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維新の剣  作者: 才谷草太
武士道
116/140

黒猫

 刻は少し遡り、慶応四年五月末、江戸。


 ある植木屋の庭で一人の男が猫と戯れていた。

 「駄目じゃないですか、寝ていないと」

 「今日は身体が軽いんです…。いつも寝ていると退屈で」

 「病にかかっている御人の言葉ではありませんよ? こんな時こそ寝ていなければ良くなりません」

 「意地悪ですね…良庵先生は。労咳避けの迷信で黒猫までこうして傍に置き、ただ日々薬に浸かる。治らない事は誰よりも分かっていますよ」


 「沖田殿…。床に就いて下さい」


 労咳が発病した沖田は、松本良庵という医者の紹介で、植木屋に匿われていた。



 沖田はその場で猫を抱き、立ち上がった。



 「良庵先生…、近藤先生はお元気でしょうか? お手紙が届きませんね」

 「先の鳥羽での戦の後、江戸に入られたとお聞きしましたが、現在新撰組は散り散りで奥州方面へと転戦しているようですから…」

 「土方さんはそこに居るでしょうね」

 「噂では、あの岡田以蔵が新撰組に合流したようです」


 その言葉を聞いた沖田は、蒼白となった頬に赤みを浮かべ、無邪気に笑った。


 「倒幕に尽力した以蔵殿が、今度は幕軍に着きましたか」

 そう言いながら縁側へ向かい腰を下ろす。

 沖田の膝の上では黒猫が気持ち良さそうに喉を鳴らしながら目を閉じる。


 平和…。人を斬り、畏れられ、騒乱の中に身を置いていた者には信じ難い程の静けさ。


 「近藤先生は切腹を許されたのでしょうか…」


 その言葉に良庵は驚いた。返す言葉を失い、ただ沈黙を貫いていたが、そこに答えを感じ取った沖田は、残念そうに言う。


 「斬首…ですか。しかし以蔵殿が新撰組に着いたのなら、土方さんはまだまだ健在ですね」

 そう言いながら猫を縁側へと放す。



 「あの人は武士として、最後まで戦い抜くつもりでしょうね」

 沖田の目は遠い空を見つめながら言った。





 「な…何をなさいますか!」

 良庵は沖田を必死で止めようとする。

 「大丈夫ですよ、本当に今日は身体が軽いんです」

 床の間に置いていた太刀を取り、庭へと向かっていた。


 「岡田以蔵という名の友は、その猫に似ているんです…」

 懐かしそうに縁側で丸くなる猫を見つめながら、続けた。

 「気ままに歩き、人の懐に入って来る。そして気が付くとどこかに行ってしまう…。薄黒くて、いつも違う顔を持ち、そうかと思えば恐ろしい程に魅力的に笑う」

 ゆっくりと太刀を抜く沖田。その先には、以蔵の幻が見える。



 「勝負が付いて無いですよね、以蔵殿…」

 沖田は中段よりやや切先を下げて、軽く前のめりに構える。この構えは沖田独特の物だ。

 そして、沖田の目に映る以蔵は、ゆっくりと腰を下ろし居合構えを取る。


 良庵はただ黙って見るしか無かった。既に死期も近いであろうと思われる沖田は、全盛期を上回る程に闘気を発している。今沖田を止めれば、恐らく一刀の元に斬られるだろう。


 ユラユラと沖田の剣先が揺れ、幻の中の以蔵を牽制するが、その以蔵はジリジリと横に動く。



 沖田の右足が前に出る…そして、その足が地に着く前に一本目の突きが以蔵の腹に向かう。

 しかし以蔵は摺り足で左に動き交わすが、沖田の右足が地に着いた瞬間、突きの体勢から以蔵の身体に向かい逆袈裟に斬り上げる。

 以蔵の右袖が斬れ、布が宙に舞うが、後方に飛び去った以蔵に手傷は無い。そしてそれを追う様に沖田は左足を前に出し、上空に跳ね上がった太刀を右横へと引き寄せ、身体の回転と共に左横に薙ぎ払う。更に右足を踏込み、回転に加速を付ける…が、以蔵は僅かに引き抜いた太刀で、沖田の斬撃を受け止める。



 「幻とは言え、こうまで見事に交わされますか…」


 その沖田を見ていた良庵は、驚愕していた。沖田にしか見えない筈の以蔵の姿が、薄らと見えていた。沖田の闘気が見せた幻なのだろう。



 宙で不思議なほど止まっている沖田の太刀は、小さく震えだす。それを見た良庵は我に帰り声を掛ける。


 「沖田殿!」




 吐血。


 大量の血が沖田の口から吹き出す。



 「さっきまで、軽かったんですけどね…。もう、駄目みたいです…」

 沖田は太刀を落とし、更に血を吹く。しかし、それを止めようとはせず、再び天を仰ぎ見る。



 「戦いの中で、死ねます…」



 その言葉を最後に、沖田は天を見上げたまま、笑顔で目を閉じた。





 後日、病の床で沖田の世話をしていた老婆に尋ねられた。何故、庭で果てていたのか、地に太刀が落ちていたのかと。


 良庵は答えた。




 「猫をね、斬れなかったそうですよ。でも、沖田殿は満足されてました」

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