88 終わるべし
「四元素の神々は、もはや祈りのエネルギーなしでは生きられない……!?」
「そうです、彼らはあまりに長く人々の祈りの力を搾取し、その味に溺れすぎたのです。今や彼らにとって祈りのエネルギーは空気のようになくてはならない存在。それが欠乏すれば、彼らは自分の存在すら保てなくなります」
その事実を告げられ、僕は卒然とした。
それと同時に得心もした。僕が封印を解かれ復活し、千六百年を経て再会したヤツらが人間に執着していたわけが。
それは漏れなく悪い意味での執着だったが。昔のヤツらを知る僕にとって、それはとても違和感があったのだ。
それ以前の、創世時代の神々はそれこそ人間に対してもっと冷淡だった。歯牙にもかけぬ、といったような。
「それがもはや、ヤツらは人間なしでは生きられないというのか?」
「そうです、仮に人間が滅べば、彼らから供給される祈りもなくなり、神も同時に滅びましょう」
神が死ぬ?
そこまでのことが起こるのか?
「じゃあ、お前も? 光の教団を立てたお前も、祈りのエネルギーに侵食されて……?」
「わたくしは、人々の祈りに感謝こそすれ、貪ることは致しませんでした。わたくしだけが最初から、祈りの力の隠された危険さに気づくことができました。ですからわたくしだけが千六百年間封じられたアナタと同様、創世の時代のままなのです」
それを聞くと、少しだけホッとした。
しかしヨリシロ――、光の女神インフレーションは、そこまで祈りの危険さを把握していながら、それを隠して他神に勧めたというのか。
なんという苛烈さ。しかしそれだけ彼女が、ヨミノクニを滅ぼした四元素の神々に腸煮えくり返った、ということだろう。
四元素のヤツら、千六百年もかけて、そんな風に変質していたというのか。
たしかに思い当たる節はある。人間がいなければ生きられない。そんな域にまで追い詰められたいながらまだなお人間たちを見下していたのか。
本当に救い難いヤツらだ。
「それに対して、人は神を必要としていません」
「ああ、そういうことだ」
世界を覆う勘違いの一つ。
それは、神はこの世界の維持するために必要な存在かというと、まったくそんなことはない、ということだ。
神の仕事は、世界を創ること。
創り終えれば、神の仕事は終わり。それ以上は何もすることがない。
だから今のこの世界の状況は、もうやることのなくなった神が居座って、地上の生きとし生けるものから精神エネルギーを搾取している。ただそれだけのこと。
「神が世界を必要としていても、世界はもはや神を必要としていない。ならば取り除くのみだ」
「わたくしが彼らを祈りのエネルギー漬けにしたのは、復讐です」
ヨリシロは、決然と言った。
「わたくしが愛するエントロピーのために育て上げ、いつしかエントロピーと同等に愛してしまったヨミノクニを壊した彼らへの復讐なのです。これまで最大のネックになっていたのは、五神全員で施したアナタへの封印でした」
五神で施した封印は、五神全員の同意がなければ解封できない。
「しかし自然に封印が弱まるのを何百年と待ち続け、ついにわたくし一人だけで封印解除できました。もはや憂いはありません。ハイネさん、いえ闇の神エントロピー。世界の害を取り除いてください」
「どうすればいい?」
「まず何より、モンスターの害を取り除くべきでしょう。あの魂なき疑似生物は、神々が信仰を繋ぎとめるために放った敵役。その害がなくなれば、いよいよ神を必要とする根拠は完全になくなります」
モンスターを完全消滅させるか。
そういえば、いつかコアセルベートのヤツが言っていたな。神々は無限にモンスターを生みだすマザーモンスターを創造し、世界のいずこかに放ったと。
「この世界のどこかにいる地水火風のマザーモンスターを倒せばいいわけか?」
「信仰が減少したことにより、四元素の力も加速度的に弱まっています。マザーモンスターを生みだすには、炎牛ファラリスや大海竜ヒュドラサーペントを作る時より数十倍の神力を注がねばなりません。倒してしまえば、もう二度と同じものはできないでしょう」
やるべきことは、見えてきたか。
「光の女神。お前はそれでいいのか?」
一応確認のために聞いておく。
彼女もまた、この世界を創造した六神の一人なのだから。
「かまいません。とにかく今の私はヨリシロ。この世界に住む一人の人間です。人間のためによかれとなることがあるなら、迷わず実行すべきです」
「そうだな、お互い神として身の振り方をどうすべきかは、今の人生が終わってから考えればいい」
こうして、僕らは行動を開始する。
人間が、神のためでなく、人間のために生きられる世界を取り戻すために。
* * *
「それはそれとして」
「ん?」
いきなりヨリシロの様子が変わった。
「ハイネさん、カレンさんとキスしたというのは本当ですか?」
「うぇッ!?」
何故それを!?
絶対面倒くさいことになるから黙っていたのに!
「カレンさんの方から打ち明けてきましたよ。『抜け駆けして、ごめんなさい』と。本当にあの子は、根が真面目です。それに引き換えハイネさんは、バレなければ問題ないとでも思ったのでしょうか?」
「えーと、イヤイヤ……」
「わたくしの頬は叩き、カレンさんには口づけを、というわけですか。本当に扱いに明確な差がありまわすね。やっぱりわたくし、ハイネさんから嫌われているのかしら?」
根にもってやがったビンタのこと!?
四元素への復讐計画といい、今確信した。相当執念深いわこの女。
「イヤ、あのビンタはね? お前のことが大切だから、あえてしたというか……」
イヤ、違う。今言うべきことはそういうことじゃない。
「お前は言ったな、お前が昔犯した罪を知れば、僕はお前を嫌いになるって」
「は、はい……」
「僕は嫌いにならなかったぞ。千六百年、一人で色々背負い込ませてすまなかった」
そうして僕はヨリシロを抱きしめた。
長い時を、様々な名で生き抜いてきた彼女に、ただただ敬服した。
「ハイネさん。わたくし、やっぱりこの体で精一杯生き抜きたいですわ。アナタと同じ時を生きるヨリシロとして。アナタの子を産み、育て。ドラハに、ヨミノクニで掴めなかった幸せを掴み直してもらって。カレンさんとも仲良く過ごしたいです」
「望みが多いな。でも、だからこそ人生は長いんだ」
「ええ、わたくしの人生を、たくさんの望みで満たしたいです」
それ以上何も言わず、僕たちは唇を重ねた。
これから始まる激闘の前の、ほんのわずかな甘いひと時だった。




