【セッション3】酌交
ノックスの十戒って、現代ではどこまで浸透しているのだろうか。。。? 若者10〜20代は知らなくても、それが逆に時代を新しいのもへと感じさせるのは自分だけだろうか。
出雲は、いつものようにタイムカード切ってから店を出た。
外はまだ明るく、シャツが肌に張り付くような季節だ。
先週の梅雨入りでジメジメしていた頃に比べればいくらかマシな方のように思えた。
最近買い替えたばかりのスマホ端末を取り出す。ケースやカバー、装飾が何もない質素な携帯電話だ。
今時は珍しいらしく、斑目や他の従業員からはひどく物珍しがられたのが記憶に新しい。
ロックを解除すると、携帯会社の店舗のスタッフが必要最低限インストールしてくれたアプリケーションが画面にポツポツと現れる。その中の一つ、連絡用ツール機能のアプリをタップして立ち上げた。
店の名前と位置関係、集合時間を逆算して鼻先にある駅のひとつ先の駅へと歩いて移動することに決めた。
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
『お次の到着は、新橋〜新橋です。降り口は向かって左側です。お忘れ物なさいませんようご注意ください』
よく通る男性車掌が車内放送で呼びかける。数秒後には、電車は停車してドアが開く。モヤッとした外気と熱気が入り混じった空気が頬を撫でる。
大学時代の知人が予約してくれたのは、国道15号線に隣接する老舗の炉端焼きの店舗だった。
日本田舎屋風の外観に、何かの雑誌で見た世界遺産『五箇山』や『白川郷』が思い出された。都会の喧騒ではなく、地方のゆったりとした雰囲気を醍醐味としたこういった店は、都会で働く者にとって一種の癒しなのだろう。
手にかけた入り口の障子扉からは、沢山の人の気配が伝わってくる。
「いらっしゃいませ! おひとりさまですか?」
若い大学生アルバイトらしき愛嬌のある女性従業員が迎える。
「いえ。予約している、トバリですが」
「はい、ご予約のトバリ様ですね。確認してくるので少々お待ちください!」
そういって一〇秒もしないうちに、2階の掘り炬燵の席へ案内される。
「おぉ、待ってたぞ。出雲」
「お久しぶり、出雲くん」
まずはじめに声をかけてきたのが、帷兼久。今時流行りのツイストパーマによく映える紺色のスーツを着こなしていた。世間一般ではこれがイケメンというのだろう。案内してくれた愛嬌のある従業員が、帷のことを2度見していたのを出雲は見逃さなかった。
それから出雲は腕時計に一度、視線を落とす。
「集合時間にはまだ余裕があると思うが。それよりも———」
「うん、そうね」
言葉を遮って、少しばかりハスキーな声が耳に届く。
「けれど楽しみだったから、早めに到着してしまうのは仕方のないことじゃない?」
セミロングの明るめの髪色をした鷹野緋色が、上目遣いをするように出雲を見上げる。
位置関係的には当然そうなるはずで大抵の男性であれば、その完成されたように思える美と相まって舞い上がっても不思議ではない。出雲は大学時代よりもさらに女に磨きがかかっているような印象を受ける鷹野から目を逸らして、帷の隣へと腰を下ろした。
「なんだよ、そんな怪訝そうな顔するなって、鳩が豆鉄砲でも食ったか?」
口元を釣り上げて、帷が思ってもない事を口にする。
「まあまあ、せっかく旧友が3人集まったんだ。景気良く行こうぜ! なっ? ホイッ、これメニューな」
取りなすような言い方で帷が続ける。
多少強引に渡されたメニューを開いてアルコールのページを開く。
出雲以外のほか2人は、すでに注文して中身が半分ほどになったビールのグラスを持っている。
「純米吟醸『ささにごり』ひとつ」
「またいきなり日本酒かよ、変わってないなぁ。それじゃあ俺はハイボールで、鷹野さんはどうする?」
「私はまだ大丈夫よ、ありがとう帷くん」
2人分のドリンクと適当な料理の注文を受けた従業員がその場を後にする。
木造階を小走りに駆ける音がした。
この店の2階は全てが仕切られた個室のようで時折、談笑する声が天井をつたって降って聞こえてきた。
「悪いんだけど、タバコいいか?」
鷹野がいる手前だからか、一応断りを入れてから反応を見て加熱式タバコを取り出す帷。
加熱している間、懐かしむような口振りで会話を回す。
「実は、出雲とはちょくちょくこうして会って飲んでいるんだ。鷹野さんとこうしてちゃんと会うのは本当に久しぶりだな」
「ん? こうして鷹野がここにいるのは偶然なのか?」
疑問の声を上げる出雲。
「ああ、たまたま仕事の用向きで新橋に来たから、せっかくならと思い立って連絡とってみたんだ。そしたら色良い返事もらえたから呼んだってわけ」
新橋は一流企業が集まるビジネス街だ。そして鷹野はその中の一つ、新橋駅の目の前に本社を構える最大手広告会社の社員だ。以前は、過労で何人も辞めていくと噂になった超激務らしかったのだが、目の前の社会人2年目の彼女はケロッとした様子で最後の一滴を飲み干していた。
空になったグラスをテーブルに置くと正面に向き直り、いたずらっぽく目配せをする。
「せっかくの大学時代の旧友からのお誘いだもの。楽しみにするのは当然でしょ?」
「ミスコン・グランプリスト様にそういって貰えて光栄の極みだな」
冗談半分の皮肉めいた言い回しに、場が盛り上がっていくのを感じる。
「大手の銀行員でも、こんな所まで営業しに来ないといけないものなのか?」
「おいおい、銀行員っていっても所詮は客商売なんだぜ。セールスしにいくのはどこの業界も同じだっての。まあ今回は普通に野暮用で新橋までやってきたわけだけど。2年目の平社員なんていうのはどこも1年目とそう変わらんよ。そう意味では鷹野さんとこも同じでしょ?」
「広告業界の体質的な側面も関係しているとは思うけれど、もともとブランディングのある会社だから、営業やセールスには少し縁遠いかしらね。でもやっている仕事内容は、1年目の頃とそう大差ないわ。広告を出したい企業とその媒体となるメディアの仲介、調整といった内容よ。本当はSNSを基軸とした商品やコンテンツを企画・運営するような仕事がしたいのだけど、なかなか思い通りにはいかないことの方が多いわね」
大学時代からなんでもそつなく出来たといっても、それは所詮学生圏内での話なのかも知れない。社会に出れば、そう自分の思うような仕事を経験もなしに始めからやらせて貰えるわけでもない。
ただ、その割には服装や装飾品はブランドものを身に付けているようで、生活水準については充実ぶりが見て取れた。
「いやいや、目標や志をもって仕事をしているだけでも十分すごいことだよなあ、出雲?」
「おれがいえた義理じゃないのは知っているだろう」
大学を卒業後はフラフラと派遣のアルバイトなど適当にフリーターをしている手前、共感するような言葉は見当たらない。
「ハハッ、悪い悪い。でも気にするような性格でもないだろう?」
「まあな」
「そういえば出雲くんは、なぜ内定をもらっていたIT商社へ行かなかったの? 一時期は大学で噂になっていたけれど」
「そうなのか?」
初耳である。
「だよなぁ〜。だって就活生の大半が羨む天下の日本一の商社だぜ? まあ当時のこいつは気にもかけていなかったみたいだけど。大学を卒業後は研究の道に進むでもなく、就職をするわけでもない。何かやりたいことでもあるのか?」
「やりたいこと‥‥‥?」
そう呟きながら出雲は、これまでの毎日を振り返る。どこか靄がかかったような、ぬるま湯のような平和な日々。その記憶の数々。
「お待たせしました! 純米吟醸酒とビール、枝豆に明太ポテトサラダ、それと看板メニューの釧路盛り合わせ炉端焼きです!」
溌剌とした声とともにさっきの女性従業員が現れて、その場の空気が一気に霧散した。
「おおっ、待ってました! ここのホッケが最高に美味しいって評判なんだ。それと早速で悪いけど飲み物の追加いいかな?」
「はい、伺いますよ!」
「鷹野さん、何呑む?」
「ありがとう。それじゃあ、ジントニックのソーダ割りでお願いします」
「あとは‥‥‥、この盛り合わせの焼き鳥も注文で」
「ジントニックのソーダ割り、盛り合わせの焼き鳥ですねっ!」
手際よく注文された商品を並べながら、復唱する女性従業員。
「出雲くんは何か注文したいものある?」
「いや、今は特にない」
「コレは純米吟醸酒、注文のお客さまです!」
目の前に風流な盛りこぼしが置かれた。会釈をする。
「ゴホンっ、それでは改めまして乾杯をしたいと思いまーす、はいっ、カン〜パイ!」
音頭をとる帷。
空のグラスで乾杯をする鷹野。
座ったまま升を上げる出雲。
こうして3人囲んで酒を酌み交わすのは久しかった。




