152 破滅の風
「……ゼェッ! ゼェ……!」
僕の指令によって増殖した暗黒物質はすべて爆ぜ散り、消滅した。
散り飛んだ暗黒から外に出て、僕は大きく乱れた息を整えようと努める。
暗黒物質に埋め尽くされた中で息ができなかったわけではない。重力操作する暗黒物質が充満する中では、重力に伴って時間をも操作し、肉体の時間経過を限りなくゼロに止めることもできる。
その作用で肉体を無呼吸状態に置き、神の魂によって暗黒物質を操りシバをズタズタに叩きのめした。
その末になお息が乱れて整えられないのは、それだけシバから受けたダメージが大きかったということだ。
何百年という時間によって研鑽された戦いの技術。それらは一撃一撃が必殺で、何とか暗黒物質で軌道を逸らしたり、ダメージを軽減したりさせなければ、どれも一発で終わっていた。
これ以上は凌ぎきれないと思ったからこそ、暗黒物質ですべてを覆い尽くすという荒業を使うしかなかったのだ。
できれば使いたくなかったんだよな。危ないし。
「……おい」
痛む体を引きずって、それ以上にボロボロになって倒れる男の下へ向かう。
シバは重力乱流による大ダメージを受け、闘技場の床に大の字となって倒れ込んでいた。
「生きているか?」
返事はない。
死んでいるとは思いたくないが。
僕が暗黒物質ですべてを覆い尽くす戦法を使いたくなかったのは、繰り返し言うが危険だからだ。
重力攻撃が強力だからとか、呼吸できなくなるとかの危険ではない。
それ以上に危ないのは暗黒物質のもっとも代表的な性質。神気を消し去ることから起きる現象だ。
そもそも神気というものは、神が創世の際に生み出した世界の構成素であり、空にも大地にも水中にも、何処にでも充満している。
もちろん人間の中にも。
神気とは本来、自然物が生存するための霊的エネルギーで、六神が協力して創り上げた人間という生物には地水火風光闇すべての神気が余さず存在し、バランスを取りながら生命力を生み出している。
そんな人間に暗黒物質が触れたら、その内に蓄えられた神気を片っ端から消され、最終的には霊的生存力が枯渇して死に至る。
ついさっきまで暗黒物質に飲まれていたシバも、その影響を受けているわけで。
重力乱流によるダメージよりも、そちらの方が深刻だろう。
いかに風の神の転生者とは言え、今は紛れもなく人間なのだ。
「僕の勝ちだぞ」
再び僕はシバに呼びかける。
「これで気は済んだか? お前が千六百年かけて目指した僕への挑戦、しっかり付き合ってやったぞ。負けてやる義理まではないがな」
元々は五教主会議の延長として臨んだはずの戦いが、進んでいくうちに全体的な状況を二転三転させたものだ。
神としてのコイツから聞き出したいことは色々あるし、教主としてのコイツにも、色々ヨリシロに協力してもらいたい。
勇者としては……、特にないか。もうカレンさんたち勇者同盟終了って言ってるし。
とにかくコイツにやってほしいことは色々ある。
オーバーワークになるかもしれんが、たくさんのポジションを独り占めしたコイツにも非があるのだ。
背負った肩書の数だけキリキリ働いてもらおう。
「風都ルドラステイツ……。お前が僕を倒すために作った街か……」
一勝負終えたばかりで本題を進める気分にもなれず、とりあえず他愛もな話をしてみる。
「神としての力以外で僕に対抗するために。人の知恵、人の力を何百年にも渡って重ね伝えるために、都市を開いたか。神の望みが人を集め、生活の営みの基盤を与える。持ちつ持たれつと言えなくもない」
「そんな大層なものではない」
倒れたままで、シバが言った。
「俺がルドラステイツを――、風の教団を興したきっかけは祈りのエネルギーが欲しかったからだ。インフレーションに唆された」
「闇都ヨミノクニか」
この世界が創り出されてから初期のこと。
人類が初めて築いた都市国家――、闇都ヨミノクニは、光の女神インフレーションが女王イザナミという人間に転生し、築き上げたものだった。
そのヨミノクニを人間の傲慢と断じ、滅亡させたのは四元素の神たち。
風の神クェーサーは、その四元素の一人。
「俺にとっては、煩わしい付き合いだ。協力しなければノヴァやコアセルベートのクズどもが騒がしくて修練に差し障る。仕方なく神力の一部を割いてタタリを引き起こしてやった。そして現れたのがあの女だ」
女王イザナミから、神の姿に戻ったインフレーションか。
「あの女は、人から吸い出せるという未知の力を俺たちに示した。アレばかりは俺も無視できなかった。何しろ人の祈りを食らうだけで、力が何倍にも膨れ上がっていくのだ。あの時こそもっとも大きかった。お前を倒せるという期待が膨らむのがな」
しかしそれは、ヨミノクニを滅ぼされたインフレーション恨みの罠だ。
「いつからか人の祈りは徐々に少なくなっていき、同時に祈りなしでは力を保てなくなった自分に気づいた。そこでやっと俺は、あの女の恨みの恐ろしさを知ったのだ。貴様に勝てるかもしれないなど、泡沫の夢だった。今や俺は、自分自身を保てるかどうかすら怪しいところとなっていた」
「そこへ僕が現れた」
「そうだ。正直言って嬉しさに打ち震えたよ。神として納得できる水準を保てる、瀬戸際の頃だったからな。逆に言えば、今回が最後のチャンスだった。恐らくもう今以上に強くなって再チャレンジなどということは叶うまい」
どこか投げやりな口調でシバは言った。
「……だから、もう何もいらん」
「何?」
その言葉の剣呑さに、緩みかけていた気が一気に引き締まった。
「どういう意味だ……!?」
「千年以上を懸けて目指した大望果たせず、このまま衰え消えていくだけなら、今すぐここで消えてやる。世界も、俺と共に滅びるがいい。……エントロピーよ。そう言えばお前は知りたがっていたな。俺が生み出したマザーモンスターの居場所を」
今それを!? しかもそんな不穏なカミングアウトと共に。
「ヤツらは既に、貴様の目に見える位置にいるぞ。貴様らはいつもそうだ。求めるものはすぐ近くにあるというのに、そうと気付かず探し続ける。無駄なことが大好きな連中だ」
シバの指が、天を指し示した。
その先に空はない。どんよりとした黒雲に遮られていた。
「あの黒雲は……! まさか……!」
一番最初にルドラステイツを覆っていた『風の結界』?
一度は晴れてどこぞへ消えたと思っていたのに、黒雲となって空を覆っていたのか。
「ご紹介といこうではないか。アレこそ俺が神として創造した風のマザーモンスター。ベルゼ・ブルズ。……さあ、用なしの世界を貪り尽してしまえ!」




