後日談 ~戦の後に残る物~
戊辰戦争後の新政府は、政治的観点から様々な動きを見せ始める。
その最たる動きが「征韓」である。
当時の朝鮮はかつての日本と同じく、攘夷運動が巻き起ころうとしていた。また、衰退していた儒教の復活をも国策として打ち出しており、日本との国交断絶を視野に入れていたのだ。
それに対し新政府は、使者を送る事を決定した。その使者の代表に選ばれていたのが西郷隆盛である。
が…ここで新政府は二つに分かれた。
「征韓」を主に置く西郷派と、それに異を唱える大久保利通派。その動向は閣議にて決定する事となるのだが……大久保派に就いていた岩倉具視は裏工作を行い、西郷派遣延期が決定される事になる。
その決定に納得できぬ西郷は、政府に辞意を表明し、それに続く様に板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣、桐野利秋、大隈重信ら新政府重鎮も辞意を表明。西郷は鹿児島へと戻って行った。
この事件(明治六年政変)が元になり、後の自由民権運動が引き起こされる事になるが、更に重大な事件が巻き起こる要因となってしまう。
西郷は鹿児島において、私学校を設立。
共に下野した士族らを教育し、外征する為の強兵準備も進めていた。
しかしそれを危険視し、戊辰戦争の再来を危惧する政府側(大久保利通、岩倉具視、木戸孝允、伊藤博文、黒田清隆)は、先に手を打つ。私学校の存在を曲解した新政府は、これを閉鎖する為の画策を練り出し、行動を開始。それを察知した私学校側との小競り合いに発展して行く。そしてそれは、次第に 九州を中心とした士族(武士)達の内乱へと発展した。
これを抑えるべく、新政府は明治9年三月八日、廃刀令公布。更に八月五日には金禄公債証書発行条例を公布。
結果的に、帯刀・俸禄という武士に残された特権が奪われる事となった。
それが逆に、彼らを追い込み、更なる火種となって行く。
薩摩を中心とした士族達は西郷を立て、新政府軍の勝手な行動に異を唱える。
逆に政府は、その中心に居る西郷の暗殺計画を立てている、という噂が流れ、最早武力での衝突は避けられなくなった。
明治十年の事だった。
九月二十日…西郷は鹿児島の城山に居た。
政府軍に既に包囲されており、引くも押すも出来ない状況で、今後の策を練っていた。
「此処を圧したからとゆて、そん後にどこに行くと申すか」
西郷はポツリと呟く。桐野はそんな西郷を見詰め、力無く言う。
「どこにでん、着いて行きもすから…」
各人、既に意気消沈しており集団自決をも辞さない覚悟を決めていた。
此処にもまた、武士の時代の終焉を肌で感じ取っている男達が居た。そして、土方達と敵対していた頃、何故壊滅寸前まで抵抗していたのかが、この時になって理解ができていた。
「北の戦に続き、南の戦…でごわすな。かつて敵じゃった彼等と、今なら分かい合ゆっかも知れん…」
西郷はそう呟き、数十人の仲間の前で目を閉じる。
「そいどんおい達は、まだ何も残しておりもはん!」
立場は圧倒的な違いがあった。賊軍とは言え、最後まで武士としての立場を主張した土方達とは違い、政治的工作に敗れ、結果的に反乱を引き起こしてしまった西郷軍は、逆賊・侵略者としての汚名を着せられていた。
払拭する事が出来ない汚名を着せられたまま、彼等は最後を迎えるしか無かった…。
俯き、絶望と悲観に襲われる空気の中で、異変に気付いたのは、西郷だった。
ユラユラと揺れる陽炎。数十名の背後に現れる…。その時には既に着る者が少なくなっていた袴姿の浪人。その男は、ゆっくりと口を開く。
「誰が、どう言おうとも武士の魂は各々にある。あの男達は、そうして魂を引き継いで行った…。あなた方全員が、彼等の魂を引き継ぐ資格があるのであれば、自らの事ばかりを考えず、未来を考え、見据えるのです」
浪人の言葉に、全員が振り向く。
「おまはん……!」
西郷のその言葉に、浪人は周りを見渡し頷く。
西郷を取り巻く者達は、口々に物の怪が出たと狼狽するが、桐野・西郷は涙を浮かべ眺める。
「土方さぁのご遺体は、どこに…?」
西郷のその言葉に、浪人は西郷の胸を指差し、更に自らの左胸を力強くドンと叩く。
「魂であれば、いつでも」
そう言い残し、浪人の陽炎は消えた。
残った者達は、口々に言う。
「幕軍の魂など、おいらには必要無か!」
「おい達は逆賊では無か!」
その言葉を、西郷が止める。
「ううさかよ。仕える主が違うだけたい…。そん魂ば、否定すっ事ば間違いたい」
大きな目を閉じ、暫く考え込む西郷と、それを見る部下達。
彼等はその後の四日間、城山で籠城戦を展開した。その間、政府軍山縣有朋よりの「自決の勧め」を受け取ったが、返事を出さなかった。
九月二十四日、午前四時…新政府軍の総攻撃が始まる。
西郷は、この時に腹と股に被弾していた。そして、将達が見守る中で襟を正し、正座し、遥か東…京に向かい拝礼する。
逆賊では無い。この国を想い、慕い、だからこその行動が、策略により政敵とされた。
だが恨みはしない。それも、この国を思っていればこその策略。
「もう、ここらでよか…」
西郷の最後の言葉だった。
その首を刎ねたのは、配下の別府晋介。
武士の時代は、終焉を迎えた。鎌倉時代より続く武士は、幕を閉じた。
「もう、ここらでよか」
西南戦争と呼ばれる内乱は、日本史最後の内乱と呼ばれる。
そして、それに費やした政府側の戦費は四千百万円。
当時の税収が四千八百万円であった事から、その殆どを使い果たしてしまった。それを補う為、紙幣価値の低い所謂「不換紙幣」を乱発。結果的に物価が引き上がるインフレを引き起こしてしまう。
この為に今度は増税を進め、通貨整理を行うが、繭や米の価格までをも引き下げてしまうデフレが発生し、窮乏した農民達は農地を売却、小作農民・労働者となって行き、それと対を成して地主・高利貸しの成長、財閥の成長へと繋がって行った。
貧富の差が拡大し、政治運動も活発化する。
板垣退助を筆頭にした「自由民権運動」もその一つ。
「維新」は幕を閉じるが、想いがある限り、意志の力がある限り、武士道は脈々と引き継がれて行く。
【刻の旅人】第一部 ~維新の剣~ 完