95 老師
「旅の方よ、よくぞおいでくださった」
地の教団本部、地の大紅宮へとやって来た僕は、教団関係者の案内で奥の間へと通された。
そこで待ち受けていたのは、年齢五十ほどと思しき壮年の男性だった。
聞くところによるとこの人が、地の教団の教主らしい。
そんな偉い人にあっさり会えたことに、戸惑いを抑えきれない。
「なに、教主と言えど、こんな田舎教団の主ではすべきことも多くありませんでな。無聊を慰めてくださる客人は、いつでも歓迎しております」
細面で痩せぎすの印象はあるが、四肢にはしっかり硬い肉がついていて見れば見るほど筋肉質だということがわかる。
何と言うか自然の理に適った筋肉と言うべきか。恣意的に鍛えようとしたら、ああいう筋肉の付き方にはならないだろう。日々の仕事を忍耐強く続ける者だけがなることのできる体型。
浅黒く日焼けした肌も、当人が日々どういう生活を送っているか物語っている。
「田舎教団なんてとんでもない。地の教団は世界を席巻する五大教団の一つじゃないですか。それにここまで来る間、見渡す限りに広がる大農場を見てきました。あんなに大きな農地は、他のどの教団も所有していません」
「すべては地母神様の恵みです」
一応挨拶代わりのリップサービスもしておくが、地の教主は謙虚に受け止めるのみだった。
それでもイシュタルブレスト周辺に広がる大農場が世界最高だというのは、あながち世辞ではない。実際僕はあの雄大さに圧倒されたのだ。
「我らが崇める地母神マントル様は、大地の豊穣の女神。地より萌え出で、実り結ぶ作物は、すべてマントル様よりの施しです。そのマントル様を崇拝する我々が、地の恵みを蔑ろにしては、それこそ不敬となりましょう」
「素晴らしいです!」
なんか初めて教主らしい教主に出会った気がする。
その教主は、脇に置いた煙草盆から鷹揚とした仕草で煙管をとって、火を着ける。その動作一つとっても長者の風があった。
「でも、このイシュタルブレスト。他の教団本部がある街と比べても色々と変わっていますね。特にあの……」
「ゴーレムですか。たしかに、ここへ初めて来られた客人は皆等しく驚かれます」
やっぱりそうなんだ。
教主の口からタバコの煙が出される。
「我々としては、ごくごく自然のことなのです。我々が生まれる前より『御柱様』は在り、『御柱様』の生み出すゴーレムも我らと共に在りました。ゴーレムは我々の友にして、我々の生活を助けてくれる救援者でもあるのです」
「あの……、こう言っては何ですが、俄かに受け入れがたいですね」
だって本来、モンスターは人間の敵。
「外の方の戸惑いも理解できます。私も若輩なりし頃、地の教主に相応しき人格を目指し、研鑽を積むため他国を巡ったことがあります。そうすることで初めてわかる。我々とゴーレムとの関係が、いかに奇異であるのかを」
「それでは……?」
「はい、私は見てきました。他の水火風光の教団がモンスターと呼ばれる怪異と争い、傷つけあう様を。我ら地の教団も神気を扱う者、それゆえ鍛えられた感覚で知ることができます。モンスターとゴーレムは、同じものであると」
と言うより、ゴーレムがモンスターの一種であると言うべきだろうが。
「無論このイシュタルブレスト周辺にもモンスターは現れます。火、水、風属性のモンスターが。我ら地の教団もそれら脅威に備えは怠らず、我らが武力、焦土殲滅団より選りすぐられた地の勇者も活躍しております」
「ああ、やっぱりいるんですね地の勇者」
そりゃいるだろうけどさ。
「現在、勤めにて大紅宮を離れておりますが。もしお客人が長く滞在される予定であれば戻り次第お会いになり、外の話でも聞かせてあげていただきたい。彼女もゆくゆくは教団を背負って立つ身。できうる限り見識を広げてほしいと思っております」
で、そう、話が少し逸脱した。
教主は煙管を手の中で弄びながら、話の流れを元に戻す。
「そして悪しきモンスターとの争いの際も、ゴーレムは強い味方となってくれます」
「でしょうね、あの巨体とパワー。普通のモンスターならあれだけで充分対処できるでしょう」
つまりゴーレムはあらゆる面で人間の役に立っているということだった。
ここに来るまで想像もできなかった。人間とモンスターが協力することで、ここまで調和した世界を創り出すことができるとは。
イシュタルブレストへ向けて出発する際、ヨリシロが「エーテリアル機器は極力持ち込まないように」と忠告してきた理由が今ならわかった。
実際、この都市に入ってエーテリアル機器はほとんど見かけなかった。
必要ないからだ。大規模な農場を拵えるのも、家屋を建てたり補修したりするのも、移動するにも。エーテリアルにおいては禁止されている戦いの手段としてすら、ゴーレムが代わりにやってくれる。
これでは下手にエーテリアル機器など持ち込めば、すぐさまよそ者だとわかって悪目立ちしてしまうだろう。
「お客人。私は地の教団教主として、またイシュタルブレストに住む人間の一人として、長く考えてきました。我々にとってゴーレムとは何なのか? この世界においてモンスターとは、神への敬意を忘れた人間への罰だという考え方があります。もし本当にそうだとするなら……」
同じモンスターでありながら、人を助けるゴーレムは……。
「……地母神マントル様が遣わされた人への祝福であるのかもしれませんな」
たしかにそう思いたくもなるだろう。
同じモンスターでありながら他の三属性と比べ、地のモンスターだけが明らかに人への接し方が違う。
そして五大教団の中でもどことも違う、そしてどことも劣らぬ発展を遂げることができた。
その証明が他でもない。あの広大な大農場ではないか。
「…………おや、いけませんな。気づけばこちらの話ばかりしている」
地の教主は、喋り疲れた喉を癒すように、煙管から煙を吸った。
「せっかく来ていただいたのに、私のような年寄りの話を聞かせるばかりで失礼いたしました。今度は、アナタのお話をこの田舎者に聞かせていただきたい。……そう言えばいまだお名前も伺っていなかった。イヤイヤ、まったく粗忽なことでお恥ずかしい」
「いいえ、たしかに申し遅れました。僕は、クロミヤ=ハイネと申します」
カラン。
大紅宮の床に乾いた音が響いた。
地の教主が、もっていた煙管を手から落としたのだ。
「…………!?」
なんか教主の表情が変わった。
今まで好々爺のように細められた目がまん丸に見開かれ、僕のことを凝視している。
「……あの、何か?」
「い、イヤイヤイヤイヤ……! 何でもありません何でもありませんぞ! 何、クワの振りすぎで、手の力が抜けてしまいましたかな!?」
そう言って教主は慌てたように煙管を拾い、そしてまた誤って落とした。
この態度の不審さに当然僕は怪しんだが、藪からヘビが出るようなことになってもいけない。
相手から踏み込んでこない限りは僕も気づかなかったふりをして、当たり障りなく外での話を披露した上で、地の教団教主との会談はお開きとなった。
そして視線を感じた。