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維新の剣  作者: 才谷草太
箱舘戦争
134/140

それぞれの撤退、そして五稜郭へ

 四月二十八日。二股口の戦いから三日後には、土方は部隊を二つに分け分隊を矢不木に向かわせていた。土方は二股口に残ったが、松前から後退した部隊への後方支援として派遣していた。

 矢不木は五稜郭からすぐ近くの位置となっており、木古内とのちょうど中間地点に当たる。

 ここを突破されると、後は五稜郭での防衛戦となる事は明白になっていた。

 それは二股口から離れる事にも繋がり、終戦が近い事も意味している。


 そんな重要拠点の援護にも関わらず、土方が二股口に残ったのには理由があった。


 矢不木の司令官には、陸軍奉行・大鳥圭介、更にその後方の有川には総裁・榎本武揚が鎮座している。そこに自らが行く事で指示系統に乱れが生じる事を危惧し、あるいはその地点に終結する事で兵士の不安を煽る事を危惧していた。無論、二股口を放棄すれば、一斉に新政府軍が流れ込み、有川・矢不木の友軍は挟撃されてしまう、という理由もあった。


 「どうにもならんな」


 絶望にも似た言葉を吐くが、土方の口元は笑っていた。

 「元よりその覚悟での戦でしょう?」

 以蔵は慰めるつもりなど毛頭ない言葉を放つ。



 同日、木古内よりも松前寄りの福島に、新政府軍の援軍が上陸。その数は二千を超えていた。

 消耗戦となるこの戦で、次々に戦力を投下して来る新政府軍に対し、幕府軍はその術が無い。消耗を徒に増やし続けていては、この先は滅んで行くしか無いのだ。その状況の中で二千の増強は決定的だった。

 新政府軍増員導入の翌二十九日、新政府軍は旧幕府軍征討総督である大田黒惟信を指揮官に、二千五百名の兵士を海岸・本道・山上の三方向に分け矢不木へと向かわせた。更に海上からは、かつて幕府軍が襲撃をした軍艦『甲鉄』『春日』が向かう完全包囲。


 その中で大鳥は敵陣に突撃命令を出していた。海上までは気が回っていなかったのだ。


 陸地戦に没頭する幕府軍に対し、『甲鉄』が火を吹く。大鳥は瞬時に自らが発した命令が誤りだったと悟る。

 「甲鉄…! 抜かったわ!」

 後悔した時には既に『春日』からも火が向けられていた。敵陣に向かい疾走する味方の中に、海上からの砲撃が落ち、土煙を巻き上げながら仲間達を無情に消して行く。しかし退く事は現段階で許されず、次々に爆煙の中に突っ込む部下達。

 「軍艦さえあれば……!」

 大鳥は歯をギリギリと噛みしめていた。全ては嵐で消耗し、宮古湾で奪取失敗した事が起因となったこの惨状。分かっていた事とは言え、天が自らを欲していないとも思える時間の繋がりに、悔しさが込み上げて来る。そして、更に大鳥の元へ伝令が駆けて来る。


 「大鳥司令官殿! 海上よりの砲撃で衝鋒隊の天野大隊長討ち死に致しました! 前線は総崩れとなっています!」


 その伝令の体中には、返り血が染み付いていた。

 海上からの砲撃だけでは無い。三方から物量攻めを推し進める新政府軍に、どこも圧されている。これ以上ここで持ちこたえる事は出来ない。爆煙と共に赤く染まった霧も立ち込める地獄が広がり、例え大鳥で無くともそう判断するしか無かった。



 「……矢不木を棄てる。総員撤退命令を出す……富川・有川まで退き立て直し、榎本総裁の指揮下に加わる」

 眉間を押さえながら、伝令を再び走らせ撤退準備へと入る。



 「ここまで…かも知れんな」

 キッと海上を見やり、踵を返す大鳥。この時既に五稜郭への撤退を覚悟していた。

 伝令は馬を駆り、後方の榎本の元へも向けられており、一刻後には矢不木撤退が伝わっていた。そこには既に到着していた二股口からの援軍も合流しており、更に伝令は二股口へと向けられた。土方の耳に『矢不木軍敗走』の情報が入ったのは、その日の内だった。


 「たった1日だと? 大鳥殿の軍が1日で敗走したと言うのか!」

 伝令の肩を掴み、驚きを隠せない土方に、更に伝える。

 「海上より甲鉄・春日の砲撃、更に陸には敵陣の増員が三方より強襲」

 「甲鉄…春日か!」

 自らが出陣し奪取失敗という結果に終わった甲鉄が、ここで牙を剥くか…という後悔の念に駆られる土方は、唇を噛み締め怒りを呑み込む。

 「畜生! 畜生!! 甲鉄…掴みかけた獲物が、牙を剥き出しにして来たか!」

 土方は足元にある胸壁の壁を力任せに何度も蹴り上げた。怒りと後悔が土方の背中から覆いかぶさり、感情を支配して行く。

 「……物量、軍艦…こうなっては沿岸で展開している榎本総裁も撤退を選ぶだろう…」

 土方は二股口を挟む山を見上げながら、自らの行動を冷静に選ばなければならなかった。玉砕か撤退かを…。ここで榎本軍に合流し、圧し返そうとすれば、海上からの砲撃とも向き合わなければならない。この場に留まれば、榎本退却後は挟撃され退路を断たれる。

 しかし、五稜郭に撤退した所で好転する等とは思えない。


 「どう思う?」


 視線を高く上げたまま、気持ちを落ち着かせるように以蔵に問い掛ける。無論、どうすれば良いかは土方にも分かっていたが、昂ぶる感情を押し殺すには誰かに背中の苛立ちを解いて貰うしか無い。

 そんな土方の様子を見ていた以蔵は、ポツリと言う。


 「新撰組は土方歳三と共にあります」


 とだけ答える以蔵。その言葉に土方も、肩で大きく息をして、溜息に似た深呼吸をひとつした後、軽く頷き答える。

 「そうだな…。ひとつ、暴れに行くか、五稜郭に」

 そこにはようやく平静を取り戻した土方の背中があった。選択の余地など無い事は分かっている。部下すらもそれを信じ、土方に従っている。今はその部下達と共に生き抜く事が重要である事も分かっている。ただ、人間・土方として感情を圧し殺せない時もある。鬼は常に鬼では無かった。


 「もうすぐ陽が暮れる。夜まで一刻程だ…撤退準備を始めろ」


 すぐ傍で互いの気持ちを汲み取り、絶妙な遣り取りを見ていた市村に部隊への伝令を任せる土方は、自らも撤退準備へと入った。



 二股口撤退、五稜郭へ。

 その指示を聞いた二股口軍の行動は早かった。誰一人躊躇する事無く命令に従った。そして以蔵は土方に許しを得て伝令に、箱舘本陣への命を下した。「函館湾の沖に、網を引け」と。

 伝令はその意図が分からなかったが、驚きながらも土方をチラチラと見遣りながら頷き、早々に本陣へと向かって馬を走らせた。


 それから一刻半程で撤退準備を整え、それぞれに隊列を整え二股口を後にする。無論先頭には馬にまたがった土方の姿があり、隣には以蔵、後方には市村が居る。

 その道中、伝令に向けた指示の意図が分からなかった土方は、馬上で以蔵に聞く。

 「岡田…伝令に指示した網は、何に使う気だ」

 「甲鉄からの射程距離に五稜郭が入らぬ様備えるのです。時間稼ぎにしかなりませんが、軍備を整える時間が必要ですから」

 「なるほど…外輪船等に網が絡まると航行不能になる訳か…我々が撤退している最中に、海上から砲撃されては帰る場所すら失う。その為の予防策か」

 「海上防衛と陸地戦…。消耗戦をどう戦い、我ら以外の侍に何を訴えるか。いよいよその答えが見えるかも知れませんね」

 「なに…俺達はただ戦うだけだ。後の事は後の者が決める。どう受け取ろうが我々が我々である事に変わりは無いし、生きた証はここに永久に残る」



 五稜郭へと向かう馬上で、決意に揺らぎの無い土方を見る以蔵。

 土方歳三の戦死まで、二週間を切っていた。

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