【セッション1】プロローグ 独白
(セッション1)自己紹介がてらに。本作はヒューマンSFミステリーを根底としています。よろしくお願いします。
他人というのは無自覚に、自分ではない『俺』や『私』についての本性を分かった気になっている。
ただ、それが悪い方向に働くことばかりでなく、むしろ世間一般でいう所の “普通” な人生においてはプラスに傾くことの方が多いと知った時、少なくない衝撃を受けた。
例えば得体の知らない存在に対して、忌避の感情が先に立ってしまった時、人は関わりを持ちたいと思うだろうか?
答えは——— 否。
人間であれば、相手の性格や雰囲気、話し方など。総じて親しみやすさを基準もしくは起点として選択の枝分かれさせていくのがほとんどだろう。
目の前にいる相手をこの人は親しみやすい、この人は気難しい、とある程度カテゴライズしていく事によって、円満な人間関係や社会の適合性を保っている。実は見えているようであまり意識されていない世間という大きな枠組みの中での小さな歯車の一部だ。
人物像を可視化することによって、関係性や繋がりを創出する。
そうした意味においてはメリットなのだろう。
だがしかし、他人の創り上げた自分という人間の偶像に型を嵌められるというのも気分の良くないのも事実だ。
『俺』や『私』が本意ではない事柄に対して、勝手に他人が判断を下してお節介な評価をする。
生きている中でもっとも退屈な瞬間だ。
『俺』や『私』でさえ自己の全てを把握しているわけではないのに対して、他人が勝手に創り上げた『俺』や『私』のイメージを知ったような風体で押し通す。あまりに自己中心的かつ乱暴的行為ではないだろうか。
特に傾向が強いのが、話が合うから、ウマが合うからといった理由で同じカテゴリに属すると無意識のまま思い込んでいる存在だ。
実際のところ、単にそれはアナタの価値基準に話を合わせているだけで、本心は共感も何もない。同調バイパス的な発言をした覚えもないのに適当な上澄みだけの言葉だけを拾って、親近感や仲間意識を持たれる。
ゆえに不快、だと。
この世界には十人十色、それぞれ気色の違ったヒト科という人種が七〇億人ほど実存している。果たしてその中で、腹の底までも理解し合えている存在というのはいったいどれだけの数いるのだろうか。
息の詰まりそうなこの世の中、時折世界から取り残されたような虚無感に陥りながらも、それほど期待していない人生を足早に歩んでいく。
全ては創り上げられた偶像なのだから‥‥‥。




