154 バアルの雲
「どういうつもりさね風の教主?」
一同の中で真っ先に、地の教主のお婆さんの声が上がった。
「教主がモンスターを操るなんざ、悪い冗談としか思えないが。それが件のマザーモンスターだなんて言われちゃ、なおさら耳を疑うさね」
「…………フン」
シバは凶悪な笑みを一つ浮かべただけだった。
何も答えはしない。嘲笑しているつもりなのだろうか?
「黙っていないで何か答えたら……!?」
水の教主まで、さすがに普段の温厚さを忘れて声を荒げようとした、その時だった。
『……教主! 教主! 応答願います!!』
水の教主の耳元から、聞き慣れない誰かしらの声。
それは彼が耳元に付けていた、小型エーテリアル無線機からの声だった。
「……流水海兵団長? どうした?」
エーテリアル無線で外部と連絡を取り合っていたのか?
恐らく通信相手は、ルドラステイツの外に待機している護衛の兵士たちだろう。
『き、緊急事態です! 雲が! 空を覆っている黒雲が地上に降りてきて……!!』
ッ!?
注意して空を見渡すと、黒雲と地上を繋ぐ筋は、僕たちの直上以外にも何本も伸びていた。
「まさか……!? 外で待機している兵士たちも襲われている!?」
僕たちにわかるのは、無線越しの声が伝えることだけ。
しかもその声は、恐怖と混乱に揺れ切っていた。
『雲が……、煙、黒い煙になって我々に近づいてきています。不気味なので応戦しましたが、煙相手では思った効果も上がらず、前線の何人かが煙に触れて、全身覆われて……!!』
「ひッ!?」
煙の正体を知ってしまっている僕たちから、無理もない悲鳴が上がった。
『既に十人以上が犠牲になり、全身煙に覆われながら倒れ悶えて……! え? ちょっと待ってください! 倒れたヤツらから……、煙が引いていって……!?』
え?
『よかった! 何故だか知りませんが、煙は向うから離れていきました! 大丈夫か!? 医療班! 念のために煙に取り込まれていた者を検査……、がはぁッ!?』
「なッ!? なんだ、悲鳴!? 何があった、応答せよ!?」
水の教主の呼びかけに、しばらく混乱の雑音だけが無線機から響き渡る。
『教主! 大変です! 煙に取り込まれて、解放された者たちがいきなり我々に対して攻撃を!! 呼びかけても反応がありません! 黒煙もじわじわ迫ってきています! 指示を!! 指示……! ぐぎゃはぁッ!?』
それ以降、水の教主がどれだけ呼びかけても、無線機から返ってくるのは悲鳴と怒号ばかりだった。
「……シバ!!」
僕もまた怒号と共に名を呼ぶ。
恐らく以上の確信で、この異変の元凶である者の名を。
「……ベルゼ・ブルズが目指しているのは、貴様ら人間の体内だ」
哀れな迷い子に、教えを施してやろう。
まさにそんな口ぶりだった。
「人間に取りつき、口や鼻や耳、その他あらゆる穴から体内に侵入し、肺を経て血管に入り、最後には脳へと行きつく。ベルゼ・ブルズ一匹の体長は砂粒の十分の一ほどだ。侵入するのに問題はない。そして脳まで到達すれば、思考を乗っ取り……」
ショックをより深く刻み付けるように、溜めてから言った。
「……自由自在に操れる」
「じゃあ……! 無線で言っていた、急に仲間を襲いだして兵士っていうのは……!?」
既にハエたちの操り人形。
「それだけではないぞ? 何しろベルゼ・ブルズの一番重要な点は、ヤツらがマザーモンスターだというところだ。ヤツらには一匹一匹に、風属性モンスターを孵す卵を産む機能がある。人の脳というのは、苗床とするにはさぞかし栄養豊富だと思わんか?」
「お前ッ……!?」
「この場に集ったすべての人間にベルゼ・ブルズを寄生させ、そのまま各都市へと帰還させる。到着する頃には体内中モンスターの卵でいっぱいだろう。やがてソイツらが孵化し、宿主を食い破りながら成長していく。街の中心部を何百という風属性モンスターが覆い尽くすだろう。しかもその時には教主も勇者も苗床となって死んでいる」
「キモいだすぅぅぅぅぅぅぅぅ~~~~~~~~~ッッ!?」
ササエちゃんが堪らずうめき声を上げるほど、シバの解説は生理的にゾワゾワ来るものがあった。
ヤツにとっては僕たち全員、小バエの産卵場か。
一人も生きては帰さない……。それどころか、生きた屍にして帰すつもりか!?
『教主様!! 既に護衛隊の一割が、謎の煙によって操られています! どうすれば? 指示を……!?』
時折り無線機から流れてくる一応意味の通った声も、切羽詰まった金切り声だ。
操られているとはいえ相手は仲間、迷いなく攻撃することもできないだろう。
そうしているうちに、敵の侵攻は進む。
「こうなったら……!?」
僕は決断する。
しかし、シバの方が一手早かった。
「フッ」
シバの体が吹き荒れる黒煙に遮られ、そのまま消えてしまった。
「逃げた!?」
このハエの群れを何とかするのにもっとも有効な方法は、それを操るシバを倒すことだったのに。
極小のハエが集まって出来ているというこの黒煙。一匹一匹は小さかろうと、その数が何百億匹ともなれば、その総体はかの巨大樹グランマウッドにも迫る。
何しろ母体というべき黒雲は見渡す限りに空を覆い、相当量の黒煙を地上に注ぎながらなお、その厚さを少しも変えていないのだ。
今しているように僕の暗黒物質とミラクの火炎で遮っているだけでは、いずれジリ貧となるのは目に見えている。
それ以上に、外で襲われている護衛兵士たちへの被害は深刻だ。
トルドレイド=シバ――、風の神クェーサー。
ヤツは本当にマザーモンスターを使って、世界を滅ぼそうと考えているのか?




