プロローグ 追われる者達
双子の月が照らす森林を二十名程の男達が移動していた。
武器や防具に統一感が無いのは彼らが冒険者だからではなく傭兵だからである。
その装備も傷や汚れが目立っていた。
彼らは魔物を警戒しながらゆっくりと闇の中を歩いていた。
先頭は砂色の髪をした男だった。
魔物の皮で作られた軽鎧を装備している。
「なあ。国境はまだか?」
傭兵の一人が問いかけると先頭の男は振り向きもせずに押し殺した声で答えた。
「まだまだ先だ。でかい声を出すな。黙って歩け」
「なんだと、そんな言い方――」
先頭の男が素早く振り返った時には、問いかけた男の首に黒いナイフが押し当てられていた。
「国境地帯には密入国者を捕まえるためにレンジャーがパトロールをしていることがあると説明しただろうが。黙って歩け。それとも永遠に黙らせてやろうか」
彼は苛立ちを押し殺した声で言った。
まったく、クソどもが。
本当は彼の方が思い切り罵り声を上げたかった。
「ジョグ、そのへんにしといてくれや」
ひときわ大きな体躯をした男が言う。
「……わかったレルド」
彼は悲鳴を上げそうになっている男の喉元からゆっくりとナイフを離した。
そしてふと思い出した。
ジョグという名前はあの時、レルドと関わった時から使い始めた偽名だった。
その前は別の名前で別の国にいた。
「俺がしゃべるなと言ったら。黙ってろ」
光に反射しないよう黒くコーティングされたナイフが音も無く鞘にしまわれる。
「す、すまねえ。ジョグ、さん」
ナイフを突きつけられていた男が吐いた安堵の息が寒さの中で白くなった。
彼らは黙々と夜の中を歩いた。
随分たってから彼は一同を止めた。
「どうしたジョグ」
レルドが声を潜めて聞いてくる。
「峠に警備隊らしいのがいる。バーナム王国へ入るのは難しいぞ」
「本当か?」
「遠見の魔法は使えるか? 山の尾根に何か建物もできてやがる」
「俺が見よう」
茶色いローブ姿の痩せた男がそれに答え、呪文を唱える。
「明かりがある。はっきり見えないが、何か小さな砦らしきものもある」
そう言うと呪文で遥か先を見た魔法使いは目を指でほぐした。
「くそっ。なんでそんなもんが出来たんだ」
「どうするんだ」
男達が小さな声で毒づく。
理由は不明だがバーナム王国への抜道近くに小さな砦が作られていた。
「なんとかならないか?」
問いかけるレルドにジョグは首を振った。
「街道を通って入国する方がましだな」
ジョグの言葉に他の男達は思案顔になる。
レルドが口を開いた。
「いまさら東には戻れねえ。こっから南へ行くのも……北のバーナムへ行けねえとなると……西か」
「おい。ふざけてんのか」
大きな声は出さないが、ジョグの声には怒気が混じっていた。
「しょうがねえだろ。エルストラの国境はすぐ近くだ。バーナムが駄目ならエルストラを抜けてエール川の向こうに行けばなんとかなる」
「エール地方だと? 急に何を言ってやがるんだレルド」
「しょうがねえだろうが、バーナムに行けないならなるべく遠くに行くしかねえ」
「エルストラを抜けて行くなんざ無理だ」
ジョグは首を振った。
エルストラ側からバーナムへ入国が可能かわからないが、その提案であっても彼は断っただろう。
「たのむ、ジョグ」
「約束が違う。仕事はルグレット森林を抜けてバーナムへの案内だった。俺は抜ける」
こいつらの事情は俺には関係ない話だ。
「金ははずむ」
「金の問題じゃねえ」
ジョグは冷たく言った。
エルストラだけは無理だった。
「ちょっと二人だけで話がある」
そう言ってレルドはジョグを誘って一団から離れた。
「おい。ジョグ。頼む。おまえの案内人としての力が必要だ」
ジョグの仕事は密入国の斡旋だった。
正規の街道と関所を使わずに人を入国させる。
森や荒野に道を見つけ出して案内するのだ。
生まれは農民だったが、先祖に精霊の血が入っていると祖母は言っていた。精霊に血はないし彼以外の家族は森や荒野が苦手だったから迷信だと思うが、ジョグは子供の頃から野山を動き回るのが上手かった。
「バーナムへ密入国したいって話だった。西へ行くのは無理だ」
「なあ。15年前か。あんときは俺が――」
「感謝はしてる。だが金は充分払った。借りも返した。だろ?」
ジョグがレルドを助けるのは二度目だった。既に借りは返している。
レルドは顔をゆがめていたが、さらに声のトーンを落として言った。
「……いいのか。俺がお前のことをどこかで間違って喋りでもすれば――」
「おまえらが、傭兵団に追われてるって俺が喋ることもあるかもな」
ジョグは間髪要れずに言い返した。
「おまえ、なんでそれを――」
図星かよ。
レルドの顔色が変わったのが月明かりでもはっきり解った。
規律の緩い傭兵が何十人といるのだ。
漏れ聞こえている会話の端から、レルド達は東の国から逃げているらしいというのはすぐに解った。
互いにらみ合う。
レルド達は東方の国でどこかの傭兵団にいたらしい。だが、何かをして逃げているようだ。傭兵が敵味方を変えるくらいはよくあるが、余程のドジを踏んだかヤバイことをしたんだろう。
「……頼む。エルストラを抜けてノルドエールへ行きさえすれば何とかなる。そしたら、もう二度と会わねえ」
先に態度を軟化させたのはレルドの方だった。
ジョグは思案する。
いまさらこいつに義理は無い。
だが、俺の正体をばらされると困る。俺がこいつの情報を流してもいいが、捕まって俺のことを話されるのはまずい。
バーナム王国の情報はつい先日までまったく異常は無かった。ここ数日で何かあって国境警備を厳しくしたのかもしれない。
どこにこいつらをやるかといえば、確かに西方しかなった。
エルストラの西、エール川の向こうにはエール地方がある。
エール地方はかつては一つの大王国だったが、今は大小さまざまな国が乱立している。
広大なエール地方の北半分、ノルドエールは紛争地帯だ。たしかにこいつらも紛れ込めるだろう。
レルド達がどこで遊んで暮らそうが、また傭兵になろうが知ったことではないが、できれば金を使い果たして傭兵になって死んでくれた方がいい。
だが、エール地方へ行くにはエルストラを抜けなければならない。
それしかないのか。
彼は苦渋の選択をした。
「俺の指示に従うなら契約する。ここまでの費用は別だ。バーナム行きの10倍の金で引き受ける。半分は前金でよこせ。期間はエルストラを抜けるまでだ」
「10倍だとっ」
「エルストラは東西に長い。それにだ。たんまり稼いだんだろ?」
「……くそ、仕方ねえ……条件はそれでいい。バレねえようにエルストラを抜けてノルドエールへ案内してくれ」
ジョグは驚いた。レルドがあっさりと条件を呑んだからだ。
こいつらいったい何をしてきたんだ。
そう思ったが今はそれを考えるのは止めだ。
「これっきりだぞ」
「ああ。わかってるって」
エルストラは広い。森林伝いに西へ行く。
魔物さえ凌げば問題ないはずだ。
「それじゃあ頼むぜ、ジョグ」
「ああ」
ジョグは不機嫌そうに答える。
二人は傭兵達の元へ戻るとエルストラを抜けて西へ行くと告げた。
ジョグの指示に従うことなど取り決めたことをレルドが発表した。
数人は西に行く気は無いと隊を離れることを選んだ。
レルドは不満げに彼らを睨みつけたが、隊長とはいえ元々は傭兵同士なのだ。戦の契約をしているわけでもない。当初と行く先が変った以上、彼らの離脱を止める権利はなかった。
他の多くの者はついて行くことを選択した。
「おまえはあの国の森も詳しいんだろ。なるだけ人に知られずに西に抜けさせてくれ。ああ、でもよ。もし行商人でもいたらぶっころして稼ぐけどよ」
レルドが下卑た笑みを浮かべたのが月明かりにもわかる。
「詳しくねえ。それにそういうことは一切無しだ。強盗も殺しも女を攫うのもだ」
残った傭兵達の全員の前でジョグは宣言した。
「つまんねえなあ」
レルドは不満気だ。
「俺の指示に従うって話だったよな」
ジョグは右こぶしを突き出した。
「ちっ、わかったよ」
しぶしぶとだがレルドが同様に拳を出した。
全員が見ている前で、拳を3回打ち合わせる。これで契約という意味だった。
彼らは再び移動を始めた。
ジョグは内心暗澹たる思いだった。
レルドとは何年も会ってなかったのに、つい数日前に偶然に再会してしまった。
バレットの町でほんの2日もあれば済む用事が最悪の事態になった。
エルストラ王国。
15、6年ぶりか。
帰ってはならない場所。
二度と帰らないと決めた国。
出来るだけ早くエルストラ王国を抜けてエールへ行く。
こいつらがすんなり金を払うかわからないが、半金は既に貰ったのでその時はさっさと逃げるつもりだ。
「エルストラの国境まで数日はかかる。警戒はバーナムよりは厳しくねえはずだ。だが、もし俺が黙ってろって言ったら喋るんじゃねえぞ」
ジョグの言葉に一同は頷いた。
ジョグの脅しが聞いたのか、彼らは数日後に国境の森を抜けるのに成功した。
今は街道から外れた森の中で小休止中だ。
「なあジョグさん。俺、ブーツがきつくて」
休息中は必要なことだけ喋ってもいいと言うと、さっそく一人が言い出した。
ちっ。
ブーツ選びも出来ないようなやつがよく生き残ってたもんだな。
「ブーツは大事な装備だろうが。しばらくは町には入らない。軟膏でも塗って我慢しとけ」
「わ、わかったよ。でも、もう国境は越えたんだから、もっとまともな道でも……」
「エルストラ東部を抜けたらな。だがほとんどは森を抜ける」
答えつつも彼は思った。
密入国屋と追われている傭兵供だぞ。
まともな道を歩けるかよ、と。
ジョグは夜空に輝く双子の月を睨みつけると、忌々しそうに地面に唾を吐いた。




