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第二七話 決着

エリーは村の門前に置いた指揮所から、罠の成否を見守っていた。

作戦本部員や、戦う術は持たないが村に残って作戦に参加した村人達も集まっている。

遠くで運搬蟻達を率いていた巨大な戦闘蟻が落ちていくのが見えた。

「どうだ」

キノは傍らの女魔法使いミーヌに問うた。

「はい。五匹全て落下しました!」

遠見の魔法を使って監視していた女性魔法使いのミーヌが叫ぶ。

ハーベストアントの群れが、苦労して作った落とし穴にかかった。

待機している者達が歓声を上げる中、村長のエリーがそっと安堵の息をついた。

キノの隣では副官の虎獣人オージットが、彼の特徴である大きな声で豪快に笑った。

小砦から弓の攻撃が始まる。

「罠の槍も成功のようです!」

魔法使いがチョピヌからのサインを読み取って伝える。

村人達の間には、このまま作戦が上手く行くのではないかという期待感が広がっていった。

ついに迎撃隊が駆け出して行き、運搬蟻に止めを刺していく段になるとその思いはさらに強くなった。

だが。

そいつが落とし穴の縁から現れた。


「戦闘蟻が一匹這い出てきました!」

ミーヌの報告に緊張が走る。

一転して皆の表情が強張る。

戦闘蟻の目が赤く光ったのがここからでも見えた。

「あぁ……」

撤退を始めた迎撃隊に、村人の一人が悲しげな声を出した。

五匹全部が罠にかかっただけでも軌跡のようなことだ。カースドモンスターが戦闘可能ならば撤退すると決めていた。

けれど一匹だ。なんとかなるのではないかと思いたいのが村人の心情だろう。

しかしエリーは即座に命じた。

「撤退します!」

時期を見誤ると犠牲者が出る。彼女の声には悔しさが滲んでいたが、初めから決めていたことだ。落とし穴の罠が成功しなければ撤退だと。

「撤退だ! 順次撤退開始!」

虎獣人オージットの咆哮のような大声に、森林探索に長けたレンジャーを先頭にした村人たちが村を脱出していく。彼らは戦闘は出来ないが、作戦を手伝った者達だ。先に脱出をして後発組とは南西の森で合流となる。

南西の森までは四キロトほど畑跡と野原が続くが、森林の避難経路は確認済みだ。村長とキノを含めた冒険者達数人は、迎撃隊が村に戻ってきたら一緒に逃げることになっている。


「あれは……」

迎撃隊が退却している中、たった一人残り、落とし穴から這い出て来た戦闘蟻に向かって行く者がいる。

「ええ。作戦二を開始したようです」

事前に説明は受けてはいたが、戦闘蟻が二匹までならという条件だった。

エリーはあの冒険者を知っている。夫の水瓜の味を思い出させてくれた冒険者だ。

エリーの心中は複雑だった。村の為に戦ってくれることを感謝する一方で、相手はカースドモンスターだ。命を無駄にして欲しくないとも思う。

作戦にはでしゃばらないと約束はしたものの、エリーは彼にも撤退をしてほしかった。あまりにも無謀だと思うからだ。


「大丈夫です。彼は……ドコンのジョーですから」

自分に言い聞かせるようにキノは呟く。

迎撃隊が撤退し、たった一人となった戦線を見つめながら、数日前の作戦会議のことを思い出していた。

話しかけてきた彼は「自分が直接、カースドモンスターと戦う」と言った。

キノは驚いた。

いつもの彼はとても冗談を言うタイプではない。

時によくわからない言動はあるが。

冒険者としては真面目で大人しい方だ。

その彼がはっきりと言ったのだ。

「戦闘蟻が一匹……二匹までなら。俺が何とかします」と。

忙しい時に何をおかしなことを言い出すのか嗜めたが、説明を聞いてその内容のおかしさにキノは戸惑った。


思えば彼はおかしな冒険者だった。

初めて現れた時はやたらと字が汚くて、冒険者を目指す割には丁寧で、新人のルナとのやりとりは見ていて苦笑するやら微笑ましいやらだった。

講習会に参加する言質を取ってから金額を提示すると、あれは新人へ一種の冗談でもあり軽々に契約をするなという教訓のためでもあるので、もちろん金がもったいないと思うなら取り消してもいいと言うつもりだったのに、ちゃんと料金を払って参加していた。なぜかホーンラビットにやられそうになっていたが。

実力はあるが手を焼いていた元騎士の指導を任せたらくっついてしまったのはギルド職員達も驚きだった。一説には料理の腕が勝因らしい。

戦いが苦手でCランクは無理そうだった。

臆病だと思っていたら走竜に乗れる。そして魔呪禍病にかかっていたとはいえ傭兵団の襲撃も乗り越えた。

キノは本当は何があったか薄々解ってはいた。

ゾラもグリアスもカラハも長い付き合いだ。ジェイグのことも知っている。

大金を手にする機会だったのに。ギルドの賞金首にかかっていた報奨金を選ばずに、四人の友情と過去に泣くようなヤツだ。


キノにとって全ての冒険者達は後輩であるが、仕事上の結びつきでもある。特定の人物に思い入れるのはギルド職員には法度だ。公平性を欠くという理由もあるが、親しかった者が不意に、もう二度とカウンターにやってこなくなることがあるからだ。だから深入りしすぎないこと。それがギルド員には求められた。

それでもだ。自然と心が結びついていくような冒険者に出会ってしまう。

ギルド館で交わす他愛無い言葉が心地良かったり、無謀な冒険を本気で叱ったり、依頼の成果に一緒に喜び、時には失敗に悔しく思う。また頑張れと応援する。

ゾラもそうだし、随分前に冒険者をやめてしまったグリアスもそうだ。他にもたくさんいる。随分遠くからやってきたというあのリョータも。


このウィンターゲート作戦。

彼は明らかにパートナーのレイナが残ったからこの戦いに参加を決めた。

参加するだけでも危険だ。作戦の一員で充分だ。相手は呪災害魔獣なのだから。

命がかかっているのだ。そもそも参加したこともかなり厳しく咎めた。

ところが彼は言った。

「俺は冒険者にゃ、のでっ、魔物を倒すために残っただけだ! ですっ」と。

思いっきり噛んでルナのようになっているのは一まず置くとして、どう聞いてもそれが本当の理由ではない。だが惚れた女の前でそう言える気概に、キノは彼を見直した。


それから「策があります」と打ち明けてきた。

カルソンヌ渓谷でのワイバーン討伐は知っている。他支部の失態で冒険者達が壊滅するのを回避してくれたのだ。目立ちたくないようなので詳しくも聞かなかったが、何かしら魔法的な力を持っていることはわかっていた。

その力のことを聞いて勝利の可能性があると判断したが、キノは言っていた。

「危険だ。考え直せ」と。

危険に挑むのが冒険者だ。冒険者自身が自分の力と敵の力を比べて勝算有りと判断したのだ。ギルド職員ならば手助けするのが本来なのかもしれないが、キノはすぐに了承できなかった。

「魔物を倒す術がある俺が。戦います……えっと。やっぱり戦闘蟻は一匹まででおねがいしますっ」

よく話し合って最後には許可は出したのだが。


キノはやはり心配だった。

他の人が危ないからと砦にバックアップ要員すら置かないのだ。

「無事に帰って来い」

キノは祈りと共に呟く。

ミーヌが、リョータと戦闘蟻が接敵したと告げた。



戦闘蟻の呪われた赤い視線が瞬く。

至近距離での死眼。

魔法で抵抗力を上げていても耐え切ることは難しい。

だが、その冒険者は立っている。

今度は戦闘蟻がの鋭い顎が、彼を噛み砕こうと迫った。

しかし、その攻撃は何かに弾かれたように防がれた。

不思議なことに戦闘蟻の攻撃は何かに阻まれている。

戦闘蟻の体がまるで硬い何かに当たったように弾き返される。

それに合わせて冒険者が前に出る。

カースドハーベストアントが押し返されていく。

長い長い時間をかけて攻防が続いた。


遠すぎて何が起こっているのかわからないが、断続的にミーヌが遠見の魔法で、チョピヌがラピズからの眼で、伝えてくれる。

リョータがあのカースドハーベストアントに屈せずにいる。

もしかしたら、このまま。

誰もが期待を募らせていった。

もしかしたら、あの呪災害魔獣を押し切るのではないか。

自然と応援する声があがり始める。

紫色の髪の女騎士だけが、すぐさま戦場に戻らんとするかのように悲痛な面持ちで、傍らの青年騎士に止められている。

村に撤退を終えた全ての迎撃隊、キノやエリー村長ら、村門の前に集まった者達は撤退の準備を終えて、遠くの戦闘蟻と冒険者の一騎打ちの結果を待っていた。


戦闘蟻がもんどりうって陥穽に消えた。

ミーヌとチョピヌがそれを見て、叫ぶように報告した。

再び戦闘蟻を穴の底に押し落とした、と。

たった一人の冒険者が、あのカースドハーベストアントを退けたのだ。

何が起こったのかわからなった静寂が、爆発のような歓声に換わった。



それに気がついたのはチョピヌとラピズだった。

戦闘蟻を穴に押し落とし、一息ついていたリョータが突然に剣と盾を激しく打ち合わせては剣で空を指すことを繰り返し始めた。

エリネルト村からの歓声に応えてではなく、注視せよというサインだ。

方角はちょうど村から見て東の空を指している。

「何か来る!」

チョピヌが警告の声を上げた。

歓声が一気に引いていく。

「なんだありゃ……」

一人が呆けたように言った。

多数の黒い何かが飛来しようとしていた。

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