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維新の剣  作者: 才谷草太
箱舘戦争
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出陣

 五月十一日未明。先に動いたのは新政府軍だった。

 『豊安』と『飛龍』に分乗した新政府陸軍参謀・黒田清隆率いる新政府軍七百名が、夜陰に紛れて箱館に近づいた。『豊安』の部隊は山背泊から上陸し、箱舘山北部に面する弁天台場の背後を脅かしたのだ。

 黒田率いる『飛龍』の部隊は寒川村付近に上陸し、絶壁をよじ登って箱館山の山頂に到達。山頂にいた旧幕府軍監視兵は、突如暗闇から洗われた新政府軍に驚き遁走し、この日の夜明けまでには箱館山を占領した。このとき、箱館にあって新政府軍の諜報活動などを務めていた遊軍隊が、箱館山薬師堂でこの奇襲部隊を迎え、山道の案内にあたった。遊軍隊は、多数の市民が参加したゲリラ部隊ともいえる組織で、旧幕府軍の市中掛の下役や弁天台場に隊士として潜入した者もいた。


 敵は、もう新政府軍だけでは無くなっていた。

 戦の為に重税を掛けた事により、箱舘市民は新政府軍に賛同し、幕府軍を追い出そうとしていたのだ。


 そして、新政府軍はこの日までに箱舘湾の漁師に力を借り、沖に広がっていた網を撤去。甲鉄・春日・朝陽・陽春の四隻の軍艦を侵入させる事に成功。幕府軍の回天・蟠龍の二隻でこれを応戦するも、回天の機関がやられ機動力を失う。

 更には消耗戦の影響もあり、幕府軍艦の砲弾も尽きる。

 こうなっては、単なる的と成り下がるしかない。


 機関をやられた回天は、先に弁天台場へと意図的に座礁させ、砲台兼要塞として対海上戦に備え、砲弾を撃ち尽くした蟠龍も同じく座礁。乗組員は弁天台場の兵士と合流し、防衛戦に参加していた。


 幕府軍は、新政府軍艦・朝陽を沈めた事により士気が上がっていた為、この弁天台場に続々と集まり、湾岸を占拠した気持ちになっていたが、背後に迫る新政府軍に退路を断たれる事になる。



 一方、五稜郭より北西に位置する七重浜では増強が完了し、同日朝に動き始めた。その数総勢四千人強とも言われる。

 幕府軍は大鳥圭介を筆頭に、亀田新道や桔梗野などに伝習歩兵隊、遊撃隊、陸軍隊などを配置していたが、この大群の前に成す術は無い。大鳥は奔走するも、圧され続ける。


 また、五稜郭の北に急造した四稜郭・権現台場へも新政府軍は迫っていた。松岡四朗次郎はこの拠点で善戦し持ちこたえていたが、本隊である大鳥軍が徐々に圧され後退していると聞くと、退路を断たれると判断。五稜郭へと敗走し、この地点を新政府軍が奪取に成功。


 五稜郭北方の主導権は、これにより新政府軍に押さえられる事となった。


 陸と海からの総攻撃に、幕府軍は防戦すらままならない状況に陥る。



 同日昼前、五稜郭本陣に箱舘山からの伝令が走り込んで来る。

 弁天台場に集結している部隊の背後に、新政府軍が迫り箱舘山を占拠したとの情報をもたらした。

 その報せを聞いた箱館奉行・永井尚志は、弁天台場の守備を固めるとともに、瀧川充太郎に新選組、伝習士官隊を率いて箱館山へ向かわせた。

 しかし、山頂からの攻撃は圧倒的で、大森浜沖の陽春からの艦砲射撃もあって一本木関門付近まで退き、さらに五稜郭まで後退する事となる。


 箱舘山より侵攻した新政府別働隊は、市街戦を展開しつつ次第に箱館市中を制圧。新政府軍は一本木関門に兵をとどめ、五稜郭、千代ヶ岡陣屋と対峙した。


 弁天台場はこの流れで完全に孤立した。


 新政府軍による五稜郭包囲網は完了し、弁天台場を残す幕府軍の拠点は全て制圧され、それらの奪還を試みる余力すら無くしていた。

 奪われた拠点は棄てるしかない。そういう戦いになっていたのだ。


 五稜郭を拠点に、その周囲は狭められながらも奮闘する幕府軍だが、遠く孤立した弁天台場の兵士も戦っている。しかし、応援は期待できない玉砕戦。


 だが、只一人の指揮官は違っていた。


 籠城戦を嫌い、孤立した仲間を見捨てる撤退を良しとしない男…、土方歳三だった。



 「同士はまだ残っているだろう! 何故救援に向かわない!」

 「土方! 口を慎め!!」

 「総裁自ら殻に閉じこもり、同志を見捨てるとは何事かと聞いているんだ!」


 五稜郭本陣の庭で、誰もが見ている前で総裁を怒鳴りつける陸軍奉行並。役職としては全く異例中の異例の物言いと口調。

 その様子を、周りも恐恐と見ていた。

 孤立する弁天台場を救出しに行く部隊が無い訳ではない。しかし、それをすれば間違いなくその部隊は退路すら断たれ、壊滅する可能性が高い。そのような戦に部隊を派遣する訳にはいかないと言うのが、総裁の考えだった。

 北方防衛線と南方防衛線、五稜郭本陣防衛戦線と、既に部隊は手一杯になっていた。

 そして土方は南方戦線の指揮に当たっていたのだが、弁天台場への救援部隊を出せないという現状に、苛々を募らせていた。既に戦としては負けが決まっている状況。しかし、それでも尚奮闘している仲間達を切り捨てる命令に納得はしていなかった。それは榎本とて同じではあるが、目指すべき所が違う二人の感情が交わる事は無かった。


 「土方…、一度あの羽織に袖を通してから、何かが変わったのか」

 それは二股口へ出陣する際、新撰組の者と共に羽織った、浅葱色の『誠』の羽織。撤退してからは再び洋装の軍服を纏っていた。

 「俺は何も変わっていない。変わったのは、周りだ…。俺はそれに着いて行けない、今でははみ出し者だ」

 「…私が変わったと?」

 「……失礼する」


 土方は一礼すると、険しい表情のまま南方へと向かった。

 自らの立場と意志は、総司令である榎本とは交わらない。



 五稜郭の城郭を出た所で、土方は以蔵と合流した。

 「ダメだ。出陣命令は出ない」

 眉間を力強く寄せた表情を変える事無く、一言呟いた。その一言で全ての感情を言い現わしていた。矛盾…それは分かってる。組織に属している以上、常に付き纏う事であるが、此処に来て裏切れぬ物が胸を締め付け、言いようの無い感情が込み上げる。

 「土方副長、鬼神・修羅が揃っています」

 以蔵は後ろから歩きながらそう口に出す。

 その後、暫く土方は無言で歩く。が…突如その足を止め、

 「岡田、弁天台場の友軍を救出に向かう」

 と、振り向かずに、前を見つめたまま声に出す。


 「分かっています」


 以蔵のその言葉の後、再び二人は歩き出した。

 その足は、もう誰にも止める事ができず、ただ、ひたすらに仲間の元へと。



 五稜郭南方戦線に戻った土方は、弁天台場の友軍救出作戦を説く。それに賛同した者は大勢居たが、土方は僅かな兵のみを選抜。

 万が一、その救出戦が失敗に終わった時、この地を破られるのを防ぐ為と、元より無謀な作戦であった事を理解していたのだ。それでもやらずにはいられない。生きて戻るつもりが無い事は、誰にも分かっていた。だからこそ、それに志願した者が大勢居たのだ。無論、岡田以蔵は救出軍に参加していた。


 「良いか、我々は救出軍だ。何があっても歩みを止める事は許されない。弁天台場の兵士もこちらに向かっている。形としては挟撃になる。だが、その兵力は圧倒的な差がある事は否めない」

 誰もが土方の言葉を、聞き逃すまいと食い入っている。

 「だが、決して背を向けるな。背の傷は武士の恥と知れ。歩みを止めず、膝を落とした時は降伏して構わん。力の限り、前進しろ」


 静かに言った土方は、馬に跨り更に南へと向かう。


 洋装の軍服の上に、羽織を纏った侍達が最後の戦いに向かっていた。




 『誠』の最後の戦場へと。

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