第3話
それからしばらくの間は、いつもの勉強や剣技などの修練、アンリエッタの宮廷菜園や品種改良の(半強制的な)手伝いに加え、外交や国際情勢、国賓などの応接について特に念入りに学んだ。
そうしてホートラッド国王一家がミドガルドにやってくる日を迎える。
城の中央、謁見の間にミドガルド国王、その脇に第1、第2夫人、そして王子・王女たちがずらりと並び、後ろにそれぞれの側近や国の重臣たちが控える中、ホートラッド国王・王后両陛下とその娘である第2王女が案内を受けて入ってきた。
それぞれの序列に応じて、順に挨拶をかわしていく。
「初めまして、シャイライン殿下。カイエンフォールと申します。ご滞在の間、私がお相手を務めますので、お見知りおきください」
カイもホートラッド王とその正妃に続き、第2王女へと仕事用の表情と声で微笑みかけた。アンリエッタ曰く、『歳相応に無邪気に見えることも大事!』らしいから、それらしく見えるように。ついでに、『皆が王子さまに期待する“威厳のある顔”をしてみせるのも大事よ』というのも一応考慮した。
(アンリエッタ、最近要求が厳しくなってきたよなあ……って、僕、かなりアンリエッタに毒されてるかも)
思わず苦笑すれば、目の前の幼い顔の頬が赤く染まった。
(……聞いているほどには気難しくないのかな)
艶やかな金の髪に青い瞳、絹織物を特産とするかの国らしい、凝ったドレスに身を包んだ彼女はカイより一つ年下で、事前情報によれば、気位が高く、気まぐれでもあるという。つんけんした態度を覚悟していたが、そんな感じはない。
「は、はじめまして、カイエンフォールさま」
王女の上ずった声に、『カイの見た目はすごくいいから、笑顔をうまく使えば、武器になるわよ』とまたアンリエッタの言葉を思い出した。
これなら問題なく相手できるかも、とほっとしたのも一瞬、彼女に潤んだ目で熱心に見つめられて、カイは微妙に笑顔を引きつらせた。
なぜだろう、“うまく”し損ねたような気がする。
(なんだろう、これ……)
王女からの視線が全身に絡みついてくる気がして、カイはチラッと斜め後ろにいるアンリエッタを見る。目線で「しっかりやりなさいよ、カイ」とは言っているけれど、特に何かを警戒している様子はない。
(……アンリエッタが何も思ってないってことは僕の勘違いかな?)
だが、異母弟妹たちが挨拶する間も、シャイライン王女の目は何かとカイへと向けられ、その度に違和感が募っていった。
その後、カイの母である第1夫人の主催で歓迎の茶会が催されたのだが、シャイライン王女は「疲れたの」と出席を拒んだ。
可愛らしい仕草だったからか、ホートラッド国王夫妻は、苦笑とこちらへの詫びの言葉だけでそれを認めてしまった。
結果、カイも茶会を免除され、彼女の応対に回ったわけだが……。
「この者は私の護衛をしております、キーリニアス・オルッセン、こちらは私の側役をしておりま」
「まあ、そのような者のことまでご丁寧に。お優しいのですね」
先だって、カイと一緒に行動している者たちを王女に紹介しようとしたが、アンリエッタのところでニコニコと、だが興味なさげに流された。
(……というか、“そのような者”?)
笑顔だし、言葉は丁寧だけど、言外にアンリエッタのことを蔑ろにされた気がするのは気のせいだろうか?
内心かなりむっとしたけれど、当のアンリエッタの表情は変わっていない。だからカイも必死でそれを顔に出さないようにした。
「ところで殿下、早くこのお城をご案内してくださいませんこと? ミドガルドのお城はとても奇麗で私、嬉しくて」
「? お疲れなのでは」
「まあ、やはりお優しいわ。大丈夫です、カイエンフォール殿下とご一緒出来るなら、疲れたなんて言っていられませんもの。さあ、早く参りましょう」
「……喜んで」
疲れたと言って茶会を欠席したのに?とか、本当はあまり嬉しくないんだけど、とか思いつつも礼儀通りに答える。
しくじれば、後で絶対にアンリエッタに、「国のお客さんでしょう、気に入らなくたって適当に上手くやりなさいよ」と言われるに決まっているし……。
「……」
(エスコートなんだから、やっぱり手を取らなきゃ駄目なんだよな……)
キラキラした不思議な目で見上げてくる王女に、カイはつい眉根を寄せそうになった。アンリエッタとなら手を繋いだって嬉しいと思うのに。
「まあ、ご苦労さま。でもあなたは付いてこなくて結構よ」
アンリエッタに向かってニコニコと笑いながら、そんな風に言う彼女――仕事でなきゃ絶対に相手にしてやらないのに、と思ってしまうこれは一体なんなのだろう。
「……」
大人しく下がっていったアンリエッタの後姿を見ながら、カイはついに眉を顰める。
「カイエンフォールさま、奇麗なお庭ですね」
「ありがとうございます。優秀な庭師が丹精込めて世話をしております」
トンプソンの話をしているのに、彼女は興味なさ気だ。アンリエッタなら絶対に「会わせて!」と言うのに。
『トンプソンのバラの葉って、この季節でも色が悪くならないのね?』
『秘密が知りたいのかのう?』
『知りたい!……けど、お金なら持ってないわ』
『くははは、誰がチビにたかったりするもんかね、それより草引き手伝ってくれんか。弟子が病で臥せっとってなあ』
『ギブ・アンド・テイクってことね、よし、それなら安心だわ』
そんな昔のやり取りを思い出して思わず笑ってしまったカイの横で、シャイライン王女は大輪の赤い華に見蕩れているようだった。
(まあ、普通は葉っぱの色に目をつけたりはしないのかな)
「あら、このバラは見たことがありません」
「それはその庭師が品種改良を」
「では新種なのですね、何という名前なのですか?」
「トンプソンです」
「まあ、カンエンフォールさま、意地悪なさらないで。そんなお花の名前はございませんでしょう?」
(訊かれていたのは庭師の名前じゃなくて花の名前だったのか……)
コロコロと鈴を転がすように笑う王女はとても可愛らしい。けれど、庭師のことなんかどうでもいいと態度で示しているのだ、と悟ってカイは唇を引き結ぶ。アンリエッタなら「株分けしてって頼んでみるわ」とか言うのに。
「……」
そのくせ何かを期待しているような顔は、一体なんなのだろう? アンリエッタなら、言いたいことは全部言ってくれるのに。
(ええと、確かバラの話をしていたんだっけ……?)
「……どうぞ?」
一輪、棘に気をつけながら折って、彼女に手渡してみた。
「素敵ですっ、ありがとうございます、カイエンフォールさまっ」
「……」
(正解……じゃない、かも)
またあの潤んだ目を向けられ、さらには距離をぐっと縮められて、カイは微妙にのけぞった。また何かを間違えた気がする。
(な、なんなんだと思う、アンリエッタ……)
目線だけで会話ができる彼女は、生憎と今カイの側にはいなかったが、少し離れた場所にいるキーンに「あーあ……」とでも言いたげな顔をされて、カイは目を忙しなく瞬かせた。




