生きる魂と、生きる口伝
明治元年十二月十五日、箱舘五稜郭に於いて日本史上初の投票による代表選挙が行われた。
歴史的に「民主政権」とされる事もあり、同時に「共和国」と外国に認識される事もあるが、この選挙に蝦夷地の住民は参加はしていない。
彼らの目的は、蝦夷地支配の為の選挙では無く、軍隊を纏める為の選挙だったのだ。
更に、全兵士の入れ札では無く、各部隊を代表する数人の士官クラスによる選挙だった為、完全民主とは程遠い物だった。
被選挙権とも言える、この代表選対象者は、仙台から軍議に参列していた者達だった。
榎本武揚、松平太郎、永井尚志、大鳥圭介、松岡四朗次郎、土方歳三、松平定敬、春日左衛門、関広右衛門、牧野備後守、板倉勝静、小笠原長行、榎本道章…。計十三名。
最多投票を獲得したのは、156票の榎本武揚だった。次いで松平太郎の120票。
この結果により、総裁は榎本、副総裁が松平太郎と決定し、得票数を元に各個人の能力を考慮した人員配置が成された。
土方は陸軍奉行並、となった。その上に立つ陸軍奉行には大鳥圭介。
分裂を起こし始めていた各部隊は、この二人の元に統率される事となる。
この総裁となった時の榎本は、新政府軍に対し、再度幕臣保護の嘆願書を提出していた。前回、反故にされたと思われる事から、イギリスに仲介を依頼し、提出するのだが新政府軍はこれを黙殺した。新政府軍は飽くまで徹底抗戦を行うつもりだった。
そして、幕府側にもその意向は十分すぎる程伝わっていた。
最早避けられぬ戦。
こうなってしまっては軍艦が数を減らした幕府軍は、制海権を手放してしまった事を後悔し、更には度重なる戦によって、軍費も底を付いて来た…。
徹底抗戦を望む新政府と、対抗しようにも圧倒的不利な状況にある幕軍。
会計奉行となった榎本道章、副総裁の松平太郎は偽造貨幣を製造し、蝦夷地の民に税も掛けた。その課税は出店への場所代取り立て、賭博場の寺銭巻き上げ、遂には市内に関門を設け、女子供からまで通行税を毟り取るにまで至っていた。
蝦夷地に住む民からは、最早侵略者のように映っていただろう…。
そんなとある日の函館で、土方と以蔵は市内を歩いていた。
その道中に会う民は、皆が蔑む様な目で幕軍を見ていた。
「とんだ悪党になってしまったな…」
ポツリと土方が洩らす。
「課税、と言えば聞こえは良いですが、やっている事は単なる脅迫ですからね」
それに答える様にサラリと答える以蔵。
「急を要する資金集めとは言え…他に策は無いのか?」
「私に聞かれても…政の事は分かり兼ねます」
以蔵の言葉に、土方は深く、重い溜息を吐く。
「歴史には関せず…か。お前も蔑まれているのだぞ?」
「それに堪えられないのであれば、蝦夷地を逃げ出すしかありませんね」
以蔵は疲れたように笑顔を作り、土方を見る。
「どうやら嘆願書は新政府側で黙殺された様子だ。そうなると、我々が英吉利と与していると判断するだろう…」
「でしょうね。そうなると、新政府はアメリカと手を組み、ここ箱舘で総力戦が繰り広げられます」
「税を毟り取り、戦場に民を放り出す勢力…か。滅びるしか救いは無いのか?」
そんな会話をする土方等二人の前に、蝦夷地原住民であるアイヌの男が五人、立ち塞がる。
「何だ…。不服があるのは分かるが、我等に出て行けと言っても無駄だぞ」
土方は覇気も無くそう伝える。しかし、アイヌの五人は、そのまま黙って二人を見つめる。
「言いたい事があるのならば、聞く。答えられぬとは思うが、言ってみろ」
その土方の言葉に対し、片言の言葉が返って来る。
「我等はお前達以前から、侵略を受ける。倭人全て侵略者」
的を射ている…。元はと言えばアイヌの住処であったにも関わらず、幕府の開拓が進み、占拠して行ったのだ。
「だから、俺達に出て行けと言うのか?」
土方は再度聞く。が、アイヌの男達は答えない…。
やれやれと思っていた矢先、少し離れた店から大声が聞こえた。
「出て行け! 毟り取るばかりのタカリしか出来ない浪人共め!」
「何だと!? 斬られたくなければ金品を渡せ! 我等が戦わねば、お主達も戦火に巻き込まれ財産どころか命も失うのだぞ!」
「お前達が来なけりゃ、そうなる事も無いわ! さっさとこの地から失せろ!」
見るとかなりの豪商の店。
土方はアイヌの男達を「済まん」と謝り、店先へと急ぐ。
そこには幕軍兵士と店主と見える男が掴みあっていた。周りには数人の幕軍が、金品を漁る光景があり、それを遠巻きに、震えながら眺める店子が居た。
「何をしている、お前達!!」
慌てて土方は店に駆け込み、幕軍を止める。
「土方殿…! 騒がしてしまい申し訳ありませぬ、只今この店から税を摂っておる所ですが、中々素直に渡さず…」
突然の土方の登場に、店主も流石に青ざめはしたが、震えながらも続けた。
「戦をするのは勝手だが…ワシ等商人には関係無い…! 侍の勝手でワシ等を苦しめるのは止めてくれ!」
その嘆願を聞いた土方は、商人に頭を下げた。
「済まぬ…。税を摂らねば成らぬのは、こちらの道理ではあるが、今の様は単なる強奪」
そう言うと、金品を運び出していた幕軍に向かい、
「おい…、金品全て店主に返せ。我等は税を摂る事は止む無しと言ったが、強奪しろとは言っておらん」
そう言いながら睨んだ。
「松平副総裁には、土方がそう言っていたとお伝えしろ。反論があれば戻り次第聞く、とな」
店先でその様子を眺めていた以蔵は、つい笑みを溢してしまっていた。
「何だ、岡田…。ニヤニヤと」
幕軍が去り、店主に再度頭を下げて出て来た土方が以蔵に問い掛ける。
「商人に頭を下げるなんて、新撰組の頃の土方さんからは想像がつきませんでしたから」
「茶化すな…。情けない事に、こうなって初めて武士として生きる魂が顔を出して来たようだ」
「しかし、税を摂っている事に変わりは無いでしょう?」
「ああ、何も善者になるつもりは無い」
そう言いながら、土方はアイヌの男達の元へと戻る。
「済まんな…。話を聞こう」
そう言う土方の前で、アイヌの男はグッと睨みつけ、
「六百年…。六百年だ」
「何がだ?」
「一族の中で伝わる伝承。六百年前の予言、お前達の事がある」
土方と以蔵は意味が分からなかった。
アイヌの伝承に自分たちの事がある等とは、瞬時に理解ができない事だった。
「本土を追われ、アイヌの地へと逃げ着く倭人が再び現れる。その者達は、倭人の中から金を奪い、自由の為に、未来の為に戦う戦士だと」
発音が変ではあったが、アイヌの人々が日本語を話す事自体が困難だと知っている土方等は、何とか聞き取っていた。
「伝承にあるのか? お前達一族の間に?」
アイヌの男達は、それぞれに頷き、言葉を続けた。
「その戦士達を助ける。それ、我々一族の使命」
一族…と言う事は、アイヌ全般の伝承では無いのだろう。六百年前からの伝承など、流石に信じる気にはなれない土方と以蔵だったが、顔を見合わせて不審がっている二人に対し、アイヌの男は話しを続けた。
「気を付ける。お前達の敵の倭人、この地から連絡を取り、戦に加わるぞ」
「連絡…内通者か。蝦夷地に居る者達の中に、我等を敵として参戦する民も居る、という事か」
土方が溜息と共に聞くと、アイヌの男達は再度頷く。
「我等、伝承の元、お前達助けて共に戦う」
「…それは断る」
土方は迷い無く断った。
「この戦は、我々…倭人の我々の戦だ。お前達の土地を戦地にしておいて言えた義理では無いが、お前達アイヌまで巻き込む訳にはいかん」
「ダメ、伝承は守るが、一族の使命。背くの許されない」
困り果てた土方は、以蔵を見る。
以蔵は、何か深く考えながら、ゆっくりと男達に聞いた。
「その伝承…『倭人が再び』とあるのですか?」
「そうだ」
「ならば、一度目に逃げて来た倭人が遺した伝承ですか?」
「そうだ。我等の恩人だ」
「その恩人は…どのような男か伝わってないか?」
アイヌの男達は、互いに顔を見合わせた後、ゆっくりと言葉を発した。
「小男、大男二人。一人の大男は妙なグチャグチャ髪、一人の大男は妙な術を使う。小男は色白で非力、だが光を持つ」
以蔵は、その言葉でピンと来た。
「龍さんだ…、龍さんが六百年前のこの地に来てたんだ」
思わず満面の笑みを浮かべ、土方を見る。
「龍さん? 坂本の事か!?」
「そうですよ、私達がここに来る事をどこかで知り、助け船を出そうと伝承として残したんですよ!」
無邪気に喜ぶ以蔵を見て、土方は戒める。
「例えそうだとしても! アイヌまでをも巻き込む訳にはいかん!」
そんな土方を見た以蔵は、生きていた親友の行き先が分かり有頂天になってしまった事に気付く。
「何故坂本が蝦夷地に来たのかは知らんが…」
そう呟き、アイヌの男達を見て言う。
「内通者の話し、有難く聞き受けた。お前達の役目は終わったのだ…。既に我等の助けを果たした今、伝承に縛られる事は無い。戦場には近付くな」
そう語り、そのまま歩き去った。
以蔵は喜びと寂しさを同居させた心を抱え、その場を一礼して離れ、土方の背中を追いかけた。