性を見たことがあるけど、あれはもっと大人の女性がするものではなかったっけ……?
(ああ、もう本当になんだかなあ)
「カイエンフォールさま、私のことがお嫌いですか?」
(しかもなにその飛躍……相手の反応が自分の期待通りじゃないと嫌いっておかしすぎるだろう。あーもー、早くサリナ、戻って来ないかな)
うるうるとした目で見られても、と呻きたくなった。
「げ」
現実から逃げた隙(アンリエッタにばれたら怒られる)に、テーブルを回りこんできた彼女に腕をつかまれて青ざめた。何がどうとはうまく説明できないけれど、きっとこのシチュエーションはものすごくまずい。
「大切なお客さまです。そういう感情で貴女を見たことはありません」
何とか冷静を保って腕を取り返し、さらに距離をとった。
カイは今ソファの隅っこに自らを追いやっている状態だ。かなり情けないけれど、立って避けるのはさすがに失礼すぎるかもしれないと思って何とかそこで踏みとどまっている。もちろん本音としては全力で走って逃げ出したい。色んな意味で怖い。
「――そう」
「げ」
最大限努力しているのに、王女の顔色と声音を変わった。
「誰か他に好きな方がおられるのですね」
「好き、な人……」
その刹那、脳裏に浮かんだのは、くるくる表情を変える不思議な色の瞳――アンリエッタ、だった。
(ああ、そうか、僕はアンリエッタがそんな風に好きなんだ……)
それは驚くほど、すとんと自分の心に収まった。同時に、これがこのところ感じていた違和感の正体だと悟る。
「あの側役ですか?」
「っ」
存在をころっと忘れてしまっていた(アンリエッタにばれたらやっぱり怒られる)目の前の人に、図星を指されて硬直してしまった。
「やっぱりそうなのですね……」
そう呟いた彼女は真っ赤な顔をしてこっちを見つめると、大粒の青色の瞳からぽろぽろっと雫を零して、部屋から駆け出していった。
「……」
やっと静かになった部屋の中。
「……」
……ガウンをちゃんと拾っていくあたりはしっかりしてると思う。
「……」
けど、多分問題はそこじゃないのだろう。
「……あー、ごめん、アンリエッタ。なんかまずいことになったかもしれない」
カイは両手で顔を覆うと、天を仰いだ。
「明日からがなんか怖い……」
自分がアンリエッタを好きだという発見はまだ実感が湧かないけれど、それだけは確かだった。




